第10話 いばら姫にくちづけを

  

 いつも通りの私とはなんだろうか?

 優しく接する?それもそうだ。露骨に避けない?それも合ってる。真面目にメイドとして過ごす?当然だろう。でもやっぱり一番は、声を掛け続ける事だろう。

 朝の挨拶におやすみの挨拶、通路ですれ違ったり同じ場所に居れば取りあえず声を掛ける。思えば私達の出会いからして言葉を交わす事から始まったのだ、であれば再出発だって言葉を切欠に始めるのも悪くない事だろう。


 だから私は、今目の前で申し訳無さそうに背を向けようとする彼女に、変わらない挨拶で歩み寄る。


「睡ちゃん、おはようございます。今日も絶好のお仕事日和ですね」


「…………。(ぺこり)」


 いつも通りに笑顔で、いつも通りに背筋を伸ばして、いつも通り元気に。返事は期待できなくとも、これは私が睡ちゃんと暮らし始めてからずっと変わらずに続けてきた事だ。

 昨日一晩落ち着けたお陰か、言葉は無くとも行動で返してくれる。小さな会釈一つだが、その場に居ないかのような状態に比べれば雲泥の差だ。

 それに、今も悩み続ける彼女がこうして挨拶を受け入れてくれた事が嬉しい


 まだ目も合わせて貰えないけれど、不思議と悲しいとは思わない。彼女のあの態度は嫌っているなんて事は無さそうで、昨日よりは大分嬉しい反応だ。


「メイド長は厳しいですけど、睡ちゃんならきっと大丈夫です。私のお墨付きだってことを分からせてやってください。それではまた後で」


 今日から彼女とは別行動。突然の一人での生活は寂しいけれど、悲しんでいたってお屋敷は綺麗にならない。普通の日々に戻ったのだと考えて、自分の仕事をしっかりこなそう。


 浮かれ気分で歩く私は、睡ちゃんが辛そうに此方を眺めているのに気付く事は無かった。




 その後も私は機会があれば睡ちゃんに声を掛け続けた。

 朝にはおはよう、夜にはお休み、料理を手渡せば召し上がれ。すれ違った時にも他愛の無い事を話したし、困っていれば当然の様に手を貸した。親愛の気持ちが伝わろうと伝わるまいと、関わり続ける事をやめなかった。

 少しずつ、本当に少しずつだが彼女は変わってくれた。徐々にその顔が私を向くようになり、そわそわとその場を離れたがる態度が和らぎ、何時も怯えたようだった表情が緩んでいった。


 今日の朝なんて、私の挨拶に対して意を決した様に、


「……ぉ、ぉはよぅ………」


 なんて、か細く囁く様に挨拶を返してくれて、嬉しさに泣き出さなかった自分を褒めてあげたいくらいだ。

 それでも喜びを隠し切れなくて満面の笑みで見つめたために、睡ちゃんに怯えられてしまったのは許して貰いたい。だって数日振りの返事だったのだから。


 確実にいい傾向に進んでいた。少しずつ彼女は前向きになり、お屋敷内の空気もよくなった。メイド長を含めた使用人の人々も心配だったみたいで、安堵の表情を浮かべる人も時折見られた。

 睡ちゃんも嬉しかったのだろう、最後に見た泣き顔は遠目だったから詳しくは解らないが、悲しさや辛さではない涙だったように見えた。だって彼女を慰めるメイド長は微笑んでいたのだから。


 そしてお姉様達の居ない最後の一日が始まる。








 今日は朝から雨が降っている。予報に無い突然の雨は使用人達の仕事を奪ってしまうため、今日はお屋敷の中も静かなものだ。本当なら明日のために完璧なお屋敷を維持したかったのだが、自然現象ばかりは私達ではどうしようもない。


 雨は嫌いだ。あの日を思い出すし、サンブレの物語の中でも悪いイベントは雨の中で起こることが多かったと思う。なんだか悪い事が起こるような憂鬱な気分を忘れるように、屋敷内の掃除に努めていると窓の外に何かが見える。


 睡ちゃんだ。


 どうして外に?確か今日は体調を崩したとかで朝からお休みしていた筈なのに、この雨の中何をしようというのか。良く見ればパジャマのままだし、何か目的があって外にいる様には思えない。

 メイド長が了承するはずも無いので無断で飛び出たのだろうか?まさか何か心を痛める出来事があったのだろうか。

 胸騒ぎがしてくる。彼女を放って置けば何か取り返しの付かない事態になってしまう予感がする。


 私は掃除道具を放り出すと、傘を手に一目散に彼女の元へと駆け出した。




 玄関を開けると、予想していたよりも雨足は強く、彼女の身が心配になる。

 弱った身体でこの中に居れば、身体を冷やしてもっと大事になるかもしれないのだ。

 傘を差して地面に残る足跡を探すと、行き先は温室の方のようだ。確かあそこは今鍵が壊れていたはずで、独りになるには絶好の場所だ。


 目的地を決めた私は歩みを進める。足跡はやはり温室に続いているが、雨粒がその室内を隠しているため誰が居るかは確認できない。

 ゆっくりと扉を開き、室内に身体を滑り込ませれば、薄暗い室内に雨音が響いている。草花が伸ばした影が不気味な雰囲気を漂わせていて、まるで御伽噺に出てくる魔女が住んでる森の様だ。


 静かにその中を進んでいくと、庭園の中に設けられた休憩用のスペースに人影が見える。

 椅子に腰掛け顔を覆って泣き続ける睡ちゃんの姿だ。

 物静かにすすり泣く彼女は私に気が付いていないようで、そのまま側に近づいても顔を伏せたままだ。


「睡ちゃん…?」


 驚いたように顔を上げた彼女の目は泣き腫らされていて、長い時間涙を流していたのを理解させる。いったい何があってこんなに泣いているのか。何が理由かは見ているだけじゃはっきりとは分からないが、なんとなくだが寂しさと自己嫌悪が感じられる。なんだか、あの時の私に似ているような…。


「どうして泣いてるんですか…?何か辛い事でもありましたか?」


 出来るだけ穏やかに、彼女の気分を害さないように尋ねる。闇雲に問い詰めても彼女を苦しめるだけだから、決して急かさないように待ち続ける。

 少しの間があってから、彼女はおずおずと口を開いた。


「……ほ、本当は…今日……鏡花、ちゃんと…話そうと、思ったの…。…でも……急に体調が……悪くなって……は、話せなくて…」


 睡ちゃんは少しずつ訳を話す。だが話せないからってここまで悲観的になるだろうか?


「…落ち込んで…いつの間にか眠ってて……。…そしたら、あの日の夢を見たの…。…は、初めての、と、友達に……捨てられる夢を…!」


「捨て…られる…?」


 確かに睡ちゃんは学年中に嫌われていると商店街にいた少女が言っていたが、それだけで捨てられるなんて言葉が出てくるだろうか?

 彼女の学生生活に何があったのか…。その答えを知るため、私は話の続きに耳を傾ける。


「…その女の子は保健室で偶然会った子で、名前も何年生かもわからないけど…、私に優しくしてくれたの。…短い髪が可愛い子で、こ、孤立してた…私なんかと仲良くしてくれた…。…な、なのに、ある日突然、嫌いだって、二度と話さないって言われた…。お姫様ぶってムカつくって言われた…。呪われてて当然って…」


「そんな…」


「…お姫様をキスで目覚めさせる、王子様みたいに思ってたのに…。もしかしたら…、そんな風に思ったのがいけなかったのかな……?」


 多分彼女はその女の子に依存してしまったのだろう。行き過ぎた想いや距離感は時に誰かを傷つける事も不快にさせる事もある。だけど流石に言い過ぎではないだろうか?

 人に正面向かって呪いだの言えるなんて、よっぽど相手が憎いか当人に問題があるように思えるけど…。

 どう言葉を掛けるべきか悩み、彼女に話しかけようとして…。


「…でも、本当に辛かったのは…伯母さんが私を…眠り姫にしたこと……!…あの時も、そうだった…お母さんも…お父さんも、「睡は悪くないよ」って…「睡は体が弱いから仕方ないよ」って…!そんな言葉が欲しいんじゃないの、眠ったままを許して欲しいんじゃないの!まるで呪われているのを認めるみたいに、ベッドの中に仕舞われたくない!安全な所で一人にして欲しくない!」


 今までの彼女が、繋がっていく。頑張り屋の彼女、泣き虫の彼女、自分が嫌いな彼女、私を避ける彼女。

 謝るのは許して欲しいからじゃない。心も体も弱いと思われている自分が、心底嫌いで申し訳ないから。

「茨沢 睡」が本当に苦しんでいるのは、周囲を隔てる「茨」でも身体を蝕む「呪い」でも無く、眠りに誘う「機織りの錘」だった。


 彼女はその眠りから覚めたくて、前を向いていてその一歩を踏み出したいのだ。だけれど眠りから覚める方法が解らなくて、今も必死にもがいている。

 王子様はその手を離してしまったから、今も彼女は迷子のように目覚めを与えてくれるのを待ってるのに、周りの茨がそれを許してこなかった。


 パズルのピースが、カチリと嵌まる。

 これは確かに、私にしか出来ない解決方法だ。誰かを守れるメイド長でもお姉様でもない、同じ迷子だった私だからこそ…!

 さぁ、今から彼女を眠りから救い出そう。


 彼女に必要なのは同情でもなくて…、


「私はただ!」


 彼女に必要なのは激励でもなくて…、


「誰かと一緒に!」


 彼女に必要なのは…、


「前を向いていたかっただけなのぉっ!!!」


 隣で手を握っているだけで良いのだ。

 ゆっくりと繋ぐように握る手は、とても力強い絆の繋がり。一方的に与えるのではない、お互いが倒れないように支えあう優しく強固な絆。

 睡ちゃんの悲痛だった顔が徐々に表情を変え、驚きと困惑に染まっていく。何故解ったの?どうして私を選んだの?私なんかが隣でいいの?


 そんな疑問が書かれているような顔が微笑ましくて、強張っていた顔が緩く解れていくのがわかる。ここからは言葉を交わして、彼女に想いを伝えていく時間だ。


「弱い私は誰かに手を引いてもらったから、今こうして前を向けています。明日を信じて歩く事が出来ています。自分の弱さを理解して、出来る事を頑張っています。だから睡ちゃんも歩き出しましょう。下を見ないで、空を見上げて進んでみましょう。周りが気になるなら違う道を歩いても大丈夫ですから。私が手を引いてあげます」


「……でも…私は、呪われた眠り姫だから……」


「言い訳禁止っ!」


 びくりと肩が跳ね、その瞳に涙が浮かぶ。でも容赦はせずに言葉を続けて、彼女に理解させなければいけない。

 もう私はそんな言葉では止められないのだ。


「呪いとか眠り姫とか嫌われてるとか、そんな事私には関係ないんです。私が手を引きたい、睡ちゃんが前に進みたい、その気持ちが全てでしょう!疲れたなら止まってもいいし、嫌なら進む道を変えても良い。でもこの手は離しませんし、睡ちゃん側を離れもしません。ちゃんと一人で大丈夫になるまで、味方でいることは変わりません」


「…ぐす……わた、わたし………!」


「信じて勇気を出してみませんか?ありのままの自分で、思うとおりに行動してみましょう。私が付いているから、嫌われることを恐れないでください。だって貴方はもう…」


 言葉を途中でやめて、彼女の近くに寄る。

 私の勇気と親愛が少しでも伝わるように、長い髪を掻き分けて、赤らんだ頬に、


 触れるようなキスをする。


「眠ったままのお姫様ではないんだから…」








 アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?


 何をやってるんだ私は!?完全に暴走してしまった、睡ちゃんへの気持ちが爆発してしまった!何が「お姫様ではないんだから…」だよ、王子様気取りか!?

 ほら、睡ちゃんもさっきまでの涙は何処へ行ったのやらと言わんばかりに、呆然とした顔でこっちを見つめている。完全に引かれた、真面目な事言ってたくせに急に何やってんだと怒ってるに違いない。

 どうしよう、どう謝る?

 そもそもこんな大事な時にふざけたんだから謝って許されるはずが…「ふふっ…」……って、え?


「…じゃあ、一生私の手を引いてくれる?私が前を向いて、自分を好きになれるように…」


「も、勿論ですとも!約束したからには責任を持って、友達として付き合う……って、今一生って言いました…?」


 なんか、変に睡ちゃんの顔が赤い気がする。怒ってる訳じゃないのは安心だけど、何故だか不穏な言葉を口にしていると言うか響きを含んでいると言うか。


「つ、付き合うなんて…こちらこそ、よろしくね?きょうちゃん…///」


「きょうちゃん!?そんな呼ばれ方したの始めてですよ!?ねぇどうしちゃったんですか、なんか様子おかしくないですか!?ねぇ、ねぇ?ねぇってばぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 こうして私と睡ちゃんの間で起きた騒動は、一先ずの落ち着きを取り戻した。

 彼女はこれからも幾度と無く困難にぶつかるだろう。学校のことも家族との事も解決していないし、少し心持が変わったくらいで何もかもが上手くいくわけが無い。もしかしたら明日にもまた心を痛めて塞ぎ込むのかもしれない。


 でも、私がいる。彼女が前を向き続ける限り何度でもその手を引いて、顔を上げてあげられる。

 だからきっと大丈夫。メイド長だって彼女の両親だって、もう眠り姫なんていない事に気が付いてくれるはずだ。


 今一番気がかりなのは…この後待ち受けているメイド長のお説教だなんて恥ずかしくて言えない。







「で、結局二人仲良く叱られたんでしょう?怒られてる時まで一緒なんて、お二人は本当に仲がいいのね♪」


 翌日私とすーちゃんは、お姉様と一緒にお風呂に入っていた。

 帰宅後に私達が仲直りした事を目ざとく発見し、その顛末を聞くためお風呂に強制連行した訳だ。

 一週間ぶりに見るお姉様は相変わらず端麗で、心なしかスタイルが良くなっている気がする。私なんかここ最近背も伸びないと言うのに。


「でもメイド長が涙を流す姿なんて始めて見ましたよ。流石に声は上げてませんでしたけど。」


 あの後相合傘なんかしながら屋敷に戻った私達は、怒髪天を突くメイド長に経験した事が無いほどに怒られた。その畳み掛けるような叱責は多岐にわたるが、要約すると「何故黙ってた」と言う感じだ。

 そんな様子に気圧されていると、すーちゃんが今までに聞いた事のないような大声で謝罪を口にし、私もメイド長もそれはもう驚いた。やはり彼女の中で何かが変わったのだろう、その様子に感動して、メイド長は涙を流して喜んでいたと言う事だ。恐らく、後悔も含んでいたが。


「ところで…その「すーちゃん」て呼び方はどういう風の吹き回し?鏡花があだ名で呼ぶなんて初めての事でしょうから驚いちゃう」


「ああ、それはすーちゃんからのお願いで…「あのっ!!!」っ?すーちゃん突然どうしたんです?」


 すーちゃんと呼ぶようになった経緯、とはいえあだ名で呼ぶからそっちも呼んでなんていう単純な出来事を説明しようすると、すーちゃんが突然割り込んでくる。

 なにやら真剣な表情でお姉様を睨んでいるが、一体何の用件だろうか?


「あの、私、凛后お嬢様には…負けませんっ!…鏡ちゃんを、必ずいただきますからっ!」


「何言ってんのすーちゃんっ!?」


「へぇ…宣戦布告かしら?でもそう簡単には鏡花を嫁に出すつもりも嫁を取らせるつもりも無いわよ?」


「何言ってんのお姉様っっ!?!?」


 私を挟んで睨みあう二人、肩身の狭さに思わず溜め息が漏れてしまう。折角平穏な日々が帰ってくると思ったのに、新たな悩みが生まれそうだ。

 どうしてすぐに同性同士の惚れた晴れたの話題に繋がるのか、不思議に思っているとふと気が付く。


 そういえばこの世界…百合ゲーの世界だったっけ……。


 今も「頂く」「やらん」と言い合う二人を意識から追い出し、今日の夕御飯はなんだろう等とどうでもいい事を考える私なのだった。







 月日が流れるのは早いもので、夏休みも終わりに差し掛かり別れの時が訪れていた。

 そう、睡ちゃんがこのお屋敷を去る日がやってきたのだ。


 彼女がお姫様である事を克服してからというもの、前にも増してお屋敷での日々は賑やかになった。

 私がお世話係に戻った事で、何をするにも隣に誰かがいる毎日。一層距離感が近くなったお陰か、仕事も食事も前より楽しく感じる事が増えた。


 睡ちゃんは喋る声も微かに大きくなり、控えめな笑顔が多くなって他の使用人とも少しずつ歩み寄ろうとしているみたい。まだまだ緊張と不安で怯えながらだけど、勇気を出して会話しようとする姿にお屋敷の皆は暖かい視線を送っていた。


 本当に楽しい日々だった。二人で笑い合って、たまの失敗に彼女が涙して、夜は一緒のベッドでお休み。

 たまにお姉様とお茶の時間やお風呂をご一緒すれば、二人して私を取り合う姿にうんざりして。

 お屋敷の皆の笑い声が響いて、毎日がパーティーみたいに賑やかだった。


 でもそんな楽しい一夏の暮らしも、今日でおしまい。最後の日は雲一つ無い快晴で、これから羽ばたいていく彼女を祝福するように感じた。







 夕暮れ時、睡ちゃんはこのお屋敷を去る準備を終えて、車に乗り込めば何時でも出発できる状態だ。運転手はメイド長、身内でもある彼女が帰りを担当してくれる。

 彼女が見つめる先には、私一人だけで荷物を運び込む様子を伺っている。


 お父様やお姉様等のお屋敷の人とはもう挨拶を済ませたみたいで、この場には私しか居ない。挨拶の際には別れの寂しさから涙を流していて、何人かのメイドももらい泣きしていた。

 だけどお姉様と話した際に力強い瞳で此方を見ていたのは何でなのだろうか。お姉様も悪戯気にこちらを見ていたし。


 正直、睡ちゃんが帰ってしまうのは凄く寂しくて、気を抜けば涙が出てしまいそうだ。こんなに誰かが隣に居たのはお姉様と遊んでいた幼い頃ぶりだったから、喪失感も一入だ。

 誤魔化しきれない物寂しさに少し憂鬱になっていると、睡ちゃんの言葉が聞こえてきた。


「鏡ちゃん、今日まで本当に…ありがとう。私、鏡ちゃんがいたからこんなに強く、こんなに明るくなれたよ」


「どういたしまして。もう私が手を引かなくても大丈夫そうですね」


 ここ最近の彼女は本当に強くなったし、誰とでも関わるようになった。メイドとしても私に並んでしまって正直教える事も無くなってきて、不甲斐ない先輩だなんて常から考えるほどだ。

 そのひた向きな姿にどうしてそんなに頑張るのか聞いた事があるが、その時には、


『帰ってからも一人で頑張れるように…。それともう一つは……秘密。』


 と恥らう様に答えてくれた。どうして顔を赤くしているのかは分からなかったが、既にずっと先を見て行動している姿は凄く格好良かった。

 今だってその表情は確かに正面を向いていて、前髪で隠しているのが不自然に見える。


「そう言って貰えると嬉しいな…。じゃあ、そろそろ行くね。」


 別れの時間が近づく。寂しいけど、しっかりと送ってあげなければ。私は零れそうな涙を必死で堪えて、元気に明るくさよならを言う。


「はい。さようなら、すーちゃん!またこのお屋敷に来てくださいね!」


 車に乗り込むその後姿に声を掛ける。

 これから彼女は大変な出来事が多く待ち受けているだろう。家族の事、学校の事、一人になった時の自分の事。辛い事に挫けそうにもなるだろうし、涙を流して夜を明かすことも少なくない筈だ。

 そんな時にここで過ごした日々が、彼女を愛するみんなの言葉が、力や支えになってくれれば嬉しい。

 迷わず進み続けるための糧にして欲しい。


 そうした想いを込めて別れを告げれば、閉じたドアの窓が開いて彼女が顔を出す。

 窓を開けた彼女は、涙に濡らした笑顔で言葉を返してくれる。走り出しても体を乗り出して声を張り上げる睡ちゃんに、手を振る事で応えるのだ。


「絶対にまた会いに来るから、戻って来るから!鏡ちゃん、さようなら!元気でね!大好きだよーっ!!」


「私も大好きですよーっ!!」


 そして睡ちゃんを乗せた車は遠ざかっていく。窓から顔を出す彼女の方を、遠くに見えなくなっても眺め続ければ、地平線に消えて影すら見えなくなった。

 痛くなっても振り続けた手を下ろせば、自分も涙を流していた事に気が付いた。

 だけど触れた顔は悲しみが感じれなくて、誰かが見れば「とても良い笑顔だ」なんて言う筈だ。


 髪を揺らす風に瞼を下ろせば、夏が終わる匂いがした。








 ◇


「こうして鏡のような少女によって眠りから覚め、お姫様は自分の足でいばらの森を旅立って行きました。

 これからは一人の女性として強く生きていき、幸せに生きていくのでしょう。

 

 めでたし、めでたし…






 本当に…忌々しい物語…」


 ◇


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