2. 小さな黄色い花

「ようこそお越しくださいました」


 クラッセ王が王都を訪れたのを、できる限りの人員で出迎える。

 到着したのを見て、レディオスは歩み寄り、右手を差し出した。


「先日は失礼致しました。結局、歓迎することができなくて、申し訳なく思っておりました」


 クラッセ王は、いいえ、と首を振りながら、右手を出して、レディオスの手を握った。


「幸い、私どもはジャンティ殿の紹介してくださった温泉に立ち寄りまして、事なきを得ました。それにしても、大規模な地震だったようですな。そこにいても大きな揺れを感じました」

「ええ、今までにない大きな地震でした。しかしこの程度で済んだのは、不幸中の幸いです」

「まったく仰る通りですな」


 ざっと広場を見渡して言う。

 多少、土地が隆起しているのか、辛うじて建っている建物も傾いてはいるし、崩壊しつくした建物もある。

 しかし、完全に焼け野原になった訳ではない。少しずつ整備も進み、いずれは元通りになるであろう片鱗を見せている。


 最も歴史ある建造物であった王城が、一番崩壊が酷かったというのは皮肉な話であった。


「こんな状態ですから、せっかくお越しいただいたのに十分なもてなしはできませんが」

「なんの、お構いなく。私どもにできることがあれば何なりと仰ってください。できる限り、お手伝いさせていただきましょう。いくらかは今回お持ち致しましたが、もし足りない物資があればまたエグリーズにでも言ってくだされば、すぐにでもお届けします」

「かたじけなく思います」


 レディオスが深く頭を下げると、クラッセ王は、いやいや、と顔を上げさせた。


「お互いさまです。もし、我が国に何かあれば、そのときはお願いしますよ」

「もちろんです」


 レディオスが深くうなずくと、握手していた手を離し、何か含みがあるような笑みを見せて、ぽんと一つ肩を叩いた。

 幼いころから知っているが、頭の切れる人物だ。今回のことも、いくらかは理解しているのかもしれない。知っていて利用されたのかもしれない、と思った。

 途方もなく大きな借りを作ってしまったようだ、と苦笑する。


 クラッセ王はジャンティに連れられて、街中を案内されに行った。

 その背中を眺めて一人佇んでいると、エグリーズが女性を連れて、近寄ってきた。


「我が女神は?」


 開口一番これだ。婚約者を前によく言う、とため息をついた。

 当の女性はと言えば、何も言わずにエグリーズの斜め後ろに立ち、柔らかな微笑みを見せている。


「今は療養中だ。シリル城のほうにいる」

「そうか。では、今回は会えそうもないな」

「残念ながら」

「彼女にも紹介したかったのだが」


 そう言って、傍らの女性の肩を抱いて前に押し出した。


「この女性が、私の婚約者だ」

「お初にお目にかかります。拝顔の栄に浴して光栄に思います」


 そう言って頭を下げた。


 『利発そうな瞳をなさった黒髪の女性』、『細身の方です。背の高さはちょうど、あなたの胸のあたり』。

 リュシイの言っていた女性像に、ぴたりと当てはまる。彼女の予知能力には感嘆せざるを得ない。


「どうした?」

「……いや」


 しばらく、じっと眺めてしまった。女性は軽く首を傾げている。


『彼女の居場所になりたい』


 いつだったか、エグリーズはそう言った。彼は彼女の居場所になれるだろうか。

 その存在はとても幸せなことなのだろう。


「私の婚約者に見惚れるとは、なんということを」

「すまない。思わずな」


 エグリーズの相変わらずの軽口に笑った。

 悩んでいるのが馬鹿らしく思えてくる。

 レディオスは右手を彼女の前に差し出した。


「あなたの勇気に敬意を称します」


 レディオスがそう言うと、彼女は「まあ」と言ってくすくすと笑って手を握り返してきた。


「勇気とは、失礼な」


 唇を尖らせてエグリーズが言った。

 この和やかさがありがたかった。

 ここのところずっと張り詰めていた気持ちが、ゆっくりと溶けていくようだ。


「ああ、それから聞いたぞ」

「何を」


 眉をひそめると、エグリーズは耳に顔を寄せ、小声で言った。


「彼女を助け出したのは、おまえらしいな」

「……そうだが」


 それを聞くと、エグリーズは顔を離し、意味ありげに笑った。


「何だ」

「いや。別に、何も」

「だから、何だ」

「ああ陛下。どうか、お気になさらないでいただきたい」


 そう気取った口調で言うと、最後にもう一度歯を出して笑う。

 それから二人で連れ添って去っていった。本来の目的である慰問に向かうのだろう。


「……何なのだ」


 レディオスは訳がわからずに首を傾げた。


          ◇


 時間は無駄には流れない。

 しばらくすると、少しずつ城は落ち着き始めてきたようだった。

 だから、リュシイはジャンティに言った。


「私、村に帰りたく思います」


 その願いを聞いて、ジャンティもアリシアも、彼女を引き止めてくれた。

 せめてもう少し、身体が良くなってからと言ってくれた。

 が、リュシイは首を横に振った。

 もう、身体は動く。馬にだって乗れる。王都に来るまでは休みなく走り通しだったから大変だったが、帰るのなら休み休みで構わないのだ。


「もう長く家を空けておりますし……それに、遠いとはいえ、村がどうなっているのか気になります」


 そう言うと、二人とも口をつぐんだ。

 では、とジャンティが帰りの馬車を用意してくれるということになった。何人か従者もつけるという。

 将軍までもが付いてくるとのことだった。申し訳ないと断ったが、彼は譲ろうとはしなかった。


 あれから、レディオスには会っていない。

 当然、彼は忙しくて彼女に会う時間などないようだった。

 でもせめて、助けてくれたお礼を言いたくて取次ぎを頼んだが、どうやらそれも無理のようで、アリシアは申し訳なさそうに息を吐いた。


「私も、ほとんど会っていないの。大抵は城を空けているか、どこかを早足で歩いていて、捕まえるだけでも精一杯なのよ」


 仕方ない。国王という立場の重責を思えば、それは当然のことなのだろう。

 そもそも、王という身分である彼と接点があること自体が不思議なのだ。


 旅立ちの日に、城門の前でたくさんの人たちが見送ろうと出てきてくれた。

 普通に歩けないこともないのに、アリシアにどうしてもと押し切られ、部屋を出てすぐに簡単な輿に乗せられて、城門まで連れてこられた。


「長い間、お世話になりました」


 輿を降り、リュシイは頭を下げる。


「いやいや、それはこちらの言葉ですよ」


 とジャンティが言い、その横でアリシアが涙ぐんでいた。


 やはり、レディオスはいない。

 最後に一目会いたかったが、そんなわがままは許されないだろうと俯いて口をつぐんだ。


 しかし。ふと城門の外が騒がしくなり、首を巡らせる。

 何人もの兵士が馬に乗って帰城してきたところだった。さして珍しい光景ではない。特にここのところは、復興のために兵士は城外に駆り出されている。


 その中心にいる人物。その人はリュシイのほうを見て、こう口を動かした。


「間に合った」


 レディオスは城門の外で馬から降りると、こちらに駆けてきた。

 来てくれた。私のために。

 それだけで充分だと思った。涙が溢れそうになったが、それをこらえる。


 取り囲んでいた人々は、彼のために道を開ける。

 彼は手前で歩を緩めると、こちらに歩いてきた。少し、痩せたように見えた。


「すまない、慌しくしてしまって」

「いいえ。いいえ、陛下」


 だめだ。言葉を発すると、泣き出してしまいそうだ。


「私……、あのときのお礼を言いたくて……だから、会いたかったんです……」


 言葉が途切れ途切れになってしまう。ちゃんと言わなくては、心からの礼を尽くさなくてはと思うのに、上手く喋れない。


 ふと、彼の手が自分のほうに伸びてきた。

 はっとして顔を上げると、すぐ目の前に彼がいて、そしてリュシイの手をとった。そしてその手に、小さな黄色い花を乗せた。


「これは……?」

「さきほど城跡に視察に出ていたのだが、そこで見つけた。あんなに崩落が激しい場所でも、植物はこうして花を咲かせている。どうしてもそれを、そなたに見せたくなって」

「……きれい」


 それしか言えなかった。可憐で小さな花は、これからを占っているように見えた。

 何よりの贈り物のように思えた。


「どうしても、帰ってしまうのか?」


 ふと、そう問われる。その問い自体を嬉しくも思ったが、彼女はうなずいた。


「はい、やはり村の様子も気になりますし……」


 本当は、あの村には帰りたくない。でも、他に行くところを知らない。

 それにまた、村人の夢を見るかもしれないと思うと、怖い。


 でも、なによりも。

 なによりも、私はこの場所に似つかわしくない。

 ここは私のような者がいるところではない。

 あなたのそばに理由もなくいられるほど、私は高貴な人間ではない。

 もうここにいる理由は、懸命に探しても何一つ見つからない。


「……そうか」


 そう一言つぶやいて、ふいに彼は花を持っている手と反対側の手をとった。

 そしてその手に口付ける。


 ざわ、と一瞬、辺りがどよめいた。

 ばっと顔が赤らんだのが自分でもわかった。

 けれども彼はそれを全く意に介さないようで、続けて言った。


「実は、私も一つ、予言をしたい」

「……予言……。陛下がですか?」

「そう」


 そして、柔らかく微笑むと、言った。


「またいずれ、私たちは会うだろう」


 だからこれは別れではない、と。

 こらえ切れなくて、涙が頬を滑り落ちた。


「そのときまでには、もう少し上手く踊れるようになっておくよ」


 笑いながら、そう言った。


「……また、いずれ……」


 さようなら、とは言わず、馬車に乗り込んだ。

 進みだす馬車から顔を覗かせて背後を見れば、震災から後の日々を過ごした城が小さくなっていく。

 完全に見えなくなるまで、リュシイはどうしても目を離すことができなかった。


 そして馬車の中で、そっと手を開いた。小さな黄色い花。


 アリシアは、『普通の方よ』と、レディオスを称した。

 いいえ、それは違います。そう思った。


 私のこの荒れた手に口付けしてくださった。

 不幸な予言しかできない私に、こうして贈りものをくださった。


 彼は、とても素敵な方です。

 リュシイは、黄色い花びらに、そっと口付けた。

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