第22話 憤怒の木曜日
当たり前のことはいつだって失ってからその存在の尊さに気がつく。一人暮らしをし始めた人にとっての親という存在。家事や身の回りのことを全て自分でしなければならない生活にさらされることでその全てをしてもらっていたことをありがたく思う。そもそも家に帰った時に自分以外の誰かがいてくれているということ自体が当たり前のようで幸せなことなのだろう。私にはそういう経験はないがそのような話をよく聞く。しかし小学5年と6年の時の担任の先生の存在は私にとって極めて大きなものだった。友達のように近い距離感で接してくれたあの先生のことを私は忘れない。当時はまだ子供っぽさが残っていた私はその先生の気さくな接し方、生徒との向き合い方がシンプルに好きだった。私たちが小学校を卒業した直後に別の学校にいてしまったらしく、それ以来会えなくなってしまったが、あの時のかけがえない時間を今ではとても大切に思う。
また、大切なことは第三者から見た方が気付きやすい。その人の良さやその人が本当はどう思っているか、側から見ている方がわかりやすい時がある。それはその思いが強ければ強いほどわかりやすい。彼氏の愚痴を言っている彼女の話を聞いていると大抵「あ〜、この人、なんだかんだ彼氏のこと大好きなんだな」と心の中で思ってしまう。全く贅沢な悩みだ。ちなみにその話は女子が私にしてきたのではなく、盗み聞きしながらチラ見した結果、導き出した結論だ。無論、私に話しかける女子なんているはずがない。悲しいかな、再確認した。何が言いたいかというと、大切なことは渦中にいる本人は気づきづらい。
しかし、私は自分でも立派だと思うほど、日々、自分を取り巻く環境に感謝はしている。両親にはもちろんのことだが、あのにっくき信号にさえ、なんだかんだ感謝している。ひとりで会話していると自分を客観視することが多いのだ。いや、俯瞰で見ているとでもいうのだろうか。もう1人の自分が宙に浮いて自分の背中を後ろから眺めている感覚を覚えている。そして私が今から何をしようとしているのか、どこに向かおうとしているのか、その思考のあれこれを後ろから俯瞰して認知しているため、感情や意識を自覚しやすい、と思っていたのだが・・・
やはり、気づけないこともあるみたいだ。たった1人の、それも短期間しか関わっていない女性に対する感情に気づくことができていなかった。自分とは長い付き合いだ、それくらいわかるものだと思っていた。驕るのはよくないようだ。しかし気づいた時、俯瞰している私には喜怒哀楽のどの感情が見えていただろうか。気づいた時にはその大切な感情を伝えたい人がいなかった。寒空のした、シンとした乾いた風が吹き抜ける。この場所は、こんなに風通しがよかっただろうか。穴の開いたフェンスに寄りかかり、ポケットに手を突っ込み向かいのホームに飾ってある大岩歯科医院の看板をボケーっと眺めていた、この街、歯医者多くないか・・・?歯が悪い人が多いのか、歯を大切にしていないのか、そのどちらかだろう。そんなことはどうでもいい。本当に・・・どうでもいい。この時間がこれほど長く感じるなんて、この時間がこれほど寂しく感じるなんて、この時間がこれほど懐かしく感じるなんて、すぐそこにあったはずなのに手を伸ばすこともできない。そもそも手を伸ばす方向もわからない。ふと自分の掌に目をやり、力なく握り締めた。
「どこにいるんですか・・・」
微かな独り言も煙のように宙を漂い消えていく。口に出しても届かない言葉に、何の意味があるのだろうか。
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