7. 王都の一斉整備

「建物の老朽化と私道の整備だけはどうにもならないな」


 レディオスは手に持っていた書類を机上に投げ出した。あまり楽観的になれない報告を聞くのは、いい加減うんざりしてきた。

 目の前にいたジャンティが、投げ出した書類を手に取り、ため息をついた。


「と言っても、書類のように投げ出す訳にはいかないでしょう」

「わかっている」


 わかってはいるが、焦燥感だけはどうにもならない。


 糧食の確保、資金の調達、救援隊の配備。元々あるものを増やせばいいものは、困難ではあるが時間をかければ何とかなる。

 しかし今あるものを壊すのは、秘密裏に進めるには無理がある。

 王家の物ならいざ知らず、一般庶民の持ち家の整備を王城が買って出るのは、不信感を抱かせるには十分だ。


 王都の一斉整備。それはどんなに困難なことか。

 リュシイではないが、いっそ遷都したほうが早いのではないかとも思った。もちろん、彼女に言った通り、そんな訳にはいかない。


「人々を一箇所に集めることができれば、まだやりやすいのでしょうがね」


 広まった屋外に人々を集めることができれば、少なくとも建物の崩落からは守ることができる。それに、救助もしやすいだろう。


「それはそうだろうが、いつ地震が起きるかわかっていてこそ、できることだ」

「そうですね」


 異論もないのか、ジャンティはあっさりとそう言って書類に目を落とした。

 たまたま地震が起きたとき、なんらかの祭りでも開催されていればいい。

 それこそリュシイの予言が当てになればできることだ。祭りでも何でも無理矢理作り出せばいい。


 無理矢理作り出す。

 自分の考えに、ふと手を止めた。

 王都の一斉整備の口実を作り出すことは可能だろうか。


「妙案だ」

「は?」


 その声にジャンティが顔を上げる。

 レディオスは口の端を上げると、言った。


「王都の一斉整備の理由を作り出そう。突貫でも不自然ではないように」

「そんな都合のいい話が……」

「ただ、エグリーズの協力が不可欠だが」

「エグリーズさま?」


 いきなり出てきた名前に面食らい、ジャンティはしばし口を開けたまま、何の言葉も発することができないようだった。


          ◇


 その日、重臣たちが朝議室に集められた。

 国王自らが召集を掛けるのは珍しいことで、彼らはぼそぼそと小声で話し合った。


「いったい、何の朝議でしょう」

「なにか議題になるような事件でもありましたかな」

「見当もつきませんな」


 実際、レディオスが即位してからというもの、主だった事件などなかった。

 国王は即位したばかりで執務をこなすので手一杯のはずだ。新しい議題を生み出すほどの余裕が彼にあるとは思えない。

 彼は聡明だし、思慮も深い。

 けれどいかんせん、若すぎる。


「もしや、お妃候補が決まったとか」

「まさか」

「実は、私の娘は王付きの侍女をさせていただいておりますが、そういった話はないようで」

「私の娘も、です。まだ陛下には意中の女性はいないようですよ」


 お互い、考えていることは同じ。

 近隣諸国にめぼしい姫がいない以上、王付きの侍女から未来の国母が生まれてもおかしくはない。

 それが自分の娘なら、将来、実権を握ることだって可能だ。


 しかし肝心の王が、どうにも興味を示さない。

 このままでは自分の娘を是非、などと言ってはいられなくなる。

 早く後継者をつくることは優先課題であるから、誰でもいいから妃を、という話になるだろう。


 とにかく、誰かが抜きん出ている訳ではないようだ。

 大臣たちは心の中で、ほっと胸を撫で下ろした。


「忙しいところ、呼び立ててすまない」


 そのとき、レディオスが入室してきた。

 顔を寄せ合っていた大臣たちは慌てて姿勢を正す。

 王は自分の席につくと、ぐるりと大臣たちを見回してから口を開いた。


「実は、皆の耳に入れておきたいことがあって」


 遅れて入室してきた大法官のジャンティが、手に書類を持って席につく。

 現在のところ、彼が事実上の権力者なのは、周知の事実。

 ほぼ同時に入室してきたということは、これから話される件に関して、彼も一枚噛んでいるということだろう。


「まあ改まって言うことでもないのだが、クラッセ王国の第四王子であるエグリーズ殿が、この度、ご婚約なされた」


 ほう、と方々から声が上がる。


「それはめでたい話ですな」

「かの御仁も、ついに納まるところに納まる訳ですか」


 今日の議題が明るい話題であることにほっとしつつ、友人の婚約で国王陛下も刺激されれば、などと思ってみたりもする。


「そこでだ、披露も兼ねて、二人は外遊に出られるそうだ。当然、我が国にも立ち寄られる訳だが」


 そこまで言って、王は言葉を一旦切った。

 何ごと、と皆が無意識に身を乗り出すのを見てから、彼は続けた。


「それにクラッセ王も同行されるそうだ」


 一時、朝議室がざわめき、それからひそひそとした声が室内を占めた。


「それは珍しい」

「中々腰を上げぬことで有名でございますのに、いったいどういう心境の変化でしょう」

「もしや王位を降りて、王太子に継がせるつもりですかな。国を空けるというのはそういうことかもしれませんぞ」

「いやいや、それは早計というもの」


 勝手な憶測が飛び交う中、レディオスが一つ咳払いをすると、はた、と気付いた大臣たちは王の言葉に耳を傾けた。


「クラッセ王には、我が国を是非、心行くまで堪能していただきたいと思う。もちろん、こちらに立ち寄られた際には、盛大に歓迎して差し上げたい。そこでだ、いい機会だし、王都を見直してはどうだろうか」


 それはそうだ。隣国の王が我が国にやってくるのなら、みすぼらしいものを見せる訳にはいかない。

 我が国は繁栄しているのだ、と目でわかるように訴えなければならない。


 そこで、ジャンティが立ち上がり、大臣たちに持っていた書類を配り始めた。


「計画について、ジャンティと叩き台を作ってみた。何か他に提案がある者は、忌憚ない意見を言って欲しい」


 大臣たちは、配られた書類に目を通す。

 自分たちの知らぬところでこんなことが進んでいたとは、と多少戸惑いはしたが、王の次の言葉で納得した。


「わかっているとは思うが、クラッセ王が国を離れられることについては、極秘だ。直前まで決して外部に知られてはならない。それで今日まで極秘で進めてきた。しかしこれからはそなたらの協力が不可欠となるだろう。頼んだぞ」


          ◇


 廊下をレディオスとジャンティが早足で通り過ぎる。


「不自然ではなかったか」

「は、堂々とした態度でございました」


 すれ違う侍女や侍従には、彼らの会話の内容までは聞こえないだろう。

 気付いたときには二人は通り過ぎているので、会釈したのはわかっていただけただろうかと思ったのか、心配げに首を傾げている。


「しかし、よくクラッセ王が動きましたな」

「エグリーズの縁談を急に持ち出したのは、そろそろ自分も安心して落ち着きたいという気持ちがあったからではないかと思ったんだ。案の定、エグリーズにともに外遊に出るよううながしてもらったら乗ってきた。ま、エグリーズには多少、強く言ってくれと頼んではいたのだが」

「それなのですが、いったいどうやってエグリーズさまに伝えたのですか」

「書状だ」

「書状? 密使が動いたとは私は聞いておりませんが」

「クラッセ王へ礼状を送るのと一緒に、エグリーズ宛てに送ったが」


 ジャンティは絶句して、足を止める。

 クラッセ王への礼状というのは、先日エグリーズの帰国と入れ替わりに送られてきた、王子滞在に対する礼の品々へのものだ。


「どうした」


 レディオスも足を止めて、振り返ってくる。

 ジャンティはため息をついて、再び早足で歩き出した。

 レディオスもそれを見て歩を進める。


「なんと無防備な」

「暗号だ。ほら、幼いころによくやっていただろう」

「……あれ、ですか」


 そうだ。彼らがまだ少年であったころに、訳のわからぬ文字の羅列が綴られた手紙を遣り取りしていたのを思い出す。


 最初のころは、いかに子供のやることとはいえ王子同士ではと、生真面目に解読班を作って両国共に解読していたのだ。

 だが、年々精度が上がる上に、内容があまりにもどうでもいいことばかりだったので、解読することはどちらも止めた。

 大人になってからも、レディオスが即位したあとも、ごくたまに暗号のやり取りはあったが、抜き打ちで解読してみせてもやはりどうでもいいことばかりだったから、クラッセでもエイゼンでも、おそらくもう解読しなかったのだろう。


「なんといいますか……」

「こんなところで役に立つとは思わなかったな」


 満足げにレディオスが言うので、なんとなく微笑ましい気持ちにもなった。


「しかし、エグリーズさまもよく引き受けてくださいましたな。面倒なことはお嫌いでしょうに」

「リュシイの名前を出しておいた。女神と奉っているほどだ、動かぬ訳はないだろう」


 その言葉を聞いて、ジャンティは少しだけ、エグリーズを気の毒に思ったのだった。

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