第26話 色欲の水曜日
突然だが私の食生活の話をしようと思う。私は小食というほど食べないわけでも暴食と呼ばれるほど食べるわけでもない。1日2.5食ほどを好む。この0.5というのはもちろん朝食のことだ。1食を腹8分目までとしよう。そうすると、朝食を食べた時の満足感は半分に少し満たないくらいなのだ。腹5分目には届いていないがまあそこそこの何かは口にした、という感じだ。そう、つまり0.5食だ。正確には0.45食くらいなのだがキリがないのでやめにした。食の好みもこれといって奇抜なものはない。どちらかと言われれば選ぶほどの好みはあるが基本的にはなんでも食す。しかし、なんでもと言っても私が口にしたことがある料理なんて和食と中華といわゆるB級グルメと呼ばれる程度の洋食だ。世界三大料理のトルコ料理、フランス料理は食べたことすらない。もう一つの中華料理だってきっと本格的なものは口にしたことがないのだろう。庶民的な大衆メニューしか口にしたことはない。しかしそれでもこんなに大きくなった。字面だけでは分からないだろうが、大きくなった。高級なものを食べれば立派な人間になるわけではない。希少な食材を食べていれば身長が伸びるわけではない。珍味を食べていれば頭が賢くなるわけではない。そう、関係ないのだ。納豆やトマトを食べると体や頭に良いだとか、そういう話は置いておこう。要するに食生活の違いで人間それほど変わらない。そもそもこの世の中に数多存在し得る体にもたらす効果なんて個人差があることが前提だ。これを食べていれば良いなんて、そんな無責任な話はないではないか。いや、そんなに責めるつもりでもないが、なんの話だったかな。そうだ、私の食生活だ。つまり、私の食生活は世界規模で見ればまだまだ狭い食物世界なのだろうがその中では特に選り好みして食べ分けるような慣習はない。これ!という好きなものこそないが嫌いなものもない。多くの子供が嫌うであろう人参やピーマンやトマトはむしろ好ましく思っている。何あれ、なんであんなに赤くなったり橙色になったりなんとも形容し難い形になったりすんの?超面白いんだけど。味云々より存在が好ましい。そして、この学校における私の食生活は基本的には弁当だ。朝、母が作ってくれる弁当をありがたく頂戴している。しかしたまに諸々の事情、いわゆる諸事情というやつで作れない時がある。そんな時はなけなしのお小遣いを握りしめ、コンビニで買っていくことになるのだ。そして今日はおにぎりとインスタントの味噌汁を買った。少ないって?肝心なのは個数だよ。おにぎりを4つ購入したのだ。味は梅、紅鮭、昆布、おかかというなんとも日本人らしいセレクションだろう。我ながら感心する。あれ、もしかして和食が好きなのかもしれない。おにぎりは問題なく食すことができた。あのパリパリしたりしっとりしている海苔もまた私の舌上の味蕾が喜んで受け入れてくれたことにより何とも心地よいダンスを口の中で繰り広げていた。問題は味噌汁だ。お湯は食堂に行けば誰でも手に入れることができる。お湯を入れた後のかき混ぜが甘かったのか、途中から味噌そのものと何度も対峙することになった。「味噌そのもの」って言い辛いな。しかもそれに気づかすに何度か口に運んでしまった。これには味蕾も眉をしかめていただろう。拒絶するほど不味くはないが、美味しくもない。味噌単体なんて、好んで食さない。これは嫌いな食べ物としても良いのだろうか。そんな昼休みだった。そう、この残念な話をするために私の食生活の話をしたのだ。
そんなことを思い出していると、信号が変わる。今日は駅員さんもいる。なんというか何もない穏やかな日だ。いや、何もないわけではなかった。味噌に嫌がらせをされた。しかしそんなことはもうどうでも良い。そう、どうでも良い。
「こんにちは」
「こんにちは?ですかね、もう間も無くこんばんはの時間ですよ」
「細かいこと気にしない!」
「じゃーん!どう?今日は」
じゃーんって初めて言われたが、思ったより破壊力あるな。ここでいう破壊力はもちろん褒め言葉だ。私もいつかやってみよう・・・とは思わない。
「そうですね、ちょっと待ってくださいね」
私は彼女の姿を観察する。観察しないと分からないレベルだったのだ。髪型は下ろしているし制服もちゃんと着ている、いやラフに着崩してはいるが、それはいつも通りだ、おそらくそこではない。どこだろうか。
「そんなにじろじろ見られると、ちょっと照れるね」
「あ、いや、そんなつもりは!」
「そんなつもりって?どんなつもり?」
「えっと、それはですね、いや、変な意味ではなく」
「だから、変な意味ってどういう意味よ」
「いや、だから・・・意地が悪いですよ、そんなこと聞くなんて」
「へへーん、だって、ちょっと面白かったからさあ、反応が」
「はあ、そうですか」
「んで、わかった?」
「そうですねぇ」
女性が身につけているものなんて普段見ない。というより見て良いものだと思っていない。だから気にしたこともなかったが、いざ探してみると分からないものだな。いや、決して今が見て良い状況だと言いたいわけではない。そもそもいやらしい視線は向けていない。痴漢と視姦はしない、というよりできない。
ふと視線を上に向けた時、もしかして、と思うものがあった目元がほんの少し違う気がした。
「もしかして、まつげ、ですか?」
「おぉ、せいか〜い!わかるもんだねえ、時間かかったけど」
「いやいや、普通気付きませんよ、自分は」
「でも、気づいたじゃない、それに、どうせ気づかないだろうと思ったからやってきたのよ」
「なんでですか・・・」
「少しくらい難しい方が張り合いあるじゃない?」
「昨日からの難易度の上がり方が異常ですよ」
「まあまあ、良いじゃない、でも、こういう変化に気付いてもらうのは嬉しいものよ」
「そうなんですか?」
「もちろん、だから、気付いてくれてありがと!」
「い、いえ、そんなことは」
正直、どこか違うところがある前提で見ないと気付けなかった。何も意識していないときに見ても気付けたら、それこそ喜んでもらえるのだろうか。それにしても難易度が高すぎだ。毎日目を見て話すようにしているのに、こんなにも分からないものか。
「じゃあ、明日はもっと難しくしてくるわね」
「もうそれは気づかないです、断言します」
「やってみないと分からないじゃない、やる前から可能性を潰していたら何も生まれないわよ」
彼女は、たまに良いことを言う。いや、きっとそれも彼女の真っ直ぐさがそう見せているのだろう。きっと彼女は良いことを言おうだとか、その場の雰囲気に合わせた気の利いた言葉をかけようなんて思わない。常にありのままで素の彼女ので生きている。そこに、私はどうしようもなく憧れるのだ。彼女のようになれたら・・・。
「そうですね、わかりましたよ、受けて立ちますよ」
「そうこなくっちゃ、どうしよっかなあ〜」
そうおちゃらけて空を見る彼女。綺麗な赤と青のグラデーションを描いている空を眺めているそんな彼女を私は眺めていた。風が彼女の髪を靡かせる。風と彼女はどことなく似ている。真っ直ぐなところ、大きな力を持っているところ、その力を大きく見せずに静かにありのままに他者と向き合っているところ、うん、彼女は風のようだ。ふと、そんな気がした。
「今日は心地いい気候でしたね」
「そうね」
「この時間、好きです、自分」
「そっか、よかった」
少しだけ、「私も」と言ってもらえるのを期待してしまった自分がいた。彼女も、そう思っていてくれたらいいな、とそう思う。
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