8. 幸せな夢
朝議室から王室へ帰っている途中。
いつもダンスの授業で使っている部屋あたりから、竪琴の音が聞こえた。
「陛下?」
つい足を止めてしまって、付き従っていた侍従が首を傾げる。
一瞬、またダンスの授業のことを忘れていたのかと、ひやっとしたのだ。
だが先日、クラッセ王の来訪で忙しくなるからと、しばらくお休みしましょう、とさすがのアイルも渋々了承したのだった。
ならばなぜ、あの部屋から曲が聴こえてくるのか。
しかもなぜ、あの部屋の前に男ばかりの人だかりができているのか。
さらになぜ、薄く扉を開けて、この侍従たちは中を覗いているのか。
「……なにをやっているんだ」
思わず声を掛けてしまう。
その声に、男たちはびくりと身体を震わせた。
「あ、陛下……」
「いや、あの、これは」
口々に何やら言い訳しているが、もごもごと言うばかりで、はっきりとは誰も理由を言わない。
「誰がいるんだ?」
言いながら、薄く開いた扉から部屋の中を覗き込む。
部屋の中には、三人。
竪琴奏者と、アリシアと、それからリュシイだった。
しばらく黙ってその様子を見つめる。
アリシアが男役らしい。どうやら女役だけでなく、そっちも人並み以上に踊れるようだ。
「違う違う。外側に足を出すの」
笑いながらアリシアが言い、リュシイは懸命について行こうとしている。
「そうそう、上手い上手い。回るわよー」
「えっ、ちょっと待って」
「大丈夫、大丈夫」
二人は笑い合いながら、踊っている。
竪琴奏者が、それを眩しそうに見つめながら弦をかき鳴らす。
「……なるほど」
思わず、口をついて出た。
要は、見目麗しい女性二人が踊っているのを見て、楽しんでいるというわけだ。
小さくため息をつくと、男たちは扉の前から離れて、直立不動の姿勢をとった。
「いや、少し気になって見ていただけで」
「そ、そう、通りかかったらたまたま」
どういうわけか、少々面白くなかった。
これはあれか、自分たちがばたばたと忙しいのに、のんびり踊っているのが妬ましいのか。
寝る間も惜しんで動いている中、侍従たちが仕事をさぼっているのが腹立たしいのか。
なんと矮小な。自分で自分が嫌になる。
「言い分は、よくわかった。ひとまず持ち場に戻れ」
「はいっ」
慌てたように、皆が散っていく。
竪琴の音が響いているからなのか、彼女らはその騒ぎには気付いていないようだった。
侍従に、小声で言う。
「次の予定は謁見だったか」
「はい、セイラスの宰相閣下でございます」
「まだ時間はあるな? では時間になったら呼びに来てくれ」
「かしこまりました」
どうしてかは聞いてこずに、侍従は頭を下げて立ち去って行った。
その背中を見送ってから、扉を大きく開ける。
最初に気付いたのは竪琴奏者で、音が止まった。
「あ、陛下」
アリシアがそう言うと、リュシイは慌てたように振り返った。
「練習か?」
言いながら、部屋の中に入る。
「はい、彼女が習ったばかりですから、忘れないうちにと思いまして」
「ふうん」
手近にあった椅子を持ち、背もたれを前にして、腕を預けて座る。
「あの……?」
「ああ、構わず続けてくれ。自主的に休憩しているだけだ」
「はあ……」
では、とアリシアがリュシイの前に手を差し出す。
しかし、リュシイのほうはなぜだか動けなくなったようで、こちらに背を向けて立ち竦んでいるようだった。
人に見られるのは恥ずかしいのだろうか。
ああ、それはよくわかる。と納得してうんうん、とうなずく。
アリシアはしばらく逡巡して、ぱん、と一つ手を叩いた。
「そうだ、陛下が組んでくださいな。先日も陛下が組……」
「ああ」
椅子から立ち上がると、アリシアが少し驚いたように身を引いた。
「なんだ?」
「あっ、いえっ、なんでもないですう。よろしくお願いしますっ」
にこにこと笑いながら、アリシアが場所を譲る。
リュシイの前に歩いていくと、彼女はやはり俯いていた。
この、すぐに俯くのは、癖なのだろうか。
左手を、多少低めに差し出すと、少女はおずおずと顔を上げた。
それから、ゆっくりと右手を乗せてくる。ので、少し強めに握って一歩を踏み出して、背中に手を回して引き寄せた。
竪琴の音が響き始める。
左足を踏み込むと、彼女も右足を引く。
右足を踏み込むと、左足を引く。
足を揃えながら、身体を半回転。
彼女の銀の髪が踊る。一、二、三、と小さくつぶやいているのが聞こえる。足運びを間違わないようにと、それだけを気にしているように見えた。
自分もダンスは初心者のようなものだから、外から見ると見れたものではないのかもしれないな、と小さく笑いが漏れた。
「夢は、進んだか?」
そう問うと、少女は顔を上げた。
「あ、いえ、まだ」
「そうか」
「すみません……」
「謝るな。謝ることではない」
「は、はい」
それだけ言葉を交わすと、またダンスに集中する。
一、二、三、と彼女が数える声が聞こえる。
もし本当に彼女が予知夢を見ているとして。
それを、見ろ、というのは酷なことではないだろうか。
幸せな夢ならば、何度でも見せてやりたいけれど。
いや待て。
見せてやりたい、とはずいぶん傲慢な。
どうやって、幸せな夢を見せるというんだ。浅はかな。
そのとき、身体が思い切りぶつかった。
「あ」
「ごっ、ごめんなさい!」
リュシイは慌てて身体を離し、頭を下げた。
「いや、今のは……」
「大丈夫、今のは陛下が間違ったから」
アリシアが呆れたような声音で言った。
「……すまない」
こんなところで、思い切り間違うとは。
ほんの少しだが、真面目にやらないといけないな、と思った。
「陛下、お時間です」
そのとき侍従が呼びにきて、のんびりとした時間は終わる。
「では。邪魔したな」
言いながら右手を上げ、部屋を出て行く。
出て行く寸前、アリシアの、
「またいつでもどうぞー」
という声がした。
◇
階段を、上る。自分の足音が、反響する。
頂上へ到達するとそのまま端まで歩いて、手摺りに両腕を乗せて景色を眺める。
いつ見ても、美しい風景だ。
風が吹いて、髪を揺らしていく。ここはとても静かで、物思いに沈んでいく。
この光景を守ること。
本当にできるのだろうか、とレディオスは思う。
リュシイの予言は当たるのだろうか。それとも嘘っぱちなのだろうか。
どの道を考えても結局のところ、どちらにせよ防災に努める、としか答えが出ない。
けれど、本当にそうなのだろうか。
少し時間が空くと、すぐに不安に苛まれる。
なにか、違う道があったのではないだろうか。なにか、大事なことを見落としてはいないだろうか。
一人では立つこともままならない国王だ。それを情けなく思う。
いや、大丈夫だ。一人ではない。皆がいて、手を貸してくれる。
ふと、あの少女の顔が浮かんだ。
この場所で、彼女に言った。
もし地震が起きたら、被害は最小限に抑えると。
あのとき、妙な自信があった。何でもできるような気がした。
そうすると、少女は、無邪気に笑った。
もう一度あの笑顔を見たい、と思う。
今度は手摺りに背中を預けて、空を仰ぎ見た。
ここに今、彼女がいてくれたら、とふと思い、慌てて首を数回振った。
「弱気になっているな……」
レディオスは一つ伸びをして、よし、と自分に気合を入れると、また歩き出した。
◇
「クラッセ王が、昨日国を発たれたそうだ」
レディオスが手に持った手紙をひらひらとさせながら、ジャンティに言った。
「思いのほか、お早い出立でしたな」
「ここまで早いとは、予想外だった」
「日時の指定は、さすがにあちらに委ねましたから」
「放蕩息子の気が変わらぬ内に、ということだろうよ」
レディオスは小さくため息をついた。
「着々と準備は進んではおりますがね」
「ゆっくりと道すがらで観光でもしながらで、あと二週間。しかし、当日まで整備のほうは怠らないよう」
「勿論にございます」
「こちらの準備はお気になさらないよう伝えてはいるが……きっちり二週間後に来るのだろうな」
「おそらく。そういう方ですから」
少しずつ、準備は進んでいる。
先日、各所の視察も行ったが、滞りはほとんどないように思われた。
老朽化が進んだ建物の補強。資金や糧食の確保。救助隊の訓練、配備。
防災と一口に言ってもやることは数え切れぬほどあって、どこまでやればいいのかわからない。
一方で、クラッセ王に対する歓迎の式典なども、滞りなく進めなければならない。
今は一般庶民にもその話は広まっていて、王都にある広場には、当日には出店もあるのだろう。場所取りがすでに始まっているとのことだ。
「クラッセ王が帰国されてからも整備はできるだろうから、そう焦ることはないか」
「いいえ、地震はいつ起きるかわからないのですから」
「起きるかどうかもわからないがな」
そうは言ってはみたものの、実際のところ、彼女の力を信じているのか信じていないのか、自分でもわからない。
いや、信じてはいないはずだ。
けれど、彼女を信じたいという気持ちが、心のどこかに生まれたような気もしている。
それはもしかしたら、先の見えない作業から逃れたいという気持ちの表れかもしれない。
彼女の予言があれば、これから何をすればいいのか的確に指示を出せる。
けれどそれは、王者として最もしてはならないことのように思えた。
ジャンティが何か急に思いついたのか、一つ、手を叩いた。
「そうそう。リュシイ殿のことなのですが、噂を流しておきました。陛下のお耳には届いておりますか?」
「なんと?」
「王付きの占い師候補だと」
「え? なぜ」
『王付きの占い師』という言葉から、あの忌々しい顔を思い出す。
彼とリュシイでは、ずいぶんと印象が違うように思われた。
「彼女の予言では、王城は崩れ去ることになっています。ということは、城に一人も残せないということですよ。急に、地震が起きるから逃げろと言うよりは、何か手掛りを置いておいたほうがいいでしょう。しかし、本当のことを広めれば混乱を招く恐れがありますから、噂にとどめておきました。それになぜか人というものは、こういった噂のほうを信じやすいものですからね」
ジャンティの言葉に、ああ、とつぶやく。
「なるほどな。もし城を空けるとしたときの、仮宿はあるのか」
「ええ、シリル城を。あそこは馬での移動も可能ですし、それなりの広さもあって、さらに言えば今は城主もおりません。もしも王城が崩れ去ることがあれば、そちらで執務を行うことも可能でしょう。もちろん、他に二、三、候補は上げております」
レディオスは苦笑して言う。
「なるほど、万事滞りはない訳か。私がいなくとも、この国は大丈夫のようだ」
「滅多なことを申されますな。私は参謀としているほうが、最大限に力を発揮できるのですよ。もちろん、お世継ぎが誕生いたしましてもその地位は失いたくないものですがね」
「世継ぎなど、まだ先の話だ」
どうも話の風向きが変わってしまったように思えた。
このまま話を続けると、自分にとってありがたくない方向へ行きそうだ。
案の定、ジャンティは勢いこんで続けた。
「陛下、いい機会ですから申し上げておきますが、早く妃となる方を見つけていただきたい。でなければ、先に逝けなくなってしまいますからね」
「いい機会も何も、隙あらばそうやって催促するではないか」
「それは、陛下がいつまでたっても、そうやってのらりくらりとかわされるからです。勝手に決めて欲しくなければ、さっさとお相手を見つけてください」
「どうしてそっちで決めないんだ」
前々から思っていたことだ。決めればいい。むしろ、そうするほうが普通だろう。
父の場合は特別だったのだろうが。
ジャンティは何度か目を瞬かせた。
「いや、まあ、誰かが抜きんでているわけでもないですし、近隣諸国の姫君は、年齢とか釣り合いとかいろいろあるので、陛下が想い人を決める体が一番面倒がないんですが……。決めたくないのですか? じゃあ勝手に決めますよ? いいんですね? あとから文句を言わないでくださいね?」
「勝手に決めてもらっても構わない。仮に誰かを選んだとしても、はいそうですか、とはいかないだろう。それなら、最初から面倒がないほうがいい」
ジャンティにしては珍しく、レディオスの言葉に絶句して固まってしまう。
「……何だ」
ジャンティは大仰にため息をついてみせると、何度も首を横に振って言った。
「いったいどうして、そんなひねくれ者に育ってしまわれたのか……」
それは、そなたがそういう風に育てたからだろう。
という言葉を、レディオスは辛うじて飲み込んだ。
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