2. 空っぽの王城

「いいのですか? あのようなことを言ってしまわれて」


 廊下を歩くレディオスの背中から、少女の声が追ってくる。


「あのようなこと?」

「王位を退くだなんて……」

「それより、そなたが言ったことのほうが大事だろう」


 喉の奥から笑いが込み上げてきた。

 どうしてこんなときに笑いが出るのだろう。

 なにかもう、おかしくなっているのかもしれない。


「命を差し上げます、などと、思い切ったことを言ったものだ」

「私は……いいのです。本当はいつも予知夢が外れることを願っているのですもの。もしも地震が起きなければ、それでいいのです。私の命一つで済むのなら」

「滅多なことを言うな」


 思いがけず語気が荒くなる。命一つ。それは決して軽くはない。


「ありがとうございます」


 少女の声は、震えていた。


 実際のところ、こうなってしまった以上、もし地震が起きなければ王位を引きずり降ろされることになるだろう。

 それはもう、仕方ない。

 王族の血にこだわるなら、次の王は、叔父、もしくはその息子か。どちらにしろ愚鈍な人間ではあるが、予言に振り回されることは二度とないのだろう。


 叔父上は、私を殺すだろうか。

 きっと、殺されるだろう。追放だとか、そんな生温い処遇では安心できない男だ。

 レディオスは立ち止まり、そして振り返った。少女も足を止めた。


「そのときは、私と一緒に、死ぬか?」


 そう、問う。

 少女はまっすぐにこちらを見つめ返してきた。


「はい」


 まったく、迷いは見られなかった。

 しばらく見つめ合ったあと、身体を翻す。


「……冗談だ」


 歩き出すと、少女も後ろをついてきた。

 一緒に死ぬ、か。

 それもいいかもしれない、とそんな考えが浮かんだ。


          ◇


 王室にてジャンティは深いため息をついた。


「一応、王城に勤める者全員に、配置を指示しましたがね」

「何か問題が?」


 レディオスが首を傾げると、ジャンティは額に手を当てて、しばらく黙り込んだ。

 それをリュシイが不安げに眺めている。


「今夜、逃げ出す者がいるやもしれません」


 王の戯言と思う者や半信半疑の者は、王城に留まるだろう。

 そして首を傾げつつも、王城からの一時的な退去や、偽りの歓迎式典に尽力してくれるはずだ。

 しかし良くも悪くもこの予言を信じてしまった者の中には、恐怖のあまり、逃げ出す者もいるかもしれない。


「しかしそれを止める術はないだろう」


 頭の後ろで手を組んで、つまらなそうに言うと、ジャンティは首を横に振った。


「あります。王命になさればよいのです」


 逃げ出せば罪になり、処罰される。そうすれば幾人かの足を止めることができる。


「よい。そこまでするつもりはない」


 はっきりと言うと、ジャンティはうなずいた。

 だいたい、逃げ出しそうな者を無理に引きとめたところで、大した働きができるとは思えない。いや、むしろ、邪魔になる可能性のほうが高い。


 すでに備蓄を城内から運び出す作業は開始されている。準備が整っていることに驚く者もいるようだ。

 混乱に乗じて糧食や金品を持ち出そうとする者がいることを考えて、当初から計画に加わっていた者を各所に配置している。

 王都の整備、水路の確保。考えられることはやった。

 どう転ぶのかは、わからない。


 ふと、リュシイが言った。


「空が……」


 彼女の視線を追い、窓の外を見れば、気味の悪い赤錆色の夕焼けがあった。

 三人は言葉を発することもできずに、ただ、その不吉な色の空を眺めていた。


          ◇


 翌朝、逃げ出した者はいない、という報告に感謝しつつ、レディオスは王城前にある広場に出る。

 すでに城内の者全員が集まっていた。

 不安げな表情の者や、どこか誇らしげな顔の者、様々だが、力になってくれることは間違いないだろう。

 何かを察知しているのか、馬たちが落ち着かなく嘶いている。

 レディオスは最前に馬に乗ったまま進み出ると、声を張り上げた。


「ご苦労」


 その声に、一瞬緊張が走ったように思った。


「そなたらの勇気に感謝する」


 多くの言葉はいらない。


「いざ、参らん。エイゼンの未来はそなたらが握っている!」


          ◇


 そのころ、リュシイは城内にいた。


 もう、誰もいない。がらんとした城は、あれだけあった華やかさを失っている。

 準備が整っていたとはいえ、混乱はしていた。

 一人、抜け出て城内に入るのは、特に苦ではなかった。皆、自分がしなければならないことだけで精一杯だったのだろう。


 それはまるで、導かれるように。

 何の邪魔も入らなかった。


 廊下を走ると、自分の足音だけが妙に響いた。

 いつもは何人もの人が行き来しているだけに、すでに廃墟と化したのではないか、という錯覚に陥るほどだ。


 リュシイは順番に部屋を見ていく。誰かが残っていないとも限らない。

 見る部屋すべてはひっそりとしていて、いつもと違う様相を醸し出していた。慌てていたのか、机の引き出しや扉が開けっ放しの部屋もある。


 ふと足を止め、窓の外に目を向けた。

 鳥が一斉に飛び立っていた。城内に巣を作っていた鳥たちかもしれない。

 その光景にしばらく目を奪われていたが、視界の隅に動くものがあり、そちらに首を動かす。


「っ!」


 短く声にならない悲鳴を上げて、後ろへ飛びのいた。足元を鼠の集団が走り抜ける。

 ほっと息を吐いて、また走り出す。

 急がないと。

 間に合わなくなる。

 そうして、一つの部屋の前にたどり着く。きっとここだ。

 リュシイはそっと扉を開けて、顔を覗かせる。


「みぃつけた」


 静かな部屋に、少女の声が響いた。

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