第8話 この度、あの娘を知りまして!

 

 あの後、案の定お許しがでた私達は、着替えを手に脱衣所に訪れていた。

 いきなりお風呂をご一緒なんて断られるかもと考えもしたが、意外と好感度は低くないみたいで初対面同然の私でも嫌じゃないとのこと。


 お互いに少し緊張しながら服を脱いで浴室に入ると、その大きさと異国染みた内装に睡ちゃんはぽかんと口を開けて驚嘆しているようだ。辺りを見渡しその髪の切れ間から見える瞳をきらきらと輝かせていると、私と目が合って恥ずかしそうに顔を俯かせる。

 その様子に空気が抜けるように脱力した私は、親交を深める事も兼ねて一つの提案を口にする。


「じゃあ、洗いっこでもしましょうか?」


「……洗いっこ?」


 睡ちゃんは突然の提案にきょとんっと目を丸くさせて顔を上げる。言葉の意味を噛み砕いているのかぼんやりと間を置いて、ゆっくりと確かめるように頷く。


「…う、うん……お手柔らかに……?」


 よし、言質は取りました。

 その妖精のような体の隅から隅まで堪能し、分かり合うとしましょう。




 洗い場の前には美少女が二人、お先に身体を洗ってもらった私は彼女の後ろに座り込んで華奢な背中に泡を広げている。

 睡ちゃんの背中を洗いながら、鏡を覗き込むと前髪を上げた彼女の顔が見える。

 やはりとても愛らしく、お姫様がモチーフなのも理解できる整った顔立ちだ。大きな瞳も、ふっくらした唇も隠しておくのは勿体無いけれど、自分だけが独り占めしたいなんて気持ちも湧いてくる。


「強さはこれぐらいで大丈夫ですか?」


「あっ…うん…。気持ち良い…よ?」


 先に洗ってもらった感覚を参考に、彼女に合わせた力加減でシルクの様に滑らかな肌を優しく洗っていく。スルスルと滑るような洗い心地に心の中で感動していると、鏡越しに此方を伺っているのが見える。

 おおかた何か話したいのに恐縮して口に出来ないのだろうと、彼女が話しやすいように私の方から話しかける。


「睡ちゃん、どうかしました?」


「っ!…あの…たいした事じゃなくて…その……さっきは、ありがとう…って、伝えたくて…」


「どういたしまして。でも、当然の事をしただけですし、助け起こすぐらい普通ですよ?」


「そ、そっちもだけど…違くて…。わ、私のこと……馬鹿にしないで…いてくれたから…」


 一瞬手が止まる。それだけでお礼を言うなんておかしい。彼女がこんなにも臆病なのは何か原因があるとは思っていたけれど、この調子だと深い事情があるみたいだ。

 恐らくは学校での事、それも個人ではなく環境そのもの。言葉を慎重に選びながら、彼女の秘めた思いに耳を傾ける。


「馬鹿になんてしませんよ。例え上手くできなくたって、睡ちゃんは見習いさんなんですから」


「…で、でも…こんな泣き虫で…く、暗い私と、いっ一緒だと…イライラ…する…と思うから…」


 なるほど、そう言われて来たわけだ。確かに睡ちゃんは臆病だし泣きがちだけど、だからってそれを馬鹿にするのはお門違いだし責めるなんて以ての外。

 恐らくは、その可憐な見た目に対する揶揄いや嫉妬。まだ幼さの残る私たちの年代だと仕方ない部分も有るとは思うが、それでも誰かが苦しんでるのを見てまで続いているのはどうなんだろう。

 何か決定的な出来事があったのだろうか…。


 ゲームの記憶があれば彼女の事をもっと理解できるのに。中途半端に忘れている自分がもどかしい。

 今はただ素直な気持ちで彼女と向き合うしか出来そうにない。


「…そんな事ないですよ。馬鹿にする人だってこのお屋敷にはいません。私もつい最近まで泣いてばかりで、よくメイド長やお姉様に慰められていたんですから!」


「…き、鏡花ちゃんが…?…信じられない…」


「嘘じゃないです。時間もかかりましたし今でも弱い部分は変わってなくて、ただそんな自分を認めて出来る事をしているだけで」


「…自分を認める……。」


 睡ちゃんは多分辛い日々を過ごしてきたんだろう。だけどこの場所では関係の無い事だし、人を馬鹿にするような人だっていない。

 フィルターなんて捨てた、素直な気持ちでここで過ごして欲しいのだ。

 そんな気持ちを込めて、お湯を流す。泡と一緒に彼女の懸念が流れていくように…。


「ひゃぁっ!い、いきなりは、酷いよぅ!」


「だから、考えるのは取り合えずやめましょう!頭を空にして、やる事をやって寝る!ここではそうやって行くんです。私は何があっても、睡ちゃんを馬鹿にしませんから」


「…鏡花ちゃん…!う、うん、私頑張る…。頑張って…自分を認められるように…なるよ…」


「よし!じゃあ湯船に行きましょうか!そのシルク肌の秘密も教えてもらいますからねっ!」


 きっと睡ちゃんの悩みは今も深くて、私なんかが軽々しく解決できるような物ではないのだろう。

 だけど今は笑ってくれている。その可憐な顔を控えめに崩して、下がり眉も節目がちな涙目もそのままだけど、だけど初めて私の目を見てくれている。

 花咲くようでも輝く様でもない、蕾の様な笑顔だけど。


 今はそれだけで十分だろう。




「あ、あの…私、ケアとかしてないよ…?」


「えっ!?それでこんな芸術品のようなお体を!?」


「お、大げさだよ…!き、鏡花ちゃんも…綺麗な…お肌だよ…?」


「こんなツルツルスベスベと一緒にしないでくださいっ!!嫌味ですか?嫌味ですか!?このこのこのこのこのぉ~~~~~~っ!!!」


「ふぁ~~~っ!ほっぺたやめてぇ~~~っ!」


 ツルツルスベスベのもっちりほっぺをこねくり回しながら私は畏怖を覚える。

 メインキャラ、恐るべしだっ!!!







 夕食も終わって夜の帳が下りた頃、自室には何かを書き込むような音が響いている。

 メイドの仕事が忙しいとしても課題をやらない理由にはならない訳で、どれだけ疲れていようと毎日少しずつやるのが疎かにならずに済む秘訣だ。初めての夏休み、メイドの仕事と課題の両立に苦労した経験から今の習慣を送る事になった。


 だから今日もこうやって、しっかり課題に勤しんでいる。


「睡ちゃん、解らないところとかありませんか?これでも勉強は得意なので何でもドンと来いですよ」


「うーん、と…大、丈夫……。」


 隣に睡ちゃんを置いて。


 何故だか、睡ちゃんとは寝起きを共有する事にもなったのだ。勿論提案者はお姉様。

 確かに私の部屋は一人で持て余すほどだし、ベッドも余裕で二人以上寝られる。物理的な話で言えば問題はまったく無いが、それでもいきなり共同生活はどうなの?

 流石に本人が嫌がるだろうと思ってたら、睡ちゃん自身も乗り気になるし、メイド長まで、


「相性も良さそうですし、よろしいのでは?」


 なーんて賛同しだして、あれよあれよと気付けば部屋には睡ちゃんの私物が運び込まれていた。

 何も共同生活が嫌なわけでは無いし、寧ろこんな可愛い娘と一緒のベッドに入る事は嬉しいけれど…。

 なんていうか、勢いが凄い家族だ。


 そんな家族は睡ちゃんが抱える問題にも気付いているみたいだ。

 伯母になるメイド長は私が知らない細部まで話を聞いていると思うし、お父様もご両親と話したと言っていたから伝わっている事だろう。

 お姉様は難儀な性格をしているくらいしか聞いていないと思うが、弱気な性格からなんとなく察しているのだろう。


 その上で私と生活する、つまりは私の存在が彼女が変わる切欠になると考えているのだ。

 正直言えばプレッシャーだと感じている。今まで私は救われる側で、誰かに寄り添った事など一度も無い。誰かの心の救い方なんて、そもそも対人関係すら不得意な私にはとてもじゃないが想像もつかない。


 でももし、彼女の心に何か残せるなら、何かいい方向に向かわせる事が出来るのなら。

 今も見守ってくれている皆への最大の恩返しになるのではないか?そう考えるのは、少し傲慢だろうか。


 思考の中の一人の世界から現実に戻り、さて課題だと集中し直すも視界の端を揺れる影に心が逸れる。

 顔ごと視線を向ければペンを握ったままの睡ちゃんが、こっくりこっくりと船を漕いでいた。

 時折眠気に抗おうと頭を振って抵抗するも、すぐにまた微睡みの誘いに釣られてしまいその柔らかなセミロングをサラサラと揺らしだす。


 無理もない、殆ど知らない人の中、初めての場所で慣れない仕事に従事し、食事や入浴から何から何まで他人と一緒だったのだ。内気な彼女の事だ、慣れない人の中での食事なんてそれこそ泣きたいほどに緊張しただろうに…。

 いや、実際ちょっと泣いてたけど、あれは強面のお父様が悪いところもあるし。


 だからまだ21時だというのに眠たくなってしまうのも当然の事だろう。それでも私に付き合って机に着いてくれたのは、嬉しいけど…痛ましくもある。

 あの時一緒に勉強したいと言ったときの表情は、迷子のような印象を受けたのだから。


「…ふぅ。睡ちゃん、そろそろ寝ましょうか。無理して勉強しても進まないし」


「…ん……?私…寝てた…?…ご、ごめ、なさい…まだ……大丈夫…」


「いーえっ、もう寝る時間です。心配しなくても私も一緒に寝ますから安心してください」


 まだモゴモゴと口にする睡ちゃんの手を引きベッドへ誘う。その時にチラリと睡ちゃんの課題を覗き込めば、やっぱり殆ど進んでなくて。

 あぁ、この娘は私との時間を大切に感じてくれてるんだと思うと、心がほんのりと温度を上げる。


 彼女をベッドへと入れさせて電気を消しに行くと、微かに自身を呼ぶ声が聞こえる。寂しげな感情が透けるような声は私の背後から聞こえてくるようで、音の出所は睡ちゃんだった。

 寝言かなと考えながら私もベッドに潜り込む、睡ちゃんは微かに目を開けて私を見ていた。


「………鏡花ちゃん…私…頑張るから…。…だから…私を……私を…」


「何かな?」


「……鏡花…ちゃん……の…友達…に…」


「もう友達ですよ。大事な大事な友達」


 そのいじらしさに口元がにやける。睡ちゃんは本当に相手の心をくすぐるのが得意な、ナチュラル子悪魔さんだ。新たに出来たとっても可愛い友達の、そのとろける様に眠そうな顔を見ていると、何か言い足りないのか微かに動いているのに気がつく。

 ゆっくりと耳を寄せて言葉を拾う私は、聞こえてくる言葉に凍りついた。


「…嬉しい………一人に…しないでね…。…私は……呪われて…なんか………すぅ…すぅ…」


 頭が真っ白になり、口の中がからからに乾いて上手く呼吸が出来ない。

 今の言葉はまるで、あの頃の私だ。あの日の悲劇に塞ぎこんで誰かに起こして貰わなければ、ずっと孤独な闇に沈んだままだった私と同じだ。


 彼女の闇は思ったよりも深いのだろうか、もしもあの頃の私と同じ苦しみを抱いているのなら、それが今も続いているなんてどれだけ苦しい日々を過ごして来たのだろうか。

 無意識に自分が呪われているなんて考えられる、言えるという事は日頃から言われ続けたか、そう思う程の強く心に残る出来事が起きたという事だ。


 あの日の出来事が思い浮かび、心に仕舞い込んだ黒い感情が鎌首をもたげる。

 この感情をもしも彼女も持っているとすれば、私なんかに彼女の絶望を覆す事が出来るか不安になる。


 私にお姉様やメイド長のような正しい振る舞いが出来るのだろうか?

 彼女の心に絡みつくような呪いから、目を逸らさずにいられるだろうか?


 責任が強く圧し掛かり、私の浮かれていた感情を沈めだす。

 もしも彼女を傷つけてしまえば、彼女の心は、私との関係ははどんな事になるか想像もつかない。


 彼女への気がかりでざわつく精神を何とか沈めて、私も眠りにつくために瞼を下ろす。

 不穏な未来の想像が頭から離れないせいで心が落ち着かないが、隣から聞こえる穏やかな寝息のリズムが泥の様な悪感情を拭ってくれる。




 そして気がつく。この子と関わる事に、不安など感じなくて良いのだと。


 私に出来るか出来ないかは関係ない、優しく臆病な彼女を救いたくて精一杯努力するのが大切なのだ。変わる事や傷つく事を怖がったって、何も変わらないと学んだのだから。

 言葉を交わす、心に寄り添う、震えるその手を握ってあげる。そうやって皆に教えてもらった愛を伝えるのが私に出来る全てだ。


「大丈夫。あなたは呪われてなんかない。闇の中でも、私が手を引いてあげるから」


「…すぅ……すぅ………ずっと…友達…」


 試しにその手を優しく握れば、帰ってくるのは微かに握り返す力と安堵したような安らかな寝言。

 大丈夫、彼女はぬくもりを知っている。誰かの手を取る事を知っているんだ。きっと何かを伝えられるはず。

 そんなことを確信しながら、今度こそ眠りにつく。


 願わくば、このお屋敷で彼女が笑顔で居る事が出来ますように。







 あの日の懸念は杞憂だったのか、あれから数週間たっても特に問題は無くて平穏な毎日だ。


 睡ちゃんもすっかり仕事に慣れ、下手をすれば私よりも手際よく片付けられる仕事も出てきた。

未だに私とメイド長以外には緊張するみたいだし、お父様に至っては完全に苦手な態度が出てしまっているが、それでも笑顔が増えていい感じだ。


 メイド長の関係の無い叱責の声に驚き涙したり、他の使用人とぶつかって涙したりと未だに泣き癖は健在だが、なんとかメイドとして上手くやっている。


 今は二人でティータイムの準備を終え、お姉様も加えて三人でお茶の時間。

 暖かな黄金色の光の中、何時もより賑やかに過ぎるその時間は幸福の象徴で、この時間を睡ちゃんも楽しんでくれているのが感激だ。

 妹が増えたみたいだなんて初日から大層睡ちゃんを気に入っていたお姉様は、今も楽しそうにお話をしている。


「………でね、あの子ったら林檎を私と勘違いしちゃって「おねえさまをたべちゃだめぇ~!」なんて言いながら怒ってたのよ?それが本当に可愛くて可愛くて…」


「…そ、そんなことが…、凛后お嬢様の事…だ、大好きなんですね…」


「そうそう、困っちゃうくらいに私にべったりな子だったのよ?つい最近まで手を握っててあげないと眠れなかったのに、大きくなったものだわ」


 人の事で盛り上がってらっしゃる…。別に事実だから構わないけれど、せめて目の前ではそういう恥ずかしい事は避けてくれないだろうか。

 恥ずかしい思いを隠すようにカップケーキをもぐもぐと頬張っていると、リビングにメイド長が入ってくるのが目に映る。この時間、ティータイムには訪れる事の少ないその姿に困惑を浮かべていると、メイド長はお姉様に一言断ってから私と睡ちゃんに視線を向けてその口を開く。


「二人とも、買出しの人手が足らないので、ティータイムが終わり次第外出の準備をして玄関に向かってください。私もまだ仕事があるので今すぐではありませんが、忘れずに準備はしておいてくださいね。それでは失礼致します、凛后お嬢様」


「ええ。…二人でお買い物なんて羨ましい事ね?」


 お姉様の言葉に苦笑いを返しながらも、その事を頭に浮かべる。

 二人で始めての外出、メイド長も居るとはいえ胸がウキウキと弾むのも仕方の無い事だ。隣を見れば睡ちゃんも同じように考えていたのか、期待のこもった瞳で此方を見つめている。

 何を買うのか、次のお菓子の材料でも見繕うのもいいな、とか考えながら楽しくなるはずのお出かけを想像して時間を過ごす。




 あんな事が起こるとも知らずに…。


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