3. 王妃

 それから自室に帰ると、椅子に座ってぼうっと時間を過ごした。


 なにが起きたのか、まだ頭の中で整理ができていなかった。

 とにかく一人になりたかった。

 もしかしたら誰かが部屋にやってきて、あれは全部嘘でした、と言ってくれないかと馬鹿なことを考えて、扉を眺めていた。


 そのとき、ゆっくりとドアノブが動いた。誰だ。


「ここにおられましたか」


 ジャンティだった。小さく息を吐く。彼が、嘘でした、などと言うはずもない。


「……なんだ」

「急ぎ、殿下が国王となる手筈を整えねばなりません。このことが外部に知れる前に。さあ、お立ちください」


 カッと頭に血が昇った。


「もう? 父上が亡くなったのは、ついさきほどだ! その死を悼む時間もないと言うのか!」


 その怒鳴り声にも、彼は表情を動かさなかった。


「そうです。時間がありません。感傷に浸るのは、即位式が終わってからにしてください」

「馬鹿な……」


 身体から力が抜ける。そんな馬鹿な。


 いずれは国王になるのだと、皆に言われて育った。自分もそれを疑うことはなかった。

 父が年を取って隠居して、そうして即位するものだと思っていた。


 それが、急に、こんな形で。

 十八歳。この年齢で、エイゼンという国を背負えと。

 無理だ、そんなこと。せめて、せめて少しでも時間が欲しかった。

 時間がないと急かすこの男が信じられなかった。


 ふと顔を上げると、ジャンティは両の目から涙を流していた。

 しゃくりあげることもなく、涙を拭うこともなく、ただ涙を流してこちらを見つめていた。


「立ってください。あなたが立ちさえすれば、この私が、なんとしてでもこの国を守ってみせます。陛下が愛したこの国を、なんとしてでもこの私が、この命を賭して」

「ジャンティ」

「立ってください。私が、あなたをお守りします。そして、立派な国王になっていただきます。陛下が安心して旅立てるように」


 彼のその覚悟が、痛いほどに伝わった。

 そうだ、自分はそのために生まれてきたのだ。

 レディオスは、ゆっくりと立ち上がる。一つ息を吐いて、背筋を伸ばす。


「その言葉に偽りはないな?」

「もちろん」

「では、頼む」

「御意のままに」


 ジャンティは胸に手を当て、大きく腰を折った。

 彼の涙が床に落ちるのが見えた。


          ◇


 だが、不幸はそれだけでは終わらなかった。

 国王崩御の日から、王妃は床上げできなかった。

 いよいよ危ない、と聞かされ、後宮に向かう。後宮の主は母一人だったから、レディオスが足を踏み入れても、特に支障はなかった。


 母はベッドの上に横たわったまま、部屋を訪れたレディオスを迎えた。


「ごめんなさい、殿下。殿下にご足労いただいてしまって」

「母上」


 近くに歩み寄ると、ベッドの上に投げ出されていた手を取った。

 細い指が、ますます細くなってしまったように感じた。


「お加減はいかがですか。なにか欲しいものはありませんか」


 努めて、明るく言った。その言葉に、母は弱々しく首を横に振った。


「わたくしは、大丈夫。それより殿下は大変でしょう」


 その言葉に首を振る。


「いいえ、皆が助けてくれています」

「それなら、よかった」


 小さく微笑んで、そして母は大きく息を吐いた。

 もう、しゃべることも辛いのだろう。


「ごめんなさい、殿下。わたくしの愛しい子。立派に育ってくれて、わたくしはとても幸せです」

「母上」

「でも、陛下は寂しがりやだから……行って差し上げなければ」

「母上……?」


 仲の良い夫婦だった。なんの後ろ盾も持たず、侍女から王妃になった母を、父は生涯愛し続けた。

 身体が弱く、一人しか子を産めなかった母。しかし側室を持つことをいくら勧められても、王妃自身から勧められても、父は決して二人目の妃を持とうとはしなかった。


 妙に、納得した。二人別々で生きることが、想像できなかった。


 自分の手の中にあった、母の手から力が抜ける。

 その手をそっと離すと、ベッドの上に横たえた。

 後宮に、すすり泣く声が充満していく。

 それでもレディオスは、立たなければならなかった。

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