第四章
1. 少女の予言
数日して、ジャンティはリュシイのいる部屋を訪れた。
「ずいぶんよくなってきたようですな」
「ええ、おかげさまで」
リュシイは柔らかな笑みとともに、言った。
少しずつ怪我も治りベッドから降りることもできるようにはなっても、数日とはいえ使わなかったために弱った足腰は中々言うことをきいてはくれないのだろう。
彼女は未だ、半日をベッドの上で過ごしているようだった。
「少し、よろしいですかな?」
彼女はその言葉にうなずき、ベッドの上で居住まいを正す。そのときアリシアが、手に洗いたてのシーツを持って入室してきた。
「あら、ジャンティさま。席をはずしたほうがよろしいでしょうか?」
「いや、いい。そのままで。構いませんかな?」
後半はリュシイのほうに向き直って言う。彼女がうなずくのを見て、アリシアは入室して隅に控えていた。
「早速ですが、用件をお伺い致しましょう。あれから数日が経ちました。おそらくあなたのほうは待ちかねていたでしょうから」
「はい」
彼女はそう言ってうなずく。
「ではどうぞ」
ジャンティの言葉を聞くと、リュシイは一度大きく息を吸ってから、そして言った。
「不躾ながら申し上げます。私、遷都をお願いしに参りました」
その言葉に、一瞬部屋が静まり返る。
聞き耳をたてていたアリシアはあんぐりと口を開けたままだ。
ジャンティは何度か右手で髭をしごき、そしてやっとの思いで口を開いた。
「今、セントと申しましたかな?」
「はい」
「セントというと……都を移す、あれですかな」
「そうです」
「ふむ」
そう言ってから、思わずしばらく黙り込んでしまった。リュシイは何も言わずに次の言葉を待っている。
「突拍子もない話ですな。何ゆえ、と訊いてもよろしいか」
「ええ」
リュシイは大きく息を吸い込んで、そして吐いた。心を落ち着かせるための癖なのかもしれない。
それからゆっくりと丁寧に一語一語を紡ぎだす。
「エグリーズさまから聞いていらっしゃるかもしれませんが、私は、神の声を聞く者。いえ、正確には未来の絵を見る者にございます。神は私に、私の夢を通して未来を見せてくださるのです。ここをまず信じていただけるといいのですが」
「夢、ですか」
確かにエグリーズは彼女のことを心底信頼していたようだった。崇拝と言い変えてもいいだろう。
だがしかし。
「予知夢、というやつですな。しかし残念ながら私の生涯で、本物の予言者を見たことがないのでね。はいそうですか、とうなずく訳にはいきませんな」
それどころではない。もし彼女が嘘偽りを言っているのであれば、世間を騒がせた罪として重罪となる。
「実は、前例もありましてな。先王の時代ですが。おいそれと信じる訳にはいきません」
「ええ、それはそうでしょう」
リュシイはさして気にする風でもなく、落ち着いた調子でそう返してきた。
「けれど、私はこのことを黙っている訳にはまいりませんでした。神は私にこうして知らせてくださった。だから陛下に、この悪夢を伝えなければならないと考えました」
「陛下に、ですか」
それは、まずい。エグリーズの話からも予測はしていたが、本当にこんな話だったとは。
もしこれをレディオスの耳に入れたなら。想像するだに恐ろしい。
「とりあえず、なぜ遷都が必要なのか、お聞かせ願えますかな」
リュシイはその言葉に一度目を伏せ、そして顔を上げるとはっきりと言い放った。
「この地を、大地震が襲います」
「大地震……」
「そうです。少なくとも」
一旦言葉を切り、そして目を閉じて深呼吸する。息を吐き終わったところで、彼女の唇からその言葉は紡がれた。
「王城は崩れ去ります」
◇
「まいったな……」
リュシイのいる部屋を出ると、ジャンティはそう小さくつぶやいた。
背後で扉の開く音がして振り向くと、アリシアが不安げな瞳でこちらを見つめている。
そして駆け寄ってくると、前で立ち止まった。
「ジャンティさま。あの……」
なんと言っていいのかわからないのだろう。気丈な娘ではあるが、こんな事態に平静を保っていられないのも仕方ない。
「アリシア、このことは他言無用。決して誰にも言ってはならぬ」
「……そうよね」
よほど動揺しているのか、つい敬語を忘れてしまっているようだ。そのことに彼女自身も気が付いていない。
無理もない。若い娘にあの光景は衝撃的だっただろう。
ジャンティは、リュシイに言ったのだ。
「では、なにか他に予言してくださいますかな。私が信じられるように」
軽い気持ちだった。実際のところ、彼女の能力を信じた訳ではない。むしろ彼女の夢を否定するために言ったはずの言葉だった。
が、彼女はゆっくりとうなずき、開け放たれていた窓を指差した。
「小鳥が一羽、迷い込んでまいります」
「え?」
彼女の白く細い指先が指す方向を辿って、窓のほうに視線を向けて少ししてから。
小さな白い鳥が……窓から飛び込んできた。
ジャンティの背後でアリシアが小さく悲鳴を上げた。
「な……」
呆然としている二人を嘲笑うかのように、その小鳥は部屋をぐるりと一周飛ぶと、ベッドの天蓋に落ち着き毛繕いを始める。
「私の夢は」
言葉をなくして小鳥を見つめる二人に、彼女は柔らかな声音で言った。
「常に受動的なもの。望んだものを見ることはできません。これは、元々夢で知っていました。おそらく、神が私に与えてくれたのだと思います」
予言してみせろ、と言われたときの答えを。
「ちょ……ちょっと待っていただきたい」
右手を上げて彼女の言葉を制すると、ジャンティは目をきつく閉じて考えを巡らせた。
いったい、今、なにが起こったのかを整理するだけで、頭の中が混乱しそうだった。
「申し訳ないが、すぐに返答することはできそうもない。今しばらくお待ちいただきたいのだが」
問題を先延ばしにするのは気が引けたが、仕方がない。冷静になる必要がありそうだ。
リュシイはそれを理解したのか、なにも言わずにうなずいた。
「ジャンティさま」
アリシアの声で、現実に引き戻された。いつの間にか考え込んでしまっていたらしい。
「私、どうしたらいいでしょう?」
不安げな瞳がジャンティを見つめていた。ジャンティはなんとか口元に笑みを作ると、言った。
「なにも」
「なにも?」
「そう。彼女が客人であることには変わりはない。今までの通り、手厚くもてなして欲しい」
「……かしこまりました」
アリシアはそう言うと深く頭を下げ、そして部屋に戻っていった。
「さて」
ジャンティは気を取り直して、そう口に出した。
「なにから始めればいいのやら」
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