第25話 色欲の火曜日

 小学生の時、社会の授業で「大陸棚」という言葉を知った時、私はひどく違和感を覚えた。当時は教科書に「大陸だな」と記されていた。海の地図が広がっているのに海抜200メートル辺りの場所にそんなことが書いてあったら「はあ?」とは思ってしまうのは仕方ないことではないだろうか。その時の私はシンプルに感想だと思ってしまった。この教科書を作った人がこの場所を大陸だな、と思ったのだと。しかし、それも実際は6割くらいで懐疑的な疑念は晴れることはなかった。いくらなんでも大陸だな、なんて感想をなんの脈絡もなく教科書に記載するなんてことはないだろうと、流石に当時の私でも少しばかり思っていた。その疑念はその次の授業で担任の教師がちゃんと説明してくれたし、そもそもイントネーションが違ったからそこから勘違いしていたことを思い知らされて恐れ慄いたことは今でも覚えている。いや、そこまでではない。

 なんでこんなことを思い出したかというと、5限目の地理の授業で久方ぶりに大陸棚が出てきたからだ。そう考えたら、小学生の時の修学内容は高等教育になっても重複するものがある。社会科なんて時にそうだ。源頼朝なんて小学5年生でも知っているし、北条政子の肖像画をみた時は誰しもが、政子なのに男?いや、女・・・?と困惑すること間違いない。いや、それよりも小野妹子と小野小町の時代はかけ離れているのになぜか同性だと思わされてしまうあの沈黙の呪いの方が困惑するな。はて、小学生の時に小野小町なんて知っていただろうか。いや。世界三大美女に数えられる日本が誇る女性だ。きっとどこかで知るきっかけはいくらでもあるだろう。ところで、私には小野小町がなぜ世界三大美女に数えられているのかいささか理解できないのだが、私の人を見る目が狂っているのだろうか。いやしかし、人の好みというものは実に奥が深く面白い。きっと私なんかには分からないような魅力があったのだろう。魅力や素敵さは言語化しづらいのが欠点だ。その人が美し在ればあるほど綺麗だ、可愛い、と一言で済ませてしまう。それでは実際何も伝わらないではないか。どこがどう美しいのかを事細かに教えてくれ。とは言ってもそんなに事細かに力説されてもおおよそ引かれるのは目に見えているから誰も実践はしないのだろう。私が美しいと思う顔はどちら様だろうか・・・。

 うるせえ早く行け、と言わんばかりに信号が変わる。なんだよ、もう少しくらい聞いてくれても良いじゃないか。今日は駅員さんがいなかった。シンプルに悲しい。毎朝、同じ車両の電車に乗ってきている背の高いかっこいいお姉さんがいない時のような気分だ。どうしたんだ、どうやらよく女性のことを考えている。決して不純なことを考えているわけではない。健全な高校生男子なんてこんなものだ。いや、私は平均以下だろう。ひどい奴はもっとひどい。明言はしないが。

階段のしたにつくと昨日とは違う姿の彼女がいた。まず服装が違う。いつも軽く着崩しているだけの制服が今日はどうだろう。栗色のセーターを腰に巻いて袖に部分で結んでいる。そして髪型、この髪型は知っている。ポニーテールという奴だ。なんというか、活発な女の子のイメージにしっくりくる姿をしている。元から彼女は活発な印象だが、より一層だ。今にも走り出しそうな、どこかに行ってしまいそうな、とにかく絵になる。

「今日の私、どう?」

「そうですね、走り出しそうです」

「ふふ、どこが違うかわかる?」

「髪型が違いますよね、ポニーテールって奴ですか?」

「うん、本当はもっと長い髪でやりたいんだけどね」

「それにその制服の着方・・・なんか、若いです」

「何よそれ、若いなんて当たり前でしょ、JKよ、私」

「あ、いや、そうなんですけど、でも、若いです」

「そこはさあ、元気で快活とか、他にあるでしょうよ」

「そ、そうですね」

「全く・・・まあ良いわ、気づいてくれたし」

「はい、それは気づきますよ、その、可愛いですし」

「・・・あ、そっか、うん、ありがとう」

 なんだ、何か言ってはいけないことを言ってしまったのか。それならそうと言ってくれ。いっそ殺してくれ。分からない。思ったことを言うだけではダメなのか。

「あの、すみません、慣れなくて、その、女性を褒めるのとか」

「別に褒めて欲しいわけじゃないよ、思ったことを言ってくれたら良い」

「あ、はい、思ったことを言いました」

「・・・あー、そっか。思ったことを言った結果が、あれか」

「え、えぇ、そうですね」

「ありがと・・・」

「え?なんて言いました?」

「何も言ってない!喋んな!」

「えぇ、それは無理ですよ」

「いや、その、喋れ!」

「極端ですね、どうしたんですか」

「人が素直にお礼を言ってるって言うのに」

「お礼・・・自分にですか?」

「そうよ!あんたにありがとうって言ったのよ!」

「あ、はい、それは、どう、も」

「も〜、なんでわかんないかな、可愛いって言ってくれたから素直に嬉しかったの、わかる!?ってか分かれ!」

「あ、そう言う、えぇ!」

「はあ、まあ、あんたにこんな話しても響くわけないわよね」

「いや、わかりますよ、いや、分からないかもしれないですけど、わかりたいとは思ってます」

「ほお〜、例えば?」

「小野小町の美しさ、とか?」

「・・・は?何言ってんの?」

「いや、小野小町っているじゃないですか、でも、あの人がどうして美女って言われてるのかよく分からなくて」

「あぁ、そうねえ、それは確かにそうかもだけど・・・考えなくてよくない?」

「へ?」

「あんたが思ったままに、感じたままの言葉を届けたいと思えるかどうかよ、そう思える相手はあんたにとって美しいし可愛いし愛おしいのよ、頭で考えるもんじゃないわ」

「感じたままの言葉を届けたい・・・ですか」

 そう言われた瞬間、少しだけドキッとした。今まで生きてきてドキっとしたことなんてなかったし、ドキッとすると言う現象がどう言うものか分からなかった。しかしやっとわかった。なるほど確かに、これはドキッとする。心臓が脈打つのを確かに感じる。

「それなら、自分にもいますね」

「え、そうなの?歴史上の人物?」

「いえ、違います」

「何?女優さんとか?」

「いいえ、そうじゃないです」

「え〜、じゃあ誰よ」

「それは、なんて言うか、ここで申し上げることではない気がします」

「どこで申し上げるのが理想なのよ・・・」

「いや、なんて言うか、それはまだ、と言うか、その必要はないと言うか」

「ふ〜ん、まあ良いわ、言いたくないのに聞きたいとは思わないし」

 こう言うところだ、彼女のこう言うところにもきっと惹かれたのだ。けど、この感情を思いのまま彼女に届けることが私にはできなかった。まだ彼女のことを愛おしいと思っていないと言うことだろうか・・・。

「それにしても、今日はちょっと涼しいわね」

「えぇ、でも、その格好は寒いと思いますよ」

「そんなことないわよ、何?寒いの?貧弱ねえ・・・」

「いや、もう冬ですよ・・・」


 つっかえて出てこない言葉を、無理に出そうとするのは、きっとよくない。かと言って体の中にしまい込んでおくのも少し辛い。このやり場に困った感情をどこに向かわせたら良いのだろうか、今の私には、分からない。




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