2. 国王の崩御
それは、まだレディオスが『殿下』と呼ばれていたころのことだ。
城にはおかかえの占い師がおり、城勤めの者は皆、隙あらば彼の言葉を聞こうとしていた。
侍女たちがきゃあきゃあ言いながら彼の周りに群がるのを、何度見かけたことだろう。
「あなたは見かけと違い、人一倍寂しがりやですね」
「とても純粋で、傷つきやすい一面を持っています」
そんな誰にでも当てはまるようなことを言われて、喜ぶ女性たちの気持ちがわからなかった。同時に、そんな占い師が胡散臭く思えていた。
が、彼の父親である国王は、占い師を崇拝しきっていた。
それはとても危ういことのように感じられた。
「エイゼンは未来永劫の繁栄を約束されている」などと言われて浮かれている様は、レディオスから見て心地よいものではなかった。
幾人かは王に対して占い師の扱いを進言したのだが、王は聞く耳を持っていなかった。
おそらくレディオスが何を言ったとしても、耳を貸すまい。むしろ頑なになってしまうような気がした。
それがわかっていたから、占い師については口を閉ざしたままでいた。
「おまえが生まれる前にこの方は、生まれてくるのが聡い男子であることを予言なさっていたのだ」
初めて占い師に引き合わされたとき、機嫌の良い様子で、父は言った。
馬鹿馬鹿しい。二分の一の確率ではないか。
皮肉にも予言の通り、「聡い男子」であったレディオスは、そう心の中でつぶやいた。
それからレディオスは占い師の言葉を注意深く聞くようになった。
そしていつも曖昧な言い方をしていることに気付いた。もし外れたとしても、逃げ道があるような言い方だ。
彼は占い師ではなかった。人の心を読むのに長けた者だったのだ。
望む言葉を与えれば、自ずと向上していく人もいる。そして願いが叶うこともある。
また、弱った心に癒しを与えることもある。
そういうことを考えれば、彼がまったくの悪という訳ではないように思われるが、レディオスには彼を好意的に見ることはできなかった。
それは、予感だったのかもしれない。
これから起こる、哀しい出来事の。
◇
定例となっていた、賓客を招いての狩りの日。王族や貴族が数多く王城に集まり、皆が浮かれた様子で言葉を交わしていた。
国王であるレディオスの父も、その中にいて皆と何ごとかを話し合っていた。軽い頭痛がしていたために狩りの参加を遠慮していたレディオスは、人々に挨拶だけをして回っていた。
そして、父が占い師の姿を見つけて歩み寄るのを見かけた。
レディオスも二人に近付く。なぜか嫌な予感がしたからだ。
そして父がこう言ったのを聞いた。
「実は今、迷っているのです」
「ほう、何でしょう」
「西のドレーフ山、東のセイル山、どちらが本日の狩りに相応しい場かと」
「ふむ」
占い師は考え込むと、したり顔をして言い切った。
「本日は陛下にとっては東が吉と出ております。そちらに行かれたほうが、より陛下のお力を発揮することができるでしょう」
「なるほど、東ですな」
父は、満足げに何度もうなずいた。そして進言された通り、東に向かっていったのだ。それが、間違いだとも気付かずに。
どうしてあのとき、止めなかったのだろう。
それを思うと、今でも後悔の念に苛まれる。
けれど、東であれ西であれ、さして違いはないように思われた。占い師の言葉に意見を挟むことなどないと感じられたのだ。
だが、それが過ちだと気付いたのは、ほんの数刻の後だ。
従者の一人が早馬に乗って、慌てふためいて城内に飛び込んで来た。
「崖崩れが……!」
彼は、それだけ言った。なにか大変なことが起きたことはわかった。城内に残っていたジャンティがすぐさま隊を編成して、救助に向かわせた。
しかしレディオスにはただ、城に残って祈るしかできなかった。ジャンティは現場に向かったが、強引に城を出ようとするレディオスを引き止め、連れていってはくれなかったのだ。
日が暮れるころ、城門の女神像の下をくぐって城に帰ってきたのは、屍となった父であった。
他の王族や貴族の中にも巻き込まれた者がいた。
けれど国王の崩御を前にして、声高に哀しみを叫ぶこともできず、ただ呆然としていた遺族の顔が印象的だった。
自分もそんな顔をしているのだろうか、と思った。そんな、生気も何もかも失われた、人形のような顔を。
遺体が並べられた広間は静寂に包まれていた。ときどき、誰かのすすり泣く声がしたが、どこか遠い世界の音のような気がした。
どこかの部屋から持ってこられた、父の寝かされているベッドの横に立つ。
清拭はされているようではあったが、傷だらけで、あちらこちらに乾いた血のあとがある。
目は閉じられてはいたが、安らかな死に顔、とはとても言えなかった。
しゃがみ込んでその顔を眺める。
そうしていても、父の死が現実のものとはどうしても思えなかった。涙の一筋も流れてこない。
これが本当に、エイゼン国王の死に様なのだろうか。
「陛下……?」
その声に顔を上げる。
母だった。ここのところ寝込むことが多かった母は、侍女に両脇を抱えられ、父の遺体の傍までやってきた。
「どうして……陛下……」
呆然とその死に顔を、ただ見下ろしている。
その瞳が、ふと、レディオスのほうに向けられた。
「殿下……、嘘……でしょう? わたくしを……謀って、いるのよね……?」
なにも答えられなくて、目を逸らす。
「嘘よ、嘘だわ、陛下が、こんな……!」
その叫ぶような声が、耳に痛い。
「妃殿下!」
母はそのまま気を失った。慌てたようにその場にいた侍女や侍従が一斉に駆け寄ってきた。
母が皆に抱えられて広間から運ばれていく。
その光景も、どうしても現実とは思えず、ただぼうっと眺めるばかりだった。
広間に静寂が戻る。
誰も彼もが呆然として、まるで時間が止まっているかのようだった。
「ああ、何ということでしょう!」
その静寂を打ち破ったのは、忌々しい、耳障りな声。
声の持ち主は、死者たちに恭しく祈りを捧げている。
レディオスはつかつかと足早に彼に歩み寄り、低い声で言った。
「どういうことだ、東が吉ではなかったか」
占い師は眉間に手をやり、数度首を横に振った。
「確かに、私はそう申しました。それは神からの啓示が私の目に映ったからです。けれど私は神の真の意図には気付けなかった」
「真の意図?」
眉根を寄せてそう言うと、占い師は深くうなずいて、言い放った。
「神は、自身の国に陛下を連れていかれたのです。もちろん、他の方々も同様です。今回亡くなられた方を、神は必要とされていた」
それを聞いた瞬間、レディオスは腰に佩いた長剣の柄に手を乗せた。
それに気付いた占い師が一瞬身じろぎしたのが目に入ったが、目の前に何者かが飛び込んできたため、すぐに見えなくなった。
「お静まりください、殿下」
低い声でそう言ったのは、ジャンティだった。
「……離せ」
レディオスが引き抜こうとする剣を、片手で押さえ込んでいる。しかも、すでに少しばかり刃が鞘から出ているのに、それも一緒にだ。
初老である彼のどこにこんな力があったのだろうと思わせるほど、強い力だった。
ジャンティの手の中から、血が一滴、ぽとりと床に流れ落ちた。
「誰も気付いておりません。今なら間に合います。その手を剣からお離しください」
ちらりとその辺りを盗み見ると、誰も彼も自身の家族の遺体に気を取られ、王子の乱心には気付いていないようだった。
「嫌だと言ったら?」
「嫌でも何でも、その手を離していただきます。陛下亡き今、次なる国王はあなたしかいないのです。こんなところで人を殺めさせる訳には参りません。それでは陛下に申し訳が立たないでしょう」
その囁くような低い声音を聞いて、自分の腕から力が抜けるのを感じた。その様子を見て、ジャンティも手を離した。
とん、と剣の鍔が鞘に当たって小さな音をたてる。
レディオスが顔を上げると、占い師は変わらずに突っ立っていた。彼の表情から怯えは感じられない。中々気丈な男であるらしい、と妙なところで感心した。
「追って沙汰は伝える。待機しておくよう」
やっとの思いでそれだけ言うと、大きく息をしてから、気持ちを落ち着かせる。占い師は深く頭を下げた。
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