3. 王城は崩れ去る
王都にある広場には、数え切れないほどの人が集まっていた。
レディオスの顔を見知っている者はほとんどいないだろうが、何人もの従者を引き連れているのを見て、国王陛下だと悟ったのだろう、皆が膝を折れてかしずく。
広場は活気に満ちていた。その様子から、リュシイの予言が流布していないことを確信する。
まだ陽は高いのに、空が、赤い。
これは地震の前兆なのだろうかと眺めていると、背後から声がした。
「陛下。そろそろ下馬なさったほうが」
「そうだな」
ジャンティの言葉に従い下馬すると、従者たちも次々と馬から降りた。
従者に馬を預け、しばし広場を歩く。
何も知らず、談笑する人々。商魂たくましく声を張り上げる、出店の主人。
はた、と気が付いて、ジャンティを振り返る。
「リュシイは?」
彼は首を捻って言った。
「いえ、私は」
「どこにいる?」
ジャンティは慌てたように、近くにいた兵士に銀髪の少女の行方を聞いた。
だが、誰も彼女の姿を見ていないようだった。
「……まさか」
逃げた?
兵士たちの間に、動揺が走る。
ジャンティの顔色も悪くなってきた。
「……陛下」
「いや、まだそうと決まったわけでは」
もしかしたら、自分の顔色も悪いのだろうか、と思う。
ざわざわとどよめきが広がっていく。
やはり、と思っている者がほとんどだろう。
予言者なんているわけがない。
国王も大法官も騙されたとは。
この茶番をどうやって終わらせるつもりなのか。
なにがしかを思ってはいても黙ってその場にいる、兵士たちの心の内が読めるようだった。
いいや。
ここにきて、彼女が裏切ったと、どうしても思えなかった。
ただ、あの、死ぬかと問うたとき、「はい」と迷いなく答えたことが、恐ろしくなった。
「どうしたのかしら?」
ふとそんな声がして、そちらに顔を向けると、親子連れが手に持った籠を不審気に眺めている。
出店で買ったものだろう。籠の中では白い小鳥が何ごとかを察知して暴れていた。
少年が薄く入り口を開け、手を差し入れる。その隙を見て小鳥は籠を飛び出してしまった。
「あっ」
少年は咄嗟に何もすることができず、空に羽ばたく小鳥を目で追った。
レディオスも、空に目を向ける。
刹那。
足元が、揺れた。
◇
「もう見つけたよ。早く出てきて」
リュシイが部屋の中に呼びかけると、幼い少年が三人、ごそごそと机の下やら箪笥の中やらから出てくる。
「だめでしょ。お城の中に勝手に入っちゃ」
腰に手を当てて、三人に言う。
「だって、少し前から荷物をどんどん運び出してるんだもん」
「引っ越しするんでしょ? だから冒険しておこうかと思ってさ」
「簡単に入れたよ」
三人は唇を尖らせて、口々にそう言う。
「お引っ越しはするけど、もう今日にはお城を潰すんだよ?」
「えっ、そうなの?」
リュシイの言葉に、子どもたちは驚いたようだった。
「だからね、危ないの。もう外ではお城を壊す準備をしているんだよ?」
「えー、そんなの、見なかったけど」
「あのね、おねえちゃんはね、王さまと知り合いなんだよ? 王さまに言って、叱ってもらわないといけない。そしたら、お家の人も叱られるよ?」
それはまずい、と思ったのだろう。
「すぐに出るから、見逃して!」
「いいよ。その代わり、すぐに出るんだよ。それで、広場まで走るの。全力でね!」
少年たちは、顔を見合わせる。
「広場? お祭りやってるとこ?」
「そう。すぐに走って。でないと言いつけちゃうから! 三、二、一、はいっ!」
パンッと手を叩くと、三人は弾かれたように走り出した。
その背中を見送ると、リュシイはその場に立ち尽くす。
これで、本当に城の中には誰もいない。
夢で見た通り。
私だけ。
天井を仰ぎ見る。
この城で過ごした時間が、どれほど幸せだったか。
涙が一筋こぼれ出て、少女の頬を濡らした。
そして、それはやってきた。
どこかでゴーッと低く唸るような音がして。それから地面がぐらぐらと揺れ始める。
カタカタと箪笥の引き出しが音を立て、そして全体が左右に揺れる。
ミシッと何かが折れるような音が聞こえた。
次第に大きくなっていく揺れ。
揺れが大きくて立っていられなくて、少女は床に膝から倒れこんだ。
◇
広場に悲鳴が響く。
ついに、彼女の予言通りに。
本当に、きた!
「火を消せ!」
「軒下から離れろ!」
救助隊の声が響く。大地が揺れ動く中、思うように動くことができず、地にはいつくばって叫ぶ。
飛び交う悲鳴、怒号。泣き叫ぶ女や子供の声が、まるで演劇の一場面のように、非現実を感じさせる。
レディオスも立っていられなくて、その場でしゃがみ込む。
すると。
王城の方角から、子どもが三人、大地が揺れる中を転がるように走ってくるのが見えた。
三人は、泣き叫びながら、ときどき足を取られながら、それでもこちらに走ってくる。
思わず、そちらに駆け出した。
「おい!」
泣く三人を抱きとめるように引き留める。
揺れは次第に収まってきていた。
「どこから走って来た!」
嫌な予感がする。しゃくり上げながら、少年たちは言う。
「お城だよお」
血の気が引く。外部からの侵入者があることは考えていなかった。甘かった。
それでもそこから逃げてくれたのだ。
目線を合わせるように、しゃがみ込む。
「よかった。逃げてくれて、本当によかった……」
もしあとで、この少年たちの死がわかったら。
それを思うとぞっとする。
「おねえちゃんが……」
「え?」
「おねえちゃんが、出てこなかった……」
そうして三人は声をあげて泣き出した。
「おねえちゃん? 誰か城に残っているのか? おまえたちの姉か?」
嘘だろう。まだ、城に誰かいるなんて。
泣き声で、少年たちは言う。
「知らない人。きれいなおねえちゃん……」
「……銀の髪の?」
「うん……」
弾かれたように立ち上がる。
振り返ると、ジャンティが追ってきていた。
「陛下! どうしました!」
「頼む」
「えっ?」
ジャンティに押し付けるように、少年たちの肩を押す。
「リュシイが、城に残っている」
言うが早いか、足元がおぼつかない中、繋がれた自分の馬に向かって駆け出す。
「駄目です! 彼女の予言によれば……!」
ジャンティの叫ぶような声が追ってくる。
「今回ばかりは止めるな!」
「陛下!」
父が崖崩れに巻き込まれたときも、占い師を斬ろうとしたときも、彼はこうして引き止めた。そのことは心から感謝している。
けれど、今回だけは、自分が行かなければならないような気がした。
馬は暴れている。が、傍に寄ると安心したのか、多少落ち着いた。
揺れは次第に収まっていく。その隙に馬に飛び乗って駆け出した。
ジャンティの声がまだ背後から追ってきていたが、構わず走り出した。
よく調教された馬は、彼の意のままに走った。
◇
それからしばらくして、揺れは収まったかに思えた。
広場は呆然とする人々で溢れかえっている。
「終わっ……た?」
ほっとして一息入れ、立ち上がる人がいる。
「まだだ!」
「第二波がくる!」
救助隊の声と同時に、どん、という音とともに揺れが襲う。
さきほどとは比にならぬ威力に、誰もどうすることもできなかった。
◇
あまりに強い衝撃に、馬から投げ出された。
草むらに落ちたおかげで、大した痛みはない。
しかし、立ち上がることもできぬ揺れに呆然としながら、地面にしがみつく。馬の嘶きが耳に響いてきた。
しばらくして揺れが収まり、顔を上げると、そこにはいつもと違う光景が広がっていた。
うずくまっていた僅かな間の、大きな変化。
「嘘……だろう……」
小さく声を漏らすと、呆然と辺りを見回す。
土地が隆起し、目前に見えるはずの王城はなくなってしまって、空を覆うほどに砂煙が舞っていた。
『王城は崩れ去ります』
その表現が、これほど的確だったとは思わなかった。
来た方向を振り返ると、火の手が上がっているのか煙が空に立ち昇っていた。救助隊が正常に機能していればいいが、と思う。
馬が彼の傍に歩み寄って、それで現実に引き戻される。
「ああ、無事だったか」
ほっと息を吐くと同時に言って、馬はそのままにして、駆け出した。
あれは賢い馬だ。大丈夫。
彼女の予言によれば、余震が長く続くはずだ。これ以上、馬には乗れない。
レディオスは夢中で走った。
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