第15話 お菓子な魔女と孤独な子供
△
あなたにはそんな服は似合わないと、母がいつも否定する。
お前ももう大人になれと、父がいつも強要する。
私は大人になんかなりたくないのに、体はどんどん大きくなって。
私は子供のままでいたいのに、周りはそれを理解しなくて。
気が付けば純粋な少女は、甘い罠で子供を捕らえる魔女になっていた。
満たされない心のままで次々と子供を捕らえ、いつもいつも空虚な気分。
なんで食べるか分からないまま、今でも子供を捕らえている。
小さいから美味しそう
純粋だから美味しそう
嘘が無いから美味しそう
ああ欲しい、ああ羨ましい、ああ腹立たしい。
自分の望みも分からないまま、魔女は今も飢えに苦しむ。
本当に欲しいのは、子供だった自分だと気付かずに…
▽
あの運命の日に起きた事件の傷跡は、未だ塞がってはいない。
時折見かける姫大路さんは私に気付くと笑顔を見せるものの、お姉様には敵意のようなものを抱いているみたいだ。お姉様もお姉様で、変わらず自由に過ごしては何かしら騒ぎになるヒロインを快く思っていないのか、彼女が近づいたり見かけたりすると露骨に表情が悪くなる。
それも合って私もヒロインと話せていないし、多分お姉様が許してくれない。そもそも関わるつもりは無かったから話せないのは気にはしていないが、ヒロインの中の白清水 凛后への印象が悪化していないかが気掛かりだ。
もしも私が抱える問題の原因が、お姉様の所為だと思われたらどうなるか予想が出来ない。ヒロイン自身がおかしな真似をするとは思えないが、周りが何をするかは別問題だからだ。
既に二人が険悪なのは生徒全体に広まっていて、お互いのファン達の関係も良くない雰囲気だ。仮に決定的な事件等が起きればどれほどの騒ぎになる事か…。
その問題が無くたって、最近は甘崎先輩からのアプローチがしつこくて困っているというのに。
私がヒロインと出会った日を境に、甘崎先輩と偶然出会う事が増えた…というよりもあちらからの接触が頻繁になった。
登下校は勿論、お昼の時間や移動教室のタイミング、果てには部室にも顔を出してくる始末。正直に言って流石にうんざりしてくる。
今の所は強引な真似はされて無いので、手を出されたり食事の席に居座ったりはしてこない。だけど大勢の前で口説かれたり気のある素振りをされるのは、恥ずかしいし周囲の目が怖いのだ。
彼女の元恋人達に何をされるか分かったもんじゃないし…。
それに甘崎先輩から注がれる視線には、単純な好意や情愛の視線とは違ったものも感じられる。詳しくは分からないが、それはまるで…酷く歪な熱情を感じさせてくる。明らかなのは決して恋人や家族に向けるような視線では無いと言うことだ。
本当に、私の周りは問題だらけだ。
今だって、逢瀬に乱入した日に先輩と抱き合っていた子が、目の前に立っているのだから。
「あの…何か御用ですか?」
その子はあの日みた小柄で幼さの残る少女だ。リボンを見なければ二年生と分からないその子は、怨んでいますと言わんばかりに此方を睨んでいる。
周りを見ても人っ子一人見当たらないし、私もトイレに来ていたのだから一人だ。どうみても逃げれる空気じゃないし、下手に動いて逆上されても困る。
今日のお昼は久しぶり睡ちゃんも加えた三人で取っていて、甘崎先輩の乱入も無く終始楽しく過ごしていた。だからだろうか、スキップでもしそうな弾んだ気分でトイレに向かったりしたから、彼女に気が付かずこうして対峙する羽目になったのだろうか。
「……与羽君に何したの?」
「与羽…?あぁ甘崎先輩の事ですね。私は特に何もしてないって言うか、寧ろされてるって言うか…」
「じゃあ、何で与羽君は冷たくなったの!?最近は誰とも遊んでないって噂だし、あなたといる姿ばっかり!あなたが与羽君を束縛してるんでしょ?絶対にそうっ!」
恋する乙女の迫力は凄まじい。というかあの人周りを蔑ろにしてまで私に接触してるのか。全く嬉しくは無いけれど、今まで遊び歩いてたのをやめてまで私に近づいてるのは感心する。
何がそこまで彼女を執着させるのか見当もつかない。見た目は悪くないとは思うものの、甘崎先輩なら私より可愛い人とも仲良くなれる筈だ。
心を入れ替えて真面目に…って風でも無さそうだし、完全に謎めいている。
「本当に分からないんです。最近の甘崎先輩の事も今知ったばかりですし、そもそもタイプじゃないと言うか、そんな気は欠片も無いと言うか…。本人に聞いてみたりはしましたか?」
「聞ける訳無い!それどころか、あの日あなたを見てから話だってまともに出来てないんだから。いつも用事があるってどこか行っちゃうし、電話にも出てくれないし。そしたらあなたと居るのを見たって聞いたから…」
彼女が嘘をついてる様には見えない。さしずめ、浮気現場を偶然見た私が弱みを握ったか、恋人関係になって束縛してると考えたのだろう。単純に好みの子と遊ぶだけなら今まで通りで構わないのだし、一途なら女癖が悪いなんて噂も立たない。
今回に限っては彼女も被害者なのだから、暴挙に出たのも無理は無いのかも。
このままなのも厄介だし彼女達の事も無視できないし、ここは私が一肌脱ぐとしますか。
「好きな人から突然見て貰えなくなるのって辛いですよね…。よし、私に任せてください!」
「任せるって…何を?」
「本人に事情を聞いてみます。元々私があの教室に来たのが原因ですし、一番先輩に接触しやすいのは私ですから」
「…良いの?八つ当たりされたんだから、怒ってもおかしくないのに…」
彼女自身も自分が暴走してる事に気付いていたのだろう、冷静になった今では寧ろ申し訳なさそうに顔を伏せている。確かに最初は腹が立ちかけたが彼女も好きな人を取り戻そうと必死だったのだ。理由が理由なので共感さえしている。
少しの間考え込んだ彼女は、意を決した様に顔を上げた。その表情には先程までの焦燥は鳴りを潜め、真っ直ぐと此方を見つめている。
「ごめんなさい、勝手な思い込みであなたを責めて。それから、提案のことお願いします。どんな結果だとしても、真実を知りたいから」
きっと根は優しい人なのだろう。自分の非を素直に認めて、年下相手に謝ることが出来るのだから。
その勇気に応えるためにも、私も目を逸らさずに言葉を返す。
「はい、必ず聞き出して見せます」
私の返答に安心した様に微笑む彼女は、お礼を口にすると吹っ切れたように軽い足取りでその場を離れていく。一先ず問題が済んだ事に気が抜けるが、本番はここからだ。
次に甘崎先輩と会ったときには、私に固執する理由を聞かなければいけない。少し気が重いが、今後何かと絡まれ続けるのも面倒だし、その所為で今日みたいに謂れの無い批判を受けるのも御免だ。出来るだけ早めに解決してしまうため、今日にでも出会えれば聞く事に決める。
取り合えずはみんなのが居る食堂に戻ろう。
先程来た方角に向かって歩く私は、曲がり角で足を止める事になる。そこに甘崎先輩が居たからだ。
「やぁ、鏡花ちゃん。大変だったみたいだね」
何処から聞いていたのだろうか?まるで偶然みたいな顔をしているが、私が二年生の子と話していたのを知ってるのは確かだ。その顔にはいつも通りの表情が浮かんでいるから、機嫌を損ねてはいないように見える。詳しく聞いていないのか、何とも思っていないのか。
いや待て、そもそもこの他の表情を見たことはあっただろうか?温厚なだけなら良い、軽く考えて気にしてないのも良い、だけどそうじゃなかったらどうだろう。自分を隠すのがすこぶる上手くて、実際は烈火の如き怒りを隠していたら…。
今の所暴力的な面は見たことも聞いた事も無いから大丈夫だと思うが、気を緩めない方がいいかもしれない。
「聞いてたんですね、甘崎先輩。何時からここに居たんですか?」
「そうだね、時間は分からないけど…最初から聞いていたよ。彼女の想いも、鏡花ちゃんの思いも」
やっぱり最初からか…。でもそれなら何故今も平然としていられるのだろうか。疑問は残るものの一先ずは置いといて、彼女との約束を優先する。
「なら、私の言葉も聞いてますよね?なんで今までの関係を全て切ったんですか?さっきの彼女以外にも悲しんでいる人はいるはずなのに、何とも思わないんですかっ?」
「無いね、彼女達とは遊びだし」
本気で言っている。声の震えも表情の変化も、考える素振りすら見えない。今の時刻を聞かれて答えるみたいに、至極当然な事の様に。
「鏡花ちゃんは知らないだろうけど、最初にちゃんと伝えてるんだよ?あくまで遊びでお互い本気にしないってね。あっちが本気にしようと構わないけどさ、だからって恋人でも無いのに僕のやる事に文句言われちゃたまらないよ。男と女って訳でもないのにね?」
「最低ですよ先輩。人の想いをそんな風に…」
「それ、鏡花ちゃんが言うの?僕の想いをちっとも受け取ってくれないのに」
「私は手を出したわけでも、先輩を無視してもいません!」
「なにも僕だってキス以上はしてないし無視だってしてない。ただ本当に好きな人が見つかったから遊びは終わりにしただけさ。わざわざ他人に構う時間なんて勿体無いしね」
ダメだ、この人は本当に何とも思ってないし、先程の彼女の言葉も全く響いていない。まるで飽きた玩具を捨てるみたいに、気持ちがもう存在しないのだ。
でもそれなら、どうして私に執着するのか分からない。今だって好きだなんて言いながら取り繕って良く見せようとも、私の意見に耳を貸そうともしていない。今までと変わらず心を曝け出そうとせず、薄っぺらな王子様のままだ。
聞き出さなければならない、先輩の言う好意と名付けられた形の見えない感情を。
「なら、どうして私を好きなんですか?これまでみたいに遊びじゃ無い理由はなんですか?」
「切欠は一目惚れ、今は全部が愛しいよ。本気の恋に理由は要らないだろう?」
内容におかしい点は無い…、だけどこれは多分嘘だ。先輩の目からは恋慕の感情は伝わってこない、寧ろこれは期待や好奇心、プレゼントを待ちわびる子供のような…。
「それ、嘘ですよね」
これは正直ハッタリだが、恐らくは正解だ。その証拠に先輩の表情は、言葉を聞いてショックどころか期待通りと言わんばかり。その瞳に浮かぶのは歓喜と、安堵と、少しの…憧憬?一体私の何に憧れるのか、どうして憧れるのか分からない。
だが、これで取っ掛かりは見えてきた。口では甘いことを言って口説こうとする癖に、拒絶される事を望んでいる。自然と王子様を演じる癖に、それに惹かれない私に安堵している。
先輩の好意は、確実に恋愛感情では無い。
「酷いね鏡花ちゃん。僕はこんなに好きで好きで仕方ないのに、君は全く気にもしない。胸が張り裂けそうな気分とはこういうのを言うのかもね」
嘘付け喜んでるくせに。今も悲しそうな仮面を被り本気で悲しんでいるように見せているが、もう私には通用しない。これまで揶揄われた事も含めて、今ここで言い返すことに決める。
彼女も恋慕が嘘だとばれれば、今のふざけた遊びをやめて素直になるだろう。とりあえずは彼女の仮面を引き剥がして、執着する本当の理由を教えてもらうのだ。
「もう誤魔化さなくても大丈夫です。恋愛感情が無いのはもう理解してますから、それよりも私に近付いた理由をちゃんと教えて下さい。自分を変えてまともになりたかったとかですか?誰かと恋愛するのに疲れたとか?それとも友達になりたかっただけですか?私はどんな理由でも受け止めますから、本音を教えて下さい!その上でこれからの関係を………」
そこまで言って私は言葉を思わず止めてしまう。
視界に入った先輩の顔が青褪めていたからだ。表情は変わらないのに瞳は焦点が合っておらず、両手は震えている。流石に言い過ぎたかとも思ったが、この有様はショックを受けた程度ではない。
どうにかして落ち着かせなければと思った瞬間、肩を強く掴まれた。
「いたっ!先輩、怒らせたのなら謝りますから、手を上げるのは……」
「…訂正してよ、さっきの。僕は確かに君が好きなはずなんだ。だってそうじゃないと変だよ。君が欲しいなんて、恋慕じゃなければ変じゃないか。君と居ると楽しいんだ、変わらない君が眩しいんだ。だからお願い、僕を否定しないで…!」
明らかに様子がおかしい、私が踏み込んだ領域は完全に地雷原だ。体格差の所為で逃れる事は出来ないが、そもそも逃れてもどうなるか。このままでは何をされるか、何を仕出かすか分からない。
言葉は届かないようだし、視線は私を見ているようで見ていない。周りには誰も居ないから頼れるのは自分だけだ。
どうする、どうするっ、どうするっ!どうするっ!?
「ぐっ…先輩聞いてください!私は先輩を嫌っても否定してもいません、ただ本音を教えて欲しくてっ!」
「君だけが変わらないんだ、純粋で綺麗なんだ。皆子供じゃなくなる中で、君は僕の希望なんだ。友情なんて枠じゃ収まらない、君と一つに…君になりたいんだ…。どうしても、どうしても拒絶するのなら…僕は…君を…!」
肩にかかる力が強まり、彼女の瞳孔が開いていく様に感じる。万事休すだ、せめて痛みが和らぐように目を硬く閉じてその時を待てば………
スパァンッ!!!
身体を強く引かれて誰かの腕に収まり、すぐ近くから破裂音が響いた。
「お、お姉様…。それに睡ちゃんも…」
私を背後から抱きしめる睡ちゃんと、私の前に立ちその手を振りぬいているお姉様。先程まで鬼気迫るようだった甘崎先輩は唖然としながら頬を押さえ、お姉様に視線を向けている。何をされたのか理解できて無い様で、淀んでいた瞳も今はしっかりとしている。
「鏡花、怪我は無い?」
「…あ、っと大丈夫です」
「そう、じゃあ行くわよ」
そういうなり身を翻してお姉様は歩き出す。私は睡ちゃんに腕を引かれながらまだ呆然としつつ後を追うが、先程の先輩が頭から離れない。どうしてあんなにも錯乱したのか、どうして今まで本心を隠しているのか。ヒントはあの時の言葉と、私という存在。
どうにも纏まらない思考の中、背中越しに見た甘崎先輩の姿は……
まるで幼い迷子の様に私を見つめていた。
瞬間、思考の霧が晴れ答えがひらめく。甘崎 与羽が抱えるその願望と苦悩に、私越しに見るその憧憬に。同時に彼女に関する記憶も思い出し、その考えと答えが一致する。
もう一度彼女と話さなければならない。知ってしまえば無視することは出来ないのだから、ヒロインが動かない以上私がやるしかない。
「鏡花、良く聞いて」
「…っ!?」
考え事に集中した私は、突然のお姉様の言葉に現実に戻される。もしかして近付くのを禁止されるのだろうか?だが例え禁止されてももう諦められないし、きっとその時は訪れてしまう。放っておけばどうなるか分からないのだ、それを見過ごすには関わりすぎた。
何を言われてもやり遂げる姿勢で言葉を待つと、お姉様は振り返りもせずに続きを口にする。
「一人はやめなさい。私でも良いし、睡でも良い。先生でもいいから一人で行くのはやめなさい。顔を見れば諦めないのは分かってるし、苦しむ人間を見捨てないのも承知してる。だからもしも甘崎を助けたいなら…一人ではやらないと約束しなさい」
「………はいっ!」
禁止するでも無く、背中を押してくれている。きっと身勝手な私にも、不躾な真似をした甘崎先輩にも怒っている筈なのに。それでも激情を抑えて道を示し、私の行動を静観してくれる。
睡ちゃんだって心配そうな目をしながらも、決して止めようとはしない。寧ろ信頼すらその瞳から伝わってくる。
認めてくれているのだ、私ならこの問題を解決できると。後ろめたさは消えた、弱気な思いも決意に変わる。私は私のやり方で、あの迷子のような少女とぶつかってやる!
立ち向かう勇気は、この足取りを確かに軽くしてくれる。
◇
「魔女はもう空腹ではない筈なのに、勇気ある子供から目を離せません。まるでその姿は、幼子が友達を求めるかのようにも見えました」
◇
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