第7話 暴食の木曜日

 木曜日、彼女と出会ってちょうど1週間経過した。まさか1週間前にあんなことが起こるなんて、人生何が起こるかわからないものだ。そんなスケールの話ではないか、ないな。そう言えば先週は面長白衣教師の田中の話をしながら待っていたのを思い出した。今日は特に田中の話で印象に残っているものはない。なんなら今日は珍しく最初から最後まで話をちゃんと聞いていたため全ての話がすんなり腑に落ちて私の脳内に完璧にインプットされたため、授業が終わった時点で完結されたのだ。そう考えると、中途半端に聞いてわからないままにしておいた方がかえって気になって覚えることができるのではないだろうか。違うか、違うな。それでも印象に残っているものがないということはこれといって面白い話がなかったのだろう。印象といえば、先週さっぱりわからなかったニーチェの「神は死んだ」という言葉は彼が唱えた一種の科学的思想であることを今日知った、知ったというか調べたのだ。あれほどまでの印象的な言葉であるならば流石に調べたくなるものだ。あまり宗教的なことは詳しくないがなるほどニーチェという男は余程の男だったとみる。当時の時勢でよくあのようなことを言えたものだ。私ならビビり散らして到底言えないであろう。1人の女の子にすら言い返すことができない哀れで情けなくて残念で見るに堪えない弱気な私には無理な話だ。そこまで言わなくてもいいじゃないか、という声を期待したいところだ。何言ってんだこいつ、と自分でも思うがこれはこれで平常運転だ。誰にも聞かれていない状況での自虐はなんのダメージもない。やはり1人語りは素晴らしい。信号が青に変わる。最近は空気を読んでいるのか、比較的タイミングが良いところで変わってくれる。なんだ、友達が欲しいのか、信号よ。考えておいてやろう。

 今日も駅員がいる。余程こっぴどく上司に怒られたのだろう。そもそもこの半無人駅でそれだけサボろうともバレるはずがないと思うのだが、どうしてバレたのだろうか。利用客が密告したのだろうか。クレームなどをいう人の気がしれない。動画配信サイトなどで心ないコメントをしたり、それに長文で返事をしているユーザーがたまにいるがそれと同じものを感じる。私はそんなことをするほど暇ではない。だがそんな暇つぶしによって上司にひどく叱責されたと思うとこの駅員がひどく不憫に思えてきた。いや、真実がどうかはわからないが私が思うことは変わらない。今日もご苦労様です。

 階段を降りると彼女はいた。出会って1週間の彼女だが相変わらず謎が多い人だ。人によっては出会って1週間記念日だとか言っている人もいるのだろうか、流石にいないか。

「何してるんですか?」

「げっ、もう来ちゃったのか、もっとゆっくりしてきなよ」

 ちゃんと信号にもひっかかってきたし、普段と変わらない時間にここにきたと思うのだが、なぜそんなことを言われなければならないのか、遺憾である。

「いつもと同じ時間に来たと思いますが」

「そう言えば、今日で会って1週間よね、記念日じゃん」

 全くこの人は、私の1人会話を聞いているのか。もはやエスパーだ。そうだとしたら弟子にして欲しいものだ。しかし、この人に弟子入りすると崖から突き落とされるよりも酷い仕打ちを受けそうなので遠慮しておこう。優しくされたいお年頃なのだ。

「そんなこと言ったら毎週記念日になりますし、10日記念とか15日記念とかキリのいい日は全て記念日になっちゃいますよ」

「あ〜・・・ごめん、そこまでは考えてなかったわ。こういうのって最初だけだからさ、私は」

なんだ、これは私が悪いのか、的外れなことを言ったつもりはないのだが。私なりに最大限この人の戯言に乗っかったつもりだ。それなのになぜこの人はそんなかわいそうなものを見る目をしているんだ、ていうかこの人かわいそうなものを見る目をしていても凛としていて綺麗な瞳をしてやがる、なんなんだ全く。

「そうですか、なら安心しました」

「まあいいわ、これ、食べてみて」

「な、なんですか?これ」

「ロシアンたこ焼きよ、みてわからないの?」

 いや確かに、見たらたこ焼きだとひと目で分かったが、ここに来たときに彼女がこのたこ焼きを凝視して何かを確認していたから一応聞いてみたのだ。見た目だけでロシアンだとわかってしまったらロシアンにならないではないか。ロシアンなのはわかった。だが重要なのはそこじゃない。

「ちなみに、何が入ってるんですか?」

「5個は普通のたこ焼き、1個はマーマレード」

「マ、マーマレード、ですか?」

 これは驚いた、マーマレードとは・・・。定石なら激辛のタバスコやからし、わさびなどの強烈に体が拒否反応を示してしまうものを入れるものではないだろうか。その劇物を食べたくないがために皆ドキドキして選んで口に運ぶまでの心拍数の上昇やスリルを楽しむものではないか。マーマレードならもしかしたら少しおいしいのでは、と思ってしまう。ドキドキ感が半減してしまう、ドキだ。ドキってなんだ。

「どんな味かわからないですね」

「でしょ〜ドキドキワクワクするよね〜」

 いいえ、ドキ、ワク、としかしません。いやしかし、ここまで来たらもう付き合うしかないのだろう。要はマーマレード入りのたこ焼きを引かなければいいのだ。そうすれば普通のたこ焼きを食すだけで終わる。よし、その作戦で行こう。もはや無策だ。

「わかりました、食べますよ」

 あからさまに5つのたこ焼きに囲まれている1つを選んだ。あえてこの中心のたこ焼きは普通だろうという浅読みだが、正直マーマレードなので外れてもいい。

「では、食べますね」

「どうぞ〜」

 ん?これは普通のたこや・・・いや違う、さっぱりとした酸味とほのかな甘味を感じる。だがどうだろうか、拒否反応を起こすほどのものではない。なんだこの人、ほんの微量しか入れてないじゃないか。これではわさびやからしだったとしても対してダメージは受けないような気がする。

「ハズレ、ですね」

「にしては、反応薄くない?」

「いえ、確かにマーマレードの風味はするんですけど、まあ合わなくはないかなっていうレベルなんですよ、罰ゲームとかでこれ出したら逆に怒られるレベルです」

「誰によ、でもそっかぁ〜、残念だなあ」

「なんかすみません」

「いいや、じゃあ私も食べてみよ〜・・・ん〜、確かに、悪くない、ってかおいししいじゃん!これはこれで!私って天才じゃん!」

「・・・」

 文字通り私は絶句してしまった。何も言葉が口をついて出てこなかった。つまり整理するとこういうことだろう。この人は最初から2つ以上、おそらく全てのたこ焼きにマーマレードを入れていた。そして全てのたこ焼きに入れていたため、限りあるマーマレードが分散されてしまってひとつひとつに含まれるマーマレードが微量になってしまったのだ。さらに言えばこの人はそれをわかった上で私に食べさせた、いわゆる毒味をさせたのだ。結果的に悪くない味だったからいいものの、人によっては訴えられるレベルだ。それはないか。

「まあ、私、この食べ方がおいしいの知ってたんだけどね」

「じゃあなんでこんな回りくどい方法をとったんですか?」

「あんたにも食べて欲しかったの」

 なる、ほど?食べさせたかったのはわかった、しかしそれではこんな方法を取ったことに対する答えにはなっていない。

「こうやって知った方が忘れないし、楽しいでしょ?私、せっかく私が教える味を忘れて欲しくなかったの」

「そう、ですか」

 なんだろう。相変わらずこの人のことは分からないが、でも悪い人ではないことは確かだ。私にこのたこ焼きの美味しさを伝えたかったのは間違いないのだろう。ならば私もそれに対して正直に答えようと思う。

「このたこ焼き、美味しかったです。ありがとうございます。」

「へへっ、どんなもんだい!」

 なんて自然と笑う人なんだろう。人間ってみんなこんなに自然と笑えるのか、普段人と話さない私には分からないが素直に素敵だと思った。

「そのたこ焼き、もう1つもらってもいいですか?」

出会って1週間の記念品のマーマレード風味のたこ焼きを、私はおそらく忘れることはないだろう。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る