第15話 強欲の火曜日

 雨が降った日は、明日は晴れて欲しいと思う。晴れの日に明日は雨が降って欲しいとは思わない。いや、中には雨が降って欲しいと思う希有な人もいるかもしれないが。ところで、雨が降って欲しいと願う場合っていかなる場合なのだろうか。例えば、次の日に体育で持久走があり、走るのが苦手なわた・・・いや、そう言う人が雨を願うことは十分にあるだろう。例えば、晴れている日は自転車で自宅から最寄り駅まで通わなくてはいけないが、雨の日は小遣いを握り締めてバスに乗る事ができる。運動が苦手なわた・・・いや、そう言う人からしたら雨を願うには十分な理由だろう。例えば、雨が降ることで環境委員の仕事である草花の水やりをしなくて済む。何かと丸投げされがちで断れないわた・・・いやそう言う人からしたら願わくば雨は降って欲しいはずだ。そうだ、だから雨が降っているからと言って落ち込むことはないのだ。

 膝を摩りながら傘を持ち、信号を待っていた。溝口デンタルクリニックとか言う歯医者の前のツルツルのタイルで滑って膝をついてしまった。既視感を感じる。昨日は見事に素っ転んだわけだから成長している。しかし何だと言うのだ、あのタイルは。歯医者とは何も関係がない。あのタイルのように歯もツルツルにできると言うことか。そんなものを歯医者には求めてはいない。勘弁してほしい。しかし、溝口さんは悪くない。悪いのは雨だ。だが雨に怒る事がお門違いなことはわかっているし虚しくなるだけだ。その葛藤の中で私は必死に雨が降ってくれたことで助かったことを思い出していた。いや、私ではない、そう言う人がいたと、聞いたんだ。そう言うことだ。惨めな自分を肯定するためでは決してない。そういえば、膝の痛みと仲良くなるまでに時間を要しながらいつもの見慣れた帰路を歩いている途中におしゃれな傘屋さんを見つけた。きょうび傘屋さんなんて見ないものだと思っていたが実際に見てみると実に趣があって自然と膝の痛みが和らいだ気がした。雨も相まってこの何もない街の風景に溶け込むその店のたたずまいは画になっていた。木目調のシックな看板に桔梗の傘屋と書いてあった。桔梗といえば星のような紫色の花びらを咲かせる花だと認識している。実に綺麗だ。実際に傘を見たわけではないがおそらく傘に何かしらの桔梗のデザインが施されているのだろう。きっとお店のオーナーも桔梗さんと言うのだろう。それは流石に違うか。その素敵な桔梗さんを思い出しながら私はと言うとどこにでも売っているような簡易な骨組みのビニール傘をさしている。傘にはこれといってこだわりはないのだ。濡れなければそれでいい。それと、ビニール傘に弾ける雨の音が好きなのだ。それによく言われていることだが、高級な傘を持っていると盗られた時の悲しさが計り知れないため安いビニール傘にしているところはある。どうして他人の傘を平気で盗る事ができるのだろうか。間違えてしまった、などと宣う連中もいるが実に解せない。間違えて高級な傘を取りますか?自分が高級な傘を持っていたらそれを盗られたくないから間違えないように注意するはずだ。ビニール傘を持っている人はビニールと高級な傘は流石に間違えようがない。要するに傘を盗っている人間は意図的に間違えているのだ。確信犯だ。いや。ここでの確信犯は意味が違ってくる。確信犯というのは自分の行いが本当に正しいと思ってやっている事であって悪いとわかっていて悪行を働いている輩のすることは確信犯とは言わないのだそうだ。革新という言葉を辞書で調べた時についでに見てしまったから覚えている。肝心の革新をなぜ調べたのかは覚えていない。そんなものだ。いや、損なものだ。何の話をしていたのだったか、そうだ、傘だ。以上のことから私はビニール傘を所持することに何の抵抗もない。安くても十分な働きをしてくれる。高級なものほどいいかどうかはわからない。そう思わせてくれる雨はやはり素敵ではないか。だが、思わずにはいられない。明日は降りませんように。

 今日も駅員さんに会うことはなかった。雨の日は外に出てこないのだろうか。それとも駅員室にすらいないのだろうか。ブラインドが下がっているためわからない。近くにいるようで会えないというのは切ないものだ。相手が駅員さんでなければもっとドキドキしていたのかもしれない。そういう感情を私は知らないのだ。駅員さんで知るのは遠慮したいものだ。もう駅員さんはいいか。

「来たね、少年」

「今日も降るとは思わなかったですね」

「私は知っていたけどね」

「そうなんですか?」

「天気予報というものがあるんだけど、知ってる?」

 1週間ぶりくらいだろうか、この手の遠回しな侮辱を受けたのは。もう何もいうまい。

「見ないんですよね、天気予報とか」

「なのに傘はちゃんと持ってるんだね」

「朝からずっと降ってますからね、朝晴れていて今降っていたらきっとずぶ濡れです」

「そのまま帰るんかい・・・」

「流石に帰りませんよ、冗談です」

 いつも通りの下らない会話が耳に心地良い。彼女の声はどこか落ち着く。マイナスイオンでも発しているのではないか。研究してどこかしらの施設に売ってみても良いかもしれない。何を馬鹿なことを言っているんだ。そういえば・・・

「だから、昨日あんなこと言ったんですか」

「え、あぁ、考えてこようってやつ?そうだね」

「でも、雨が降っているからと言って昨日の女性がいるかどうかは」

 そう呟きながら向かいのホームをみると昨日と同じ傘をさした女性が待っていた。服装は昨日とは違い、黒いワンピースを着ていた。傘は昨日と同じだ。相変わらず謎の多そうな女性だ。

「で?どう?考えてきた?」

「そうですね、まあ一応」

「聞かせてもらおうじゃない」

「そうですね、きっとあれは日傘なんですよ」

「日傘?」

「そうです、紫外線は晴れの日より曇りの日の方が強いって聞いた事があるんです、そしてあの女性は紫外線を極度に恐れる人なんです。だから外にいる時は四六時中傘をさしていないと落ち着かないんです」

「曇りの日って、昨日は土砂降りだったじゃない」

「そうですけど、きっとなくはないですよ、雨の日でも」

「ふ〜ん、なるほどね、まあよしとしてあげるわ」

「あなたはどうなんです?」

「ん〜、わからない」

「え?」

「わからないわよ、だからあんたに考えてきてもらったんだから」

 もはや驚かなかった。何度も言うがこの人は私の予想を常に超えた言動をしてくる。だから今回のようなことでは驚かない。驚かないが利用されたような気がして微量の苛立ちを覚えた。

「じゃあ、答え合わせしますか?」

「嫌!まだ待って!」

「何なんですか、いったい」

「あんたの答えはちょっと違う気がする、悪くなかったけど」

「そうだとしても確かめましょうよ」

「まだ納得できてない!」

 納得とは何に対する納得だろうか。あくまで予想なのだから納得も何もないではないか。しかしそこまで言うなら私もちゃんと根拠のある答えを出したくなってきた。

「わかりました、もっとちゃんと考えましょう、どうしても知りたいですし」

「へえ、そんなに本気になってくれるとは思わなかった」

「自分でもよくわかりませんが、難しい問題を解いてる感覚と似てる気がします。答えが知りたいだけです」

「そっか・・・答えが知りたいか、そうだよね」

 それからその日は女性を観察することに必死になってしまい、彼女と話すことはあまり無かった。珍しいこともあるものだ。それほど答えが知りたいのだろう。答えと言えば、私は彼女に何か確かめなければならない事があったような気がするのだが、何だっただろうか。

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