第六章
1. 運命
ジャンティは、午後になっていきなり城内に飛び込んできた者があったと、報告を受けた。
城の門番も見知った顔に道を開けはしたが、その者の様子には面食らっているようだった。
「エグリーズさまが?」
何ごとかと客室に向かう。エグリーズはそこに待機しているはずだった。
部屋の扉を開けると、がっくりと肩を落として椅子に座り込むエグリーズがそこにいた。いつもの彼からは想像もつかない姿だった。
「いかがなさいました。帰国されたのではなかったのですか? それとも、なにか忘れ物でも? でしたらこちらからお届け致しましたが」
近寄りながらそう矢継ぎ早に尋ねると、エグリーズはぱっと顔を上げた。
「私は、騙された」
「は?」
時が時だけに、一瞬、リュシイのことを言っているのかと思った。
やはり彼女は予言者ではなかった、と言っているのだろうかと。
しかし、彼は違う人の名を挙げた。
「私は、父上に騙された」
そう言って、長く深いため息をついたのだった。
◇
「帰れ」
レディオスは王室に通されたエグリーズに、いきなりそう言い放った。
「つれないことを言うな」
その言葉に堪える様子もなく、エグリーズは肩をすくめる。
額に手を当て、ため息まじりにレディオスは言った。
「こちらも暇ではないんだ。だいたい、帰国はクラッセ王の意向だろう」
「やれやれ、それが親愛なる友人殿のお答えか。理由も聞いてはくれないのか」
「聞く気にもならない。どうせくだらない理由だろう」
「そう言わずに」
エグリーズは来客用のソファに腰掛けると、手招きで友人を呼んだ。
無視を決め込んでいたレディオスではあったが、しばらくして根負けしてしまう。
「手短に言え。そなたが長期滞在してくれたおかげで、本当に仕事が溜まっているんだ。それに今日は、教会に視察も兼ねて礼拝に行かなければならなかったのに、明日に延期だ」
エグリーズが城内に飛び込んできたと聞いたジャンティが、慌てて教会に使者を出して、延期を申し出てしまったのだ。教会に向かった従者は、主教にぐちぐちと小言を聞かされたらしい。
明日行けば、当然レディオスにも火の粉は降り掛かる。
「どうせ、教会になど行きたくなかったのだろう?」
「それはそうだが、こればかりは仕事だ。欠かすことはできない」
「それはすまなかった」
本当に言葉の意味を知って使っているのかと思うほど、軽い口調でエグリーズは言った。
レディオスも長年の付き合いで、そんなことには慣れていたが。
「で? こちらに舞い戻ってきたのはなぜだ」
「私は、父上に騙されたのだ」
「クラッセ王に?」
レディオスの言葉に深くため息をついて、肩を落とす。
その落胆振りたるや、今までの彼からはとても考えられないもので、さすがのレディオスも身を乗り出して耳を傾けた。
「授業が遅れているだの、王子としての面目だの、そんなことを言われて連れ戻されたが、父上は、本当はそんなことを心配していたのではなかった」
「ではどんな」
「王城に着いた途端、二人きりにされた」
「誰と」
「幼馴染だ。外務卿の娘の。前に少し言ったことがあっただろう」
「……ああ」
リュシイの予知夢に出て来たという娘だ。
それに思い至ると、レディオスは何度もうなずいた。
「父上はその娘と私を婚姻させたい意向だという。大臣のほうも王族の血が入るのは願ったり叶ったりだろうからな、それはもう乗り気で。それで喜び勇んで、わざわざ自らが迎えに」
「帰れ」
エグリーズが話し終わるのを待たずに言った。
ジャンティがもし、エグリーズの話の内容を最初から知っていたら、教会への視察を延期するようなことはしなかっただろう。
だが、ふと思いつく。どうも自分までリュシイの夢に毒されているのかもしれない。
その幼馴染が運命の相手だと信じ込んでいる。よくない傾向だ。
「あ、いや、ちょっと待て。彼女のほうはどうなんだ? もし他に好いている男がいるとすれば、願ったり叶ったりかもしれない」
「……いや……ときどき、好いてくれているかも、と思うことは……」
歯切れ悪く、そう言う。
「なんて趣味の悪い……」
額に手を当てて、大きく息を吐きだした。
「おまえ、本当に私の友人か?」
「友人だからこそ言える。それとも、媚びへつらって欲しいか?」
「いや、気持ち悪い」
「それは良かった。とにかく、そなた、幼馴染をほっぽりだしてきたのだろう。それではあまりに可哀想じゃないか」
レディオスの言葉に、エグリーズは少し口を尖らせた。
「では、私は可哀想ではないのか」
「当たり前だ。むしろなぜ可哀想と思えるのか不思議だ。わがまま王子に付き合っていられるか」
そう言い捨てると、立ち上がり、自身の机に戻る。
後を追うようにエグリーズが立ち上がり、レディオスが着席したのを見計らうと、どん、と片腕を机上についた。
「わがまま王子とは、言ってくれるね」
「なにが違う?」
「私の気持ちは知っているだろう。私には意中の女性がいることを」
「……え?」
しばらく考えを巡らせて、はた、と気付くとまじまじと友人の顔を眺めた。
「まさか、本気だったのか」
「私はいつでも本気だが?」
そう言って、にこりともしない。
「しかし断られたのではなかったか?」
「嫌なことを言う」
そう言うと鼻に皺を寄せる。
「もう一度、彼女に求婚しようかと思うのだが」
じっとレディオスの目を見て、言う。
「私に聞くな。勝手にすればいいだろう」
「では、勝手にする」
言うが早いか、さっさと退室していってしまった。
「なんというか……」
誰もいなくなった王室で、レディオスは疲れ果てたようにため息をついたのだった。
◇
ノックする音に気付きアリシアがそっと扉を開けると、そこには思いも寄らぬ顔があった。
「エグリーズさま!」
その声に、椅子に腰掛けていたリュシイも立ち上がる。
「いかがなさいました、先日帰国されたばかりではありませんか」
エグリーズは困惑するアリシアを完全に無視して素通りすると、リュシイの目前に立った。
「急に申し訳ない。どうしても、あなたに伝えたいことがあって」
「はい」
おろおろするのはアリシアばかりだった。リュシイは落ち着いた様子で、エグリーズの言葉を待っている。
「前にも言ったが、私はあなたをクラッセに連れて帰りたい。どうだろう、一緒に来てもらえないだろうか」
彼の言葉をどう受け止めたのか、リュシイはその新緑の色の瞳を伏せた。
「お一人でお帰りになったほうがよろしいかと思います。あなたの運命のお相手は、一人で泣いておられます」
そう言うと、口元をきゅっと結ぶ。
エグリーズはしばらくそのまま彼女の前に立ち尽くしていたが、それ以上、彼女の口からなんの言葉も紡がれないことを知ったのだろう。
「そうか」と短く返しただけだった。
「ちょっと待ってよ」
その静寂をアリシアの声が破る。
「それはないのじゃない? 運命の相手とか、なにかよくわからないけど、エグリーズさまは自分の気持ちを仰っているのじゃない。じゃあ、あなたはそれに応えるべきよ」
急に飛び出した言葉にエグリーズも面食らったようで、慌てて「私はいいから」とアリシアを制したが、それに構わず続けた。
「真剣な言葉に対して、運命とか、そんな言葉で逃げるのは卑怯だと思うわ」
言いたいことを言ってしまってすっきりすると、アリシアはふっと一つ息を吐いた。
「……ごめんなさい」
対するリュシイは、目を伏せたまま、囁くように言った。悪戯を叱られた子供のようだった。
「あなたが謝るのは、私じゃないわ」
「いや、私はいいんだ」
予想だにしていなかっただろう展開に困惑するエグリーズに向けて、リュシイは顔を上げた。
「私、エグリーズさまのことは好きです」
リュシイの言葉に、二人はぴたりと動きを止めた。
「とても明るくていらっしゃるし、何度も助けていただきましたし。でも、それは……その、恋愛感情とか、そういったものではなくて、なんと申し上げたらいいのかわからないのですけれど、えっと」
「うん」
口ごもりながら懸命に自分の想いを伝えようとするリュシイの言葉に、エグリーズは耳を傾けている。
「だからその……ごめんなさい」
「よくわかった。ありがとう」
エグリーズはそう言って微笑んだが、少女はさらに連ねた。
「それに」
「うん?」
「私に、逃げているのでしょう?」
リュシイは彼を見上げ、そして小さく首を傾げて微笑んだ。
エグリーズはその言葉に、固まった。そして口元に手をやると、しばらく少女のその微笑みを見続けていた。
「いや……え……、そう……か?」
「ええ。私には、そう思えます」
少女がうなずく。
やり取りの意味はよくわからなかったが、エグリーズの動揺は、アリシアにも見て取れた。
こんなにもうろたえている彼を見るのは初めてだ。いつも飄々としているのに。
「もう逃げなくてもいいのでは?」
「……いや、逃げてなど……」
「本当に?」
涼やかな少女の言葉に、エグリーズはしばらく考え込んだ。
「わからない……」
「わかるはずです。私の夢は、外れたことはないのですから」
夢。ではこの少女は、エグリーズの未来を知っていると言っているのだ。
「……わかった。よく、考えてみよう」
「ええ、大丈夫。エグリーズさまは、ちゃんと正しい道を選べます」
そうして二人は微笑み合った。
それをアリシアは呆然として眺めていた。このやりとりが、色恋沙汰のものとはどうしても思えなかった。
今、新しい宗教ができたような気がして、ぞっとする。
このリュシイという少女が何者なのか、改めて疑問に思った。
エグリーズは一つ息を吐くと、アリシアのほうに振り返った。
「アリシアも、ありがとう。嬉しかった」
妙に晴れ晴れとした表情だったから、少し、安堵する。本人が納得したなら、それでいいのかもしれない。
彼はそのまま扉に向かい、ノブに手を掛ける。そこで立ち止まると、改めてアリシアのほうへ振り返った。
「そういえば、我が友人殿は、約束を?」
リュシイとの謁見を果たしたのか。
アリシアが深くうなずくと、エグリーズは小さく微笑んだ。
「ならよかった」
そして、静かな部屋にドアの閉まる音が響いた。
「私、出過ぎたことを言ったのかも……」
アリシアが誰に言うともなくそうつぶやくと、リュシイが答えた。
「いいえ、私が悪かったのですから、どうかお気になさらないで」
顔を上げて声の主を見れば、彼女はなにか吹っ切ったような笑顔をアリシアに向けていた。
思わず見惚れてしまう、笑みだった。その薄桜色の唇が動く。
「謁見が許されたのは、エグリーズさまのおかげだったのですね」
「ええ、そうね」
おかげというか何というか。賭けの末のことだったのだが。
「今言えばよかった。あの、感謝の気持ちを伝えて欲しいのですが」
二人の短いやりとりで、すべてを悟ってしまったのだろう。
「わかったわ。必ず、伝えるから」
「それと……、できれば私、陛下のお返事を伺いたいのです」
「えっ」
「それによって、次の行動を決めなければなりません。ここを出なければならないかもしれませんし」
確かに、ずっとこの部屋にいても、彼女にできることなど何一つないだろう。
いや、もしかしたら居心地が悪くなってしまったのか。
「ええと、それは、私がいらぬことを言ってしまったから? 気にしないで。私、いつも言い過ぎてしまうの」
不安になってそう問うと、リュシイは首を横に振る。
「いいえ、アリシアさまのお言葉は嬉しかった。運命に縛られて生きてきた私が、初めて感情を言葉にすることを許された気がしました」
「運命に縛られる……」
それはいったい、どういう意味なのだろう?
なにか言うと安っぽくなる気がして、アリシアは口を閉ざした。
「お手数をお掛けして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
リュシイはそう言って、深く頭を下げた。
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