5. 面接
アリシアがリュシイに文字を教えるようになってから、彼女と城内を出歩くことも多くなった。
しかし行き先は図書室と決まっていたから、他の場所に立ち寄ることはない。
「ほら、あの子よ」
ある日、廊下を歩いていると、そんな声が耳に入った。
見目麗しい侍女たちが、片隅でひそひそと顔を寄せ合っている。
「エグリーズさまのお知り合いだということだけれど、どうしてエグリーズさまが帰られても、まだここにいるのかしら」
「いったいどういうつもりなのかしら。貴族でもなんでもないのでしょう?」
「よく見てよ。そりゃあ、美しくはあるかもしれないけれど、垢抜けてはいないじゃない。とんだ田舎女だわ」
「陛下のご厚意に図々しく甘えているのではなくて? 田舎者だから」
くすくすとリュシイを見て笑う。内緒話というものは普通聞こえないようにするものだが、おそらく聞こえるように言っているのだろう。
リュシイは俯いて、縮こまっている。
ああ、ますます自信をなくしてしまうわ。
「ねえ、ちょっと」
我慢できなくなって、アリシアは声を上げた。
「聞こえるように悪口を言うのはやめてくださらない? みっともない」
思わぬ反撃に侍女たちは怯んだが、だが気を取り直して反撃してきた。
「なによ、ちょっと陛下に目を掛けられてるからって。アリシア、あんた最近生意気なんじゃないの?」
生意気とかなんだとか。程度が低い。
アリシアは腰に手を当てて、言い放った。
「私が生意気なのは、今に始まったことじゃないわ! 見くびらないでよっ」
「もうっ、訳のわからない返しをしないで!」
「あ、あのっ、私は大丈夫ですから、アリシアさま」
リュシイが袖をつかんで引っ張ってくる。
「あなたが大丈夫でも私が大丈夫じゃないの! なにか言ってやりなさいよ!」
「え、でも……私、本当に田舎者ですし」
リュシイの言葉に、アリシアは額に手を当てて、天井を仰ぎ見た。
「ああもうっ、田舎者でもなんでもいいでしょう! 城内にいるのは陛下の命なんだから、それを言えばいいのよ!」
アリシアのその言葉に、侍女たちは急にうろたえ始める。
「え、アリシア、それ本当?」
「そうよ。それと、言っておくけど、どんな細かなことでもジャンティさまに報告するように言われているんだから」
そう言われて、侍女たちは顔を見合わせた。
明らかに、まずい、と思っている表情だった。
「そ、そう。ごめんなさいね、ちょっと誤解があったみたい。さっきのは忘れて」
そう言って、侍女たちはそそくさと退散してしまう。
「ふん、根性がないんだから」
鼻息荒く、そう言う。
だが、侍女たちが去っていった方向とは逆側から、声を掛けられた。
「アリシア」
振り向くと、曲がり角からちょうど人影が出てきたところだった。
「ジャンティさま」
「まったく……堪え性のない……」
ため息をつきながら、こちらに歩いてくる。
「王命だとか、報告だとか、軽々しく広めないで欲しいものですな」
確かに。つい口が滑った。アリシアは素直に頭を下げた。
「申し訳ありません……」
「あ、あの、アリシアさまは私をかばってくれたんです」
リュシイがアリシアの前に出て、そう言う。
「知っていますよ。ですから今回は報告の必要はありませんよ、アリシア」
「はい……」
すぐカッとなってしまうのは、悪い癖だ。程度が低いなどと、人のことを言える立場ではなかった。
「でもまあ、今ので状況はよくわかりました。アリシア、ちょっと」
右手の先で、ちょいちょいとアリシアを呼ぶ。仕方なく、ジャンティの傍に歩み寄った。
そして、これからの仕事を耳打ちされたのだった。
◇
その日、ジャンティはリュシイを自室に呼び出した。
自分でも、彼女と一対一で長く話がしてみたかった。
いくらか言葉を交わせば、その人がどういった性質の人間か、だいたいはわかる。
だが彼女に関しては今のところ、少々臆病な人間、としか読み取れない。しかしそういう性質の人間にしては、彼女の言うことは大きすぎる。
彼女を部屋に通して、席へうながす。
少女は必要以上に頭を下げながら、座った。
侍女にお茶を勧められると、カップを両手で持って一口、口に含む。
「美味しい……」
思わず口から漏れ出た、という風だった。控えていた侍女がにっこりと微笑む。
「お褒めいただいて、恐縮ですわ」
「いえ、あの……本当に美味しかったので」
「まあ、嬉しがらせを」
侍女は優雅に微笑みながら、その場を辞す。アリシアには見習ってもらいたい。
ジャンティは少女に向かうと、笑みを浮かべつつ言った。
「どうですかな、こちらでの生活は」
「はい、あの……本当に良くしていただいております。なんとお礼を申し上げていいか」
「いやいや、礼などいりません。こちらに滞在していただくのは、王命なのですから」
「はあ……」
しかし彼女は目を伏せてしまう。
「おや、何か不都合でも?」
「い、いいえ」
慌てて数度、手を振ってくる。ジャンティは顎に手を当てて、髭を扱いた。
「ふむ。噂好きの雛鳥どもが気になりますかな」
「そんなことは」
少女は否定はしたが、おそらくは気にしているだろう。
あんな風にあからさまに悪意を向けられて平気なら、それはそれで問題だ。
「まったく、彼女らにも困ったものですな。おしゃべりをする時間があるなら、仕事を進めてもらいたい。ここにいる侍女たちのように」
「まあ」
室内にいた侍女たちが、くすくすと笑った。
「そんなにおだてても、なにも出ませんわよ」
「おや、おだてたつもりはないのだが」
「ま、光栄ですこと」
さらりとかわすと、退がっていく。
なにも言わなくとも、人払いしたいことを察したのだろう。
王室には見目麗しい美女たちが揃ってはいるし、それなりに有能ではある。だがそれでも、質は断然、こちらのほうが上だ。
侍女たちは控えの間に待機するだろう。
これで、室内には少女と二人きりになった。
「さて今日は、私の本音を聞いていただきましょうか」
「……本音、ですか」
「左様」
そう言ってうなずく。
リュシイは身体を固くして次の言葉を待っていた。
「楽にしてください。別に取って食おうという訳ではないのですから」
「は、はい」
リュシイが一呼吸すると、ジャンティは口を開く。
「実は私は陛下と違って、あなたのことを信じてもいいと思っております」
「え」
「誤解なさらないでいただきたいのは、まだ信じきった訳ではありません」
その言葉に、少女はこくんとうなずく。ジャンティはさらに続けた。
「今までの話を色々な方から聞きました。あなたの住んでいるセオ村の人々、エグリーズさま。それから城に滞在している間のことは、アリシアが逐一報告しております。申し訳ないが、我々は、あなたのことを徹底的に調べております」
その言葉に、少女はうなずいた。調べられても構わない、という意思表示だろう。
「それらすべてを総合して考えると、どうにもあなたに、嘘をつくことによる利益がないのですよ。王城を撹乱させるという目的を真っ先に考えました。しかし、未だあなたは次の行動を起こさない。遷都というあなたの申し出を断ったにもかかわらず、です。さらに言えば、あなたは逃げ出さずにここにいる。誰とも連絡をとった形跡もない。これは、大きい。予言の的中を確信していることを裏付ける行動です」
「私は」
口を開きかけたリュシイを、右の手の平を差し出して制する。
「もう一つ、残された可能性があります。それは、あなたが自分の発言に自信があろうとも、それが嘘だということ。つまり、あなたが妄想家という可能性ですな」
少女は何も言わずに、耳を傾けていた。
「けれど、それにしてはあなたの予言は完璧です。初めて王室に呼ばれた際、あなたはとある場所を見つめておられた。『階段』がある場所です。陛下からも聞きました。あれは今では私と陛下しか知らない場所です。これにはどうにも理由が付けられない。それと、もう一つ。あなたを信じるにあたって、これが一番大きな理由です」
ジャンティは人差し指を立てて、前に突き出した。リュシイは軽く首を傾げた。
「私はね、人を見る目には自信があるのですよ」
この言葉には開いた口が塞がらないのか、リュシイは呆然とジャンティを見つめてきた。ジャンティはその表情を受けてにやりと笑うと、言った。
「どうです、完璧でしょう。けれど、まだ信じきれない気持ちもある。だからあなたには、ずっとここにいてもらわなければならないのです。私はあなたのこれからを見届けねばならない」
「でも」
リュシイはおずおずと口を開く。
「お世話になるばかりで申し訳なくて。なにか、できることがあればいいのですけれど」
「正直に申し上げて、今のままでは王城に勤めていただくことはできません。皆、それなりに教養を身につけてきた者たちばかりです。城外にいけば、あなたを必要とする仕事もあるでしょうが、城を出られては困りますからな」
「そう、ですよね」
少女は縮こまるように、身体を丸めた。
「あなたはアリシアについて、ゆっくりと勉学に励んでいただきたい。雛鳥どもの言うことも気になるでしょうから、それは私が黙らせましょう」
「え、でも、別にあの方たちが悪いというわけでは……」
彼女は上目遣いでそう言った。おそるおそる、といった感じだった。
なにか罰でも与えようとしていると思ったのかもしれない。
「アリシアに頼んで、違う噂を流させました。そろそろそういう時期にきたと思いますしね」
「え……?」
訝しげに眉をひそめるリュシイに、にっこりと微笑む。
「ですから、次にどういう態度をとられようと、どんな噂が流れようと、平然としておいていただきたい。今日は、本当はこれを伝えるつもりでしてね。侍女たちに何か訊かれても、何も答える必要はありません。もし何か質問されたら、こう答えてください。『陛下の許可なく発言することはできかねます』と。よく覚えておいてください」
「はあ……」
釈然としないのか、首を捻る。そして口の中でその言葉を繰り返していた。
「その後、夢のほうはどうですかな」
リュシイの様子には構わず、口元に柔和な微笑を湛えつつ、言う。
「あっ、ええ、鮮明になりつつあります。けれど、日時までは特定できなくて」
「そうですか。いや、焦らなくともよろしいですよ。あなたの予言のあるなしにかかわらず、我々は防災に努めることにしたのですから」
「お願い致します」
少女は深く頭を下げてきた。ジャンティは右手を出してそれを制する。
「そんなことをなさる必要はありません。我々には、国民の安寧な生活を守る義務がある。もちろん、あなたを含めてね」
「ありがたいお言葉です」
「ただ、やはり念のため、日時が特定できればすぐさま私か陛下に知らせていただきたい。時間はいつでもかまいません。夜中であろうと、昼日中であろうとね。陛下はともかく、私はあなたの予言を信じようとしているのですから」
「はい。かしこまりました」
それから少しばかり雑談をして、少女は部屋を出ていく。
入れ替わりに、侍女たちが入室してきた。
机上に置かれた冷めたお茶を下げながら、言う。
「面接の結果は、いかがでしたか?」
やはり、この部屋の侍女は有能だ。口元に笑みが浮かぶ。
「なかなか、難しいものです」
眉間を親指と人差し指で揉む。
彼女が予言めいたことを言わなければ、ただの臆病な少女、と断じているところなのだが。
まだ、判断ができない。
しかし、彼女がどうあれ、やることは決まっている。
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