2. 居場所
「振られたよ」
王室に帰ってくると同時に、さばさばした口調でエグリーズがそう言った。
「ずいぶん、すっきりしているようだが?」
話の内容と口調がかけ離れている気がしたので、素直にそのまま口に出してみる。
「ああ、まあ、振られるのはわかっていたし。なにせ、二度目だ」
「わかっていたのに、わざわざ舞い戻ってきたのか? なぜ?」
「さあ、なぜだろうな、わからん」
そう言ってソファに腰掛けると、遠くを見つめるような目をして口を閉ざす。
「酒でも持ってこさせようか」
エグリーズはレディオスの言葉に苦笑する。
「いいね。だが、今度こそすぐに帰国しなければ」
「そうか」
レディオスは短くそう言うと、机上にあった数々の書類をまとめて端に追いやった。
そして何も言わずにじっと友人の姿を見つめる。
「なあ」
視線はまっすぐ前を向いたまま、エグリーズはぽつりと呼びかけた。
「なんだ?」
「少しだけ、愚痴ってもいいか?」
「どうぞ」
苦笑しながら言う。その場にいた侍女たちを下がらせた。
エグリーズは小さく、すまない、と言った。
「その……大臣の娘というのは幼馴染で……、小さなころから一緒にいたから、どうも女としては見ることができなくなって……。いや、違う……違うか」
それきり黙り込んで目を伏せて、何ごとかを考えている。軽口ばかりの彼が、ここまで何かを言いよどんだことがあるだろうか。
レディオスはただ、友人の言葉が紡がれるときを、待った。
そして、しばらくしてエグリーズは顔を上げる。
「変わりたくなかった。不変のものでいたかった。それを彼女にも強制した」
それはまるで、兄妹のように。母子のように。変わらない、不変のもの。
「確かに私は本当にリュシイ殿を国に連れて帰りたいと思っていた。それは嘘偽りない私の心からの気持ちだ。けれど、本当は逃げていたのかもしれない。……すまない、話が混乱している」
「いや、言いたいことはわかる」
その言葉にほっとしたように息を吐く。しゃべりながら考えをまとめているのだろう。
エグリーズは続けた。
「負け惜しみに聞こえるかもしれないが、迷っていたから、はっきりと断られたかったのかもしれない。それはそれで、卑怯ではあるよな。決断を相手にさせたのだから」
たぶん、ここでは助言も相槌もいらない。ただ、耳を傾けるべきところだ。
「城を飛び出したのは、意地もあった。自分の知らぬところで縁談が進んでいくのが嫌でもあった。でも」
そこで一旦言葉を区切り、言った。
「もう、子どものままでいてはいけないよな」
それきり、黙り込む。
子どものままで。甘えたままで。自由なままで。
そうありたいと思っていても、否が応でも、上っていかなければならない階段がそこにある。
立て、と望まれるときがある。
ふと、ジャンティが泣いていたあのときを思い出した。
「大人になって、それで?」
そう問う。
それは、自分への問いかけでもあったかもしれない。
「私は……彼女の居場所になりたい」
エグリーズは、そう言って、笑った。
それはレディオスの知る限り、エグリーズの一番柔らかな笑みだった。彼の表情に感動すら覚えた。
「知らないぞ。帰ったときには、もう彼女には見向きもされないかもしれない」
「そうかもな。土下座でも何でもするしかない。許してはもらえないかもしれないが、謝ることしかできることがない」
そう言って、ソファから立ち上がる。
「世話になった。邪魔したな」
「えっ」
エグリーズの言葉に、反射的に立ち上がる。
「もう、帰るのか?」
「ああ、リュシイ殿によると、彼女は一人で泣いているらしいから」
その名前を聞いて、レディオスはゆっくりと何度も首を横に振る。
「また、そんなことを……。それは誰にでも予測できることだろう」
「今回、ここに舞い戻ってきた経緯を何も説明しなくても、か?」
「それは……」
エグリーズの問いに口ごもる。咄嗟に答えることができなかった。
「まあ、無理に信じろとは言わない。でも少し、頭ごなしに否定するのではなく、彼女の言葉に耳を傾けてみたらどうだ」
「……今回は、彼女の予言が当たったということだな。そなたはそれで、良かったのか?」
「さあ、どうかな」
口の端を上げて言う。
「まだ的中したかどうかはわからない。彼女に拒否されればそれまでだしな。けれど、いずれにせよ、その経緯は私が選んで進んだ道だから、それでいい」
「そんなものか?」
「少なくとも、私にとっては」
そのとき、王室のドアがノックされた。どうぞ、と言うとアリシアが顔を覗かせる。
「ああ、良かった。まだいらしたのですね」
エグリーズの顔を見ると、ほっと胸を撫で下ろす。
「すぐ帰るが。なにか?」
「いえ、彼女が礼を言って欲しいと」
「礼などいらないのに」
エグリーズは小さく笑ってレディオスのほうを顧みた。
その視線を受けて、レディオスは肩を竦めてみせる。
「伝えましたよ。それから、陛下」
そう言ってレディオスのほうに向き直る。
「そろそろお返事が欲しいようです」
レディオスが立ち竦んで何も言えずにいると、エグリーズが苦笑して言った。
「さて、いかがなさいますか、陛下」
「その物言いはやめろと言っているのに」
吐き捨てるように言うと、苦々しげにアリシアに続けて伝えた。
「ジャンティを呼んでくれ」
「え? ジャンティさまですか?」
「そう、まずは報告してから」
そこで一旦言葉を切り、多少抑えたような声音で言った。
「もう一度彼女の話を聞こう」
エグリーズが軽く口笛を吹き、アリシアはかしこまりました、と深く頭を下げた。
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