第20話 憤怒の火曜日
本日は曇天模様なり。先週あれだけ雨が降ったと言うのにまた天気が機嫌を損ねている。一体何があったというのだ。曇り空でも時たま雲の間から見せるお天道様の陽光が子供の頃から好きだった。明るくなったと思ったらすぐに暗くなる。あの強く眩い日光を遮る雲の厚さも、雲の上からでもその存在感を遺憾無く発揮する太陽も、そんな両者によって生み出される普段より一層薄く頼りない私の影も、私にとっては好印象だった。ぼーっと眺めているだけで穏やかな気分になれた。今現在もそうだ。薄く伸びている自分の影を見ると、私ってこの程度だよなって安心できる。自分を過小評価しているわけではない。ただ過大評価したくないだけだ。自分を大きく見せようとすると思ってもないことを口走ってしまったり見栄を張ってつまらない虚言を吐いてしまう。要するに自分を殺してしまうのだ。それがたまらなく嫌なのだ。私は決して立派な人間ではないし、秀でた才能もないが、自分をしっかり持って生きていたいとは思う。他人の言葉や意見ではなく自分の心で生きていきたいのだ。はて、そう思ったのはいつからだっただろうか。
だからこそ、昨日の彼女のことが私は気になっている。あれは彼女らしくない。彼女らしさなんて、曖昧なものを勝手に形作って私の中で消化しているだけかもしれないが、先週とは打って変わって様子がおかしかったのは間違いない。だが、昨日の様子では教えてくれそうにない.聞けば良いと言っていたのは彼女ではないか。全く、世話の焼ける人である。はて、どうして私はこれほどまでに彼女のことを考えているのだろうか、そしてどうして話してくれない彼女に微量の憤りを覚えてしまっているのだろうか。まあいい、考えていてもしょうがないことだ。それこそ彼女に聞いてみよう。・・・しかし聞いたところで答えてくれそうにない。どうしたものか。今日は信号が早く変わったような気がした。気のせいか?何かが起こる予感がした。
階段の下についてもやはり彼女は昨日と変わらず虚を見つめていた。
「あの」
「あ、やあ、少年」
「やっぱり、何があったかは教えてくれないんですね」
「だって、何もなかったもん」
「では、これから何かあるんですか?」
「そうだね、これから君との時間が始まるよね」
「そういうことではなくてですね・・・」
「なんだなんだ、そんなに私のことが気になるの?」
「いや、気になるというか、普段と違うので、なんかこう、違和感というか」
「そっか、私の普段を君はもう知ってるんだね」
「いや、そんな知っていると言えるほどのものではないですが、少し、違うのはわかります」
「そんなに変かな、私」
「変、です」
「そっかぁ、変かぁ。でもいいや、変でも。変な人って言われてみたかったんだよね。見方を変えれば褒め言葉じゃん?」
「いい加減にしてください!」
「・・・」
「あ、いや、ごめん、なさぃ」
「あんたも変だよ、そんな大きな声出さなかったじゃん、今まで」
「それは、あなたが」
「変だから?」
「はい」
「じゃあ、しょうがないから教えてあげるよ〜」
「ほんとですか・・・?」
「実はねえ、ウチで飼ってた小鳥が死んじゃってさあ。まだ小さかったのにさあ。あ、でも小鳥だからどうせ大きくならないんだけどね」
「何言ってるんですか」
「え?」
「よく分かりませんが、嘘、ですよね」
「ん〜、かもね」
悲しかった。そして腹立たしかった。彼女は真っ直ぐな人間だと思っていた。嘘はつかない人だと、くだらない言葉は口にしない人だと、そう思っていたのに。今、私の目に映る彼女が一体誰なのだろうか。まるで別人のようだ。
「どうして嘘をつくんですか」
「そんなの決まってるじゃない、本当のことを言いたくないから」
「言えないことなんですか」
「言えないというか、言いたくない」
「それは、自分のためですか」
「そ、君のため」
「そんなこと、頼んでません」
「うん、頼まれてないもの」
「自分勝手ですね」
「無理やり聞き出そうとするあんたも勝手じゃない?」
「じゃあ、そんな、焦点の合わない視線を自分に向けないでください、いつもみたいにおちゃらけて小馬鹿にしてきてくださいよ」
「そんなふうに見えてたんだ、ダメだね、私」
「だからっ・・・」
もうそれ以上、彼女に言葉をかけることはできなかった。これ以上聞くと、何かが壊れるような気がした。思えば、私と彼女と関係なんて色違いのステンドグラスのように歪なものだったのかもしれない。そばにいて、わかっていたつもりでも、お互いのことを知っているつもりでも、実際はたまたまそこに居合わせただけの一つのパーツ同士にすぎないのかもしれない。そう思うと急に虚しくなってきた。
「本当のことを言うとね、あんたが、悲しむと思ったから、ごめんね」
それでも、私は聞きたかった。勝手に悲しむとか決めつけないで欲しい。なんだ、結局彼女も自分勝手じゃないか、やれやれだ。でも、もういいや。彼女にこれ以上負の感情を抱きたくはなかった。それがなぜなのか、少しずつ分かり始めていた。
「ごめんね」
再び告げられたその言葉につられてみた彼女の顔は、私がよく知っている彼女だった。凛とした瞳はしっかりと私の眼をとらえていた。彼女の目に映る私は、ひどく不細工な顔をしていた。彼女の顔を、雲間からのぞいた斜陽が橙色に照らしていた。
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