鏡の魔法を解いて
第30話 魔法が解けた鏡 1
結局、私は皆のために何が出来たのだろうか。
皆が必死に頑張ってる中で、私はぼおっと立っているだけ。何かしたいのに周りは大丈夫だよなんて言って、私の気持ちに気付いてくれない。
違う、そんな言葉が欲しいわけじゃない。どんなに苦しくても皆と同じ所に立ちたい。なのに誰も居場所を与えてくれなくて、私は地べたを這いずり続ける。
どんなに手を伸ばしても届かない。睡ちゃんも赤穂も諦めたみたいに目を背けて、とうとう誰にも気付かれなくなった。寂しさに涙が出そうでも、こんな情けない私にはそれも許されないのだろう。
そして刻限が近付く。
煌びやかな世界に私一人取り残されて、終ぞ私は誰の役にも立てなかっ……
「ねぇ鏡花。その手に持ってる装飾貸してくれる?あんたの背じゃ届かないでしょ」
「……はい」
手に持ってたリンゴのシルエットを模した飾りを、赤穂に手渡す。最近背が伸びてきた赤穂は軽々と装飾を飾りつけ、私の前を通り過ぎようとして口を開いた。
「なんでそんな落ち込んでんの?」
「私…何の役にも立てません…」
「いや、メイド服着てるし背が届かないんだから仕方ないでしょ」
全くの正論だ。今から接客するための衣装を汚したりは出来ないし、クラスで一番小柄な私ではまともに飾りつけも出来ない。でも皆が働いている中で一人休んでいるのは、メイドの魂が納得できない。
不服ですという顔で赤穂を見つめていると、おでこをぺちりと弾かれてしまう。
「あう!」
「そんな顔したって無理なものは無理。接客の一発目なんだから、気合入れて待機しときなよ」
口元をニッと上げながら次の作業に移る赤穂を見送って、赤穂の言葉を反芻する。確かに私は一番手なのだから、こんな所で燻ってないで開店に向けて気合を入れなおそう。
身嗜みを整えて、髪形もしっかり確認して、綺麗な姿勢と笑顔でお出迎えしよう。
「鏡ちゃん、頑張ろうね」
「はい。白清水流メイドの接客で持て成しましょう!」
いつの間にやら隣に立っていた睡ちゃんに返事をして、もうすぐ始まるお祭りを待ちわびる。
飾りつけも終わり、料理の準備も万端だ。既にクラスの前にはお客さんが見えてきて、否が応でも身が引き締まる。それに不思議な高揚感が湧いて来て、なんだかドキドキしてくる。
私にとってこの学院祭は、大切な人達と過ごす初めての学校行事なのだ。だから興奮するのは仕方が無いだろう。皆で作り上げた青春の結晶を、直接感じる事ができるのだから。
時計の長針が真上を指した。
扉が開き、何人かの生徒がその目に映る。好奇心を含んだ瞳は、私達を見つけると仄かに光り輝いて頬を赤らめる。まるでその表情は、ここまで本格的だと思ってなかったと言ってるようだ。
その表情に微笑ましくなるが、今の私は一人のメイド。お客さん…いや、お嬢様のお帰りなのだから、しっかりと挨拶をしなければ。
背筋を伸ばして、綺麗に笑顔、精一杯の真心を込めて声を出す。
「「「お帰りなさいませ、お嬢様方!」」」
学院祭の始まりだ…!
そう、今日は待ちに待ったサンドリヨン学院の文化祭、その一日目の校内公開の日だ。
この日までに色んなことがあった。皆との出会いやすれ違い、学院を巻き込んだお姉様の事件に姫大路さんの編入。どれも大変で苦難も多かったけど、今となっては忘れがたい大切な思い出だ。
もう私達を悩ます問題は無い。今日は心行くまで楽しんで努力して、大事な青春の一ページを作り上げるのだ。唯の一生徒として、二日間の祭りを堪能しよう。
もうゲームに縛られる日々は終わったのだ。
今日を境に、白清水 鏡花の平凡で少し幸せな日々を始めよう。
十月の青空には雲が少し目立っていて、涼しさが顔を見せ始めている。
天使の新たな門出を、世界は優しく見守っているのだろうか。
朗報、我がクラスのメイドカフェは非常に好評のようです!
といっても校内公開日ゆえにそこまでの客入りではないが、それでも客足は続いている。そこまで席は多くないとはいえ店内は満席だし、私を含めた三人のメイドは忙しく働いている。
そんなメイド三人の面子は、私と睡ちゃんにまさかの赤穂。慣れないメイド服で接客する姿は、緊張か恥かしさかいつもと違ってしおらしい。その意外な可愛らしさにギャップを感じて、ちょくちょく目を奪われてしまう。
「い、行ってらっしゃいませ、お嬢様!」
今も会計を済ませたお客様にぺこりと頭を下げていて、その初々しさに他のお客さんも微笑ましそうだ。
なんて思っていたら、次のお客様に声を掛けられている。何やら騒がしそうにしているのはどうしてだろうと注目して見れば、その会話が微かに聞こえてくる。
「メイドさん可愛いねー。不慣れな感じも良い感じだよー」
「あ、ありがとうございます!」
「その服凄く本格的だよね。何処かのお店から借りたの?」
「これはクラスメイトが持ってた物でして…」
「ねぇ、スカート捲ってみて良い?」
「はぁ!?良いわけ無いでしょ!?」
「ねぇねぇ、お嬢様大好きって言ってよー」
「えぇ!?お、お嬢様の事……」
え、言うのか?あの跳ねっ返りな赤穂が大好きなんて知らない人に?大丈夫なのだろうかと受付をチラリと見れば、親指を立てて気にするなとのゴーサインが。
責任は彼女が取るのだろうと、私も接客しながら見守る事にする。
見れば赤穂の顔は真っ赤になっており、両手できつくスカートを握っている。どこか瞳は潤んでいるし、少し俯いて上目遣いなのが庇護欲をくすぐってくる。
正直に言って、とても可愛い。今の彼女に好きなんて言われようものなら、普通の人なら虜になってしまうだろう。
その様子に息を呑む三人に向かって、赤穂は口を開いた。
「お嬢様の事…………、嫌いじゃない」
唇を尖らせ、目線は横を向きながらも、スカートを握る手をそわそわと動かして。チラチラと相手を見るいじらしい姿、それはまさしく…
「ツ、ツンデレメイドさんだー………」
三人組のお客様は、そのツンデレメイドの可愛さにノックアウトされた。いや、周りのお客様の心まで、赤穂は貫いたのだろう。キュンと音が鳴るみたいに周りは胸を押さえて、赤穂の姿を伺っている。
ふんっ!と鼻を鳴らして次のテーブルへと向かう赤穂は、百点満点のツンデレメイドだった。
ちなみにツンデレは演技だったらしい。流石狼少女だと感心した。
一方もう一人のメイドは経験豊富な私の元同僚。お辞儀も配膳もピシッと決まった睡ちゃんは危なげなく仕事をこなしていく。
大人顔負けの豊満なボディの睡ちゃんはやはり皆の目を引くようで、歩くたびに揺れる二つのたわわ様に私もお客様も釘付けになる。ぽよんと揺れる度に顔も動いてしまって、見つめてるのがすぐにバレる。
睡ちゃんは小柄な女の子達にとても人気だ。そこに母性を感じるのか、憧れを感じるのか。そんな彼女達が睡ちゃんを呼ぶと、決まってこう言うのだ。
「あの、お姉様って呼んで良いですか…?」
百合の園特有のお姉様呼びだ…!
私には本物のお姉様がいるから呼び慣れているけど、実際にこういう場面を見ると興奮してしまう。ここは百合ゲーの世界なのだ、こうした日常にも百合が紛れているのもおかしくない。
そしてこういうお客様が現れる度に睡ちゃんはこう返す。片手を自分の頬に当てて、反対の腕で胸を寄せるように。困ったように眉を下げたら、諌めるように話し出す。
「あらあら、困ったお嬢様ですね。メイドを困らせる事を言うのは、めっ!ですよ」
そして優しく叱るように、目線を合わせるのだ。それをされた生徒はポンと顔を赤らめさせて、酔ったように呆けてしまう。全く罪作りなメイドさんだ。
そしてまた綺麗な背筋でぽよぽよと歩き出すのだ。そんな姿を見ていると、なんだか私の方に近付いて来ているような。
その予想通り私の前に来ると、私を抱きしめながら周りに見せ付けるようにクルリと一回転。
ゆっくり回る景色の中では、お客様たちがイケナイものを見るみたいに赤面しながらも、決して目を離さずにいる。
ふわりと広がるスカートが収まり、何が何やら分からない私を再度抱きしめる。
「私をお姉様と呼んで良いのはこの子だけですから、諦めてくださいね、お嬢様方」
そう言った睡ちゃんは普段見ないような不敵な笑みを浮かべていて、至近距離の私は少しの間見惚れてしまう。数秒間たっぷりと見つめてから我に返り、ゆっくりと身体を離すと誰かの独り言が聞こえてきた。
「はー、尊い…」
私はその言葉に呆れつつも、睡ちゃんの珍しい表情は悪くないなと頬を微かに染めるのだった。
後に知るのだが、あの姿はお姉様を真似したらしい。なるほど、
二人の大活躍を尻目に、私はのんびりと接客している。
個性的な二人に比べれば、私なんて見た目が特徴的なだけの面白みの無い小娘だ。お客様に声を掛けられたりもしないし、熱っぽい視線を受けたりもしない。時折目が合ったお客様が硬直したりするが、恐らくは見た目の割りにしっかりとメイドらしく動けているのが珍しいのだろう。
とはいえふとした拍子にじっとりとした視線を感じるような…。
ぶるりと寒気に身を震わせながら振り向いても、誰にも見られている様子は無い。でもそういう時は決まってその方向に二年生がいるのは、なんとも不思議な偶然だ。
おかしな気配を時々感じながらも店内を忙しく行ったり来たり。
新しいお客様には「お帰りなさいませ、お嬢様」ときっちりご挨拶。
お帰りのお客様には「行ってらっしゃいませ、お嬢様」と心を込めてお別れを。
スイーツ片手に右に進めば、今度は紅茶を片手に左へ進む。特別な注文の際には記念写真を撮ったり、料理に一手間加えたりもする。
委員長曰く私は「幼い年下メイドさん」がイメージなようで、一生懸命真心込めてお客様に対応すれば良いらしい。だから変に媚びたりキャラ付けをせずに、誠心誠意いつも通りを心がけて働いているのだ。
今も特別な注文を受けて、二年生のお客様相手にアイスを一口「あーん」してあげている。当人は緊張しているのか肩に力が入り顔が固まっている。これではいけないと、笑顔を浮かべてリラックスさせようと語りかける。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「…あっ!ご、ごめんね、すぐに食べるから」
我に返って焦る彼女を手で制して、目線を合わせて言葉を送る。ここはメイド喫茶なのだから、癒しを与えるのが一番の仕事だ。安心して、と伝えるようにゆったりとした速度で言葉を送る。
「何も気にしないで、私の目だけを見てください。ゆっくりと深呼吸して、はいっ、あーん…」
「あ、あーん……んむ」
まるで、親鳥からの餌を待つ小鳥みたいだなんて考えながら、お客様の口にスプーンをゆっくりと差し入れる。たっぷりと時間を掛けて離されたスプーンを器に戻すと、彼女は熱に浮かされたように私を見つめている。
「お味はどうですか?」
「……美味、です…」
「お褒め頂きありがとうございます。それではごゆっくりお寛ぎくださいね」
満足してもらえたようだ。ぺこりと頭を下げてその場を離れる私に、先のテーブルから話し声が聞こえてくる。本人達は抑えて喋っているようだが、声量は抑えきれておらず近くに丸聞こえだ。
「どうしよ…私変な扉開いちゃいそう…!」
そこまで気に入って貰えたのだろうか。レシピを考えた側としては嬉しい限りで、自然と気分が浮かれてしまう。やはり私は生粋のメイドのなのだと再確認して、次のお客様へと歩みを進める。
その身に受けるじっとりとした視線が増えた気がしながらも、その後も「あーん」をして回るのだった。年下に母性を感じるという、二年生への被害を広めながら。
時間は進み、第一グループの交代が近付いてきた。
今の私は相変わらず二年生の相手をしている真っ最中。他の生徒達も交代を控えているのか店の中は落ち着いてきているが、私はとあるグループに付きっ切りで接客中だ。他の二人がのんびりしている中で私だけ接客に掛かりきりだが、別に厄介な客に絡まれているわけではない。
寧ろ私からお願いしてこの状況なのだ。何故なら、そこにいるのは私の大切な人たち、お姉様達だからだ。意外な事にその人数は四人で、お姉様と与羽先輩の他に二人の馴染みの無い生徒がいる。
お姉様の隣に座るのは、取り巻きの中でも目立っていた姫大路さんに絡んでいた事もあるあの生徒だ。話を聞けば初めは姫大路さんの件で迷惑を掛けたことから取り巻きとして協力していたらしいが、お姉様の姉妹愛に感銘を受けて個人的に仲良くなったらしい。彼女も妹を持っているためお姉様の気持ちはよくわかるらしく、「良いお姉様ですわね」なんて言われて照れてしまった。
ちなみに彼女もお嬢様らしくて、緩く巻かれた縦ロールがよく似合っている。今後は縦ロール先輩と呼ぶことにしよう。
その対面の与羽先輩の隣に座るのは、与羽先輩の件で話をした小柄な二年生だ。
此方に関しては特別驚く事も無い。一緒の姿をよく見かけるし、与羽先輩がイメージチェンジした際も早くに仲直りしていたのだから。
これはこっそりと教えてもらった事なのだが、彼女は今の可愛い与羽先輩の方がタイプらしくて、着々と仲を深めているらしい。夏休みの旅行にも同行していたらしく、未だ友達の関係とは言え家族ともしっかりパイプを持っているらしい。今は与羽先輩自身には恋愛をする意思が無いため友達に甘んじているが、外堀を埋めだしているとは顔に似合わず強かだ。今後は強か先輩と呼ぼう。
「結構本格的なお店なんだね。僕ちょっと感動してるよ」
「あら、鏡花と睡がいるんだからこのくらいは当然でしょ?まぁどんな店だろう鏡花がいるなら最高の店になるだろうけど」
「流石、学院のシスコン女王は違うね。さっきも鏡花ちゃんに視線を送る客を威圧してたし、あんまり束縛するのは良くないんじゃない?」
「束縛?これは鏡花を守るためよ。いつ何処にあの性悪泥棒猫みたいな奴が潜んでるかわからないのだから、過保護なくらいが丁度良いのよ。お分かり?」
「それって御陰ちゃんのこと?そこまで言うなんて何があったのやら…」
注文の品を運んでお姉様のテーブルに近付くと、何やら私のことを話しているようだ。あの事件からお姉様と環さんは一応和解しているものの、何やら不穏な空気でにらみ合っている事も多い。
特にお姉様は泥棒猫なんて呼んで毛嫌いしているみたいで、本音では私が環さんと会うのもやめさせたいみたい。
話に興味をそそられるが、今の私はこの店のメイド兼ウエイトレスなのだから、仕事を先に済ませてしまおう。断りを入れ存在をアピールして、注文の品を並べていく。
「お待たせしました。ミルクティーのお嬢様は…」
「わたくしです」
「私もっ」
縦ロール先輩と強か先輩の前にミルクティーを置くと、ニッコリとお礼を言ってくれる。
お姉様達は既に配膳が済んでいるから、注文はこれで終わりになる。他のテーブルも既に配膳済みだし、少しばかりお喋りしても大丈夫だろう。
満足そうにミルクティーを楽しむ二人を横目に、私はお姉様に話しかける。
「そういえば、お姉様のクラスは演劇をやるんですよね。何役で出演するんですか?」
お姉様のクラスの出し物は演劇だ。それもなんの因果か、演目は「白雪姫」。
ゲームのシナリオでは攻略キャラに応じた演目に変わっていたので、てっきり髪長姫かと思っていたからお姉様に教えてもらった時には驚いたものだ。
決してゲームには存在しない筈の演目は、私達がもたらした変化の象徴のようだ。
「何度聞いても教えてあげないわ。貴方のためにサプライズも仕込んであるんだから、ちゃんと自分の目で確認しなさい。涙を流すほど驚かせてあげるから」
「じゃあ、仕方ないですね。見るのを楽しみにしてます…」
やっぱり教えてくれないみたいだ。お姉様は意地悪な笑顔を浮かべながらも、その目には沢山の愛情が見える。きっとそのサプライズは幸福なものに違いない、それなら納得するしかないだろう。お姉様からの特別なサプライズをその目で確かめるまで、心待ちにするしかないのだ。
その親愛を感じながら暖かな気持ちで見詰め合っていると、与羽先輩が空気も読まずに口を挟んでくる。
「鏡花ちゃん鏡花ちゃん、この特別メニューて誰に頼んでも良いのかい?」
「はい、今出てるメイドなら誰でも大丈夫ですよ」
「んじゃこの特製ポッ○ー百合スペシャルを赤穂ちゃんと鏡花ちゃんで」
「はい、特製ポッ……なんですって?」
料理名の後に何やら変な単語が聞こえて、理解できずに聞き返してしまう。百合なんちゃらなんて私が覚えているメニューには無いし、そんなものが追加されたなんて話も聞いていない。
何かの聞き間違いかと再確認しようとした瞬間、私の身体を遮るように一人の少女が前に出る。
「特製ポッ○ー百合スペシャルを私と鏡花でご注文ですね。ご用意しますので少々お待ちください」
「えっ………?」
呆然とする私を置いてきぼりにして、注文を確認した赤穂はその場を去っていく。
状況が読めずに佇んでいると、思ったよりも早く赤穂が戻ってくるがその手には普通のチョコレート菓子しか持っていない。これの何処が百合スペシャルなのかと疑問に思っていると、赤穂はおもむろに一本手に取ると私と向き合うように接近する。
「ちょっと赤穂、何のつもりですか?」
「何って、ポッ○ーゲーム」
「何故!?」
「百合スペシャルは二人を指名してゲームをさせるメニューだからだよ。話聞いてないの?」
そんな話は聞いていないし、信じる事も出来ない。こんな大勢の前でキスまがいの事をさせるなんて、他の生徒達が認めるわけ無いだろう。
そうだ、これは与羽先輩と赤穂の策略に違いない。二人の陰謀を暴くために先輩の手にあるメニューを覗き込むと…。
「書いてあるんだよね、残念ながら」
楽しそうに笑う先輩が見せたページには、しっかりと書かれていた。
正気かと受付に目を向ければ、何が誇らしいのかドヤ顔で頷いている。期待の篭もった先輩の目と真剣な赤穂の目を見ればわかるが、これは逃げられそうに無い。
別に嫌だと言いたいわけではない。人の目が多いのが気になってしまう。
ぐるぐると思考を回す私を無視して、赤穂は準備万端のようだ。お菓子を咥えて私の両手を取ると、胸の前で繋ぐようにして向かい合う。
「それじゃ始めるから。ほらもっと寄って…ん!」
「ちょっまっ……んむ!」
勢いに押されるように菓子を口に含むと、想像以上にお互いの顔が近い。それに赤穂の顔が視界いっぱいに広がるのが、気恥ずかしくなる。
こう見ると赤穂は綺麗系の顔なんだとよくわかる。猫科を思わせる大きな瞳は格好良く見えるし、高く形の良い鼻が涼しげだ。可愛らしいなんて思っていたが思い違いだ、こんなにクールで綺麗な顔立ちだったなんて。
サクリ…
思ったよりも一口が大きくて、赤穂の顔が近付いてくる。何故だか焦ってしまい私も一口進めれば、お互いの吐息が届くほどに近付いてしまう。
手が汗ばむのがわかる。それはあちらも気付いているのか、繋ぐ手に力が込められクイっと引かれてしまう。
その反動で、また一口。
溶け出したチョコの香りが濃密に感じられて、赤穂の口元に目を向ければ、そこには確かに甘い痕跡が残っている。そこに吸い付けばどんな味がするのかと一瞬脳裏をよぎるが、急いで雑念を取り払う。
二人の唇が重なるまで、もうどれほども無い。
伝わる、赤穂が動きだす感覚が。
その場の空気に呑まれる私は、どうしてか動く事が出来ない。
二人を見守る周りのお客さんが息を潜める。縦ロール先輩は顔を両手で隠しながらも指の隙間から覗いており、強か先輩は羨ましそうに与羽先輩をチラリと見ている。与羽先輩は面白いものを見るように、お姉様は我関せずというように。
そんな周りに気が付かないまま、赤穂との一口が二人の距離を無くして……
唇に柔らかい何かが触れた。
目を閉じているからわからないが、これは恐らく唇ではない。清潔で優しい香りのそれは、どこか嗅いだ事のある匂いで。ゆっくりと目を開ければ、そこには睡ちゃんの手があった。
二人の唇を遮るように差し込まれたその手は、優しく二人の距離を離していく。何があったのかと困惑していると、笑顔を浮かべながらも冷たい空気で佇んでいる。
その様子に赤穂は何故だか顔を青くしており、いつもの彼女らしくない。一体どうしたのだろうと眺めていると、睡ちゃんは静かに口を開いた。
「百合スペシャルは食べさせ合いっこするだけだよね?私が裏方を確認してる間に、何勝手な事してるの?」
え、食べさせあうだけ?
真偽を確認するために与羽先輩からメニューを借りると、そこにはポッ○ーゲームなんて一言も書かれていなかった。つまり、私は騙されたのだろう。与羽先輩と赤穂、それに受付の子に。
静寂が包む教室の中、カチリと時計が動いて交代の時間がやってくる。次の接客係が入ってきて、受付も交代して、私達も着替えるために移動しなければ。
「赤穂ちゃん、お話しようね」
睡ちゃんは赤穂の後ろ襟を掴むと、途中で例の受付を拾いながら教室を後にする。連れ去られる赤穂の姿は、怒られるのを恐れる飼い犬の様にも見えた。
「あの、私も着替えてきますね」
「ええ、また後でね」
強か先輩に睨まれている与羽先輩を流し見ながら、お姉様に挨拶して私も着替えに向かう。
始まりからして騒がしい限りだが、学院祭は始まったばかりだ。お客様の視線を浴びてる事になど気が付かないまま、私は教室を後にするのだった。
教室に残る他の客はこう思っていた。
(ただのメイド喫茶だと思ったのに、とんでもない百合天国だ…)と。
鏡花たち三人のお陰で、リピーターが続出したらしい。
△
「そういえば、凛后ちゃんは何で止めなかったんだい?」
「必要が無いからに決まっているでしょう」
「睡ちゃんが止めるとわかってたからかい?」
「巾染のキス程度じゃ鏡花の私への愛は揺らがないからよ」
「…凄い自信だね」
「違うでしょう、これは事実よ」
妹の愛を一切疑わずにカップを傾ける凛后の姿は、ある意味傲慢で不遜に見えたのだった。
「ああ、白清水さんの妹様、とっても可愛らしかったですわ」
「縦ロールさんも妹さんがいるんだもんね。やっぱりああいう感じが好みなの?」
「ええ勿論。あんなに顔を赤らめて、それなのに求めるように身体を近づける…。まるで妹を思い出すようでした」
「…え?何であれで思い出すの?」
「うちの妹もあんな風に求めますのよ。潤んだ瞳で、縋るみたいに手を繋いで…。はぁ、妹が恋しくて仕方ありません…」
「あっ…、仲の良い姉妹なんだね…」
小柄な彼女はその姉妹の枠を越えた発言に、類は友を呼ぶのだと思った。
なるほど、白清水さんと相性が良さそうなのはそういうことかと。
▽
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