第9話 一人ぼっちのいばら姫
△
私は皆とは違う。
皆がお日様の下を駆け回る中、私は一人ベッドの中で眠ってばかり。
体が弱くて心も弱くて、まるで魔女の呪いにかかったみたい。
「ねぇ、あの子自分が可愛いから皆と違うと思ってるんだよ。」
「ねぇ、あの子弱い子ぶって皆にちやほやされたいんだよ。」
「ねぇ、あの子皆と居るのが嫌だからいっつも休んでるんだよ。」
あの子は、あの子は、あの子は…。
悪意は茨の様に絡み付いて、孤独な世界を作っていく。
もう誰も私の声を聞いてくれない。くすくすと嘲笑う声が耳にこびりついて目も耳も閉ざしてしまう。
王子様でさえ、私を笑い見捨てたから…。
この呪いが、私を
私は眠りたくなんて無かったのに…
▽
白清水のお屋敷を離れて車に揺られる事数十分、私たちは行き付けの商店街に訪れて買い物を済ませていた。この清潔で賑やかな商店街は、私達が暮らす「白清水町」の象徴的なスポットだ。
そう、この町はかつて白清水家が領主だった頃の名残で、同じ名前が冠されている。
その関係か「メイド服を見たら白清水の人間だと思え」なんて考えられていて、古くから住んでいる人には未だに尊重されているようだ。
入るお店は日頃からよく利用するのか、店主の多くがメイド長の顔見知りのようで滞り無く買い物は進んでいく。私達の両手は買った物が詰まった袋でいっぱいだ。
お菓子の材料や紅茶の茶葉、掃除用の細々とした物までその手に持った荷物は様々だ。時折メイド長と一緒に「あれが足りない、これが切れそう」等と思い出しては買っていた所為で、予定を越えて多くの荷物が三人の両手にその重量を思い知らせている。
もう何件も渡り歩いた事から足は棒の様だというのに、メイド長はまだまだ元気なようで今もせかせかと前を歩いている。長い足と芯の通った姿勢でぶれることなく歩く姿は、周囲の視線も巻き込んで注目を集めている。日頃からエネルギーに溢れた女性だとは思っているが、こういう姿を見るとより憧れを抱く反面、自分もまだまだだなと再認識する。
「…ふぅ…ふぅ……。へ、平気なの…鏡花ちゃん?」
「始めてって訳でも無いですからね。辛いならメイド長に休むよう頼むので、遠慮せず言ってください」
「…だ、大丈夫…!頑張って…みるよ…!」
ちらりと斜め後ろを見てみれば、睡ちゃんがひぃひぃと息を切らしながら付いて来ている。
慣れない格好に慣れない場所での買い物なので特別疲労も溜まっているのだろうが、手伝ってあげたくても私の両手も既に限界まで埋まっている。メイド長も鬼では無い…と思うから求めれば休憩させてくれるのだろうが、本人もこう言っているみたいだし先も長くないので頑張って貰うとしよう。
片方は申し訳なさそうに、片方は必死に歩いている私達は勿論メイド服。先の言葉通り昔からの住人はともかく、他の通行人や店員には奇異の目で見られるのでは?とも昔は考えていたが、この世界がゲームだからなのか案外視線は普通な物だ。
むしろ学生や店員の制服の方が典型的な二次元的デザインをしており、私達の方が没個性にすら見えるというのは私がメイド服に慣れ過ぎたからだろうか?
今は買い物を終えて車に向かうために、駐車場へと来た道を戻っている最中だ。最初に比べて帰宅する学生等も増えてきたため、人混みが激しくなってきている。がやがや騒がしい人々の波の中では、何かの拍子にメイド長を見失ってしまいそうでの、姿を追うのに必死になる。
情けない事に目の前に集中しすぎていた私は、睡ちゃんが逸れている事に気付いていなかった。
駐車場に着き人混みが薄れた頃、メイド長は周囲を見渡すと焦ったように口を開く。
「…鏡花さん、睡の事見ていませんか?あの子の姿が見当たらないのですがっ」
「え…、睡ちゃん…?…ごめんなさいっ!私目を離しちゃってたみたいでっ!もしかしたら逸れちゃったのかもしれませんっ!」
駐車場に着いたことでやっと荷物を置けると思った私は、自分の失態に焦燥する。
人が苦手な彼女のことだ、余りに多くの人の波にパニックを起こしてしまったのかもしれない。そもそも疲れていた事を知りながら強引に休ませもせず、メイド長の速度に合わせようとした私の落ち度だ。
自分の情けなさに気分が沈みかけるが、今はそんな事をしている場合じゃないだろう。
「メイド長!私、荷物を置いたら探してきます!」
「待ちなさい。私が貴女の分も荷物を置いてくるので、鏡花さんは先を急いで!睡を頼みますよ!」
言うが早いか、メイド長はそのスマートな腕では考えられない力で荷物を奪い取ると、一度此方を力強く見つめてから車へと急ぐ。
「睡を頼みます」確かにその思いと信頼を受け取って、彼女の姿を探すために駆け出した。
商店街は今も人波を大きくしながら、その喧騒を広げている。
最後に睡ちゃんを見た地点を探し近寄ろうとするが、人の間を縫いながらでは容易に事は運ばない。同時に辺りを見回しその特徴的な服装を探してはいるものの、お互い小柄なため絶望的だろう。
今頃泣いているだろうか、もしかしたら良くない人に絡まれてるかも。最悪な展開を想像する私に、誰かの声が喧騒の中にも関わらず耳に響いてきた。
「あれ、もしかして「眠り姫」ちゃん?こんな所で何してんの?」
若い女性の声、年は恐らくそう変わらないか少し上ぐらいだろうか?音の出所を注意して見てみれば、人の隙間から睡ちゃんらしきメイド服がチラリと見えた気がする。詳しく見ることは出来なかったが、荷物もそのままでちゃんと自分の足で立っているようだ。
なんとも無さそうな様子に安堵しながらも近づくのに苦心していると、私の耳に信じがたい言葉が聞こえてくる。
「「眠り姫」ちゃん?なにそれ」
「えっ知らないの?小学校の保健室に何時も居た名物お姫様だよ!あの学年中から嫌われてた!」
「あー、あの子か。よく嫌われてるなんて知ってんね」
「そりゃ、あんだけあからさまに無視されてればね。所でそれメイド服?とうとうお姫様やめて使用人にでもなった感じ?笑うんだけど」
「……っ!……うぅ…。」
「黙ってないでなんか言いなって。つまんないなー、そんなんだから「呪われた眠り姫」なんて馬鹿にされんだよ?」
「ちょっとやめなよ。なんか可哀想になってきたじゃん。ごめんね、もう行くからさ」
「あ、ちょっと!待ってよー」
………怒りで涙が出そうだ。
どうしてよく知らない人にまで睡ちゃんが馬鹿にされなきゃならないのか。それもこんな人混みのど真ん中で言うことじゃないだろう。
彼女の辛さも悲しみも痛みも知らないくせに、無責任に言葉をぶつけるなんてあの人には人間の心が無いのだろうか?
今すぐ睡ちゃんの事を抱きしめてあげたい、胸の中で慰めてあげたい。
あなたは呪われてなんかいないんだって。
人混みが開ける。あの二人はすでにその場を去った後みたいで、彼女の周りには誰もいなかった。
それ所か通行人すら距離を開けて歩いていて、異様な雰囲気が漂っている。荷物を足元に落とし虚空を見つめてぶつぶつと何かを言っている姿は、確かに不気味で避けてしまうのも無理は無いのかもしれない。
「睡ちゃん大丈夫!?あんな言葉気にしちゃ………っ!」
驚かさないように声を掛けながら、ゆっくりと近づきその肩に手を置く。振り向かせるように覗き込むと、その絶望を表す顔に反射的に息を呑んでしまう。蒼白な顔で瞳孔を開き涙をただ流し続けるその表情に、私の言葉は届かないのだと理解する。
うわごとの様に言葉を繰り返す中、彼女の口から聞き取れたのは、
「ごめんなさい」「私で」「行かないで」
私はこの時どんな表情をしていたのだろうか…。何故だか彼女の瞳が私を拒絶しているように見えて、何か致命的な変化が訪れた気がする。
メイド長が来るまで、私達は時が止まったように動く事が出来なかった。
あの後睡ちゃんを見つけたメイド長は血相を変えて駆け寄り、彼女をその腕の中に隠すように抱きしめた。途端に堰を切ったかのように泣き出す彼女を見ていると、あの時気圧されてた動けなかった自分に失望する。
車に戻るまでの道中もそのままで、時折声を掛けながら進む後姿を私は眺めている事しか出来ない。
彼女の側に寄り添うと、その手を握ると決めたのに、今の私は彼女の隣にすらいない。情けない自分に嫌気が差して、車に着くまで顔を上げることが出来なかった…。
帰宅途中の車内でも、彼女は後部座席で顔を伏せたまま涙を流している。
何よりもショックだったのは、彼女の隣に座る事を無意識に嫌がられた事だ。正直吐き気がする位悲しかった。それほどにあの時手を差し伸べられなかった事が彼女を傷つけたのだろうか。
メイド長は何も言わない、首をゆっくりと横に振るだけで言葉を掛けてはくれない。
ただその目は軽蔑等は含んでおらず、ただ「時間をあげて」と言ってる気がした。彼女を思うゆえの行動だとは理解できても、役立たずだと言われているみたいで少し悲しい。
励ましも慰めも伝える事が出来ずに、窓の外で流れていく景色を見ているしかなかった。
お屋敷に帰宅した後、睡ちゃんは休ませた私とメイド長は購入物を片付けている。彼女を介抱することは叶わず、辛そうに屋敷の奥へと向かう姿を眺めているしかなかった。遠ざかる小さな背中は、お前は無力だと突き付けられるみたいで直視するのが難しかった。
沈んだ気持ちで料理の材料等を片付けていると、メイド長の追い討ちのような先の言葉が向けられた。
「睡は私の部屋で過ごさせる様にします。教育係も一時的に私がしますのでそのつもりで。勝手に入った事は申し訳ありませんが、荷物は既に移し替えてありますからご安心を」
なんとなくは予想していた事だ。結局彼女は帰宅後も口を利いてくれていないし、此方をまともに見ようともしてくれなかった。
その上でこの言葉だ、私は本格的に嫌われてしまったのかもしれない。
「そう、ですか。当然ですね…私と同じ部屋なんか困るでしょうし」
「勘違いしないように。けして鏡花さんが悪い訳でも、睡に嫌われている訳でもありませんから」
「じゃあ、どうしてですか?」
理解したくても、上手く出来ない。無口ではあるものの必ず口を開いてくれた彼女が終ぞ口を開かなかったのだから、嫌われたと言われるほうが自然だ。
少しの苛立ちを込めて聞き返せば、真っ直ぐなメイド長の視線に自分が八つ当たりした事を思い知らされて恥ずかしくなる。
「睡には、睡なりの葛藤と失意があります。今はその事に精一杯で鏡花さんと上手く話す事が出来ない、と口にしていましたから、少し時間を空けて接するためにも私の部屋で過ごさせようと思います」
「…時間、ですか?」
「ええ。多分睡は、今の自分だと鏡花さんに嫌われてしまうと考えているのでしょう。だから貴方は待ってあげなさい。諦めずに踏み込み過ぎずに、だけれども昨日までと変わらずに。あの時のあなたと同じように、睡が立ち直り踏み出すのを待ってあげてください。」
「待つ」あの時とは違って難しい事だ。誰かを信じて待ち続ける、その思いが報われるか解らないのに待ち続けるというのは暗闇の中に手を伸ばすような行為だ。
だけど、拒絶されたわけじゃない。寧ろ彼女は私と歩み寄るために考えて、少しの間距離を取ろうと考えたのだ。
嬉しい。ぽっかりと空いた情けない心が、少しずつ満たされている事に気付く。
ならば信じて待とう。今までの私と変わらず側で待ち、彼女が抱える不確かな不安が少しでも和らぐように行動しよう。私の気持ちは揺らがないと、その身を持って証明するのだ。
彼女が勇気を持てたときに、その苦しみを伝える事に悩まないように。
「わかりました。私、変わらずに待ち続けます。大好きな想いを伝えるために。睡ちゃんが安心して戻れるように」
私の目に確かな熱が見えたのか、メイド長は満足そうに頷くと作業を再開する。
現状は変わらないし睡ちゃんとはすれ違ったままだけど、きっと最悪の展開は訪れないと思う。お互いに嫌われるかもなんていう、そんな勘違いはすぐに解決する事だろう。
心なしか軽くなった気分のままに作業を進めれば、動かす手も重たくなくて片付けはすぐに終わった。胸の内は羽の様に軽いなんて事は無いけれど、少なくとも泥濘の様な澱みはいくらか払拭された。
次の仕事に取り掛かるため部屋を後にしようとする私に、メイド長の懇願するような呟きが耳を掠める。
何時も気丈なその人から紡がれる想い、それは…
「貴方は私たちと同じ過ちを犯さないでください。きっと…睡を助けられるのは鏡花さん、貴方だけでしょうから……」
自責の念が酷く込められた、しかし心強い願いの言葉。その言葉が聞こえようとも私は後ろを振り向かない。
私はあの夜に、彼女を救うと心に決めていたから。
良くない出来事というものは続くようで、翌日からお姉様と父が数日屋敷を空ける事になった。
伝えられたのは夕食の時で、この日は睡ちゃんは食事の時間にも顔を出す事が出来ず、見慣れた席が無人な事の寂しさと心配からうっすらと空気が沈んでいた。
「少し離れた所に暮らす友人からパーティーに誘われてね。本当なら僕一人で顔を出そうとも考えたんだが…」
「来年から私の通う学校の理事長でもある人だから、一度顔合わせをと思ってね。そのついでに学校の見学と周辺も見て回るから、良かったら鏡花も一緒にどうかしら?」
突然の申し出でにすまなそうにしながらも、けれども場を暗くしないために努めて明るく提案するお姉様達。その華やかな集いに憧れないと言えば嘘になるが、今の私には解決しなければいけない問題があるので屋敷を離れる事は出来ない。
せっかくの提案を断るのは申し訳ないが、二人も理解してくれるだろう。
「いえ、私は屋敷に残ろうと思います。
「そう、約束は破ってはいけないものね。ねぇお父様?」
「あぁ、愛しの鏡花を見せられないのは残念だが仕方ないだろう。先方には振られてしまったと伝えるとしようか」
二人は理解してくれている。私と睡ちゃんの間に何かあった事も、その出来事が簡単には解決しない事を。だからこそ離れるという選択肢をくれたのだろうが、彼女から逃げて楽しく過ごすなんて出来ないしきっと自分が許せなくなる。
二人は暖かく見守ってくれるし、信じて託してもくれている。その信頼に応えるのだ、私らしく前を向くという姿勢をもってして。
温かい料理の熱は、皆からの勇気の様に感じた。
翌日お姉様達は早朝から出掛けて行った。爽やかな青空が眩しい一日で、私達姉妹の門出を祝っている様だ。お姉様はパーティーに、私は少し変わった何時もの一日に。
「行ってらっしゃい」と屋敷を後にする車に丁寧に頭を下げる私は、身支度を手伝う時にお姉様から言われた言葉を思い起こす。
赤く優雅なドレスに負けないような燃える様な赤い髪をセットする私に、鏡越しに託された実感の篭もった助言の言葉。
「鏡花、諦めないことよ。顔を下げずまっすぐ前を向いて、諦めずに立ち続けなさい」
きっと皆不安だ。未来なんてわからなくて、心なんて見えないのだから。でも私は諦めないで立っている、誰かの事を、大切な皆を信じているから。
夏のうんざりするような暑さを吹き飛ばす風が、私の背中を押してくれているみたいだ。
まるで世界が私の事を応援しているみたいで、髪を押さえる私の口に思わず笑顔が浮かぶ。
さぁ、今日も「何時もの日々」を始めよう。
◇
「王子様すら見捨てた眠り姫は、誰が手を差し伸べるのでしょうか。」
◇
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