3. 本物の予言者
部屋の扉がいきなり大きな音をたてて開き、レディオスは驚いて顔を上げた。
「……ジャンティさまはっ?」
戸口に立っているアリシアが、息せき切って、開口一番そう告げた。
王室にこんな風に入室するのはアイルくらいかと思っていたが、娘も同じらしい。
「来ていないが」
「嘘っ。ここにいるって聞いたのよ!」
どうも猫を被っている余裕はないらしい。王付きの侍女たちが慌ててあとから入室してきて、アリシアの肩を掴んだ。
「申し訳ありません、陛下。止める暇もなくて……さあ、アリシア。失礼ですよ」
先輩なのか、そう優しくたしなめると、アリシアの肩を入り口のほうへ軽く押した。
しかしアリシアはそれを無言で振り払った。
「まっ」
先輩侍女は少し眉をひそめたが、アリシアの顔を見て、表情を一変させる。
「……どうしたの」
彼女の顔は蒼白で、目が少し潤んで赤くなっていた。
いつもの彼女を知っているから、それがただならぬ様子であることは、わかるらしい。
「……ジャンティさまは?」
およそ彼女に似つかわしくない、か細い声だった。
「私は知らないわ」
「入れ違いだろう。ジャンティ付きの侍女に聞いてきたのだろう?」
レディオスがそう言うと、アリシアはなにも言わず、こくりとうなずいた。
「ああ、そなたはよい。ちょっと退がっていてくれ」
レディオスが王付きの侍女のほうにそう言うと、納得がいかないのか彼女は食い下がった。
「でも」
「いいから」
多少強い口調でそう言うと、渋々ながら、侍女は退室していった。ぱたん、という音とともに扉が閉じる。
「まあ、座れ」
アリシアはその指示に素直にうなずくと、来客用のソファに腰掛けた。膝の上で、ぎゅっと両手を握り締めている。
レディオスも、こんな彼女は見たことがなかった。とりあえず彼女の向かいに腰掛ける。
レディオスは彼女が苦手ではあったが、嫌いではなかった。ジャンティも、アイルも同様だ。
彼らはレディオスが王だからといって、媚びへつらうことはない。だから彼らにはつい弱くなってしまう。
彼らは保身することなく、レディオスのことを思って言葉を尽くしてくれる。
本当は、それが嬉しくて、そして大切だった。
「なにがあった?」
レディオスがそう訊いてもアリシアは首を横に振るばかりで、話にならない。
入れ違いになったと思われるジャンティが来ればわかるだろう、と頭の後ろで手を組んで、黙って待つことにした。
「……のよ」
ぼそりとアリシアがつぶやいた。
「なにか言ったか?」
なんと言葉を発したか聞き取れず、そう聞き返す。
アリシアはその声にぱっと顔を上げた。潤んでいた瞳から涙が一筋流れていて、レディオスは言葉をなくした。
「本物よ」
今度は、はっきりと聞こえた。
「本物? なにが」
そう聞き返したとき、扉がノックされた。どうぞ、と言うとジャンティが入室してくる。
「アリシアが来ているそうで」
外で他の侍女たちから聞いたのだろう。そう言って、アリシアに視線を落とした。
「どうしましたかな」
そう柔らかくジャンティが言うと、アリシアは弾かれたように席から立ち上がり、叫ぶように言った。
「あれは本物です! 本物の予言者です!」
「な……?」
レディオスが眉をひそめると、その様子を見ていたジャンティが軽く舌打ちした。
それを目ざとく見つけると、立ち上がり、腰に手を当てて言う。
「どういうことか、説明してもらおうか」
「いえ、陛下のお耳を汚すこともないでしょう」
もう表情は柔らかな笑顔に戻っている。
が、なにか隠し事をしているときに見せる笑顔なのがわかった。
「ジャンティ」
強い口調で言うと、ジャンティは諦めたように深くため息をついた。
「アリシアが少し錯乱しているようなので、落ち着くのを待っていただけますかな。私も、なにが起こったのか知りたい」
アリシアは俯いて、泣いていた。涙の粒が滑り落ち、床の絨毯に吸い込まれる。
ジャンティは優しく彼女の肩を抱き再びソファに座らせると、自身もその横に腰掛ける。そしてレディオスのほうに向き直ると、言った。
「実は、かの客人のことですが」
「ああ」
「あの方がこちらに来たとき、住んでいた村へ急使を出しましてな。実はさきほど、その者が帰ってきました」
だからアリシアと入れ違いになってしまったのだろう。
「それで」
「その者の報告によればですが。彼女の村での扱いは、エグリーズさまの仰っていることと相違ないと。皆が口を揃えて言うようです。『彼女は予言者だ』と。神と崇める者と、死神と罵る者がいますが、予言者であることを否定する者は、一人たりともおりません」
そこまで聞いて、レディオスは額に手を当てて、深くため息をついた。
「で、そなたはそれを信じるわけか?」
「いいえ、残念ながらそこにまでは至っておりません」
「それはよかった」
レディオスはそう吐き棄てるように言うと、俯いたままのアリシアに声を掛けた。
「ゆっくりでいいから、なにがあったか言ってくれないか」
アリシアは恐る恐る顔を上げると、指先で自分の頬に流れる涙を拭った。
「申し訳ありません。取り乱しました」
そう、はっきりと言った。
それからぽつりぽつりと、小鳥の件、今日の天気の件をかいつまんで語りだした。レディオスもジャンティも、そのゆっくりと紡がれる言葉を根気強く聞いた。
アリシアがすべてを語り終えたとき、レディオスはため息をついて言った。
「まあ、信じたくなる気持ちはわからないでもないが」
「あれが、嘘だと?」
アリシアが救いを求めるように身を乗り出した。
「嘘か妄想かは知らない。が、その二つに説明をつけることはできる。小鳥の件ならば、それが本当に野生の鳥であったかは誰も知る由もない。知っているとすれば、飼い主のみだ。次に天気の件だが、世の中には、空気の流れや雲の形で翌日の天候を知る者もいるからな。彼女がそうでないと誰が言えよう」
「だって、時間まで正確に……。それに彼女はこの城に来てからというもの、あの部屋から出たことはないんですよ?」
「もう立ち上がることはできるのだろう? 窓が開いていれば天気を読むことなど造作ないのではないか? 時間に関しては偶然がありえないこともない」
「そう……なのかしら」
釈然としないのか、アリシアが首を傾げてそう言った。
「もちろんそうとは限らない。けれど他にもいろいろ考えられるだろう。とにかく、理由をつけられないことはない、ということだ」
「そう、そうよね」
少しばかり明るい声音でそう言うと、アリシアは口元をほころばせた。
「申し訳ありません。お騒がせ致しました」
どこかふっきれたようにそう言った。
が、隣に座るジャンティはまだ表情を崩さない。
「なにか異論があるか、ジャンティ」
少し強い口調でそう言うと、ジャンティははっとしたようにレディオスのほうへ振り向くと、柔らかく微笑んだ。
「いいえ、あろうはずもありません」
なにか言いたげにしているのが察せられたが、ここでは……アリシアがいる前では言えないのだろう、と理解した。
「アリシア。とは言え、彼女が客人であることには変わりはない。今までと同じように丁重にもてなしてくれ」
そうレディオスが言うと、アリシアはきゅっと唇を引き結んで、そしてうなずいた。
ソファから立ち上がり一礼すると、アリシアは軽快な足取りで退室していった。
彼女が出て行ってから、レディオスは一つため息をつく。
「やれやれ、エグリーズの恩人でなければ、即刻追い出しているところだが」
「陛下、滅多なことを申されますな。彼女はエイゼン国民に相違ないのですから」
そう柔らかくたしなめる。その言葉にレディオスは軽く肩をすくめた。
「しかしアリシアほど気丈な娘が泣くなどと、驚いたな。珍しいものを見た」
「……まあ、そうですな」
どうも歯切れが悪い。いつものジャンティなら、それこそ「戯言を申されますな」「口が過ぎますぞ」などと言い出して、気が付けば説教が始まるところだが。
なにか、隠しているのだろう。
それが、わかった。しかし、彼は必ず最後には要領よくまとめて報告してくれる。
しゃべらないということは、今はまだ自分の耳に入れる時期ではないのだろう。彼は信頼に足る人物だ。
「まあいい。その内、すべてが明らかになる」
レディオスがそう言うと、ジャンティは頭を下げ、そして退室していった。
◇
王室を出て周りに誰もいないことを確認すると、ジャンティはほっと息を吐き出した。
よかった。そう思った。
アリシアは取り乱しながらも、これだけは口にしてはいけないのだと理解していたのだろう。頭の切れる娘だ。感覚的にそれを判断したのだろう。
そんな娘とはいえ、やはりリュシイの予言は衝撃的だったのかもしれない。あんなに我を忘れることがあろうとは思わなかった。
もしアリシアが地震のことを一言でも漏らしていたら。レディオスが激昂するのは間違いない。
まだ、彼は癒されていない。あの、忌まわしい事件から。
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