第3話 知らない感情
自転車から降り、カシャッという耳ごごちのいい音を聞き、以下省略。今日も今日とてあの半無人駅へと向かう。しかし今日の足取りは今までのそれとは少しばかり違っていた。原因は明白である。あのイケスカない女生徒がいるかもしれないという期待とも不安とも言い難いモヤモヤした未来予想図を私の脳細胞が展開せずにはいられないからだ。果たして、彼女は本当にいるのだろうか。時刻は昨日と全く同じ、今行けば昨日と同じくらいの時間にあの階段の下に着き、昨日と同程度の時間電車を待つことになるだろう。これでもし彼女がいなければ私はどう思うのだろうか。私の興味は今日のお弁当に入っていた海苔の形が隣の席の沢口の眉毛に酷似していたことでも5限の物理の時間に教科担当の太田が黒板の下部に出っ張っている黒板消しとチョークを置くためだけに存在しているあの可哀想な縁に思いっきり下から振り上げた手をぶち当てて1人で悶絶している姿を見てどうしてそうなったんだろうと10分くらい気になって授業に集中できなかった自分という存在でもなく、今日あの場所に彼女がこなかったときに私はどのような感情になるのか、ただそれだけに尽きるのであった。しかし、先述した2つの項目のうちの後者は割と気になっている。なぜあの程度のことで私はあれほどまでに時間を浪費して熟考してしまったのだろうか。太田の手は大事には至らなかったようだが行動がいささか不可解だったのは間違いない。はて、私は何を考えていたのだったか。思い出させるかのように信号が青に変わったのを確認して、私は再び歩き出す。今日の駅は半、ではなく完全に無人駅のようだ。2日に1回駅員がいなくなる駅ってどうなのだろう。無くなったりしないことを切に願いながら改札を通った。言い忘れていたが、例の階段の下は改札を出て45度ほど左方向を向けば全貌がみえる。そのため、私の今日1番の興味を確かめることができないことに早々に気付いてしまった。彼女は昨日と同じ制服を着て気怠そうに穴あきフェンスに体を預け、左足の膝を少し曲げ、重心を右足に置きながら、しっかりとそこに佇んでいた。こんなことを言ったらぶん殴られるかもしれないが遠くから見ると彼女はどこかのモデルのように美しく見えた。決して近くから見たら残念な容姿をしていると言いたいわけではない、断じてない。彼女の姿を確認しながら歩いていると彼女もこちらに気付いたようだ。あっと声を発したのが向かいのホームからでもわかる。そのまま私は連絡橋へと続く階段を上り始めた。その刹那、彼女が手をあげていたような気がした。いや、さすがに見間違いだろう。昨日会ったばかりの人間に、しかも向かいのホームにいる人間に手を振る人間なんて、きょうびガラケーを持っている人くらい珍しい。いや待てよ、うちの祖父母はどちらもガラケーを使っていたし、近所に住んでるOLの中野さんはボタンをぽちぽちする感触が好きだからとかいう奇怪な理由で未だにガラケーユーザーだったことを思い出してしまった。となると向かいのホームに手を振る人間はそれほど少なくはないのか、まあいい。そんなことは今の私の興味からしたら些細なことだ。今の私の1番の興味は・・・興味は・・・そう言えば、先ほど今日1の興味を確認することができなくなってしまったから私の今1番の興味は何になってしまったのだろうか。別に常に何かに興味を向けていなければいけない縛りを自分に課しているわけではないのだが、太田の行動に改めて興味を向けるのはなんだか釈だった。結局行方不明になってしまった私の好奇心は一旦置いといて階段を降りることにした。さあ、今日も不慣れな他生物交流が始まります。
階段の下に着くやいなや彼女に詰問されてしまった。
「なんで、手を振り返してくれなかったの?ねえ!なんで?!」
「え、えっと〜、その前に1つ聞いてもいいですか?」
「何よ」
「携帯って・・・ガラケーですか?」
「え?何言ってんの?スマホだけど」
「何、新しい連絡先の聞き方?新しいのか古いのか、もはやわかんないわね、それじゃあ」
そう言ってスマートフォンをほれほれと言わんばかりに見せてくる彼女。なんということだ、私より断然最新機種をお持ちのようで、お見それしました。それはそうと若干チャラい男認定された上に覚えのない難癖をつけられているのは解せない。
「そ、そうですか」
「それで!なんで振り返してくれなかったの?!」
それってそんなに大事ですか、と思わず言いたくなってしまったがぐっと堪えて口を開く。
「あ、あのですね、階段を登ろうとしたところだったので見逃してしまいまして、すみません」
「そ、ならしょうがないか、いいわ、許してあげる」
昨日もそうだったがこの人は沸点と氷点が極端である、怒っているのかと思えばすぐに冷静になってしまう。嘘をついているようには見えないが、実際はどこまでが本当の彼女の感情なのかわからない。非常に調子が狂う。
「そ、そう言えば、昨日も制服着てましたけど、この辺の高校って言ったら自分が通っているとこくらいしかないですけど、もしかしてうちの高校に転校してきたりします?」
「何言ってんのよ、もうしてるわよ、今日も普通に授業受けてきたわ」
わからないことが2つある。なぜ、さも当然のことのように話すのだろうか、お忘れかもしれないが私とあなたは昨日初めて出会ったんですよ、しかもあなたは一昨日、つまり今日から数えると3日前に引っ越してきたことになる。それであなたがそんなに電撃転校しているなんて思えなくても不思議ではない、はずなのだが。そしてもう1つ、他校の制服を着ているから嫌でも目立つはずなのに今日学校で1度も彼女を見なかった。学年が違うのだろうか、そう言えば彼女が何年生なのか私はまだ確認していなかった。
「そうなんですか、全然気づきませんでした、言い忘れてましたが自分は2年生なので、学年が違うってことですか」
「あら、奇遇ね、私も2年よ」
前から思っていたのだが奇遇という言葉は不思議だ。そもそも「奇」という漢字は字面的に大きな可能性、的な意味があるように勝手に思っているのだが、それなのに奇妙だとか、怪奇だとか、あまりポジティブな意味の熟語で使われないのは可哀想ではないか。いや、そんなことは今はどうでもいい。同じ学年ならなぜ1度も会わなかったのだろう。我が校の2学年は全部で5クラスである。私が所属している1組は5クラスの中で一番最初に辿り着くことができる。2年生のフロアは片側一方通行だ。よって他のクラスの連中は必ず我が1組教室の前を通らなければならない。つまり1番人通りが多い廊下なのだ。さらに私の席は廊下側の1番後ろに位置している。教室の外を通る人間には基本的に目がいく。しかしまあ、常に見ているわけではないため、偶然私が見ていないときに彼女が通っているのだとしたらそれまでなのだが。
「気づかないのも無理ないかもねえ、私今日は基本的に屋上にいたから」
「お、屋上、ですか?え、ずっと?」
同学年と知って思わずタメ口になってしまったが8割は驚いたことによる。うちの高校の屋上は珍しく開放されているが実際行ってみると高いだけで大していい景色でもないし、今の季節は肌寒いため寄り付く人はいなかった。ちょっと待てよ、さっきこの人普通に授業受けてたって言わなかったですか・・・。
「そ、ずっと、と言っても登校したのは昼からなんだけどね。まだ慣れてないだろうから今週は好きな時間に登校していいって言われたの。」
「そうですか・・・」
「本当はね、来週からいく予定だったんだけど、家にいてもつまらないし、やることないから学校にいこって思ったんだ。だからまだ制服も来てないの」
なるほど、いろいろ合点がいくところが見えてきた。しかしなんだろう、この不思議な感覚は。ひとつずつ紐解いていくにつれてどんどん次の疑問が湧いてくるようだ。今までこんな感情を抱いたことがあっただろうか。彼女と話していると自分が知らない私の感情を知ることができる気がする。それはなんていうか、少しだけ、ワクワクする。そのワクワクをかき消すように電車の到着メロディがホームを包んだ。
「あ、電車がくるわ、今日はここまでね」
「そうですね」
「今日は金曜日だから、次会うのは月曜日かな」
「ですね、学校でも会えたら話しかけてくださいね」
「ん〜、どうしよっかなぁ、気が向いたらね」
「はい、それでもいいです、お願いします」
1つだけ気がかりなことがある。あれだけ好きだった電車のことを嫌いにならなければいいのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます