第2話 あんたとあなた

「何あんた、こっちジロジロみて、告訴するわよ」

 なんということだ、確かに予想外のことに呆気にとられてぼーっと見てしまったことは謝罪するに値する可能性はあるかもしれない、しかしそれだけで

告訴をされる覚えはない。その程度のことで告訴されていては収容される人間の方が多くなってしまうではないか、いや、敗訴する前提で話してはいけない。そもそも法廷に立つつもりもない。

「あ、あぁ、すみません、特に意味はないのですが、いつもこの時間は自分が1番にこの場所に来てたので、驚いてしまいました」

「あぁ、そう、それはこちらも失礼したわね」

 なんだ、案外すんなり許してくれるじゃないか、なのに先刻程度のことで告訴までしようとしたのか、わからない、なんなんだ、この人は、そもそもなんで初対面なのにタメ口なんだ、こういう人間が一定数いるのは知っていたが実際に目の当たりにするとなるほどいい気はしないものだ。見たところ私と対して歳も変わらないし制服を着ていることから同じく高校生であることが窺えるが、うちの制服ではないことからしてどこか他校の生徒なのだろう。はて、この辺りに私が通っている高校以外にあったかな。まあいい、それでなくても本来初対面の人間には自然と敬語並びに丁寧語が口から出てくるものではないのか。

「ねえ、あんた、この辺の高校に通ってる人?」

「は、はい、そうですが」

「そう、ちょうどよかったわ、私一昨日こっちに引っ越してきたの、なんでもいいからこの辺のことを教えてもらえる?」

 なるほど納得した。引っ越してきたから制服が違うのか、今日は転校の手続きにでも行ってきたのか、差し詰めそんなところだろう。ところでどうしたものか、この辺のことについて教えろと言われても、この街にはこれといって自慢できるものなんてない、というより私には興味がないことだから知らないだけなのだが。日本好きな外国人の方が日本の魅力を知っているようにこの街のことも住んでいる人間のことより別の街から来た人の方が知っているのではないだろうか。

「見たところ何もない街だからさぁ、つまんなくて、住人なら何か知ってるんじゃない?」

 前言撤回しよう、この人に関してはどこにいたとしても関係ないようだ。そうか、日本好きな外国人ってさっき自分で言ったじゃないか、この人は別に好きでここに来たわけじゃないのか、だから知らなくて当然である。勝手に前言撤回のソースにしてごめんなさい。

「この辺ですか、そうですね、特に何もないですよ」

「そう、住んでる人でもそう言えるってことは相当つまんない街ね」

「あなたが住んでいた街は面白かったんですか?」

「んー、そうでもない、ここよりほんのちょっと栄えていたくらいかな、でも駅の前に狸の像があって大体みんなそこを集合場所にしていたわ」

 なんだそのどこぞのハチ公的存在は、きっとその狸はポン吉とでも言われていて放課後ポン吉前集合な、などという会話が日常茶飯的に行われていたのだろう。

「そう言えばあんた、帰るの早くない?部活動とかしてないの?」

「はい、帰宅部なものですから」

「へえ、帰宅部って本当にいるんだ、私が前いた高校は必ず何かしらの部活動に入らないといけなかったから、新鮮だわ」

 なるほど、確かにこの人はすらっとしていて身長も女性ながらにして私と大して変わらない。決して私が低いわけではないと思いたい。何かしらのスポーツを得意としていてもおかしくないようなみてくれだ。

「何かスポーツしてたんですか?」

「うん、バスケ、知ってる?バスケ」

 これは馬鹿にされているのだろうか、いくら私でもバスケくらい知っている、というか帰宅部ではあるが運動が苦手とは言っていない。体を動かすことはむしろ好ましく思っている。部活動という定められた規則の中で顧問という部活内の最高権力者の監視のもと集団行動の模倣をすることが苦手なだけだ。

「知ってます」

「私バスケしかしてこなかったからさぁ、私も馬鹿なんだよね」

これまた馬鹿にされたのだろうか、今私も、とこの人は言ったように聞こえた。「も」ということはそれはすなわちこの人以外の誰かも内包しているということである。そしてこの場にはこの人と私だけ、すなわち「も」=あんたも馬鹿よね、という方程式が成立してしまうことになる。もはや方程式ですらないのだが。こんなに解いた後に切なくなった問題は初めてだ。新しい感情を教えてくれてありがとう、名前も知らない人よ。いや、もしかしたら聞き間違いかもしれない、それとなく確認してみることにしよう。

「そうなんですか、自分も賢い方ではないですね」

「うん、そうだと思った」

 今一瞬私の頭の中でこの人の延髄あたりに蹴りをお見舞いしたい衝動が湧き上がるのを感じた。が、思いとどまるに至った。

「ねえあんた、明日もこの時間にここにくる?」

「え、はあ、まあくると思いますけど」

「そう、じゃあ、また明日話しましょ」

 なんなんだ、この人は、この数分間の間に私と話すことに何かしらのメリットを見出したというのか。もしかして、何かに利用されそうになっているのか、私は身の危険を感じながらも不思議な感覚に囚われていた。久しぶりに知らない人と話したからだろうか。微かに不思議だと思っただけだから、決して勘違いしないでほしい。誰にだよと言わんばかりに電車の到着を知らせるメロディにホームが一瞬で埋没した。いつもは私をどこかに連れて行ってくれそうな電車が来ることを待ち遠しく思っていたのにその日は、少しだけ、ほんの少しだけ来て欲しくなかったと思ってしまった。

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