第6話 暴食の水曜日

 今日は珍しく信号の向こう側に私と同じくこの長い時間を待っている人がいる。この季節に珍しく七分袖のトレーナーを着ている。そんな薄着で何をしにどこへ行くのか、さっぱりわからないが寒くはないのだろうか。そう言えば、七分袖の服は半袖よりも長いのは分かるが、半袖とは何分なのだろうか。長袖を十分だとすると、半袖は五分ということになる。しかし世間一般で認知されている半袖は明らかに五分袖ではない、なんなら二分袖程度である。これからの世の中は五分袖を半袖と定義して従来の半袖の服は二分袖の服と定義されるべきである。たまに思うことがある、言葉というのは曖昧でその意味と単語が必ずしも一致しないものである。そんなものが溢れている。例えば・・・例えばそうだな、特に見つからないな。自らを追い込んでいると青に変わってくれた。今日に限っては礼を言うぞ、信号。

 なんと言うことだろ。今日は珍しく駅員が改札の側に立っているではないか。さすがに上司に怒られたのか。軽く会釈をして通り過ぎると、ご利用ありがとうございます、と宣われた。そこでまたしてもふと思う。なぜ電車を使うことに対してご利用ありがとうと言われるのだろうか。あの駅員からしたら私がこの駅を利用してもしなくてもどうでもいいことではないだろうか。むしろ、電車がないと家に帰ることすらもできないから礼を言うのはこちらの方である。ありがとうございます、そしてご苦労様です。


「来た来た、ご機嫌はどうだい?少年よ」 

 またしても何か食べている、この人は。今週はどうしたと言うのか。それとも本来彼女はとても食いしん坊なのだろうか。先週はさすがに初対面だったため自重していたのか、いやそうだとしても会ってすぐ次の週に爆食されても反応に困る。いや、一向に構わないのだが。

「こんにちは、今日はなんですか?」

「これ?これはね、ベーコン・エピ」

 ほう、ベーコン・エピか、知っているぞ。ベーコンやポテトを胡椒で味付けしたものをフランスパンほどではないがそこそこ硬い生地で包んだパンのことだという認識がある。

「硬くないですか?そのパン」

「うん、この食べ応えがいいよね、それに5つの房みたいな形で分けられてるから分けても食べられるし、かわいいよね」

「硬いから・・・いや、そうですね」

 硬いから分けられないのでは、と言おうとしたが昨日のことを思い出したためいうのは控えることにした。

「今日はね、私の分しか買ってないの」

「そ、そうですか、全然いいですよ、自分のなんて」

「だから分けてあげるよ」

 そう言うと彼女は袋にパンを戻し反対側の2房をもいでちぎった。この人、絶対私より腕力あるな、さすが元運動部。この人には逆らわないでおこう。

「はい」

「あ、どうも」

 ベーコン・エピが何かは知っていたが何気に初めて食べるな。それでは一口。

「・・・思ったより硬くないですね」

「そうなのよ、ちょうどいいでしょ。まあ、店によって違うんだろうけど」

「そう言えば、どこで買ったんですか?こんなものコンビニには売ってないですよね」

「あぁ、帰りに老舗のパン屋があるのよ、知らない?ちょっと下校する道からは外れるんだけどね」

「へ、へえ、そうなんですか」

 こっちに来てわずか1週間の人の方が自分よりこの街のことを知っているなんて、なんだかひどく情けない気分に陥ってしまった。同じ道だけではなく好奇心の赴くままに寄り道してみるのも悪くないのかも知れない。なるほど、こう言うことを気づかせるために「かわいい子には旅をさせよ」と言うことわざがあるのか。違うな。

「どう?誰かと食べ物をシェアする気分は、悪くないでしょ?」

「そ、そうですね」

 なぜそんなことを聞くのだろうか、確かにそんなことをしたことは皆無なのだが、だからと言ってしたいと思ったこともない。なんなら好意がない人の食べているものなんていらない。かと言って私が彼女に好意があるのかどうかはわからない。相変わらずたまに発言が癇に障る。

「私さぁ、こっちくる前はいつも一緒にいる友達がいたからさあ、こう言うのって日常茶飯事だったんだ。なんかしないと逆に気持ち悪くて」

 なるほど、この人の中で私は以前の友達の穴を埋めるための代役ということか。いや、それはその友達何某に申し訳ない、ごめんなさい。しかし、この人もこっちに来て1人ということに慣れていないのかも知れないな、それはそうか、昨日もこっちにまだ友達がいないみたいなこと言ってたじゃないか。私は友達とかいうものになれているのだろうか。その手の人間関係は考えるだけ時間が無駄だと思っているから考えるのはやめよう。私は私と話していればとりあえずいい。

「ねえ、聞いてる?」

「あぁ、すみません、聞いてますよ。すみません、自分で」

「ん?何が」

「いえ、その友達の方がきっと居心地も良かっただろうし、接しやすいでしょうし、自分はつまらないと思うので」

「そんなことない」

 いつの間にかベーコン・エピを食べ終わっていた彼女は私の目をしっかりと見据えていた。初めて彼女の目をちゃんと見たかも知れない。黒と言うよりは茶色に近い凛とした瞳。でもその中心には黒い瞳が確かに世界を捉えていた。まつ毛が長い、特に下まつ毛が。いかんいかん、こんな時に何を考えているんだ。

「あ、すみません、なんでしたっけ」

「私、あんたと話したいから話してるんだけど。前の友達とか関係ない。あんたはあんたじゃん。」

 あぁそうか、そうだった。この人は真っ直ぐな人だ。きっと嘘はつかない。だからこの人が話したいと言えば本当に話したいと思っているのだろう。しかし私はそれに対してなんと返せばいいのだろうか。そんなことを今まで言われたことなかった。ちょっと待てよ、私この人と話すようになって言われたことないことばっかり言われてないか、どれだけ人と話してないんだよ。しかし常に話はしている、自分と。さて、話を戻そう。どうしたものか、この状況。わからない、わからないが彼女は素直に真剣に私に向き合ってくれている。なら私も素直な気持ちで返事をすることがせめてもの私にできることだ。考えるものじゃないな。

「ありがとうございます。話したいなんて言われ慣れてないので、嬉しかったです」

「思ったこと、言いたいことは言わなきゃ伝わらないのにみんな言わないんだよ、人間は本音を隠す生き物だから」

「そう、ですかね」

「うん」

 今日の彼女は少しだけ違う気がした。いや、これが本来の彼女なのかも知れない。私はまだ彼女を知らなすぎる。この程度の付き合いで違う彼女を見出してはいけない気がした。でも少し違う顔の彼女を見れただけで、嬉しく思ってしまったのはなぜだろう。気づけば例のメロディが鳴り終わり、東の方から少しずつ私と彼女の時間を切り離す音が聞こえてきていた。初めて食べたベーコン・エピの味はほとんど忘れていた。

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