不思議な鏡
第2話 この度、転生しまして!
大きなベッドの上で、二人の少女が本を読んでいる。赤と銀の髪を持つ二人の姿は、まるで一枚の絵画のようだ。
「ねぇおねえさま、どうして王妃さまは白雪姫が嫌いなの?」
「それはね、白雪姫がとってもきれいだからなのよ」
「どうして? わたしはきれいなおねえさまがだいすきだよ?」
「わたしも鏡花のことがだいすきよ!」
いつのまにか本を手放し、二人の少女はきゃあきゃあと戯れだす。抱きしめたり擦り寄ったり繋いだり、お互いが愛しくてたまらないようだ。
赤い髪の少女の名は「
この白清水家の長女であり、菫色の瞳と林檎のような赤い髪がとても美しい活発そうな少女だ。
そして隣の銀色の髪に空色の瞳を持つ、腕に火傷のような痣を持つ少女。
この娘の名は「白清水
白清水家の末っ子であり、凛后の妹である私自身だ。
そう、あの時夢だと思った出来事は現実で、今私は白清水家の一員として生活している。
その癖幼さ故か記憶が曖昧になっていた為、この頃は前世のことも世界のことも一切合切忘れて気付かなかった。
自分に対する違和感、家族に対する既視感、不可解な感覚は幼い心に不安として纏わりつき、臆病な少女の私を作り上げた。
体に引っ張られたのか何なのか、何かの拍子に突然泣き出す事も珍しくなく、母と姉からそれはもう心配されたものだ。
そんな私が今笑えているのは、大好きな家族のお陰。
異質な見た目の私を怖がらずに、お姉様は笑顔で手を引いてくれた。
泣き虫な私をいつも優しく見守り、お母様は根気強く涙を拭ってくれた。
家族に甘いお父様も、使用人のみんなだって、決して私を見捨てなかった。
人見知りでまともに話した事も無かったのに、暖かい視線を送ってくれた。
勿体ないと感じる程の、幸福な毎日が少しずつ私を変えたのだ。
今では私ももう3歳。記憶は曖昧なままだし精神面も脆いままだが、なんとか元気に生きています。
「ねぇねぇ鏡花!」
後ろから抱きしめてくれていたお姉様から声が掛かった。甘い声と吐息がくすぐったくて身じろぎしてしまう。
「んぅ……なぁにおねえさま?」
「もしもわたしが、王妃さまみたい鏡花を嫌いー!って言ったらどうする?」
「え……?」
頭が冷たくなる。心が寂しくなる。
お姉様が私を嫌い?どうして?
だめだ涙が溢れてくる。咄嗟に顔を隠し涙を拭うも止まってくれない。
「っ!? ごめんね鏡花、さっきのはウソよ! だから泣かないで! ねっ、おねがい!」
「ッ……ヒッ……ほんと? き、きょうかのこと、きらいじゃなぁい?」
「きらいになんてなるわけない! おねがいだからお顔をみせて?」
お姉様は優しく私の手を取り涙を拭ってくれる。そのまま両手を握り目を見つめるのは、私をあやす時のお姉様の癖だ。
「いじわるしてごめんね鏡花。わたしはずっとあなたがだいすきよ」chu♡
言葉が終わると同時に、おでこに優しいキスの感触。これをされると私はたまらなく嬉しくなって思わず笑顔になってしまう。
感情が制御できず泣いたことなんて忘れて、私はお姉様の笑顔に見惚れてしまった。
「うん……。わたしも、おねえさまが、だいすき……」
今はまだ照れ臭くて、気持ちを込めた笑顔しか返さないけれど、いつの日か私からのキスを送れるといいのに。
「うれしい! ありがとう鏡花! おなかもすいちゃったし、お菓子もらいにいこっか!」
「あっ、おねえさま、まって!」
急かすお姉さまに手を引かれベッドから飛び降り、二人揃って母の元へ向かう。
時刻は午後三時、お母様は今頃居間でティータイムの準備だろう。お姉様は待ちきれないのか、長い居間へと続く屋敷の廊下を早足で進んでいく。
大きな白清水家のお屋敷は、用事一つ済ませるのも一苦労だ。
所謂カントリーハウスを彷彿とさせるこのお屋敷は、白清水家がこの土地一帯の領主だった時代から受け継がれてきた。
現在は使われていない部屋や施設が数多くあるものの、今でもその美しさは色褪せることが無い。家族自慢の庭園なんて、まるで物語に迷い込んだように錯覚させてくれる。
白清水家はその使用人の多さや煌びやかな外観から貴族のような生活を想像されるが、実際は結構普通な暮らしをしている。
使用人の仕事はお屋敷の清掃や管理が大半を占め、住み込みで働いてるのはメイド長などごく僅かな人のみだ。
家事の一切を取り仕切るのはお母様。一見家事なんて出来そうにない御令嬢なのに、楽しそうに働くその姿は普通のお母さんにしか見えない。
そのため住み込みのメイドさんも最小限で済み、仕事も私達のお世話が大半だ。
今もメイドの
茨沢さんは真面目で厳しいメイド長で、古くから白清水家に仕えており父と母から厚い信頼を得ている。
その自他共に厳しいストイックな性格と、ニコリとも笑わない表情が私は少し苦手だけど、時々垣間見える優しさから嫌いになれない。
でもなんだかいつにも増して顔が険しい気がする。それにお姉様の方を凝視しているような…。
途端手を引く力が強くなり、驚いてお姉様に目を向ける。
「鏡花、もっと急いで! 私待ちきれなくなっちゃった!」
「わっ! お姉さま、はしるとあぶないよ!」
そわそわと駆け出しそうなお姉様に、私は内心ひやひやだ。
まずいよお姉様!そんな風に行儀悪くしたら怒られちゃう!
焦る私を尻目に先へと急かすお姉様は、自分に迫る修羅の姿が全く目に写っていないようだった。
「大丈夫大丈夫! そうだ、お部屋までお姉様と競争しましょ!」
「えっ? えっ?? だ、だめだよ転んじゃうよ! きっと茨沢さんにもおこられ……」
「安心して! 転ばないようにちゃんと見ててあげるから! さんにーいちでスタートよ!」
あぁ、もう止められない。
「さんっ!」
ごめんなさいお姉様。
「にーっ!!」
鏡花はお姉様を助けられません。
「いちっ!!!」
情けない妹を許して。
「おやめなさい凛后お嬢様」
「ぴっ!? ば、茨沢さんいつのまに!?」
「屋敷の中では走り回らない、今まで何回も何回もお教えしたのにまだ分からないのですか?
鏡花お嬢様を楽しませたいのは重々承知しております。
ですがそのために決まりを破ることも、人の話を無視することも決して良い事ではありません。
万が一にも、万が一にも怪我をしたりさせた場合、辛いのはお嬢様自身なのですよ?
なにも淑女らしく優雅たれなんて言ってるのではありません。決まりを守る、至極当然のことを理解して頂きたいのです。
わかりましたか? 先程から黙ったままですがちゃんと話を聞いているのですか?
わかったら返事!!」
「「ハイッ!!」」
茨沢さんの迫力に、思わず私も返事をしてしまう。
「ん、よろしい。お小言ついでです、奥様の所に向かう前に手を洗いに行きますよ」
「「わかりました!!」」
途中言われたとおりに手を洗ってから、再びお母様の所に向かう。時々茨沢さんにお小言を貰いながらお姉様と歩いていれば、居間に着くのはあっというまだ。
部屋の中を覗き込めば紅茶と焼き菓子の香り鼻先をくすぐり、期待に胸が膨らんでしまう。
うっとりする私とは違って、お姉様は我先にとお母様の下に駆け寄っていく。
「お母様、今日はどんなお菓子を焼いたの? 私達の分もある? ミルクティーはある!?」
「落ち着きなさい凛后。ちゃんと二人の分も用意してるから、まずは席に着きなさい。茨沢さんも気にしないで」
二人そろって返事をして、仲良く隣同士で席に着く。ティータイムの準備はお母様があらかじめ用意してくれていたみたいで、お姉様は紅茶に目もくれず早速焼き菓子を口にしている。
「ムグムグ…んぅー、おいひい! お母様、これ林檎が入ってるのね!」
「ふふ、正解よ。今日のお菓子は凛后のためにアップルとシナモンで作ったの。鏡花も気に入ってくれたかしら?」
「ん!(コクコク)」
「そう。急がなくても無くならないから、ゆっくり食べなさいね」
紅茶に目もくれず、頬張ってる姿がおかしいのか、お母様は目を細めて微笑む。自分でもはしたないとは思うけれど、こんなに美味しいお菓子が悪いのだ。
今日のお菓子は、お母様特製の林檎のスコーン。狐色に焼きあがったスコーンの香りがとっても魅力的で、私は釣られるようにもう一口。途端に広がるシナモンの風味と林檎のほのかな酸味、口の中が乾いていく感覚すら楽しく感じてしまう。
しっかり味わった後はミルクティーを一口、優しい甘さに一息つく。
カップに口を付けたままチラリと隣を見れば、二つ目を咥えるお姉様と目が合う。なんだかお互いおかしくて、揃えたようにくすくすと笑みが漏れる。
「あらあら? なんだか二人とも楽しそうね。お母様にも何かあったのか教えて?」
「んーん、なんでもない。ねっ鏡花?」
「うん、なんでもないよお母さま」
「あら仲間はずれ? お母様さびしくて泣いちゃうかも」
「本当になんでもないの! もう、意地悪しないで!」
ぷいっと顔を反らすお姉さまに、いたずらっぽく笑うお母様。二人を見てると本当にそっくりなんだなと改めて思うと共に、何で二人みたいな赤い髪じゃないのか自分の遺伝子を恨んでしまう。
いかにも怒ってますなんてアピールしていたお姉様は、何か思いついたのかその表情をくるりと変えて笑顔を浮かべる。
「お母様、私いいこと思いついちゃった!」
「あら? 今度はお母様にも教えてくれるの?」
「しーつーこーい! ……じゃなくて私ね、今度お父様にお菓子作ってあげようと思うの。もちろん鏡花と二人で!」
「わたしも?」
「うん、鏡花も! だからお母様、お菓子作りを教えてくれる?」
「とってもいい考えね。もちろん大歓迎よ」
「やったっ! うんとおいしいお菓子をプレゼントしようね、鏡花!」
「んっ!」
そして作るお菓子はあれがいいこれがいいと言い合う私達を、嬉しそうに見つめるお母様。茨沢さんもいつもより柔らかい雰囲気でこちらを見ている。
笑い合う二人に見守る二人。
優しい午後のティータイムは、穏やかに過ぎていった。
幸せな日々だった。
ちょっと苦手なお父様は多忙な合間を縫って家族みんなでの食事を好んだ。雰囲気も顔も怖い癖して家族にはデレデレで、目にする表情はいっつも満面の笑み。忙しいときにはお母様の食事が恋しい、娘に会いたいと良く口にしていたらしい。
お母様の料理は愛情で溢れていた。外では会食だったりが多いお父様のために、手料理は家庭的で飾らない食事が多かった。肉じゃが、オムライス、シチュー、お屋敷には似合わなかったけど最高の料理だ。
お菓子作りも大の得意で、作ってる姿をお姉様と眺めるのが大好きだった。
お姉様はいつも私の手を握り、何をするにも一緒だった。お姉様と歩いた庭園、読んだ本、作ったお菓子、過ごしたベッド、その時の事を今でも思い出す。
元気で真っ直ぐで美しいその姿は、いつも気弱な私を引っ張って、太陽の様に照らしてくれた。
記憶は無いのに前世の自分がいて、それがいっつも不安だった。理由も無いのに男の人が苦手で、自分が嫌いで自信が無くて。
初めて鏡を見たときその姿に思わず悲鳴を上げた。銀色の髪と青白い肌が幽霊のようで、空色の瞳は空虚に見えた。周りは天使の様だなんて言うけれど、私は今でも不気味に感じてしまう。
そんな誰も信じられなくていつも泣いていた私を、変えてくれたのが家族だった。
いつのまにか涙は止まり、笑顔を覚えた。その隣にはいつもお姉様がいてくれた。
この手が繋がってる限り、幸せは終わることが無いのだと信じていた。
運命はそれを嘲笑うかのように回り始める。
記憶があれば違ったのだろうか。彼女に降りかかる悲劇のイベントを、知っていれば避けられたのだろうか。
弱く小さな私に、何が出来たのだろうか。
全てが終わった今では、誰も答えを知らないのだろう。
冬の匂いがする曇天が、静かに忍び寄ってくる。
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