第33話 嫉妬の金曜日

 結局、小柳も彼女も私に何があるのか教えてくれない。わかっているなら教えてくれたらいいのに。本当はわかっていないのではないだろうか。あれだな、知らないのに知らないことを馬鹿にされたくなくて知ったかぶりをする若い頃に陥りがちな歪んだコミュニケーション方法とみた。しかし、別に知らなくてもいいことだし、あの2人がそんなつまらないことをするとは思えない。そして何もわからないまま放課後になってしまった。このまま週末を迎えて休日をモヤモヤした鬱屈とした気分で過ごすのはできれば避けたいところだが、こればかりは仕方がない。

 なんてことを考えながら下駄箱に向かっていると、玄関先の公衆電話で誰かと話す小柳の姿を見つけた。なんだ、昨日から、よく会うな。いや、会っているわけではない、これはまだ見つけただけだ、勘違いしてはならない。危ない危ない。もう少しでこちらが一方的に見つけただけなのにあの時あったよね?と言って「え?会ってないけど?」と返され気まずい雰囲気になった挙句、一方的に見つけておいて声もかけずにみていただけという、人間とは思えない気持ち悪い行動をしていたことがバレて引かれるところだった。


「え?今日も?でも今日は大丈夫って・・・あぁ、わかった。少し遅くなるけど、帰るよ」


 おそらく家族と話しているのだろが、なんの話をしているか当然わからないし、小柳を見なかったことにして下駄箱に向かうことにした。が、机の中に帰る直前にあった古典の文法抜き打ち小テストの参考書を忘れている気がしたため、一度教室に戻ることにした。全く、抜き打ち小テストなんて滅びてしまえばいいのに。え?抜き打ちなのにどうして参考書があったのかって?友達がいない私は暇なときは大体教材をボケーっと眺めている。たまたま今日見ていた古典の参考書の中からの出題だっただけだ。

 案の定忘れていた古典の参考書を鞄にしまい、再び下駄箱に向かうと、何やら声を荒らげている生徒がいた。しかもその渦中にはこれまた小柳の姿があるではないか。なんということだ、私の小柳運は星5つの絶好調ではないか。そんな運はいらない。全く無関係なので素通りしようとしたが否が応でも会話は耳に入ってくる。


「お前、また帰るのかよ!今日は出れるって言ってただろ!流石にサボりすぎだ!」

「サボりじゃねえって。ちょっと・・・急に用事が」

「はあ?そんなこと言って、どうせサボるつもりなんだろ。お前が来ないと準備する奴がいなくて困るんだよ。俺たちが準備する羽目になるじゃねえか」

「お前らも立派な部員なんだから準備するのは当たり前だろ」

「けっ!何も言わなくても準備してくれる奴がいるおかげでもう準備の仕方なんて忘れたんだよ、ったくいい迷惑だぜ」

 何を言っているんだ、こいつは。見たところ小柳の部活の仲間なのだろうが良好な関係を築いている仲間とは言い難いようだ。こいつも苦労しているんだな。やっぱり

部活なんてやるとこういう面倒な人間関係が邪魔をしてくるからやらなくて正解だったようだ。ただ、なんだろう、この感じは。私は全くの無関係だし、あいつらの言葉は何一つ私に浴びせられた言葉ではないのに、なぜだか腹立たしかった。そして私は自分との会話を一時中断していた。

「あの、ちょっと」

「お、お前、なんで」

「あぁ?なんだよ」

 今どき「あぁ?」なんていう奴がいるのか。いや、いるか。出会ったこと無かっただけだな。ていうか、自分との会話中断してねえし。まあいいか。

「その人、本当に何か用事があるんだと思いますよ。さっきそこの公衆電話で家族の誰かと電話して罰が悪そうな顔してたんで」

「誰だよてめえ、いきなり話に入ってきて何いってんだよ?こいつに用事があるかどうかなんてどうでもいいんだよ。準備する奴がいなくてこっちは困ってるの、わかる?」

 こういうタイプと話したことはあまりないがいざ話してみるとなんていうか、変なデジャブ感覚を覚える。おもちゃ売り場の前で母親におもちゃを必死にせがんで駄々をこねている子供を見ているかのようだ、少し違うかな。まあいいや。それより、思ったより怖くないというか、むしろ話しやすいかもしれない。

「困ったら、助けてもらえばいいじゃないですか。でも。でも普段あなたたちはこの人を助けもしない、それどころかいい迷惑なんて言ってるようじゃ、助けてもらえるわけないと思いますけどね」

「なんだと・・・何も知らねえくせに、うちの部活のことに首を突っ込んでくるんじゃねえよ!」

「もういいだろ、こいつは関係ない。悪い、今日だけは勘弁してくれ。来週になったら普通に行けると思うから」

「ふん、知るかよ、そんなの。おい、もう行こうぜ」


「お前、なんであんなことしたんだよ。絶対ああいうのは我関せず主義だろ」

「それはそうなんですけど、なんででしょうね、ははは・・・」

「まあ、なんでもいいけどよ」

「すみません、きっと自分が何も言わなくてもなんとかなったよね」

「うん、まあね。でも、助かったよ」

「え?」

「確かにあんな奴ら、1人で適当にかわして最悪怒鳴り散らしてやろうと思ってたんだけど、お前が真っ直ぐにあいつらにぶつかるもんだから、冷静になれたというか、無駄な感情に左右されずにすんだよ」

「そ、そう・・・」

「家の用事ってのは本当なんだ。うちの隣に住んでる伊藤さんって人がいるんだけど、結構なお年でさ、その人がちょっと体調悪いみたいで、世話になってるから母ちゃんが少し見てあげてるみたいで、その間俺が家にいてやんないといけなくて」

「それじゃあ、来週になっても部活は難しいんじゃ・・・」

「いや、日曜日には伊藤さんの娘さん家族が来てくれるらしいんだそれでしばらくは大丈夫らしいから」

「そっか」


 昨日と同様、自転車の車輪がカラカラと音を立てているのが聞こえる。しかし昨日とは違い、心地よく耳を通り抜けている。


「でも、俺の言った意味、少しはわかったろ?」

「え?なんのことでしょう」

「誰かに憧れたり、自分のことがどうしようもないクズ人間だって思うのは勝手だけど、俺はお前のこと、嫌いじゃねえって」

 クズ人間なんて言いましたかね・・・。あなた、本当は私のことそんなふうに思ってるんですかそうですか。

「お前にも、ちゃんとあるじゃねえか」

「え・・・?」

「俺が部活に出れない事情が何かしらあるって気付いたし、あいつらがどういう人間かわかってたろ」

「それはそうですけど」

「それに多分、昨日だって俺がなんで部活もせずに帰っているのか少しくらいは疑問に思ったんじゃないか?でもお前は聞いてこなかった。そういう、人を見る力、そして無闇に人を気づけないって気遣い?みたいなの、そういうの大事なことだし誰にでもできることじゃないと思う」

「でも、それは、自分が人と関わるのが面倒だからそうしているだけで・・・」

「そう、だからお前は気づかなかったんだよ。自分が当たり前のようにやってることは改めてその良さにも悪さにも気付かないもんさ。それに人は自分にないものばかり求めたがる。ないものねだりってやつだな。」

 ないものねだり、確かにそうかもしれない。私は小柳に、彼女に、私にないものばかりを羨んでいた。そもそも私には何もないと思ってい、ところが、私が気付いていないだけで他の人から見たら、そんなものが、その程度のことが評価されるというのか。

・・・いや、評価なんて堅苦しいものじゃない。そしてそれは求めたり望んだりするもんじゃないだろう、きっと。私は私なんだ。私が私らしく生きることで私以外の誰かが救われる。笑ってくれる。それだけで、いいじゃないか。

「小柳くん、いや、小柳」

「ん?」

「ありがとう」

「ふっ、こちらこそ、ありがとう」


「あれあれ〜、どうしたの少年?今日はなんか清々しい顔してるね」

「なんでわかるんですか、そんなこと」

「なんでって言われてもなあ、私はあんたのことをよく見てるから、かな?」

 そんななんでもないような言葉に私の心はふわりと舞い上がり、耳の先が少し熱くなるのを感じた。

「そうですか、自分も、あなたのことなら少しはわかるかもしれませんね」

「え〜、そうかなあ、私は難しい女だよ〜?」

「簡単ですよ、いや、単純ですよ」

「あ、今馬鹿にしたでしょ」

「どうですかね」

「絶対にした!」

「すみませんすみません、それより、わかりました。自分には何があるのか」

「お?ほんとに?」

「はい、完全にわかったっていうわけではないですけどね。そもそも何があるのか、なんて考える必要無かったです。自分は自分なので。それだけです。でも、それでいいんだと思います」

「ふ〜ん、そっか。それで昨日よりいい顔してるんだ」

「そう見えてるんなら、きっとそうですね」

「そっか、よかったじゃん」

「えぇ」


 彼女はいつも通り、屈託のない笑顔を私に向けていた。私の心が晴れたからだろうか、今日の彼女は一段と綺麗な表情をしている。私に何があって何ができるかなんてどうでもいい。今ここでこの時間に私と話ことで彼女が笑ってくれている。それだけで十分だ、何もいらない。

 彼女や小柳に羨望の念を抱き、憧れて、卑屈になって自分も見失うのはもうおしまいにしよう。嫉妬は大罪だ。私は私でいい。

 笑顔の彼女越しに見た空は雲ひとつない綺麗な茜色の空だった。やはり、この空は私の心を映しているのかもしれない。いやもしかしたら、この空が映しているのは彼女の心なのかもしれない。



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