最終章
1. 奇跡
「いい加減にしていただきたいものです。まったく、生きた心地が致しませんでしたよ」
あれから数日が経ったというのに、ジャンティの小言は止まることを知らない。
「誰も乗っていない陛下の馬が広場に現れたときは、もう、もう……私は正直、打ち首を覚悟しました」
言いながら顔色を悪くするので、本当に覚悟をしたのだろう。
「わかっている。軽率だった」
何度謝っても、何度反省の弁を述べても、少し時間が空くとすぐに小言が始まる。
ありがたくはあるが、こう何度も言われると、いい加減うんざりしてくる。
シリル城に仮にしつらえられた王室で、レディオスはこっそりとため息をついた。
結局あのあと、ジャンティが数名を引き連れて城まで来てくれた。そのおかげで、早急に安全な場所まで出ることができたのだ。
変わり果てた城を見て、皆が息を飲んだのがわかった。
あの表情は今でも忘れられない。
城門を飾っていた女神像が足元に崩れ落ちているのが痛々しく、その前で手を合わせる者もいた。
リュシイは完全に意識を手放していた。
満足そうに口の端を上げていたのが、印象的だった。
ジャンティは、彼女の血がレディオスの肩や頬についていたのを見て、蒼白な顔色をしていたが、レディオス自身は彼女を助け出すことができて、満足感で満たされていた。
彼女は今、ここシリル城で、治療を受けている。
前回の怪我とは比べものにならないもので、高熱がしばらく続いていたが、今は意識が完全に戻っているようで、じきに良くなるだろう。
くどくどとジャンティは説教を続けていたが、言いたいことを言って満足したのか、息を吐くと、一つの報告をした。
「今日、クラッセ国王陛下がいらしてくださるそうですよ」
「ほう、それは」
ジャンティはあの予言があった日、彼らを出迎える前にレディオスから書状を受け取り、急遽彼らを違う場所に案内することにした。
以前に、通り道を全て視察したことがあったのが幸いした。
「近くによい温泉がありましてね。是非、堪能していただきたいと思いまして」
何かを察したエグリーズが、かなり乗り気な素振りをしたこともあり、クラッセ王はこの誘いに乗ってきた。
通り道だから、もしやと思っていたのだろう。急な来訪にも、宿の主人は対応してくれた。これはありがたいことだった。
「そう急ぐ旅でもありません。どうですか、父上。二、三日滞在しては」
エグリーズがそう言い、クラッセ王が承知したのを見ると、宿の主人にできる限りの金品を与え、あとは従者に任せて、ジャンティは早馬で城へ取って返した。
「危険な目に合わせずに済んでよかった」
「まったくです」
感慨深いものがあるのか、ジャンティはレディオスの言葉に、何度も何度もうなずいた。
「来訪してくださるとはありがたいことだ」
「エグリーズさまもいらしてくださるそうです」
「それは……まあ、ありがたいとしておこうか」
苦笑してレディオスが言ったので、ジャンティも一緒になって笑った。
「かの婚約者という女性も一緒に来られるようです。王都を慰問してくださる予定になっております」
「それはますますありがたい」
未だ余震は断続的に続いている。
国民の中には、眠れない日々を過ごす人々も多数いる。大丈夫だ、と声を掛けられるだけで、どれほどの安心感が得られるだろう。
整備したとはいえ、あれだけの大きな地震だ。
崩壊した建物の下敷きになった人もいた。出店が建ち並んでいたのが災いしたか、火の手が上がった箇所もあった。
しかし懸命の救助活動により、大多数の人はすぐに助け出された。
建物の崩落とあらば救助隊が動き、下敷きになった人を救い出し、城勤めの医師がすぐに治療を施した。
また、水路の確保を行ったことが幸いし、火災も最小限に留められた。
崩壊を免れた建物は避難場所とされ、城からの救援物資が届けられた。
侍女たちが炊き出しを行ったり、寒さをしのぐ毛布を届けようと走り回ったりする姿が、どこかしこでも見られた。
教会からも、主教をはじめ、司祭たちが王都を慰問して回っていた。
多くの人々は彼らの祈りの声を聞いて安堵したに違いない。
城門の女神像が崩れ去ったことは、噂としてあっという間に広がり、彼女が自分たちの代わりに被災のすべてを受けてくださったのだ、という話がまことしやかに囁かれているそうだ。
重傷者、軽傷者は多数出たものの、死者、行方不明者ともになし。
これは、奇跡だといってもいいだろう。
◇
ベッドに横になっていると、コンコンと扉をノックする音がした。返事をすると、ゆっくりとこちら側に扉が開く。
もしかしたら、誰もいなくなるときを待っていたのかもしれない。
「お加減はいかがですかな」
広間に集められたとき、声を荒げた大臣だった。意外な訪問客に、リュシイは目を見開いた。
「ええと、おかげさまでだいぶ、良くなりました」
「それは重畳」
彼は落ち着かなく視線を泳がせたあと、ごほんと咳払いをして言った。
「命がどうとか仰っていたが、ああいうことは、滅多に言うものではない」
そう言って、彼は胸を反らした。けれども視線が泳いでいる。おそらくそれが、彼の表せる最大限の謝意なのだろうと思うと、おかしかった。
リュシイが微笑んだのを見ると、彼はそそくさと部屋を出て行こうとする。
しかし入り口辺りで、あっ、と短く声を上げた。
「ああら、大臣さまじゃございませんかぁ」
アリシアの声だった。
侍女ふぜい、と言われたことを根に持っているのか、声には棘が含まれていた。
言われた大臣のほうはごほんごほんと何度も咳払いしている。
「いつぞやは、どうもぉ」
皮肉たっぷりに言ってみせる。
大臣は、聞こえるか聞こえないかという小さな声で、言った。
「私は別に、侍従たちを軽んじているわけではない」
言い捨てるように言葉を吐き出した。
そのあと、逃げるように立ち去る足音が聞こえた。
「なあに、あれ」
入室して、ベッドの傍に立ったアリシアが腰に手を当てて言った。
「お見舞いに来てくださったのです」
「本当?」
「ええ」
「なんだ。じゃあ、もう少し優しくしてあげればよかったかしら」
言いながら、アリシアに反省の様子は見られない。
軽く肩をすくめただけで、リュシイのほうを見ると、にっこりと微笑んだ。
「どう? 調子は」
「まだ痛むけれど、大丈夫です。一人で寝たままでいるから、退屈で仕方ないけれど」
「あら、そう? じゃ、お相手してあげる」
言って、手近な椅子を引き寄せて、座る。
「何てね。実は、さぼりに来たの。もう、てんやわんやで大変。自主的に休まなきゃ、やってられないのよ」
アリシアはそう言ったが、おそらくリュシイの身体を気遣ってやってきたのだろう。
それがありがたくて、小さく微笑んだ。
リュシイが何を思ったのか、わかったのだろう。照れ臭さを隠すためか、アリシアは、思いついたように、一つ手を叩いて言った。
「そうそう、今ちょっとした話題になっているのよ」
「話題?」
「そうよ。あなたと陛下の話。陛下ったら、やるわね。いつもは女に興味はありません、って顔しているくせに」
廃墟と化した城内からリュシイを抱えて出てきたのを、目撃した者が数人いるらしい。噂の元はどうもそこのようだ。
「女も何も……。中にいるのが誰であっても、陛下はやって来てくださったと思います」
「そうかしら。知っている? 陛下はね、王都の広場にいらっしゃったのよ。でも、あなたが中々やってこないから、じいさまの制止も振り切って、王城まで行ったってことらしいじゃないの」
「……そう、なのですか?」
「私はそう聞いたわよ」
リュシイは言葉をなくして黙り込んだ。アリシアはにやにやしながら続ける。
「見直しちゃったわ。物語に出てくる王子さまみたい。いや、王さまか。感動的よね」
リュシイははしゃいだように言うアリシアの言葉に口を挟む。
「でも、相手が私では、失礼ですから」
「あら、じゃあ誰ならいいのよ」
「ええと、例えば、アリシアさまなら」
「私ぃ?」
驚いたのか大声を出すと、それから我慢しきれないように、吹き出した。
「嫌だ、そんな柄じゃないわ」
「そんなこと。だって二人が踊っていらっしゃるのは、とても優雅で美しかったし」
お似合いの二人、とはああいうことを言うのか、と思っていた。
そこは、とても手が届かない場所のように見えた。
自分の荒れた手を彼にじっと見られたとき、いたたまれなくなったのを思い出す。
「そりゃあ、ダンスっていうのはそういうものだから。あんな風に踊りたいなら、いつでも教えてあげるわ。お母さまに言えば、即座に駆けつけて来るわよ。それに、言わなかったかしら? 私、恋人がいるのよ」
「えっ」
絶句すると、アリシアはああ、と言った。
「言ってなかったのね。あなたも会ったことがあるわよ」
「……私が?」
「ええ」
とは言っても、城内で知っている男性など少ししかいない。
レディオスは違う。エグリーズでもない。まさかジャンティのはずもないし、と色々な人の顔を思い浮かべていると、アリシアは愉快そうな声で言った。
「ダンスのときに、会っているじゃない」
あのとき部屋にいたのは、レディオスとダンス教師のアイル、それからアリシア。そして。
「ああ」
思い出して、声を上げる。竪琴奏者だ。
アリシアはふふん、と鼻を鳴らした。
「彼も流れの竪琴奏者だしね。いずれは一緒になりたいと思っているのだけれど、お母さまが、それなりの仕事に就かないと、って。あっ、実力はちゃんとあるのよ? ほかの国の王宮に呼ばれたことだってあるんだから!」
「そうだったのですか」
王城に勤めれば、それなりの箔がつく。子を思う母心として画策したのだろう。
「陛下には、まだ内緒ね。あの人、画策されたのを知ったら、意地になって抵抗しそうだから」
悪戯っぽく片目を閉じると、右手の人差し指を唇に当てて言った。
「わかりました」
微笑んでそう言うと、アリシアも笑った。
「やっぱり、この物語はあなたのものよ。国の大事を救った乙女と、国王との恋。ああ、なんて素敵なのかしら」
アリシアはそう言うが、リュシイには、そのままその話を受け入れることはできなかった。
彼と自分では、あまりにも身分が違いすぎる。
彼に相応しい人は他にいくらでもいて、自分との噂は迷惑にしか過ぎないのではないだろうか、と思った。
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