第9話 怠惰の月曜日
と、いうことでまた新しい1週間が始まっている。なにがと、いうことで、だ。今週も相も変わらず例の半無人駅に向かっている、と見せかけて実は先週とは違うところがある。まず、月曜日は瀬古という厄介な教師が生み出す特殊効果によって有無を言わさず授業が終わる時間が遅れてしまう。しかも今日は瀬古が大好きだと言っていたフランス革命の単元が終わりそうだったから心なしか終わらせないように地味に引き伸ばすという悪あがきをしているように見えた。なんという教師だ。SNSに書き込んで炎上させてやろうか、と思ったがその手の類を一つもしていない私には無理な話だった。瀬古に反旗を翻すには革命並みの準備が必要になりそうだ。それにしても、先月からフランス革命の話をしていたがあれが大好きだという思考が分からない。ルイだのピエールだのハプスブルクだの、何を言っているんだ。登場人物の名前を覚えるのさえこんなに難しいのにさらに随所で起こる出来事も非常に覚えづらい、瀬古はあれだ、いわゆる変態というやつだ、そうに違いない。日本のことすら大して知らない私からするとはるか異国のフランスのことに興味を持つという思考にはならない、いやでも待てよ、ナポレオンのことはなぜか知っているな。なぜだろう、彼のことは聞く前から名前くらいは知っていた。名前だけが1人歩きしている状態なのだろうか。興味を持ったことはないはずだが、ナポレオンさん、あなたは誰ですか。これはまずい、これ以上考えると頭がおかしくなりそうなのでやめておこう。自ら歴史の脱出ゲームに入り込むほどドMではない。件の瀬古による特殊効果、そうだな、Time Extendedとでも名付けよう、たまには厨二の頃を思い出そう。そのTime Extendedが発動したこととは別にさらに遅れた理由がある。そう、あの忌まわしい掃除当番という悪しき風習である。私のクラスは出席番号の頭から5人ずつを1班として1週間ごとに掃除当番をローテーションしている、というかどこのクラスもこんなもんだろう。出席番号は1番から青山、2番赤木、3番足立、という具合に男子から始まる。ん?「あ」から始まるやつ多くないか。まあいい。男子の1番最後は鷲田、女子の最初は飯田なのだが厄介なことに鷲田は21番、飯田は22番なのだ。つまり5つ目の班は男が鷲田1人、あとは全員女子という悲惨な班が構成されているのだ。鷲田本人がどう思っているか知らないしそもそも話したことはないが、私だったらなんとかして名字を変えるまである。担任も空気を読んで男子1人くらい前の班に組み込んでやればいいものを、あれでは他の女子も1人の男子に気を遣ってしまうではないか、誰も得しない。そして今週は我々が掃除当番になったわけだが、うちの担任の厄介なところがもうひとつある。やけに掃除に厳しいのである。他のことには一切口を出してこないくせに掃除に関しては潔癖症かの如く細かくチェックする。実はこの教室に住んでいるのではないかと思ったほどだ。だから他の教室よりも時間がかかるのだ。つまり、瀬古とこの担任のダブルパンチのおかげで帰る時間が大幅に遅れる事が必至なのだ。ふと空を見上げると心なしかいつもよりもお天道様が低い位置にいるように見える。もはや見上げてすらいない。ほんのちょっと首を上に向けるだけで目が合ってしまう。そういえば、日中はあんなに輝いていて目を合わせることなんて到底できそうにないのに、この時間になると橙色をしてなんともノスタルジックな気持ちにさせてくるのはなんなのだろう。空気中の粒子が・・・とかそういう話ではなく、見るだけで無条件にこの気持ちにさせてくれるこの力が謎である。科学的な根拠がちゃんとあるのだろうが、それを知ってもきっとこの気持ちは変わらないのだろう。実に不思議だ。何より私にそんな人並みの感情があることが少し微笑ましく思えた。うん、私もまだまだいけるではないか。しまった、太陽を見ていたせいで信号が変わっているのに気づくのが少し遅れてしまった。実に危ない。この機を逃すとさらに遅れることになる。まっすぐに改札に向かう、もはや恒例と化している駅員チェックをしよう、今日は駅員室にいるようだが寝てはいない。パソコンとにらめっこしながら小難しい顔をしている。なんだ、クレームのメールでも来ているのか、と思ったら大きな大きな欠伸をした。やはり眠たいのだ、ご苦労様です。向かい側のホームを確認する。今日は何を食べているのか確認しようとしたが、見たところ何も持っていない。ここからは見えないほど小さいものを食べているのか。連絡橋からみる太陽もいつもとは違う気がした。そういえば、これだけ遅くなっていることを彼女に何かしら咎められないだろうか。おそらく避けられないな。半ば諦めて階段を下りる。
「ちょっと、遅いんだけど!どれだけ待たせる気?」
「すみません、ちょっといろいろ重なってしまいまして」
「色々って何よ」
やはりな、しかし彼女は沸点と氷点が極端な人だ、ちゃんと理由を説明すればあっさり許してくれるはずだ。私にはなんの非もないのだから。
「最後の授業が長引いた上に今週は掃除当番なんです、しかもうちのクラスの担任掃除には厳しくて」
「ふ〜ん、それで?」
「そ、それで、とは?」
なんだ、いつもならこれで、「そっか、なら許してあげる」となるはずだが、今日はどうやらそれでは済まないようだ。まずいな、新たな攻撃パターンを習得しているようだ。
「それからあんたは急いでここまで来たわけ?向かいのホームから来るあんたを見てた感じ亀のようにゆっくり歩いてきていたみたいだけど」
なるほど、そういうことか、亀のようにというのはひとまず置いておこう。遅れたことはしょうがないにしろそこから急いで帰ることは出来ただろうということか。しかしそんなことを言うと先週だって急ごうと思えば急ぐことはできたはずだが触れてこなかった。いや今はそんなことはどうでもいい、これは大人しく謝るに尽きる。
「すみません、確かにここまで来るのに急いではなかったです」
「そっかそっか、私にはそんなに会いたくないってことだね、なるほどなるほど」
「え、ちょ、どういう・・・」
なんだこの人、こんなことを言う人だったか、私をからかっているのか、そもそも会いたくないなんて言っていないのだが。わからないぞこれは、今世紀で1番の謎だ。瀬古のフランス革命愛好家なんてちっぽけに思えてくる。
「だったら、少しくらい早く歩いてきてもいいんじゃない?」
「そ、そうですね」
考えてもわかるものではない。これはおそらくそういうものだ。大体人の気持ちなんて理解しようとしてできるものではないじゃないか。ただこの人に誤解されたくないことが1点あった。
「会いたくないなんてことはないです、ただ、自分と話しながらゆっくり帰るのが好きなんです」
「・・・」
なんだこの反応は、激昂されるのか、いやそれとも、哀しい人間だということを再認識して声も出ないのか。いずれにせよいい反応は期待できそうにない。
「そっか、あんたにもそういうこだわりがあるんだね、うん、わかった」
予想外だ、彼女はいつだって私の予想を遥かに凌駕してくる。やはり不思議な人だ。ただ、マイナス評価を下されたわけではないようだ。よかったよかった。
「はい、すみませんが」
「なんで謝るのよ、いいじゃない、こだわらない人間はつまらないわよ」
「そうですか・・・どうも、です」
「じゃあさぁ、サボっちゃいなよ、その授業」
「いやいやそんな、授業は受けたいですよ」
「変なところ真面目だね、じゃあ掃除サボっ」
「絶対に無理です、殺されます」
「ありゃりゃ、それは困るね。どれだけ掃除命なのよその先生。まあいいわ、今週は気長に待ってあげることにするわ」
「ありがとうございます」
初日にしてまた新たな彼女を知ることができた気がする。しかし遅れることはなんとかしないと、明日から授業は遅れないにしてもあの掃除はやはり厄介だ。なんとかしなくては。
「明日は少しでも早く来れるようにします」
「うん、期待しないでまってる」
電車到着メロディがいつもより早く聞こえた気がした。時間が少し遅れただけでこんなにも帰り道の景色が違って見えることに今になって気づいた。これも彼女のおかげなのだろうか。しかしこれはいわゆるあれだ、月曜日はいつも前途多難だ。
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