第八章

1. 嘘

 どこか遠くで、自分を呼んでいる声がしたような気がして、リュシイはうっすらと目を開けた。


 すっかり様相の変わってしまった室内が瞳に映る。

 崩落が酷く、柱や壁が多少は残ってはいるものの、陽の光が差し込んでいる。

 ときどき、がらがらという音とともに、壁が少しずつ崩れ落ちているのが見えた。


 やっぱり、夢で見た通りだわ。

 リュシイは自嘲的に口の端を上げた。


 赤い色をした液体が、目の前の床に広がっている。

 ぬるりとした感触が頬を濡らした。


 ほら、最期まで、私の予言は外れたことはなかった。


 今、自分の意識があることが嘘のようだ。

 よくこの状況の中で生き残ったものだ、と妙に冷静に思った。


 そして気が付いた。自分が、自分の手で頭を庇っていることに。

 死にたくなかったのだわ。死ぬべきなのに。なんて醜い。

 頭を庇う手を動かす。同時に、上に乗っていた瓦礫が、ガラガラと音を立てて床に落ちた。


 やっぱりこのまま死ぬのだろうか。けれど、それでいい。

 最期に、あの三人の少年を助けられたのだ。それはなんて素晴らしいことだろう。

 やっと、自分の仕事をやり遂げたのだと思った。

 今、この瞬間のために、神は予知夢を見せ続けたのだと。

 達成感に包まれて死ねるのなら、それでよかった。


 自分を呼ぶあの声は、両親が神の国から自分を呼んでいる声なのかもしれない。

 いや、違う。きっと、違う。

 私は、両親と同じところには行けない。


「リュシイ!」


 しかし、今度ははっきりと声が聞こえた。どうやら空耳ではないらしい。

 まだ誰か城内に残っていたのかと、愕然として身体を起こそうとするが、痛みが身体中を襲っただけだった。


「う……」


 呻き声が漏れる。

 その声を聞きつけたのか、足音が近くなった。

 瓦礫を掻き分けるように進んでいるのだろう。足音と同時にがらがらという音がする。


「リュシイ!」


 聞き覚えのある声。

 今、ここにいるはずのない人。


「……陛下?」


 幻を見ているのだろうか、と思った。

 死ぬ前に、神は幸せな夢を見せてくださったのかもしれないと。


「ああ、無事か」


 ほっとしたような声がする。

 当然、無事ではない姿は目に入ってはいるのだろうが、彼女の命があることに安心したようだった。


「どうして……陛下が……」


 涙が溢れてきた。

 覚悟を決めたつもりだった。

 けれど、たった一人で死んでいくのが寂しくもあったから、今ここに、頼れる腕があることが信じられなかった。


「どうしてここにいるんだ」


 言いながら、瓦礫をかき分けやってくる。


「あの少年たちを助けるために、残ったのか?」

「……あの子たち、助かったんですね……」

「こちらで保護した」

「そう……ですか」


 よかった。本当に、よかった。助けられることができて、よかった。

 レディオスは、リュシイの上に乗っている、瓦礫を除け始めた。


「陛下、陛下、まだ、余震は続きます。危ないです。逃げて」

「そなたを放って逃げられるか」


 一つ一つ、瓦礫を除けていく。最初はその辺に投げようとしたようだが、その衝撃で新たな瓦礫が降ってきたので、それは諦めたようだった。

 そっと、一つずつ、少女が傷つかないように、丁寧に。


「もう、いいんです。逃げてください」

「逃げない」

「私……私、もう、いいんです」

「よくない」

「私は、ここで死ぬんです」

「それは、予言か?」

「いいえ」


 そう言って少女はぼろぼろと涙を零した。


「私は、ここに……死にに……きたんです……」


 たくさんの人を助けられた。それでいい。

 もう、生きていたくない。

 この地震を予知夢でみたとき、決めたのだ。

 これが終わったら、死のうと。


「何を言っているんだ」


 言いながら、彼は作業を止めようとはしなかった。

 けれど。


「私は……、嘘をついていました」

「嘘?」


 彼の手が、止まった。


          ◇


 思わず、手が止まった。

 嘘。なにが。

 まさか、予言が?

 ではこの地震は偶然にも予言と重なったとでもいうのか。ここまで、何もかもが予言通りだというのに。

 少女は、しゃくり上げながら言い募った。


「私の夢は、変わるんです。絶対じゃない」


 私の夢は絶対です。

 いつだったか、彼女が言った。


「その当人に忠告しなければ、酷くなっていくんです。だから」


 そして少女は、囁くような声音で、言う。


「人を殺すことも可能です。そして私は、殺しました」

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