第16話 偽りの魔女と目覚めた子供
夕暮れの鮮やかなオレンジ色が辺りを照らし、ノスタルジックな雰囲気に気持ちも少し落ち着いている放課後の時間、私は学生寮の裏手にある小さなスペースで一人佇んでいる。
運動部の掛け声や授業終わりの生徒の話し声はここでは聞こえず、自然と心も穏やかになる。風に揺られてざあざあと葉擦れの音がするのを聞いて待てば、誰かが近付いてくる足音に気が付く。閉じた瞼を開いて振り返れば、そこに居たのは背の高い中性的な影。
夕日を背負った「甘崎 与羽」がそこに居た。無論呼び出したのは私。
時間がたってお互い冷静に慣れたからこそ、もう一度話をするためにこの場所に来てもらったのだ。お姉様を介して呼び出したからあの後の様子は把握していなかったが、見た目の普通さとは裏腹にその笑顔はいつにも増して薄っぺらい。
目元にかかる影がより一層その空虚さを際立たせて、何もかもを諦めてるようにも見える。
さて、どう話を切り出したものか…。どんな言葉なら先輩の心を開かせ、奥底に抱えた願いを引き出す事が出来るのか。お姉様との約束通り、睡ちゃんには離れた所で待機してもらっているので、もしも逆上されても対処は出来るものの、その結果では不十分だ。
考えてみても上手い言葉は見つからない、だから玉砕覚悟で行く事にしよう。
「こんにちは甘崎先輩。まだ私のこと好きですか?」
「やぁ鏡花ちゃん。それって遠まわしの告白?昼にはあんな風だったのに、心変わりかい?」
表情も言葉も変わらず王子様ごっこを続けているが、覇気が無いように感じ取れるし、声のトーンも低く聞こえる。やはり今まで思い込んでいた恋慕の感情が疑われて、自分でも混乱したのだろう。
彼女が揺らいでるのは確かなようだ。
「そうですね…告白しますよ。私、今の先輩の事大嫌いです。そうやって自分も他人も誤魔化してる、人を好きだなんて嘘をつく先輩が嫌いです」
「嘘なんて付いてないさ。今は鏡花ちゃんが一番だし、今までの子とは遊びだと言ったじゃないか」
「それは私が子供っぽいからですか?先輩が今まで付き合った人も皆小柄で幼い感じだと聞きましたし、子供っぽいなら誰でも良かったのでは?」
先輩が一瞬怯み、額から汗が流れるのが見える。やはり「子供」と言うワードが鍵になるか、それとも逆か…。ともかく今は揺れ始めた心にさらに踏み込む。
「もしかして次々と相手を変えたのは、子供らしさを失う姿が嫌だったから…とか?誰かを好きになった人って、急に大人びて見えますからね」
「…はぁ、ああそうだよ。少女らしさが気に入ったのに、仲良くなると皆変わってしまう。僕はただあのキラキラ輝く瞳と寄り添えればいいのに、気付けば女の瞳で此方を見つめるんだ」
「王子様の真似までして親密になるからそうなるんですよ。じゃあ友達になれば良いじゃないですか、それとも「そういう関係」じゃないとダメな理由でも?」
「…友達?」
まるで言葉の意味が分からないみたいに、唖然とした表情で固まっている。変わるように仕向ける癖に、いざ子供らしさを失えば興味を失うなんて変な話だ。要するに彼女は子供らしい人間とただ仲良くしたいだけだと考えられる。
けれどもその方法を知らなくて、個人への執着を全て恋心なのだと錯覚しているのだ。しかしそう思う切欠が分からない。親しい間柄なら間違いを正してくれそうなものだが、そういう相手もいないのだろうか?
「友達なんておかしいよ…、僕は大人なんだから子供と友達になんてなれない。それに友達相手にこんな燃えるような想いを抱いたりもしない。これは恋の筈、そうじゃないと僕は僕が分からなくなる…」
「何でそう思うんですか?誰がそう教えたんですか?先輩が大人なんて笑えない冗談ですよ」
「っ!何も知らないくせに勝手なこと言うなっ!!!」
先輩に押されるように壁にぶつかり、両手を壁につけて退路を絶たれてしまう。所謂壁ドンの状態に、興奮するどころか頭は冷たく冴えていく。後は最後のピースが揃えば、彼女は心を開いてくれる筈。
だから教えて貰おう、王子様ごっこの真相を。
私は飛び出そうとする睡ちゃんを瞳で押し留め、先輩の話に耳を傾ける。
「母さんも父さんも僕を大人だって言い続けたんだ、お前は大人で優秀だから子供染みた真似はするなって、付き合う友達を選べって。学校の皆もそうだ、体が大きくなるにつれて大人っぽいとか格好いいとか好き勝手に言う。王子様を求めたのは僕じゃない、君達皆だ!だから友達になんかなれる筈無い、誰もそれを望んでない!」
彼女も睡ちゃんと同じく、家族やクラスメイト等の周囲の人間に影響されてきたのだろう。なまじ彼女の場合はプラスの言葉にも聞こえるから、一際心に染み付いたに違いない。
特に、家族にこうあれと言われるのは容易く人格を歪ませる程の影響力だ。それが原因で彼女は歪な形で子供を卒業したのだ。
ならば私が取るべき行動は…
「だったら私が望みます」
「は?」
「友達になりたいって言いました。さぁどうしますか、この手を取るか唇を奪うか、先輩が決めてください」
理解が出来ないという表情で、差し出された右手と私の顔を交互に見ている。怒っているようで、驚いてるような不思議な表情だ。でもこれが最後のピース、私から彼女に出来る手助け。
心を開き手を取るか、偽りの王子様のまま唇を奪うか、きっと私の予想が正しければ…
どれくらい経ったろうか、数十分とも一瞬とも取れる時間の後、彼女は動き出した。
「……出来ないよ…、君のその目には何も…」
彼女は後ずさるように距離を開けると、顔を覆う様に頭を抱え俯く。
やはりこうなったか。理解しているのだ、私が王子様を求めていない事にも、本気で手を差し伸べている事にも。可能ならば思うままに純粋な気持ちを曝け出したい筈。
でも出来ない。子供らしさを認められない。大人になれと皆に望まれ、それが正しいと考え今まで至ったのだから。自分らしく生きるという概念が、余りにも薄いのだろう。
「鏡花ちゃんは僕を、王子様を求めてない…。なのに僕に歩み寄るなんて、理解が出来ないよ。わからないんだ、君が見ている僕の姿も友達って関係も。その手を取りたい筈なのに、その先は暗闇の中なんだ。自分がどうなるか分からない、怖いんだよ…」
心が迷える子供なのに、自分で手を払ってしまったのだ。だから認められない、大人で有る事も正しいと信じているから。でも心と言うのは押さえ込めば膨れ上がるものだから、時が経つにつれ隠す事が出来なくなった。
だから幼さに惹かれるのだ。そう有りたいと思っているのに自分は真逆で、憧れと嫉妬が渦巻き強い執着へと至っていく。その強い感情を「愛情」と仮定してしまったから、あんな形でしか触れ合えなかったのだ。
きっと彼女は、幼子みたいに皆と仲良くしたかっただけなのに。
「甘崎先輩は自分らしい生き方を知らないだけなんです。子供の頃からこうあれと言われてきて、その姿を体現できてしまったから。きっと誰も悪くない、少し食い違っただけの筈。良く思い出してください、今まで知り合った人たちは皆が皆恋慕を持っていましたか?」
「…違う」
「そうですよね。楽しいから、落ち着くから、好みだから、必要だから。人が人と接する理由は沢山あって、なりたい関係だって沢山有ります。それどころか何も考えてないのが大半ですよ。だから少し、考えるのやめませんか?」
「やめて、どうするんだい?」
「んー、鬼ごっこでもしますか?」
「???」
明らかに疑問符を浮かべているが、それでいいのだ。彼女の問題に必要なのは心を救う救世主でも、呪いを解いてくれる王子様でもない。
馬鹿みたいに遊びまわって笑い会える、友達なのだ。
「走り回ったり、お菓子を食べたりも良いですし、何もしなくても良い。気兼ねなく過ごして、取り繕わない自然でいられる。それが友達ってもんです。偽らない自分を、子供みたいな自分を気にしない友達を作りましょう。その最初の友達に私が立候補です」
「でも、どうしたらいいか分からないって言っただろう?」
「よーく胸に手を当ててみて、何が正しいとか相応しくないとか全部頭から捨てて、ゆっくり心に聞いてみてください。今ならきっと、聞こえてきますから…」
恐る恐る胸に手を当て、小さな声に耳を傾けるように目を閉じる先輩。ゆったりと暖かな夕日の下で時間が過ぎる。
すると先程まで不規則だった呼吸は落ち着きを見せ、その顔の青さも和らいでいく。背筋も伸び瞼を上げれば、その瞳には既に影は無く穏やかな光を宿している。
彼女の言葉は囁くように静かだけど、私の耳に確かに響いた。
「……君みたいに為りたい、君と仲良く為りたい、子供みたいに純粋で居たい。似合わないけど可愛いものが着てみたいし、サロンでなんでもない時間を過ごしたりもいいな。普通の女の子みたいに…」
透明な涙が彼女の頬を伝う、悲しい涙ではない何処までも透き通る涙。それはきっと彼女の想いが溢れた結果で、まるで歓喜するように勢いを増していく。
釣られるように私も涙が込み上げるが、目の前の光景を見届けるために耐えなければならない。それが友達としての誠意だから。
そして、産声の様に言葉が零れた。
「僕の……わたしの初めての友達になってくれませんか、鏡花ちゃん?」
「はい、喜んで…!」
差し出した手がゆっくりと握られる。押さえ込んだ想いのダムが決壊して、彼女は声を上げながら涙を流す。そう、まるで子供みたいに。
あの日見たのとは逆に、私の方が迎え入れるように甘崎先輩を抱きしめる。その姿は子供が慰めているようで滑稽にも見えるかもしれない、だけど控えめに身体を預ける彼女が愛しくて、私には関係の無い話だ。
小さな私と大きな彼女、だけど今この時だけは同じ目線でいられた気がした。
△
視界の先では愛しの妹が、頭一つ大きい少女を抱きしめている。
誇らしい気持ちもあるが、正直嫉妬の方が大きいかもしれない。私だって彼女から抱きしめられたのなんて幼少の頃くらいだ、羨ましい女だと少し腹が立つ。そもそも我が家の天使に気を遣わせている時点でかなりの贅沢なのだ。
だが私の目に狂いは無く、妹は見事にあの迷子染みた王子様を救った。いや、目を覚まさせたという方が正しいだろうか。隣の睡もその考えは同じようで、誇らしげに様子を伺っている。
甘崎の頬を張った時、始めは不埒な奴だと憤慨していたが、あの迷子のような目を見たときにこう思った。この女は私に似ていると。理想の自分に為りたい、成らなければいけないのにそれを否定される感覚は、お母様に成ろうとした私に良く似ている。
私と彼女の違いは、誰かの為か否か。私は妹を守るために変わろうとしたが、彼女は自分が好かれるために変わろうとした。そして正す人間がいるかどうか…。遅かれ早かれ鏡花に救われた私達は似ているのだ。
「じゃあ、私は戻るわね。もう解決したようだし、このまま覗いてるのも無粋でしょうから」
「え、凛后お嬢様が戻るなら私も…」
「睡はこのまま見守ってなさい。折を見て話しかけないと鏡花のことだから時間を忘れて話してそうだし。それじゃあ鏡花をよろしくね」
納得のいってない様子の睡を置き去りにして、寮へと足を向ける。私がいては甘崎も心休まらないだろうから、今日の所は一先ず退場だ。
きっと妹は満面の笑みで今日の結末を報告するだろう。その姿が幻視できて思わず笑みが漏れてしまう。
去り際に見えた二人の姿は、無垢な笑顔に彩られていた。
▽
翌日の朝、私は目の前の光景に驚愕していた。
昨日は日が落ちるギリギリまで先輩とお喋りした後、睡ちゃんが迎えに来たのを境に寮へと戻り先輩とは別れた。別れ際には今までとは別人みたいに純粋で明るくなっていて、自分らしく成れたのだと安心出来た。皆とも改めて話すといってたし、真剣な表情には嘘は見られなかった。
どうなるかなんて気になりつつも翌朝を迎えた訳なのだが、登校途中にかけられた声には元気があって杞憂だったとその声に振り向いて見れば、その場にいたのは変わり果てた甘崎先輩の姿だった。
なんとスカートだった。髪もセットしていたのを自然にして、前髪を留めて額を出してるのが可愛らしい。何時もと違う恥らう表情と、慣れないスカートを気にしてもじもじするのが非常に可愛くて、一瞬誰だか分からなかった。
何が王子様だ!?完全に美少女じゃないかっ!!!
あまりの変化に唖然としていると、不安そうに彼女は口を開く。
「や、やっぱり似合わないかな?王子様は辞めようって思い切って変えてみたんだけど…」
「いやぁ全然、寧ろ可愛すぎて脳が停止しただけですが!?」
「そうかな?一番の友達に言われるなら信用できるよ、みんなも可愛いって言ってくれるし」
見た目は可愛いくせに動機は男らしいというかなんと言うか。けれどもコロコロと変わる表情はやっぱり可愛らしくて思わず見惚れるのも仕方が無い。美少女だらけの世界なのは知ってたけど、それにしても会う人皆可愛すぎる。
「みんな…ですか?もしかして昨日言ってた…」
「うん、あれから皆に謝って回ってね。もう関わるなって人も多かったけど、改めて友達になってくれた子もいたんだ。せっかくだから友達記念に写真を送ったらこれが中々好評でね」
良かった、最悪問題が起きてもおかしくないと思ったが、寧ろいい結果に収まったようだ。やはり彼女と純粋に仲良くなりたい子も多かったのだろう。偽らない姿を認めてくれる人が多ければ、彼女も安心して素を出していけるだろう。
先輩の視線を追えば、一人の生徒が見えその子はお昼に話した生徒のようだ。あの時の焦燥や暗い表情は無くなったみたいで、私に気が付くと小さく手を振ってくれる。
彼女を見ればよく分かる、もう王子様はいないと、そうある必要は無いのだと。
「それじゃあの子を待たせるのも悪いし、僕は戻るとするよ。また放課後にでも遊ぼうね鏡花ちゃん。白清水さんに茨沢ちゃんもまたね」
「はい、また」
そう言って晴れやかに戻っていく彼女の姿は、自然体で美しくすら感じる。足取りは軽く表情は無邪気で、仮面をしてた事なんて嘘のよう。
本当の自分で居られる彼女は、きっと輝くような日々が待っているのだろう。
脳裏に一枚の光景が浮かぶ、校舎へと向かう道を二人の少女が歩いていく姿。一人は黒髪の少女、一人は甘崎先輩。今みたいにスカートを履いて、お互い愛おしそうに笑い合う。繋がれた手と通じ合う瞳が何とも幸福そうで、思わずこっちも幸せになる光景。
「甘崎 与羽」のハッピーエンドの光景だ。それは所詮ゲームの話で、現実は大きく違う。
今見ている目の前の光景には黒髪の少女はいない。手だって繋がれないし二人の間にはぎこちない友情しか見えない。ときめく恋愛なんて無い、涙する物語なんて無い、一人の少女が友達と歩く姿だけ。
でも、それが素晴らしいのだ。その不器用な距離感は彼女の勇気の証なのだから。
きっと彼女には多くの友達が出来て、自ずと私との関わりも減っていくのだろう。それは少し寂しい事だけれど、それ以上に祝福される事だ。彼女の執着が薄れたという証拠で、過去との決別の証となるのだから。
夏を感じさせる暖かな日差しが、彼女の歩く先を照らしていた。
◇
「魔女の正体は、幼い子供でした。賢い少女のお陰で心を取り戻した魔女は、これからは自由に自分らしく生きていくのでしょう。
魔女らしくあれと定められた運命を乗り越え、憧れた姿を目指すのです。
もうお菓子の家は必要ありません。
いつしか彼女の周りには、子供達の笑い声が響き渡る事でしょう
めでたし、めでたし…
また、鏡の少女の仕業…」
◇
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