3. 来訪の理由

「陛下、背中が曲がっておりますわよ!」


 ばしっと音をたててレディオスの背中が叩かれる。


「足! もっと踏み込んで!」


 その言葉とともに、今度は足首を軽く蹴られた。


 ある意味、ダンスとは格闘技なのかもしれない、とレディオスは心の中でため息をついた。

 彼のダンスの練習場所となっている部屋には、他には誰もおらず、アイルと二人きりだった。練習のために楽団を集める訳にはいかないから、曲もなく、ただ教師の声と二人の足音だけが響く。いや、楽団などを集めてもらっても、恥ずかしくてとても踊れやしない。

 とにかく、あまりありがたくはない状況であった。


 その表情を読み取ったのかアイルは動きを止め、腰に手を当ててこれみよがしにため息をついてみせた。


「帝王学や武術の授業なら喜び勇んでお受けになると聞き及んでおりますが、私の授業はお嫌いなようで」


 まったくもってその通り。とは、口には出せなかった。

 他のことなら喜んで学ぼうと思う。が、ダンスだけはどうにも気が入らない。


「さ、続きを」


 言われて仕方なく両腕を上げると、右肩と左手の上にアイルの手が置かれた。


「脇はちゃんと開いてください」


 やる気のなさが表れたのか、自分の両腕が下がっていた。アイルの手に導かれ、それが上げられる。

 だいたい、この姿勢からして疲れる。

 そう心の中で愚痴る。目の前のアイルは日頃から姿勢がいい。背中に一本、つっかえ棒が入っているのではないかと思うほどだ。

 しばらくアイルの声について踊っていたが、彼女がふと動きを止めたので、自分も動くのを止める。


「陛下」


 深いため息とともに。


「なぜそんなにもこの授業がお嫌いですの」

「え、いや」


 なぜと訊かれても。心中に浮かぶ言葉は多々あるが、馬鹿正直に答える者はいないだろう。


「確かに……」


 そう言って手近にあった椅子を引き寄せ、レディオスに座るよう目でうながす。レディオスがその椅子に座ると、自身ももう一つ椅子を寄せ、腰掛けた。


「ダンスなど、何の役に立つのかと思われるのかもしれませんね」


 思わずうなずきそうになってしまい、慌てて姿勢を正す。


「今はまだ陛下は独身ですし、意中の女性がいらっしゃる訳でもないとお見受け致しますが」

「……まあ、それはそうだが」

「でももし妃を迎えられたら、舞踏会などで踊る機会も増えましてよ。それから学ぶなどとは仰らないでくださいませ。ダンスとは、一朝一夕で身に付くものではございません」


 こうなっては仕方がない。あとは彼女の言葉にうなずくのみだ。一つでも反論しようものなら、いつまで小言が続くかわからない。


「そうなったときに、恥をかくのは陛下ではございません。妃となる女性でございます」

「え?」


 ついさっき口を挟むまいと誓ったところだが、思わず口がすべった。アイルは訝しげに眉をひそめた。


「なんですか?」

「いや……恥をかくのは私だろう?」

「まあ」


 そう一言つぶやくと、アイルは深く失望のため息をついた。


「やはり、陛下は少しもダンスというものを理解していらっしゃらない。いいですか? あくまでダンスは男性が女性を導くもの。陛下の今の実力ではとてもとても」

「なるほど」


 今の実力をとやかく言われても腹は立たない。それが真実だということは自分が一番よく知っている。

 今は、アイルがレディオスを振り回している状態なのだ。あまりにもアイルの実力が上のために未熟さが隠されているが、もしも相手が下手とまでいかなくとも、普通の女性なら見られたものではないのかもしれない。

 納得したところで練習に対する意欲が湧く訳ではないが。


「さ、では始めましょう」


 言いながら立ち上がり、レディオスの手を引く。


「今度、私の娘にお相手させましょう。私も陛下がどう踊るのか外から見てみたいものですから」

「アリシアか?」


 無意識の内に眉根を寄せたらしい。アイルは小首を傾げた。


「アリシアが、なにか?」

「いや……彼女も仕事が忙しいだろうから。客人の世話をしているらしい」


 慌てて言葉を探してそう答える。我ながらいい言い訳を思いついたと思った。あの猫かぶり娘は、少し苦手だ。


「まあ、そうですの」


 レディオスの言い訳に素直に納得して、アイルは何度もうなずいた。


「陛下にお気遣いいただいて、娘も光栄に思っておりますわ」


 にっこりと笑ってそう言う。我が娘はやはり可愛いらしい。あの娘はもしや実の母親の前でも猫を被っているのかもしれない。

 そう思うとなんだかおかしかった。小さく笑いを漏らすと、アイルは眉をひそめてレディオスを見つめたのだった。


          ◇


「で、何しに王都へ?」


 そう声を掛けると、リュシイは慌てたように顔を上げる。


「あ、ああ。申し訳ありません。よく聞いていなくて」


 ベッドに半身を起こした姿勢で、見つめ返してきた。机上に置かれた桶を持ち上げると、アリシアは少し声の音量を上げて言った。


「何をしに王都に来たのかと思って」

「あ、それは……」


 リュシイは少し俯いて口ごもった。


「何から言えばいいのか……」


 ジャンティとの話を聞く限り、王への謁見が目的のようなのだが。その理由に興味がある。


「複雑なの?」

「……そういう訳ではないのですが。申し訳ありません。私、あまり口が上手くなくて」


 そう言って頭を下げる。それを見てアリシアは口角を上げて肩をすくめた。


「いいわ、またゆっくり聞かせて。私、ちょっと水を替えてくるわ。それから食事を持ってくるわね。ええと、まだあまり重くないものがいいかと思って粥を準備させているわ。よかったかしら?」

「ええ。お気遣いありがとうございます」


 その言葉を聞くと、アリシアは桶を持って退室する。


「やあ」


 ちょうど扉が閉まったところで、廊下の向こうから声を掛けられた。


「エグリーズさま」

「ここ、姫がいるのだよね? お見舞いに来たのだけれど」


 歩み寄りながら、そう言ってくる。

 姫。リュシイのことか。確かに姫と呼ばれてもおかしくない美貌ではあるけれど。

 この満面の笑みを見ていると、嫌な予感しかしない。


「困ります」

「どうして?」

「女性の寝室ですよ? それに、これからお食事なのです」

「そうか。でも一応、本人に訊いてみてくれないかな? だめならそれで諦めるから」

「……わかりました」


 なんだかんだ言って、彼女は王子の知り合いとしてやってきた。だとしたら、やはり王子の意見を尊重すべきなのだろう。

 また扉を開けて部屋に入ると、リュシイは少し驚いたような表情をしてこちらを見てきた。


「エグリーズさまとは顔見知りよね?」

「はい」

「少しお通ししてもいいかしら? 外に本人がいらしているのだけれど」

「ええ、私は構いません」


 リュシイは微笑んでそう言った。迷惑そうな表情ではなかった。

 仕方なくまた桶を机上に戻すと、扉のほうに向かって歩く。

 そっと開けると、エグリーズはおとなしく待っていた。


「どうぞ。でも少しだけですよ? まだお身体のほうが心配なんですから」

「心得た」


 そう言うと、エグリーズは部屋の中へ入っていく。

 二人きりにするわけにはいかないと、アリシアは扉の近くに控えることにした。

 最悪、なにか無体なことをするなら、衛兵を呼んでやるわ。


「やあ、姫」


 アリシアの内心を知ってか知らずか、エグリーズはベッドの端まで歩くと、傍らにあった椅子を引き寄せ腰掛ける。


「お身体のほうは」

「ええ、もう落ち着いてきました。助けていただいてありがとうございます」

「これで、礼を返したということかな」

「え?」


 その言葉にリュシイが首を傾げると、エグリーズは笑う。


「もしもあなたが倒れていたら私が助ける。私を助けてくれたときに返礼は何がいいかと問うと、あなたはそう言ってくださった」

「ああ」


 リュシイは小さく笑った。


「そんな戯言を覚えていてくださるなんて」

「もちろん、その言葉がなくとも助けましたが」

「ええ、承知しております」


 多少は気心の知れた人間がいるということが嬉しいのか、リュシイは柔らかな笑みを漏らしている。


「それはさておき、少々お伺いしたいことがあるのだが」

「なんでしょう?」

「なぜ王都に?」


 おや、その質問は。

 アリシアは耳をそばだてる。


「あの、それは」


 だが彼女は、やはり口ごもる。エグリーズは右手を前に差し出し、言葉を制した。


「いや、もし言いたくなければいい。陛下に謁見を求めているのだろう? それより先に私が聞くのはまずい?」


 エグリーズの質問に、リュシイはこくん、と首を前に倒して応えている。それを見たエグリーズはならいい、と椅子から立ち上がる。


「これだけは訊いてもいいかな? それは、あなたの夢と関係あることかどうか」


 そうじっと彼女の目を見て言う。リュシイはこくりとうなずいた。


「お察しの通りです」

「なるほど」


 夢? なんの話かしら。

 そう思っている間に、エグリーズはこちらへ歩いてきた。ドアノブに手を掛けて足を止め、振り向く。


「ゆっくり養生なさるといい。私は国王陛下と旧知の間柄だ。なにか足りないものがあれば私にでも甘えてくだされば」

「お気遣い、感謝します」


 リュシイがそう言って微笑むのを見ると、エグリーズは満足したようにうなずいた。

 そしてこちらに振り向いた。


「ありがとう、アリシア」


 そしてドアを開けて退室していく。

 それを見届けると、アリシアはベッドのほうに歩み寄った。


「エグリーズさまとはどういうお知り合い? もしかして、口説かれた?」


 笑いながらそう言うと、彼女はしどろもどろになってしまう。


「いえ、あの、そういうわけでは、えと」

「いいわよう、隠さなくても。あなたはとても綺麗だもの。そうされてもおかしくはないわ」


 アリシアがそう言うと、少女ははっとして顔を上げたあと、ゆっくりと目を伏せた。


「……私……私は、綺麗なんかじゃ、ありません……。むしろ、醜くて……」


 なんだろう。少し、苛ついた。

 それだけの美貌を持ちながら、誰もが振り返る容姿を持ちながら、なぜそんなに卑下するのか。


「美人の行き過ぎた謙遜は、かえって不愉快よ」


 自分の口から滑り落ちたその言葉の強さに、はっとして口を押さえた。少女は驚いたようにこちらを見ている。


「あああ、ごめんなさい。ええと、とにかくあなたは綺麗なんだから、もっと自信持ちなさいよ!」

「いえ……私こそ、ごめんなさい……」


 そう言ってまた目を伏せてしまう。

 アリシアは、小さくため息をついた。

 なんだろう。どうしてこんなに自信なさげなんだろう。

 それだけの美貌があったら、人生楽勝なように思えるのに。


「身体は大丈夫かしら?」

「ええ、少しお話しただけですもの」

「なら、いいけれど。今度こそ食事を持ってくるわね」

「あ、あの、お気遣いなく。お忙しいなら、私はいつでもいいですから」


 エグリーズの訪問で少しバタバタしただけなのに。

 やっぱりどうも、謙遜が過ぎる。


「遠慮しないで。あなたはれっきとしたエイゼン国民なのですもの。なんの遠慮がいるかしら。陛下にだって遠慮することはないのよ」

「陛下……」


 アリシアの発したその単語に反応して、リュシイはこちらに顔を向けてくる。


「陛下は、どのような方なのでしょう」

「どのような、って」

「きっと素晴らしい方なのでしょうね」


 リュシイの瞳に『尊敬』の思いが宿っているのが見て取れた。

 アリシアはため息をついた。なんだかすごく偉大な人みたいに思っている気がする。


「まあ、素晴らしいと言えば素晴らしいんだけど。でも、そんなに畏まることはないわ。普通の方よ」

「普通?」

「そう。私たちと同じ人間よ。陛下の人となりはまた教えてあげるわ。まあ、お優しい方であるのは間違いないから、安心してね」


 そう言うと、リュシイはほっとしたように息を吐いた。

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