第28話 色欲の金曜日

 金曜日という響きは好きだった。もともと「金」という文字には良いイメージがあった。金といえば1位だったり、宝石に使われる文字だったり、シンプルにお金を連想することもできるし、「金」は好きだ。さらに金曜日は多くの人にとって最後の踏ん張りどころで、乗り越えれば幸せな時間を確保することができる。もちろんその時間は永遠ではないが、少しの幸せを感じることができることがどれだけありがたいことかを知るためにも永遠なんてない方がいい。金曜日の帰り道、激動の1週間を乗り越え、その日の夜と明日からの休日をどのように過ごすか、ということを考えるあの時間はまさに至高のひと時に違いない。ことわたしに関してはさほど有意義な時間は送っていないが、それでも心は休まる。体は正直疲れない。疲れるのはいつだって心だ。しかし、心の疲労感は体にも影響する。心身ともに健全であるべきことは間違いない。何が言いたいかというと、金曜日のことが好きだった、ということに尽きる。そう、好きだったのだ。最近、特にこの2週間ほどは金曜日を手放しで喜べなくなっている。変わらず休みと言うものは嬉しいが、自分が1番求めている時間から一時的にでも離れてしまうと言うのは少し、いや、大きくわたしに影響している。だが、それでいいのかもしれない。それこそ、少しの時間に幸せを感じる生き方をしていれば、きっとその毎日はわたしに大切なことを常に思い続けさせてくれる。当たり前だと思うことは我々の感情を少し穏やかにさせるが、同時に油断、飽き、といった重要なことを欠く要因になりかねない。逆に月曜日のことは少し好きになった。もうなんて言うか、あの時間があればなんでもいい気がしてきた。何があってもあの時間があると思えれば、大抵このことはどうでも良くなる。人間なんて単純な生き物だ。何か一つでも、自分が好きな時間、好きな場所、好きな人が見つかればそれだけで見違えたように生きることができる。しかしそれを見つけることが難しいことも間違いないのだ。わたしはこの歳で見つけることができたのは運が良かったのかもしれない。しかし、きっと、この時間さえも永遠には続かない。それは、それだけは分かっていた。それでも私は今を生き、今感じたままに振る舞い、心の向くままにあの場所へ向かうのだと思う。

「もう、金曜日なんだね」

「そうですね」

「早いね、1週間って」

「ですね」

「こうやって時間が過ぎ去っていくのは、嫌い?好き?」

 どうしてそんなことを聞いてくるのか一瞬考えそうになったが先に言葉が出てしまった。

「好きですよ」

「なんで?」

「時間が過ぎ去っていくから、わかることがあるからです。自分たちはいつか死にます。死に向かって生きています。それは揺るぎない事実です。ですが、そこに向かって時間が進むからこそ、日々を生きることができるんです。今日は何をしよう、どこに行こう、誰に会おう、そうやってその日その日を大切に生きることができるんです。それは、時間が過ぎ去っていくから。自分たちがどう生きようと、時間は進んでるんです。不老不死になりたがっている人や、そういう能力持つ人間がどこかの漫画に出てきますが、気の毒ですよ。終わりが見えないことは辛いことです。終わることで始まることもあります。そうやって巡っていくんです、きっと」

「そう、でもそれは人生真っ当に生きて謳歌できた人なら、っていう話でしょ?確かに私たちはいつか死ぬ。けれど、そのタイミングは選べないのよ。まだ行きたいって思いながら死んでいく人の方が多い、もしくはそんなことを思う暇もなく亡くなっていく人もきっといる。それなら死なない方がいいって思う人がいても不思議じゃないわよね」

 なんていうか、いつもの彼女とは違う。今までいろんな彼女を見てきたが、また新しい彼女が現れた。全く、難儀な人だ。いったい私はどの彼女に惹かれているんだか。

「えぇ、そうですね。確かに、いつ死ぬかわからない、でもだからこそ、毎日必死に、でも気楽に、ありのまま生きることが大切なんじゃないですか。それを感じることができるのは時間が残酷にも過ぎていくからだと思います。それはきっと、自然の摂理が与えてくれた我々への教訓ですよ。教訓なんて言い方すると、堅苦しいですけど、きっとそんなものです」

「そう、じゃあこの時間を大切にしないとね」

「もちろんです」

「じゃあ、今日の私の変化はわかる?」

「う〜ん、そうですねぇ」

 彼女の姿を観察してみる。難易度を上げてくると言っていたから、きっとそんな簡単ではないのだろうと予想はしていたが、なるほど全くわからない。髪型、服装、装飾品、何も変わらないではないか。一応スカートも一瞥してみるがおそらく違う。

「そんなにスカートが見たいの?実は変態なの?」

「ち、違いますよ!今たまたま視線を移してしまっただけです」

「そ、まあいいわ、変態でもなんでも」

「だから違いますって・・・」

 それにしても本当にわからない。一体なんなのだ。実は変えてませんでした〜っていうオチなんじゃないかとすら思ってしまう。

「本当に変わってますか?」

「うん、変わった」

 いつものようにはっきりと私をその瞳に据えて意思のある声でそう言った。うん、彼女がそういうのだ、間違いなく変わっているのだろう。しかしそう思ったところで何もわからない。そう言えば、「わからない」と「かわらない」は似ている。「わ」と「か」を入れ替えているだけではないか。いやいや、そんなことはどうでもいい。だめだ、わからない。これ以上考えるのはよそう。わからなくても命までは取るまい。

「すみません、わかりません、降参です」

「全く、しょうがないなあ、教えてあげるよ、どこが変わったのか」

「・・・どこですか?」

「気持ち」

「・・・え?気持ち、ですか?」

「そうよ、ほら、ちゃんと変わってたでしょ」

 一回ぶん殴って・・・いやデコピンくらいしても文句は言われないのではないだろうか。さっきの熟考していた時間を返してほしい。

「どう変わったんですか?」

「あんたに対する気持ちよ」

 私に対する気持ち?先ほどの時間が過ぎる云々の話で嫌われてしまったのだろうか。もしそうなら悲しい話だが、私は思ったことを言っただけだ、それで嫌われてしまうなら致し方ないだろう。

「そう、ですか」

「うん、変わった、というより、再確認した、の方が正しいかな」

「それは、教えてはもらえないんですか?」

「ん〜、教えてもいいけど、あんた変態じゃん?ちょっとねえ」

「だから変態じゃない・・・っていうか変態でもいいですよもう、なんか特別感あるし、よく考えたらそんな強くも否定できなですし」

「変なところポジティブねえ」

「えぇ、そうなんですよ」

「でも、まだ教えてあげない」

 まだ、ということはいつか教えてくれるということだろうか。彼女への気持ちははっきりしたが彼女のことはいまだにわからないことだらけだ。先週どうしていなくなったのか、私に対する気持ちとはなんなのか、挙げたらキリがない。しかしそういうものなのだろう。なんでも知っているから仲がいいだとか、そういうものではきっとない。知らないことが多いけど、知りたいから、その人に少しでも近づきたいからきっと好きになるのだろう。だから、私は彼女のことが知りたい。素直にそう思う。

「じゃあ、その時がきたら教えてくださいね」

「うん、分かった」

 どれだけ親しくなったとしてもその人の中身、感情までは計り知れない。本人に聞いてみたところでそれが本心かどうかだって確かめようがない。本当に理解し合う、わかり合うなんてことは不可能なのかもしれない。しかし、そうやって手探りでもなんでもぶつかったり曲がったりしてお互いのことを知って生きていくのが人間なのだろう。見た目に囚われていては何も変わらないのだ。外見や外面を見て、色眼鏡で誰かを測っては元も子もない。私に関してはスカートまでも見てしまったのだ。成り行きはどうであれ不貞極まりないと言われても仕方ない。色欲は大罪だ。しかし彼女に関しては感情を、考えを知りたいのは言うまでもないがその容姿までもを、好いてしまっているのだから、タチが悪い。これで罪だと言われるなら仕方ない、大人しくお縄につこう。だがそんなことは気にならないくらい、真っ直ぐに、彼女に対する気持ちには嘘をつかずに向き合いたいのだ。ただそれだけなのだ。

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