第32話 嫉妬の木曜日

 いつもの帰り道。帰りのHRが終わった瞬間に掃除のために机を教室の後ろに追いやり、誰よりも早く教室を出た。その足で誰よりも早く駐輪場に向かって鍵を開錠し、自転車にまたがる。さあ風に乗ろうとペダルに足をかけた瞬間、後ろから声がした。驚いたことにそこには小柳が立っていた。そしてその瞬間、いつもの帰り道ではなくなった。

「なんだよ、お前相変わらず帰るの早いな」

「あ、ああ、そう、だね。小柳・・・君こそ、部活は?」

「今日はパス、ちと野暮用があってな」

 私は知っている、小柳は野暮用ごときで部活をパスするような男ではない。きっと実際には野暮用ではないのだろうが、そんなことをいちいち追求するのは無粋極まりない。触れないでおこう。

「そ、そっか」

「ちょうどいいや、駅の方まで付き合えよ、お前、駅まで行くんだろ」

「あ、あぁ、いいよ」

 いいよとは言ったが、これはまずい。知らない間柄ではないがほとんど知らないに等しい奴と一緒に帰るなんて、そんなことがあっていいのだろうか。しかも第一次掃除大戦の時に小柳とはいろいろ・・・いや待てよ、私の中で勝手にあれこれ考えていただけで実際に小柳と何か揉めたわけではなかったか。むしろ最後はいい印象で終戦した気がする。しかしそもそも人と話さない私には高難易度であることに変わりはない。とはいえここで先に帰るなんてことはこの時の私にはもうできるはずもなく、ペダルから足を外し、自転車を降り、押しながら歩くことにした。

 

 押しているからだろうか、いつもより自転車の車輪がカラカラと回る音がよく聞こえる。いや違うな、この微妙な空気感に耐えられなくなって意識が普段気にも留めない自転車の車輪の音に向かっているのだ。あれから3分ほど隣で歩いているが会話はほぼない。逆に小柳はこの空気をなんとも思わないのだろうか。

「あ、あのさ」

「ん?なんだよ」

「いや、その」

 まずいな、絵に描いたような模範的な見切り発車をしてしまった。ん?見切り発車なんて褒め言葉でもないのに模範もクソもないのではないか?反面的な?いやいや、そんなことは今はどうでもいい。咄嗟に言葉が口から出てきてしまったが、何も喋ることがない。

「なんだよ、気持ち悪いな」

 この状況で何も思わない貴様の方が気持ち悪い。

「いや〜、誰かと帰ることなんてあまりないからさ」

「そっか、まあ、お前いつも1人でいるもんな」

「そ、そうなんだよ、誰も自分と一緒にいる人なんていなくてさ〜、まあ面白くもなんともないからさ、きっと」

 ん〜、これもまずいな。話す内容がなくて自虐に逃げる奴はもう救いようがない認定されるのではないだろうか。まあでも考えてみれば、私が小柳にどのように思われていようが何も問題はないか。

「いいんじゃねえの?別に」

「え?」

「無理に誰かと一緒にいる必要なんてないだろ。大して中身のない会話しかしてないのに仲の良い友達装っていつもつるんでる、そんな関係の方が不自然だろ。別にお前は誰かにハブられたわけでもいじめられているわけでもないんだろ?自ら1人になって、それが心地いいなら、それで良いんじゃね?」

 掃除大戦の時もそうだったが、小柳は私が思っている以上に人間味のある人間だ。ただ、大して仲良くないのにいきなりお前呼びはやめていただきたい。

「そんなことない、確かに1人でいるのは嫌いじゃないけど、誰かと話せるもんなら話してみたいとは、思う。数少ない、話せる人がいるんだけど、その人は自分とは正反対の人間で、誰とでも分け隔てなく話せて、いつも等身大でその人のまま話せてて、真っ直ぐなんだ。」

「ふ〜ん、それで、その人に憧れていると?」

「まあ、そうなるのかな」

「その人のようになりたいと?」

「そ、そうだね。できれば」

「そっか」

 なんだ、そんなの無理に決まってんじゃん、と苦言を呈してくると思ったが、すんなり受け止めてくれるんだな。彼女もそうだが、人と話していると、いつも私の予想を裏切られる。私の人を見る目は腐っているのかもしれない。

「じゃあ、俺の家、ここだから」

「え?駅に向かうんじゃ?」

「それは家が駅の方面にあるってだけで、俺の目的地は別に駅じゃない。お前が駅に向かうことは自転車見ればわかるから、途中までってことで誘ったんだよ。俺は駅に行くなんて言ってねえよ、最初から」

 我が校へ向かう自転車には自転車通学可能であることを証明する学校指定のステッカーともう1種類ステッカーが貼られている。それは駅前の駐輪場のステッカーだ。駅前の駐輪場を使う生徒は基本的には電車通学で駅を利用している生徒だから、自転車を見ればわかると言うのはそういうことだろう。

「そっか、ここに住んでたんだ」

「そういうこと、じゃな」

「あぁ、うん」

「あ、そうそう、お前が誰かに憧れたりなりたいものがあってそれを目指すのは自由だけど、俺は今のお前、嫌いじゃねえよ」

「え・・・」

 そう言って小柳はベージュ色のおしゃれな一軒家に入っていった。勝手なイメージだが小柳には合わない。それも私の目測が間違っているのだろう。ところで、さっきのはどう言う意味だろう。彼女にも似たようなことを言われたような気が・・・。


 駐輪場に自転車を置き、いつもの帰路に着く。さっきの小柳の言葉が頭から離れない。一体なんだと言うのだ。私に何があると言うのだ。今の私には何もないから、彼女に憧れ、なれたらと思うことの、何がいけないのだ。知らんがな、と言わんばかりに信号が青くなった。悪いが今日はお前のことを意識している余裕はない。


「おやおや、どうしたんだい。少年、難しい顔をして」

 そういえば、難しい顔とは一体なんだ。逆に簡単な顔があるのだろうか。あるなら是非ともみてみたいものだ。

「いえ、さっき、クラスメイトに言われた一言が気になって」

「クラスメイト?あんたが、へえ〜、珍しいじゃない。それで、なんて言われたの?」

 すべて言うのは小っ恥ずかしかったので1番わからなかったところだけを言うことにした。

「今のお前、嫌いじゃないって言われました」

「へえ、そっか。その人とは気が合いそう」

 それは少し困る、と思ったが奴が駅に来ることはまずないだろうからとりあえずそれは置いておこう。

「わからないです、あなたにも昨日似たようなことを言われましたが、自分には何もないんです。なのになぜか、そのままでいれば良い、みたいなことを言われても、はいそうですかって納得なんてできません」

「うん、まあ、そうかもね。無理して答えを出そうとしなくても良いじゃん。考えてわかるものじゃないと思うし。自分のことは自分が1番わかってるってよく言うけど、その人の良さとか魅力に関しては、案外他人の方がわかってたりするものよ」

「そう、ですかね」

 言われてみれば、彼女に魅力があることは私にもすぐにわかった。小柳や彼女に私が同じように映っているというのか。自分の良さに自分で気づけないなんて、全日本自己PR選手権大会があったらビリ確定な気がする。

「確かに、考えてみてもわからないですね。でも知りたいです。見つけたいです。」

「きっと見つかるよ、私が教えてあげても良いけど、ちょっとつまらないもの」

「なんですか、つまらないって、つまりますよ」

「いや、つまるこそ何よ・・・それにちょっと恥ずかしいし」

「え?最後の方なんて言いました?」

「なんでもないわよ!ば〜か」

 聞き返しただけでこの言われようは流石に理不尽だ。

「はあ・・・」


 ため息を吐きながら空を見上げた。1日経ったというのに、空には相変わらず曇り空が広がっている。この季節のこの時間、太陽はどうせ傾いているだろうが、1日の終わりが近づくのを感じるあの真っ赤な夕日はみてたい。普段何気なくみているが、みれないのはそれはそれで物足りないのだ。そう感じたのは初めてかもしれない。





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