2. リュシイ

 最初に殺したのは、おそらくは、両親。

 両親が崖から荷馬車ごと落ちていく、夢を見た。

 最初に夢を見たときに、リュシイはそれが予知夢とは気付かなかった。きっとそれが、彼女が最初に見た予知夢だった。


 怖い、と跳ね起きた。

 隣に寝ていた母が、目をこすりながら手を伸ばしてくる。


「どうしたの?」


 リュシイは母に身を寄せるように、また布団にもぐりこんだ。


「怖い、夢……」


 身体が震えて止まらない。

 すると母は、リュシイの身体をぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫よ。それは夢よ。もう一度、目を閉じてごらんなさい。きっと楽しい夢が見られるわ」


 母は優しくそう言うと、子守歌を歌った。

 身体中に染みわたるような、澄んだ歌声だった。

 リュシイはそのまま眠りに落ちた。


          ◇


 だが、それからも、同じ夢を何度も見た。

 いや、同じではない。何度も何度も繰り返しながら、どんどんと状況は酷くなっていく。


 最初は荷馬車ごと落ちるだけだったのが、馬車から両親が投げ出される絵が加わった。

 そしてそのうち、投げ出されて崖の下に倒れ、そしてその上に荷馬車が落ちる夢まで加わった。

 夢の中で、明らかに、両親は死体となっていた。


 それを、リュシイは一度も両親に言えなかった。

 あまりにも鮮明な夢。もしそれを伝えたら。

 嫌われてしまうかもしれない。もしかしたらリュシイがそれを望んでいると思ってしまうかも。怖い。

 だがその日の朝、両親は言った。


「今日は街まで買い出しに行くから。だから、お留守番していてね」


 村での完全な自給自足は、無理があった。だからよく両親は、村人たちの遣いをしていた。

 いつも、薬や食糧を荷馬車で積んで戻ってくる。針仕事などの仕事も持って帰ってきたりしていた。


「村長さんにお願いしたから。いい子にしているのよ」


 父も母もそう言って、リュシイの頭を撫でた。

 だが、今日なのだと気付いた。あの夢は、今日のことなのだと。

 だから大声で泣き喚いた。


「行かないで! 行っちゃいや!」


 二人の足にすがりついて、リュシイは泣いた。あの恐ろしい夢が現実になってしまったらどうしよう、と。

 けれど両親は、五歳の子どもの言うことなど聞かなかった。


「大丈夫よ、すぐに戻ってくるから」


 両親が出かけている間、預かってくれる村長も同じだった。


「どうしたのかね、いつもはおとなしく待っているのに」


 言わなければ。言わなければいけない。あの夢のことを。嫌われたっていい。言わなければ。


「行かないで! 夢の通りになっちゃう! 怖いの、怖い夢なの!」


 そう言うと、彼らは顔を見合わせた。そして笑う。


「ああ、最近、怖い夢をずっと見ていたみたいだものね」

「それでか。大丈夫だよ、それは夢だ」

「いい子で待っていたら、すぐに帰ってくるよ」


 そう異口同音に、言い聞かせてくる。

 本当に? あれは夢で、現実ではないのだろうか。


「……じゃあ、待ってる。ぜったい帰ってきてね……」


 なんとか自分を落ち着かせて、そう答えた。両親は笑って手を振りながら、荷馬車を操って村を出て行った。


 だが、彼らは二度と戻ってこなかった。

 なかなか帰ってこない両親を心配した村人が迎えに行ったが、崖下に荷馬車が落ちているのを見つけたそうだ。


「あれは、無理だ。引き揚げられねえ。あの崖を降りるのは、こっちだって危ねえよ」

「見えたよ。もう、こと切れてた」


 その報告を、村長とともに、聞いた。


「村長さん……、お父さんと、お母さんは……?」


 村長はこちらを哀れむように見るが、何も言わなかった。

 それで、わかった。

 両親は、二度と戻ってこない。


「嘘つき! 帰ってくるって言ったのに!」


 そうして泣き喚いた。

 何日も何日も、村長の家で、泣いて暮らした。

 家に帰っても、いつまで経っても誰も帰ってこなくて、ランプに火を灯すこともできなくて、暗い中で泣くことしかできなかった。

 結局、リュシイは村長の家で暮らすこととなった。


          ◇


 ときどきは涙が溢れてきたが、それでも少しずつ、日常は戻ってきた。

 息子が街に働きに出たまま戻ってきていない、二人暮らしの村長夫妻は、リュシイを大切に育ててくれたと思う。

 最初のうちは。


 二回目の予知夢は、村人の一人が畑で怪我をする、というものだった。畑に寝かせていた鍬の上に転んでしまう、という夢だった。


 やはり言えなかったし、大したことではないように思えた。

 だが、夢は少しずつ形を変えた。鍬の向きは、いつの間にか上向きになっていた。ちょっとした尻もちは、大きく転倒するようになっていった。


「村長さん……」


 意を決して、リュシイは言った。


「夢を、見るの……」


 両親のとき、何か思うところがあったのか、村長はこの話に耳を傾けた。

 そして、その当人にも忠告した。

 だがもちろん、そんなことを言われただけで気を付けるわけもなく、彼は怪我を負った。


「なんでわかったんだよ、ちくしょう。気を付ければよかった」


 それからも、何度も夢を見た。

 だいたいはそんな小さなことだったけれど、必ず村長の言う通りになったので、皆、信じ始めた。


「この子が、予知夢を見ているんだよ」


 皆、最初はありがたがった。お礼にと、いろんな品が村長の家に贈られた。

 リュシイもそれを喜んだ。村長の家にお世話になるばかりだったから、少しでも役に立てたことが嬉しかった。

 それに何より、夢を忠告することにより、人々が助かるのが嬉しかった。

 たくさん助けると、父と母の死が、報われるような気もした。


          ◇


 だがそのうち、話を聞かない者も出始めた。


「予言だの何だの言って、裏で怪我させてるんじゃないのか?」


 だから、村長が何かを言おうとすると、逃げ出す者まで現れた。


「これはもう、仕方のないことだよ」


 村長はそう言って、諦めてしまった。

 けれど、どんどんと夢は変化していく。

 リュシイも何度も忠告しようとしたけれど、彼は決して話を聞こうとはしなかった。

 最終的に、男は、死んだ。


 村長やリュシイが何とか忠告しようとしたことは、皆が知っていた。

 いつしか、誰もがリュシイの予知夢を信じるようになった。リュシイが十二になったころには、皆が彼女のことを、姫、と呼んでいた。

 皆が、我先にと予言を聞きたがったが、リュシイの夢は受動的なもので、望んだものを見ることはできなかった。


 けれどそれをどう思ったのか。

 村長のところには、贈り物が増えていった。金子そのものを持ってくる者も増えた。

 村長夫妻は毎日何もせず、ただそれを受け取るばかりだった。


 ある日、また、夢を見た。

 山に山菜を取りにいく男が、蛇に襲われる夢。

 これもきっと何も言わなかったら、いつか蛇に噛まれて死んでしまう夢に変わる。

 だから、リュシイは村長に伝えた。

 だが。


「ああ、彼には言わなくてもいい」

「えっ?」

「だって何も持ってこないしね。それに彼は、おまえの予言をありがたがっている者に、予言なんかじゃなくて怪我をさせられてるんだって言いふらしている。要らないだろう? そんな男は」


 愕然とした。そんな馬鹿な。


「だ、だめです! そんなこと!」


 いつの間に。いつの間に、そんなことに。

 リュシイは村長の家を飛び出そうとした。

 だが手首を引っ張られ、引き戻される。


「離してください!」


 振りほどこうとしたそのとき。

 左頬が熱くなった。視界が揺れた。

 えっ、と思ったときには、机にこめかみを打ち付けていた。

 そのまま、倒れこむ。

 じんじんと痺れる左頬と、痛むこめかみ。目に血が入ってきて、痛い。


「ああ、リュシイ、大丈夫かい?」


 村長は駆け寄ってきた。

 村長の妻は、ただこちらを、冷めた目で見下ろしているだけだ。


「すまない、すまないね、おまえの美しい顔に傷をつけるなんて」


 顔? 謝罪は、そのことについて? 殴ったこと自体ではなく?


「おまえはわからないかもしれないけれど、美しさというのは力なんだよ? おまえが美しいから、おまえの予知夢は信憑性が高くなるんだ。決して傷つけてはいけなかった、すまない」

「私、言わないと……」


 それでも立ち上がろうとすると、村長はリュシイの腹部を蹴り上げた。


「まだわからないのか! 言わなくてもいいと言っている!」


 何度も何度も蹴られた。気持ち悪くて吐いてしまっても、まだそれは続いた。

 何も、考えられなくなった。

 そのとき突然に、リュシイの世界が変わったのだ。いや、ずっと違ったものが見えていたのだろう。


 お父さん、お母さん、助けて。

 けれど彼らは、もう、いない。

 だって私が殺したんだもの……。

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