第7話 この度、攻略対象が訪れまして!


 オーブンの中身が焼きあがるのを今か今かと待つ。休日の黄昏時、私はティータイムのためのお菓子を作っている最中で、待ちきれない私はオーブンの前にしゃがみこんでいる。


 今日のお菓子はタルトタタン。林檎でタルトを蓋したような、ちょっと不可思議でとっても美味しい私の得意料理だ。

 キャラメリゼされた林檎が香ばしくも甘酸っぱくて、いろんな食感楽しいお菓子だ。サクサク、カリッパリッ、ジュワ、食感だけでもオモチャ箱みたいに楽しげだ。私のレシピだと生地は薄くしっとりで、カラメルがほのかに苦い、林檎が主役のタルトになる。


 味わい深くて林檎が際立つ感じがお姉様を思わせる、私特製のタルトタタンに。


 その味に想いを馳せていると意外や時間は過ぎていたみたいで、焼きあがったタルトを引っ張り出す。思い通りの焼き加減に香りも見た目も文句無し、食べやすいように切り分けて仕上げにバニラアイスなんかも添えちゃえば鏡花特製タルトタタンの完成だ。


 お父様の分も分けながら残りはみんなで食べるように近くのメイドに伝えて、給仕のようにお姉様の元へと向かう。自然と弾むような足取りになり、鼻歌なんかも歌っちゃったり。



 居間の中では入り込む陽光がお姉様を照らして、まるで美麗な絵画のようにその存在を主張している。うっとりと見つめていると丁度居間を出るところだったメイド長が横切り、運んできたタルトを目にするやいなや顔を綻ばせる。


「今日も見事な焼き加減ですね。この後は仕事も落ち着いているから、ゆっくりとお過ごしなさい」


 そう口にすると返事も聞かずに部屋を出て行ってしまう。一拍おいて御礼の言葉を投げかけるが、すでに廊下の角を曲がった後で聞こえたかは定かではない。


 メイド長とのやり取りに気付いたお姉様が私に手招きしていて、メイド長ももっとのんびりしても良いのになんて考えながら準備に勤しむ。




 やっぱり思った通り、タルトの出来栄えは最高だ。ゆるりと溶け出したアイスを乗せて一口食べれば、深い甘味ととろける酸味が広がる。私はフォークで、お姉様はナイフとフォークでゆっくりと食べ進める。


 ミルクティーはお姉様が用意してくれた、いつもの私お気に入りの味だ。優しくスッキリとした、包まれるような甘さが口の中をリフレッシュさせてくれる。

 最高のティータイムだなぁ、なんて堪能しているとお姉様から声をかけられる。


「ねぇ、もうすぐ夏休みでしょう。鏡花は何か予定でも入ってるの?」


 唐突な質問に食べ進める手を止め予定を思い浮かべる。

 うん無いね、そもそも友達も少ないしお屋敷の仕事でクラブ活動なんかもやってない。うら若き乙女としてなんだか寂しい気もするけど、メイドとして充実した生活があるから気にはならない。元々人見知りな性格なのだから当然といえば当然なのだが。


「今のところは何にも無いですけど、何かありましたっけ?」


「ええ、なんでも茨沢さんに鏡花と同い年の姪っ子さんがいるらしくてね。内気な子で困っていたからどうにかしてあげたいらしいの」


「へぇ〜、メイド長に姪っ子さんが。…ん?茨沢……お姉様の一つ下………?」


 なんだろう、頭がチリチリするような、大事なことを忘れているような感覚だ。

 うんうんと小骨が詰まったみたいな違和感に唸る私は、お姉様が変に暖かみのある表情をしていることに気づかなかった。

 こういう我が子を見るような顔をする時は、決まって何かが起こるのだ。


「あら、聞いたことでもあった?」


「うぅん?…聞き覚えは無いんですけど何か違和感が……。で、それがどうしたんです?」


 私の言葉に興味を抱いたと勘違いしたのか、お姉様の笑顔がより華やぐ。

 うっ、可愛い。そんな嬉しそうにされると何でも聞いてあげたくなるが、グッと我慢して正常な判断が出来るように気を引き締める。


「うん、それでね、鏡花ももう一人前になった事だし!見習いのお世話してみない!?」


「…………え?」


 こちらを見つめる瞳はそれはもう煌めいていて、どうにも断る事なんて出来そうになかった。


 ペラリ。ページが進む音が聞こえた気がした。








 とうとう訪れた夏休み初日。私はメイド長に呼ばれ応接間に訪れていた。


 目の前には私よりも小柄な少女が立っている。垂れ目でヘーゼルの潤んだ瞳と、クリームの様に甘やかなブロンドが幻想的な雰囲気を生み出している。顔を前髪で隠し、もじもじと縮こまりながらこちらを伺う姿は、小動物的な可愛さで庇護欲をそそられる。

 チラリと見える肌は白く、その細さも相まって病弱なように見える。


 なんだろう、この守ってあげたくなる感じ。今までは周りに逞しい同性ばかりだったから初めての感情に戸惑う。触ったら泣いちゃうかな?私のこと怖がってるかな?とか考えてる所為で動くことが出来ず、お互いに沈黙したままだ。


 一向に動きの無いことに痺れを切らしたのだろう、メイド長は重いため息を吐き出すと埒が明かないと話を促す。


「まったく、黙ったままでは始まらないでしょう?鏡花さん、自己紹介」


「あ、はい!始めまして。私、このお屋敷のメイドで次女の白清水鏡花です。よろしくお願いします。あの、貴方のお名前は?」


 その少女はぴくりと身体を跳ねると、瞳を潤ませながら精一杯言葉を探す。


「…あ、あの……えっと…わ、私、茨沢、す、すい…です。……えっと……あ、こ、こちらこそ…お願いします……ぐす」


「えぇ!?あわわわ、どうしたの何処か痛い?メイド長っ、私泣かせちゃったのかもしれませんっ!どうしたら良いですかぁ!?」


 急に泣き出す姿に感情が揺れて慌ててしまう。今までの人生で挨拶するだけで泣かれるような経験など初めてだし、自分のコミュニケーション能力が高くないのも知っているので対応に不備が無かったか確認するが、どうにも落ち度は無いようだし余計に混乱してしまう。


「はぁー…。睡は内気な子だから緊張と恥ずかしさで泣いてしまったのでしょう。鏡花さんもそんなに慌てていないでシャンとした下さい」


 思いもよらない状況に焦る私、痛む頭を抱えるメイド長、一層泣き出す睡さん。混沌とした状況で、唐突に違和感が強まっていくのを感じる。この内気な性格、見た目に「茨沢 睡」という名前、何処かで見たような…?


(ああ余計に泣いちゃったっ!今まで慰められる側だったからどうしたら良いのかわかんないよぉ。でもこの子の事なーんか見覚えがあるというか、記憶に残ってるというか…。茨沢…茨……睡……睡る…………眠り姫?…………いばら姫ぇ!?)


「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」


「「っ!?(ビクッ!)」」




 思い出した!「茨沢 睡ばらさわすい」いばら姫がモデルの攻略対象だ。

 豊満な肉体とは裏腹に内気な性格と見た目の、主人公の一つ下の後輩キャラ。前髪の下の素顔を覗いて見れば、実は美少女でした系の女の子だ。


 だが私が記憶しているのはこれだけで、彼女がどういう結末を迎えるのかとか、どういう風に変わっていくのかは覚えていない。前世の記憶を思い出した私だが、大好きだったはずのサンブレについては依然として曖昧なままだ。覚えているのはどんなキャラクターがいたのか、どんな舞台や設定があったのかと、お姉様の辿る結末だけ。

 転生したことが原因なのか、幼い頃の事故やお母様の事があったからなのか、記憶が曖昧な理由はいまいち解らない。だからこそ目の前の少女が誰なのかすぐに気が付かなかったわけだ。


 いや、それにしてもゲームとは姿が違いすぎるよ…。見た目だけはおっとりお姉さんだったゲームとは似ても似つかない、小柄で儚げな少女なのだから。この抱きしめれば折れちゃいそうな女の子が数年もすればあんなたわわに実るなんて、プレイヤーじゃなければ到底信じられない。


 ん?つまりは私の未来も明るいって事なのか?赤の女王なお姉様に並ぶ、銀の女王に私も成れるのか!?

 茨沢 睡ちゃん!君は私の希望なのか!?


 彼女と出会えたのは幸運だ。物語が始まるまでに仲良く成れれば「お姉様幸せ大作戦」の成功率も上がるし、素敵な肉体を手に入れるコツも教えてもらえるかもしれない。というより普通に考えてこんな可愛い子、お近づきになりたいでしょう!

 さぁ、その可愛い笑顔を私に良く見せてくださいっ!!!






「「…………。」」


 何故か勝手に好感度を上げだした思考を中断すると、二人の呆れと怯えの視線が突き刺さる。


 そりゃ二人からすれば泡を食ってるかと思えば奇声を上げる変人にしか見えていないのだから、変人を見る様な視線は甘んじて受け入れるべきだ。

 何が見せてくださいだよ、寧ろ私自身が陰らせてるじゃないか。こんな調子だと仲良くなるなんて夢のまた夢ってもんだ。


 メイド長は別にしても、この娘の第一印象は最悪になってる事だろうし、何とか名誉を挽回しなければっ!

 通算約30歳にもなる私の経験と思考を総動員して考える。持ち物や出来事を探してぐるぐる考えているとポケットに入れた手に何かが当たる。


 これだっ!!


「あっ!…クッキー食べます?」


「ぐす……………えっ、と…食べ…ます…」


「どうぞ!こっそり食べようと思いましたけど、泣かせちゃったお詫びにプレゼントです」


 おずおずと手が伸びてきて、摘まむように受け取ってくれる。袋を開けると、林檎と天使の羽を象ったクッキーが顔を見せる。恐る恐る口に含むと気に入ってくれたみたいで、僅かに口が綻んでいるようだ。予想以上の好みの味つけだったのか、涙なんて忘れたみたいに食べ進めている。


 成功して良かった、餌付け作戦。少しクッキーは残念だけど、この娘が泣き止んでくれるなら安いものだ。


「…あ、あの…ありがとう……ございます………。とっても美味しい…です…」


「どういたしましてっ。気に入ってもらえてよかったですっ!」


「良くありませんよ」


 スパァァァンッ!!!


「あいたぁっ!」


 突然の痛みに一瞬混乱するが、下手人がメイド長と気付けばジト目で無言の抗議。せっかく泣き止んだのにびっくりしてまた涙したらどうするつもりなのか。


「自業自得です。今回はこれで手打ちにしますけれど、次に隠れて何か食べようなんて考えたら容赦しませんからね?」


 ぐぅ、怒られてしまった。確かに話は聞かなかったし、隠れておやつを食べようとしてたし、突然叫びだしたりしたけれどなにも頭を叩かなくたって…いや妥当かもしれない。


「今日から睡を預けるというのに、こんな調子じゃどうなる事やら」


 私がこの娘を預かる?唐突な言葉に相互連絡はどうしたのだと不満を持つも、先日のお姉様の言葉がふと湧いてくる。そういえば姪っ子さんの教育係になる事を了承した記憶が。

 その後意気揚々とメイド長に報告するお姉様の姿も。


「じゃあ、この娘がお姉様の言ってた…。」


「ええ、鏡花さんが教育係としてお世話するのですよ。夏休みの間、睡の事をお任せしますから、しっかりと面倒を見るように。睡も我慢したりしないで何でも言うのですよ?鏡花さんは睡の事、ちゃんと見てくれますからね」


 そう言うなりメイド長は睡ちゃんの背を軽く押しやり、私の前に連れ出す。攻略対象とお友達どころか共同生活なんて、やっぱりこの世界はゲームとは違うルートを辿っている気がする。

 いろいろと不安だけど先ずは握手。歩み寄りの一歩は触れ合う事だと私は学んだから。


「じゃあ、夏休みの間よろしくお願いします。睡ちゃん!」


「…!う、うん…よろしくお願いします…き、鏡花ちゃん…///」


 静かに触れ合うように、だけどしっかりと繋ぎ合い、睡ちゃんとの生活が始まった。

 彼女の満面の笑みを見るのが、当面の目標だ。




「では今すぐ掃除に向かうように。二人とも、メイドの仕事は待ってはくれませんよ。鏡花さん、手を抜いたり甘やかしたりするのは許しませんからね」


「「えっ?」」


 め、姪っ子にも容赦無いんですね…メイド長…。








 私達二人は、現在玄関ホールの掃除の最中。日頃からよく掃除されている玄関は一見綺麗にも見えるが、そこそこの人数が毎日通る事もあってよく見ると汚れているものだ。土や埃を払ったり、靴棚の中を掃いたり拭いたり、インテリアを綺麗にしたりと決して少ない作業ではない。


 お屋敷の顔でもある玄関の掃除には、自然と気合を入れて励んでしまう。誰だって自分の大切な場所を素敵だとか美しいものだと思って貰いたいものだろう。


 勿論睡ちゃんの事も忘れずに作業の度に手取り足取り、解らないことが出ないようにゆっくりと進めていく。やっぱり自分を出すのが不得意なのか、解らなかったりやり難い所があっても申し訳なさそうに黙ってしまいがちだけど、その感覚が理解できる私は自然とフォローする事が出来た。


 私だって見習いの頃は解らない事だらけでいつも戸惑っていたし、人に聞くのも難しかった。その時は不安と不甲斐なさで硬直する事が多くて、先輩方に迷惑ばかりかけて泣きたくなる事も少なくなかった。

 場所も人も知らない事ばかりの睡ちゃんなら、その不安だってより大きく深い物になるだろう。彼女を預かった身としては、極力辛い思いをしてあの瞳を曇らせたくない。


 意外にもその弱気な態度とは裏腹に、睡ちゃんは手際が良い。言われたこともよく理解してくれるし、手順を覚えるのも早い。

 やはり体が弱いのか、埃に咳き込む姿や息を落ち着かせる場面がチラホラと見られるが、それを差し引いても初日とは思えないほどしっかり出来ている


 時折見せる満足気な表情の可愛さは、王子様が一目惚れする程可憐で、やはり彼女がメインキャラなのだと確信させてくれる。

 ある意味、大ファンである私への降って湧いたサービスだ。


 作業が終わった頃を見計らって、驚かさないように注意しながら声をかける。

 手際の良さもあり想定よりも早く綺麗になったのだから、褒めるのは当然だ。


「うん、いい感じ。手際も良いし、これなら直ぐにメイドとしてやっていけるようになりますよ!」


「…あ、ありがとう…。鏡花ちゃんが…優しく教えてくれたお陰で…私はなにも…」


 一緒に掃除をして気が付いたが、睡ちゃんには自虐的な思考や発言が多い。

 前までの私がそうだったが、自分の事が認められない、好きになれないと思う経験があるのだと思う。自分を嫌いになるなんてそう簡単な事じゃない、私ですら前世の経験に引っ張られる形でそう育ったのだから。


 睡ちゃんの場合はより根深く、より心を痛めるような出来事が起きてしまったのだろう。出来る事ならその考えを捨てさせるような、もっともっと幸せな経験をさせてあげたい。

 心が涙を流し続けるなんて、あんまりにも寂しい事だから。


「んーん!睡ちゃんの頑張りです!頑張ったらちゃんと自分を認めてあげましょう。反論は受け付けませんからね」


「…が、頑固だ……でも…ありがとう…。あっ…み、水が汚れてきたから、取り替えて来るね…!」


 表情に照れと疑心が見え隠れすると、サッと顔を背けられてしまう。

 そう簡単には話を聞いてくれないみたいだけど、時間はまだまだ有るのだから焦る必要はない。存分に褒めて少しでもその自己否定を和らげてあげたい。


 だが、思案に耽りすぎたのがいけなかった。気が付けばよたよたとバケツを運ぶ睡ちゃんの後ろ姿が傾きかけていて、喚起の声を上げるよりも先にその足を縺れさせていた。


 バシャンッ!と一面を覆う汚れた水。屋敷外の洗い場を目指していた為玄関自体に被害は無いものの、当の本人はその限りではない。褒められたばかりの失態、情けなく転ぶ自分の醜態、ペタンと転んでいた姿を子鹿のようにプルプルと起き上がらせこちらを向く。


 汚れた水を被ってしまった睡ちゃんは、その濡れっぷりに負けない程の涙を浮かべていて、本人にその気は微塵も無いのだろうけど罪悪感を大いに抱かせてくれる。


(うぅ、そんな目で見ないで…。目を離したのは悪かったけど…!)


 汚れたままなのも可哀想だし、一先ず手を貸して立たせてあげる。


「…あ、ありがっ……うぅ…ご、ごめんっなさい……!」


 メイド服の前面をビシャビシャにして謝る睡ちゃんの姿に胸が締め付けられる。なにもそんなに気にしなくてもと思うが、多分自分が許せないのだろう。

 つっかえながらも涙目で謝る睡ちゃんをなんとか宥めながら、どうにかしてあげなきゃなと思案する。

 初日ということでメイド長も大目に見てくれる筈だし、事実玄関は綺麗な美人さんに仕上がったのだから、休憩がてらお風呂にでも入るとしよう。


「そうだ。気分転換も兼ねてシャワーでも、浴びましょうか」


 裸の付き合いも、仲良くなるのに悪くないはず。

 掃除道具を片付けながら楽観的な私だった。

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