4. いつか夢の中で

 彼が村にやってきて、生活は激変した。

 怪我をしていたから、彼が家にいる間、彼がもし男だとしても、安心できた。

 怪我をしているけれど、彼が家にいる間、男たちのあの視線が向けられることがなかった。

 おそらくは、余所者に変なところを見せたくないと思っていたのだろう。

 気さくな彼は、あっという間に村人たちの中に溶け込んだ。


 何より、襲われようとしていたリュシイを助けてくれた!

 このままここにいてくれないだろうか、などと馬鹿なことを考えたりもした。


 けれど彼はいつかここを出て行く。

 仕方ない。それは、仕方ない。

 誰も好き好んで、こんな田舎に留まるわけはない。

 短い間だけれど、こんな安心をくれた彼に感謝を。そして笑顔で送り出そう、と決めた。

 久しぶりに、誰かにこんなに穏やかな気持ちを持てた気がした。


 しかし思いがけず、彼は少女を村から連れ出そうとしてくれた。

 エグリーズに村で求婚されたとき、本当は、揺れたのだ。


 この人についていけば、もう微かな物音に跳ね起きたりしなくてもいいのかもしれない。

 もう、死神と呼ばれないのかもしれない。

 誰も、殺さなくてもいいのかもしれない。

 彼はとても紳士で、他の男たちのように、いかがわしい目で彼女を見たりしない。

 甘えてもいいかしら、と思った。

 そうしたら、毎日ぐっすりと眠れる日々が続くのかもしれない。世界を恐れなくてもよくなるのかもしれない。


 けれどその晩、夢を見た。

 エグリーズに寄り添う、黒髪の女性。彼女は誰よりも何よりも、彼を愛していた。

 それがわかる、夢だった。


 夢から覚めて、跳ね起きる。息が荒くなる。胸が痛い。

 痛む胸を押さえて、呆然とする。

 私は、あの女性に比べて、なんと醜いのか。

 ぼろぼろと涙が零れ落ちた。


 利用しようとしたのだ。自分を守ってくれようとした、優しいあの人を。なんて醜く、なんて汚い人間なのか。

 やはり神なんて、いない。私に夢を見せるのは、神なんかではない。こんな人間に、神が夢を見せるはずがない。

 彼女に夢を見せる何者かが、言った気がした。


 おまえなど、幸せになる権利はない。


 夜が明けるまで、少女は、ただただ、泣いた。


          ◇


 そうして、ある日、また夢を見る。

 王城が崩れ去る夢。

 なんてこと。ここまで規模の大きな夢を見たことはない。

 これを止めるにはいったいどうすればいいのか。

 誰に忠告すればいいのか。

 国王、しかいない。

 でも、会えるだろうか。

 いや、会わなければ。何としてでも。どんな手を使ってでも。

 この夢は、もう私の手には負えない。


 これからも、こんな大きな夢を見てしまうのだろうか。その度、助けられるのだろうか。

 いや、きっとできない。できるわけがない。力のない少女一人に、いったい何ができるというのか。


 それに。

 今まで村を離れられなかったのは、他に行くところを知らないというのもあるが、それだけではない。

 今までの予知夢はほとんど村の中のことだったから、離れてしまったら忠告できなくなる、という恐れもあった。

 この村を離れてしまったら、今後また、たくさんの村人を殺すことになるのかもしれない。


 そうだ。

 これを、最後の夢にするのだ。


 そのために、あの崩れ去る城の中で死のう。夢と一緒に、死のう。

 もうこれ以上、つらい夢は見たくない。

 いや、もしかしたら、夢を見るから不幸が起きるのかもしれない。

 だって私は死神だもの。

 だから、国王に忠告して、この夢の終わりを見届けたら、死のう。


 そう決めて、彼女はエグリーズのくれた馬に乗って、王都を目指した。


          ◇


 リュシイが語っている間、レディオスは作業を再開しながら、黙って聞いていた。


「だから、もういいんです。逃げてください、お願いです」


 少女は泣きながら、切々と訴える。逃げて、と少女は何度言っただろう。


 だがレディオスは、その場から逃げたくなかった。ただ、腕を動かすのみだ。

 そうしてしばらくして、ぽつりと言った。


「頼む」

「え?」

「頼む、死にたいなどと言わないでくれ。私は……そなたを責められるほど、綺麗な人間ではないのだ」


 人をこの手で殺そうとしたことだってある。

 王という立場にいれば、そうでなくとも、間接的にどれだけの人を殺してきたのか。

 苦しい生活から逃れようと、もがいた人間を、どうして責められようか。

 それは彼女の罪かもしれないが、だが同時に、自分の罪でもあった。


「助けさせて欲しい」


 広場からここまで、止められはしたものの、すんなり来れたのはなぜなのか。

 おそらくは、邪魔だった。

 彼が一人そこにいるだけで、その血を守るために、いったい何人の人員を必要とするのか。

 地震が起きてしまったあのとき、レディオスは邪魔にしかならなかった。

 ジャンティはあの間に、そう判断したのだ。

 だから、追ってこなかった。

 いつもいつも、そうなのだ。

 父が死んだときも、母が倒れたときも。

 助けられなかった。何もできなかった。

 そのあとの、事後処理だってそうだ。

 王という地位にありながら、できることなどほとんどなかった。


 だから今、目の前で泣いているこの少女を、どうしても見捨てたくなかった。

 それは、わがままなのだ。

 自分の、独りよがりな、わがままなのだ。


「そなたが死にたいと願っても、それを無視して、私が助けたいだけなんだ」


 少女はこちらを泣きながら見上げている。

 彼女を救いたい。

 ただ、それだけ。


          ◇


 ふいに身体から、圧迫感が消え去った。


「歩ける……訳はないな」


 そう一人ごちる声がして、体の下に腕が差し入れられたかと思うと、抱き上げられた。


「余震が……」


 一人なら、楽に逃げられる。

 最大の揺れは去ったとはいえ、まだ危険が迫っていることには変わりない。


「黙ってつかまっていろ」


 口調は冷たかったが、その奥に潜んだ温かさを感じた。

 リュシイは彼の首に腕を回してぎゅっとしがみつく。


 この光景を、いつか夢の中で見たような気がする。

 けれど、そんなことはどうでもいいような気がした。

 夢で見ようが見まいが、今、この幸せな瞬間は、現実に起こっているのだから。

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