第23話 憤怒の金曜日
ロールプレイングゲーム、いわゆるRPGと呼ばれる類のゲームはある程度村の住人に話しかけたり王様に話しかけたり、屍に話しかけていたたまれない気持ちになったり、犬に話しかけて「ワンワン!」と無駄に吠えられたりしていれば自ずと物語は展開していく。そう考えるとあれだな、RPGの主人公ってめちゃくちゃコミュニケーション能力高いな、とても真似できる所業ではない。いや、真似なんてしないし魔王が存在しようが世界が滅ぼうが知ったことではないのだが。
現実はそうはいかない。誰かに話しかけるだけで物語が展開されていくようなそんな簡単な話ではないのだ。ではどうやって進めたらいいというのだ.詰んでいるではないか。しかし、過去に聞いたことがある。人生はゲームみたいなものだと。主人公のステータスを上げるように自分にスキルを身につけたり交友関係を広げていくと自然と良いエピソードが展開されていくと。確かにそう考えると客観的に人生を捉えることができるし、俯瞰して自分という人間を見ている私のような特異な人間にはそのような考え方の方が合っているのかもしれない。しかし今この状況は自分にはどうすることもできない。ゲームにおける話すべきキーパーソンに出会えない状況ではいつまで経ってもゲームは次の展開には進まない。
「はあ〜」と息を吐く、白い息を。白い息を見るとどうしても彼女を思い出してしまう。あんな些細で、なんてことない思い出なのに、数年後には綺麗さっぱり忘れてしまうかもしれない刹那的な一描写なのに、どうしてこんなにも切なく、私の頭に刻み込まれているのだろうか。考えれば考えるほど、彼女のことが好きなのだと思わされる。一度好きだと気づいてしまったらそれ以外考えられない。ただ好きなんだ、ただ会いたいんだ。こんなに素直でわかりやすい感情が湧き上がってくるなんて思わなかった。だからこそ苦しい。そう考えるとあれだな、遠距離恋愛しているカップルというものは尊敬に値する。好きだという気持ちを持ち合わせながらも離れて生活しなくてはならない。よくそれで普通に生活できるものだ。いや、きっとしたくてしているわけではないのだろう。それぞれの譲れない思いがあって、それでも一緒にいるために選択したのだろう。だから、きっと平気ではないのだろう。私はきっとまだ子供なのだ、恋愛の「れ」の字も知らない甘ちゃんなのだ。やっと誰かのことを好きだと思えたくらいだ。でもきっとそれでいい。こうやって人として大切な感情を徐々に知っていくことで大人になっていくのだろう。そもそも私は大人になりたいわけではない。大人と子供の明確な違いもわからない。いや、そんなものはないのかもしれない。きっと大人になっても子供らしさは失わない方がいい、想像力が乏しくなってしまうから。はて、私はどんな大人になるのだろう。そして彼女はどんな大人になるのだろう。知らねぇよ、と言わんばかりに信号が変わる。この件、久しぶりだな。
いつものように古ぼけた駅に向かう。こんにちは駅員さん。相変わらずこの駅員さんには癒される。今の1番の心の支えはこの駅員さんかもしれない。いつものように言われる筋合いのない「ありがとう」を言われると思ったら予想外の言葉を私に注いでくれた。
「今日は来てるよ、彼女」
「・・・え?」
駅員さんから彼女のことを言われるとは思わなかった。そうか、何もおかしいことではない。ずっとここに立っていれば私と彼女が例の場所で話していることくらい見たことがあるはずだ。それも何度も。そして一昨日から彼女の姿がないことをこの人は知っていたのだ。もしかしたら、それで私が落ち込んでいたことも。堪えていないと涙が出そうだった。いつもより深く頭を下げて涙をおさえ、焦る気持ちを押し殺して階段へ向かった。階段に向かいながら向かいのホームにいる彼女を一瞥する。何も変わらず、いつものようにフェンスに体を預けている。階段を上がりながらなんとなく思っていた。自分の気持ちを素直に伝えてみようなどと。少し気恥ずかしかったので平静を装っていつもの足取りで彼女の元へ向かった。
「やあ」
「どうも」
なんだろう。彼女を直視することができない。今までは平気だったというのに、なんなのだろうこのむず痒さは。いや、そんなことはもうわかっている。自分の彼女に対する気持ちがそうさせているのだ。
「元気ですか?」
「えぇ、元気よ、あんたは?」
「変わらないですよ、私は」
心の中はいろいろ変わった。もうぐちゃぐちゃだ。でも、失いたくない、大切な気持ちなのだと、純粋にそう思える。
「そう」
「はい・・・」
どことなく、彼女も気まずそうにしていた。似合わない、彼女にそんな表情は似合わない。屈託なく笑ってほしい。そう思った私の体は勝手に動いていた。
「な、何?」
「わかりません、ただ、こうしたくなって。なんだか、落ち着いてなかったから。少しでも落ち着くかと思いまして」
気づけば私は彼女の手を握っていた。いや、手なんて握れていない。右手の小指と薬指を辛うじて掴んでいるにすぎない。中途半端な励ましだ。
「そっか、落ち着いてなかったか、私」
「はい・・・」
「ごめんね」
「謝る必要なんてないです。そういうことは誰にでもあります。それに自分は・・・」
「ん?どうしたの?」
「い、いえ、その、別に」
「何それ、あんたも変じゃん」
「そう、かもしれませんね」
気持ちを伝えるということはこんなにも勇気がいるのか。本人を目の前にすると何も言葉が出てこない。これなら知らない人に話しかける方が100倍楽だ。知っている人に伝えたいことになればなるほど伝えにくいなんて、理不尽だ、不条理だ。
「少しだけ、怒ってました」
気付いたら掴んでいたぎこちない手を離し、しっかりと彼女を見ることができていた。
「え?」
「自分には何も話してくれないのかと、自分のことを見てくれてはいないのかと、そんなことばかり考えていました。でも、それは私の自分勝手な考えであり、あなたがどう思っていようとそこに私が無理やり入り込んでいい理由なんてなかったです。でも、それでもいいんだって気づきました。」
「なんで?」
「なんで、ですか、言葉にはしづらいですけど、きっとそういうものなんだと思います。仲がいいとか、友情とか、よくわかりませんが、そういう言葉にできないところにもきっと確かな関係は介在していて、それを無理やり探したり、求めたりするのは無粋なんだと、思ったんです」
「そっか、何があったか知らないけど、少し、変わったね、あんた」
「そんなことないですよ、ただ・・・」
「ただ?」
「そばにいたいだけなんですよ、きっと」
「私の?」
「そうです、あなたの、そばに」
「そっか・・・そばに、か」
それ以上彼女と言葉は交わさなかった。かわす必要はなかった。お互いが意識してそうしているというよりはお互いに何かがわかったような、そんな柔和な雰囲気が流れていた。結局彼女が悲しい表情をしていたことはわかっていないし、私の気持ちも伝えられていないが、今はそれでいいと思った。1つだけ確かなことは私の彼女に対する思いだ。それだけは確かにここにある。そしてもう1つ確かなことがある。ん?1つではないじゃないか、まあいい。私は彼女に対して憤りを覚えてしまった。それは決して良くないことだ、怒りは冷静さを欠き、正常なコミュニケーションの妨げになってしまう、罪だ。しかし誰かに怒ることができるということはそれだけその人のことを考えているという裏付けなのではないかと、そう思う。興味がなければ怒ることすらできない。それは、きっと悲しい関係だ。私は罪を負ってでも彼女に怒ることを望んでいたのかもしれない。
その日、彼女が戻ってきた。そして、大切な感情を確かめることができた。
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