第26話 灰被りの影
◇
魔法にかけられなかった灰被り姫はどうなるのだろうか。
どれだけ美しくとも、誰の目にも留まらないのなら意味がない。
光の下で輝きたいと願っても、誰も見てくれなければ陰ったまま。
そうして灰被りはその身を自ら消してしまった。
何処までも続く闇に耐えかね、鐘の鳴らない世界を去って、
やっと見つけた幸せな世界だったのに。
どうして貴方は12時の鐘を鳴らそうとするのだろう。
魔法は無いと否定するの?お城なんて幻想だと言うの?お姫様なんていないと夢を壊すの?
どんなに私が書き直しても、貴方はそれを認めないのだろう。
ここは私の幸せな世界、きっと覚めない魔法の時間。
それを貴方が壊すというなら……
物語は終わらせるべきでしょう?
◇
最近の部長は鬼気迫る勢いだ。
それもその筈、御陰さんは学院祭で本を展示するつもりなのだ。今までも部室で執筆していたお話が、その日にとうとう読めるということだ。今も私が来た際に軽く挨拶を交わしたのを最後に、言葉一つ無く執筆に集中している。
少し申し訳ない気持ちになる。自分も文芸部だというのにのんびりと読書なんかしていて良いのだろうか。勿論出し物について何もしないという事は無く、私は自分で作成した絵本を展示する予定だ。
何時の間になんて思うだろうけど、部活動を始めた当初から学院祭の話は出ていたし、案を出してくれたのは経験がある睡ちゃんだ。
睡ちゃんは意外な特技として絵が上手い。そんな彼女は毎年絵本を作っていたらしく、今年は私も共同で作ろうと誘ってくれたのだ。そこで役立つのが前世の知識。ゲームのスチルを参考にしたり、モチーフとなった童話を選ぶ事で制作は円滑に進んでいる。
予定では五作の作品を作るつもりで、それぞれ中の良い皆に縁のある童話だ。
私とお姉様と姫大路さんの「白雪姫」
睡ちゃんの「いばら姫」
与羽先輩の「ヘンゼルとグレーテル」
赤穂の「赤ずきん」
髪永井さんの「髪長姫」
これらの作品を作っているのだが、予想よりも作業が順調で既に最後の作品に取り掛かっている。残りは睡ちゃんのイラストが完成してからの作業となるので、今は手持ち無沙汰というのが現状だ。
気持ち日が短くなってきた部室の中は、少し暗く見えて寂しさを感じてしまう。一度気になると意外と引きずるもので、読書をする気にもなれない私はぼんやりと窓の外を眺めている。
ペンの走る小気味良い音が眠気を誘う中、ふと御陰さんが視線の端に見えた気がする。此方を伺っているような気配を感じて顔を向けて見れば、やはり私の事を見つめている…と思う。
その顔には影が落ちていてどんな表情をしているのか、そもそも私を見ているのかも曖昧だ。
しんと静まり返った部室の中は、永遠に続くかと思われるほど変化が訪れなくて…。
不意に、せせらぐ様な静かな声が二人の時を動かした。
「ねぇ、白清水さん……。誰かを好きになることは、幸せな事…?」
突然のことに言葉が詰まる。どうしてそんな質問をするのか、御陰さんの思惑が読めない。
好きになるだけなら、それなら大体の人が幸せだと言うだろう。好きになれる程想えるのならば、それは素晴らしい事に違いない。
何故そんな普通の事を……?
「多分、幸せな事だと思います。好きになるって事は、それだけ素敵な人に出会えたって事ですから」
「そう、それが普通…」
私の言葉に御陰さんはうんうんとゆっくり頷くと、また静かに言葉を続ける。
「なら、例えばの話だけど、お姫様と結ばれるには全てを失うしかないとして、王子様はどちらを選ぶかしら?」
「…?あ、もしかして今書いてる物語の話ですか?」
突然の質問に困惑するものの、御陰さんの手元にあるノートで思い至る。恐らくは執筆作業に行き詰ったのだろう、お話のアドバイスを求めて聞いてきたのだと思えば辻褄が合う。
「ええ、よく分かったね…。物語の最後、王子様は愛する人か、愛する国かのどちらかを選ぶ事になる…。愛する人を選ぶなら、お姫様の所為で国が終わりゆくのを見過ごさなきゃいけないし…、愛する国を選ぶなら、お姫様の家族を手にかけ幸せを奪わなきゃいけない…。王子はとても悩んでいる、どちらも命を懸けてでも守りたいものだから…」
徐々に夕日が傾いて、御陰さんの姿が露になる。
胸に手を当てて熱っぽく語る御陰さんは、普段の物静かな印象とは違って情熱的で美しい。まるで悲劇の王子が乗り移っているみたいに、切れ長の瞳にはうっすらと雫が見え、白く透き通る頬には赤みが差して艶麗な表情を浮かべている。
お姉様や皆は見せた事の無い、人の心を虜にする表情だ。その虜は私も例外ではなくて、目を離せずに御陰さんを見つめてしまう。どこまでも艶やかで、どこか深い水底のようなその微笑に。
「どうかな…。白清水さんはそれでも誰かを好きになることが、幸せだと思える…?出会わなければ…苦しむ事も無かったのに…」
「……あっ、えと、そうですね…」
まるで酔ったみたいに呆ける私は、彼女の言葉で正気に戻る。御陰さんの意外な一面に未だ思考を引っ張られながらも、彼女の問いについて改めて考える。
だが、どれだけ考えても答えは変わらないようで、私にとっては誰かを好きになることは幸福な事だと思える。
私は知っているからだ。誰か一人にでも愛してもらえれば、それだけで希望が持てるということを。お姉様が教えてくれた。皆が教えてくれた。
きっとその愛が、白清水 鏡花の原点だから。
「…やっぱり私は、誰かを好きになることは幸せだと思います。愛を知らずに生きていくのは、とても寂しいものですから。苦しんでも不幸になったとしても、愛し愛された記憶は心に残り続けますから」
心を込めて笑顔を向ける。その出会いには、御陰さんも入っているのだと伝えるように。
「なんて、無駄に熱くなって恥かしいですね…。すいません、なんか偉そうな事言って」
我に返った私は、途端に恥かしくなって顔を背けてしまう。御陰さんは話の参考にしたかっただけなのに、何を熱くなって愛がどうこう言ってるんだ。
羞恥で赤くなる顔を隠すように窓の外を改めて見ていると、鼓動が落ち着くのに合わせてくすくすと笑い声が聞こえてくる。
流石に笑われてしまったかなんて御陰さんの様子を見ると、ノートに何かを書き込みながら笑っているようだ。どうかしたのかと口を開きかけた瞬間、御陰さんの言葉が聞こえてきた。
「ねぇ、もしもお姫様の前で王子が命を落としたら…、お姫様はどうなってしまうのかしら…?」
その時の御陰さんの表情は見慣れた穏やかなものの筈なのに……
灰色の瞳だけが何処までも暗く感じられた。
私は現在暗くなりだした校舎の中を、御陰さんと二人で歩いている。
帰りを共にするわけでは無く、部室の鍵を戻しにいくために二人で歩いているのだ。別段珍しい事ではなくて、最近は出し物の準備もあってか睡ちゃんも加えて三人で歩く事も良くある。
今日は睡ちゃんが調理部の方に顔を出しているし、お姉様と帰る事も無くなっているので時間つぶしも兼ねて付き添っている訳だ。
しかし私達の間には会話は無い。部室で見た御陰さんの瞳が忘れられなくて、ぎこちない返事しか出来ない所為だ。私の気にし過ぎなのは分かっているのだが、それでも頭を離れない。
今までも様々な表情は見てきたが、あの暗くて深い感覚は初めて経験したものだ。怒りでも無く悲しみでも無い、かつて与羽先輩が持っていた執着に近い気がするが別物なのは確かだ。
私と御陰さんの間には何も無い筈だし、彼女はそもそも攻略対象じゃないのだから知識だって役に立たない。ならば、きっと勘違いだったのか、もしくは物語に入り込んでいたのだろう。傍目から見ていても分かる熱の入れ具合なのだ、感化されてつい表情に出てしまうのも無理ない。
そう考えれば気が楽になるもので、先程の不安は既に無く今は足取りも軽い。
私の様子が落ち着いた事に気が付いたのか、御陰さんも声を掛けてくれる。
「心ここにあらずって感じだったけど…。もう、大丈夫になったみたいだね…」
良かった、いつもの御陰さんだ。やはり私の勘違いだったのだろう、心配をかけてしまってのが申し訳なくなる。すっかり調子が戻った事を伝えるために口を開こうとして……
「いい加減にして下さいっ!やめ…きゃあっ!?」
中庭の方から声が聞こえてくる。これは…、姫大路さんの声だ。
何かが起きているらしいし、周りには私達しかいない。そして姫大路さんに何か起きたとするならば、もしかしたらお姉様が関わっているのかも…!?
私は反射に近い状態で走り出した。隣の御陰さんの事など頭から忘れて。
中庭を覗ける位置に来た私は、目の前の光景を信じたくなかった。
地面に尻餅をついて前を睨む姫大路さんは、まるで誰かに押し倒されたみたい様に見える。毅然とした表情で正面の人物を睨み上げ、穏やかな空気じゃないのは確かだ。
その下手人と思わしき人物の近くには、数人の生徒達が姫大路さんを嘲笑うように眺めている。時折くすくすと含み笑いをしては姫大路さんに言葉を飛ばす。
「自業自得」
「生意気」
「身の程知らず」
などと、決して大きくない言葉で罵倒している。姫大路さんは気にしていないようだが、普通なら涙するほどに屈辱的な状況だろう。
そして最もその場にいて欲しくなかった人物が姫大路さんの前に立って、笑みを浮かべて見下ろしている。何処から見ても彼女が犯人だと分かるものだが、その迫力故に仮にこの場に人がいても何も出来ないだろう。そう断言できるくらいに彼女の迫力は凄いし、絶対零度の微笑は恐ろしい。
彼女が立っているのだ。私の最愛の家族、白清水 凛后がヒロインの前に。
そしてこの光景を私は知っている、見覚えがあるのだ。何があろうと見たくなかった、最低最悪の予期された出来事。
悪役令嬢「白清水 凛后」のイベントが、一つの間違いも無く目の前で起きているのだ…。
「あまりにも情けないからこの位で済ませてあげる。…でも次は無いことを理解しなさい。自分の身の程を弁えて、今後は私に逆らわないで頂戴」
お姉様は屈み込んで姫大路さんの顎を強引に掴むと、目を逸らせないように顔を固定して言い放つ。姫大路さんはそれに頷きもせず強い目で睨み返し、二人の間に緊張が走る。
動きの見せない二人、静かに見守る取り巻き、それを覗き見る私は気が気ではない。このまま見ていては何か起きてしまうかも、動くべきだろうか。でもこれもお姉様の考えなら…?
焦りと不安で少しずつ呼吸が速くなる中、睨みあう二人に動きがあった。
「ふん、何処までも気に食わない女だこと。その調子に乗った態度を何時まで続けられるか見物ね。…貴方達行くわよ。こんな女に付き合ってても時間の無駄でしょうから」
「「「はい」」」
姫大路さんから突き放すように手を離すと、取り巻きを連れてお姉様は此方に近付いてくる。あんな風に人を悪く言うなんて、私の知るお姉様では考えられない。早まる呼吸に酸素が薄くなって、鼓動が早鐘を打つ。もしもあの冷たい目で見られたら、私は耐えられる自信が無い。
そして距離は少しずつ無くなって行き…。
近付いてくる足音が間近を通る時、お姉様は私の方を見なかった。何処までも真っ直ぐ前を向いていて、私なんて存在はこの場に居ないみたいに。
けれど一言、「大丈夫」と私にだけ聞こえるように、優しく囁いた。
良かった、お姉様はお姉様だ。何も変わってないんだ、きっとこれもお姉様が考えたことだったのだ。
安心から足の力が抜けて、近くの壁に手を突いてしまう。でもこれで分かった、お姉様は既に行動を開始していてそれに姫大路さんも協力してくれているのだ。そうじゃなければあの場に髪永井さんが居ないのがそもそも変だし、一度問題を起こしてるのに自ら騒ぎを起こすのは可笑しい。
もう一度中庭を除き見ればもう姫大路さんは見当たらない。やはり、彼女も仕込みなのだろう。あんなに言われればショックを受けそうなものだが、あまりにも行動が早い。きっとお姉様と相談して先程の状況を作り、何かしらの効果を生んだのだろう。
完全に気が抜けた私は腰を下ろして座り込もうとして、
「大丈夫…!?急に走り出したから、すぐに追いつけなくてごめんね…。今、手を貸すから…」
そんな私を御陰さんが支えてくれる。そのまま御陰さんの力を借りながら私は睡ちゃんの元へと向かう。何があったのかと聞く御陰さんににまともに言葉も返せずに、私達は少しずつ進んでいく。
調理部の部室に着いた後、私達は事情を話して睡ちゃんを呼び出してもらった。もう終わる時間と言うこともあり、私達はすぐに帰ることに。
御陰さんは鍵を返しに行くとその場で別れ、私は睡ちゃんの肩を借りながら校舎を後にするのだった。
寮への道を歩く私は、体の調子に比べて気持ちは楽なものだった。
だって知る事が出来たのだから。お姉様は一人じゃないし、決して自暴自棄になったわけでも性格が変わったのでも無い。確信できたのだ、私は静かに待っていても大丈夫なのだと。
その日の夜は、久しぶりに何も考えずに眠りに着く事ができたのだった。
中庭の出来事を境に、お姉様と姫大路さんは揉める事が多くなった。
理由は様々。肩がぶつかったりお姉様が難癖をつけたり、姫大路さんの私物を傷つけたりだと言われている。つまりは虐めが起きている筈なのだが、それは言われているだけで真実かは分からない。
何故なら、言い合う場面を目撃した生徒は多くいるけれど、実際に悪事を見た生徒はいないからだ。実際に揉め事は起きているしその会話から理由は分かっても、肝心のお姉様を悪だと断定できる証拠が無いのだ。
生徒の多くは動きあぐねている。状況は白清水 凛后を悪だと言っているのに、被害者である姫大路さんが何も言わないどころか全く気にせず恋人と過ごしているから。我先にと行動を起こす筈の髪永井さんも静観しているのなら、所詮他人であり被害も無いのなら動けない。
結局学院は、時折起きる二人の揉め事とお姉様への奇妙な不信感を抱いたまま、特別な変化も無く進んでいくのだ。
確実に、しかし漠然とした何かが水面下で動きながら、学院祭が着実に近付いてきてる。
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