第17話 この度、狼に見つかりまして!

  

 季節は既に七月。心地の良い暖かさは本格的な暑さに変わり、湿気の多い季節がやって来た。

 火傷跡を隠すために長袖を着てはいるものの、そろそろ観念して半袖にするべきだろうか?別段痕を見られるのは気にならないが、やはり気持ちが良いものでは無いので周囲の為にも隠しておきたい。

 今も親しい人物の前だから袖を捲くっているが、普段はどうしたものだろうか。いっその事メイクで隠すのも一つの手かもしれない。


 現在私は親しい人物、御陰さんと一緒に居る。場所は勿論文芸部の部室で、この前の顛末を話している最中だ。私が文芸部に入ってもう二月も経ったもので、御陰さんとはかなり親しくなった。睡ちゃんやお姉様は意外と忙しないので、一人で過ごす時間は自然と部室に居ることが多くて自ずと御陰さんと親しくなった訳だ。


 そもそも初対面から印象が良かったのだから、こうなるのも当然というか。

 御陰さんは相変わらず物静かだが、その距離感がなんだか心地よい。特別話すでも無く、全く気にしないでも無く、ただその場に居るのを認めてくれるというか。

 私の腕の痕も特別気にするでも無く一つ心配してはそれきりだし、日常やお姉様についても無理に聞いたりしてこない。


 話せば聞いてくれるし、私に対しても「今日はどうしたの…?」「この本は読んだ…?」なんて時たま言うだけで、殆どは同じ場所で過ごしているだけ。楽しい時もそうじゃない時も、変わらずここに居てくれるのだ。


 しかしこの日は違った。基本的には学院の事すら興味が無さそうな彼女が、私に与羽先輩の事を聞いてきたのだ。




「―――という事がありまして、結果的に今みたいな先輩に変わりました。前の与羽先輩のが良いって言う人もいるみたいですけど、今の方が人気があるというか、私が今の方が好きというか」


「そんな事があったのね…。それに、呼び方まで親しげみたい…」


「ああ、これは与羽先輩が友達なら名前で呼んでって言うからですよ」


 あの日に起きた事を説明するのは少し躊躇われたが、御陰さんは言い触らしたりしない人だと信じて全てを伝えた。起きた出来事、言った言葉、詳しすぎない程度に説明したと思う。流石に前世の事は言えないけど。

 決して短くない話の間、御陰さんは相槌をしながら真剣に聞いてくれた。まるで先輩の事を理解するように聞いてくれるその姿に、友達として嬉しくなってしまう。


 思ったとおり優しい人だ。今も話を聞き終えたその顔には、安堵のような憂いのような感情が映し出されている。仲が良いとは聞いていない筈なのに、他人に対しても案じられる人なのだろうか。

 御陰さんは私から目を逸らすと、窓の外を眺めながら感慨深そうに口を開く。


「最近の甘崎さん、本当に楽しそうにしてるみたい…。前も暗いわけじゃなかったけど、無理をしてるように見えたからね…。きっと、誰かが影響を与えたんだと思ったけど、まさか白清水さんだったなんて思わなかった…」


「でも、私じゃなくても誰かが先輩を変えてたと思います。今回は偶然私だっただけで」


 というより、本来は私じゃないのが正解なのだ。ヒロインの愛が彼女達を変えるのであって、私がしたのはただの手助け。だからこそ隣に居続けてはいないし、それぞれ自分の居場所を見つけている。

 寧ろ私の方が皆に助けられているくらいだ。未だに片手で数えれる程にしか友達がいないのだし。


「謙遜、しなくていいのに…。白清水さんは、きっと特別な子なのね…」


「どういうことですかそれ?」


「ふふ…なんでもない…♪」


 それっきり御陰さんは執筆に集中してしまい、二人の間に会話は無くなる。私も本を開いて時間を潰す事にして、二人で静かな時間を過ごす。遠くから聞こえる運動部の声や吹奏楽の音色、心地よいサラサラとした文字を書き込む音が部室の中を緩やかな雰囲気にさせる。


 そうして穏やかに時間を過ごしている途中、夕日の色が濃くなる頃にポツリと御陰さんの声が聞こえていた。


「ねぇ、こんな噂を聞いたんだけど…」


 その話し始めは聞き覚えのある言葉だ。それも前世の記憶に。これは彼女が隠しキャラとして、ヒロインに情報を伝える時の台詞と一緒のはず。一体、なんの噂を聞いたのだろうか…


「あなたのお姉さんと姫大路さんが犬猿の仲だって噂、聞いた事ある…?」


 ゲームにおいて彼女の噂は間違わない、絶対的な事実としてヒロインに伝えられる。ならば本当に犬猿の仲、つまりはそこまで不仲なのか、でも中庭の騒ぎ以来接触は無い筈だ。

 見方によっては不仲にも見えるが、そもそも関わり合いが無いのにそんな噂は流れるだろうか?もしかしたら私が知らない所で、何か問題が起きた可能性も…

 

 口の中がカラカラに乾いていき、御陰さんから目を離せない。確認しなければいけない、どうにかして様子を調べるのも絶対だ。


「白清水さん、大丈夫…?顔色が良くないから、保健室に付き合おうか…?」


「いえ…平気です。でも用事を思いだしたので失礼します!」


 心配そうな御陰さんに断りをいれ、部室を後にする。お姉様の所に向かう一方であの人に連絡を入れるため、携帯を操作しコールを掛ける。不安で止まってられない、どうにか確認しなくては。


 穏やかな放課後の時間は、一つの言葉で一瞬にして消えてなくなった。








 翌日のお昼、私は食堂でのんびりと食後のティータイムを満喫している。

 対面にはお姉様と睡ちゃんが居て、には与羽先輩。不思議に思うだろうが、本当に背後に居るのだ。


 私を抱きかかえて。


 完全にぬいぐるみか子供扱いだ。ゆるく腕を回され頭に顎を乗せられ、なんとも楽しそうに抱きしめている。友達になり気安いのは構わないのだが、スキンシップの仕方が凄い。でもあんまりにも嬉しそうだから、断るに断れず苦笑いで乗せられるしかなかった。


 そんなふざけた態度が気に障ったのか、お姉様は顔をしかめて此方を睨んでいる。それもそうだろう、私が大事な話があると呼んだのに、当の本人が遊んでいるのだから。睡ちゃんだって面白く無さそうな表情だ、きっと二人から怒られてしまうのだろう。憂鬱だ…。


「それで、話って何かしら?もしかして仲良くなったご報告?それなら認めないからさっさと降りなさい」


「ち、違いますよ!?話は本当に大事な事で…ていうか、先輩ももう離してくださいよ!結構恥ずかしいんですから!」


「やだ」


「やだって、そんな勝手な!?」


 益々険しくなるお姉様と、悪びれない与羽先輩。頼むからこれ以上煽らないで欲しいが…


「そうですよ、鏡ちゃんが嫌がってるならやめてあげて下さい!」


「すーちゃん…!」


 流石親友だ。私の事を思って助け舟を出してくれる姿は、まるで聖母の様に光り輝いて見える。


「私だってそんな羨ましいことした事無いんですから!全身で鏡ちゃんを感じられるなんて…早く替わってくださいっ!」


「すーちゃん?」


「いいえ、替わるのは最愛の姉たる私に決まってるでしょう。寧ろ一番付き合いの薄い甘崎が抱えてるのが間違いよ。さっさと降ろしてこの場から消えなさい」


「お姉様まで!??」


「悔しいなら悔しいって言えば?何言われても鏡花ちゃんを離す気は無いし、所詮負け犬の遠吠えって感じだよね。それにしても鏡花ちゃんはちっちゃくて可愛いね。髪もサラサラだしほっぺももちもちだし、甘い匂いもしてなんだか美味しそうに思えちゃうよ」


「ひょ、ひょっとひゃめてくりゃしゃい!!」


 こねる様に頬をもちもちしだす先輩の姿に、一層二人は表情を強める。怒れる般若が二人、嘲笑う悪魔が一人、そして哀れな天使が一人。混沌とした空気はより一層深まっていき、私の肩身も徐々に狭まっていく。


(どうしてこんな事に……)


 私の疑問に答える者は居らず、小さな空間に立ち込める空気がどんどんカオスを増していく。周りの皆も見て見ぬ振りで、誰も私を助けてはくれない。


 結局、私が全員の膝の上を回るという形で決着がついたのだった。




「私と姫大路が不仲?そんな噂が流れるほど関わってないし、クラスでは流れていない筈よ」


 私を膝の上に抱えて、頭上から返事をするお姉様。声音は真剣そのものだけど、人の頭に顔を突っ込んでたら台無しですよ…。


「僕もそんな事聞いてないけどね。それどころか白雪ちゃんは他の子と仲良くなるのに忙しいみたいだし、凛后ちゃんに構ってる余裕は無さそうだけど?」


 初耳だ。ヒロインと仲良くなるって事は、攻略対象の誰かだろうか。すでに睡ちゃんと与羽先輩は関わってないのが分かってるから、残るは攻略対象は二人。同じクラスの巾染さんと、まだ見ぬ二年生のあの人。


「あ、丁度あそこに居るみたいだよ。白雪ちゃんとチサちゃんと、あの一年生はわかんないな」


「同じクラスの巾染 赤穂さんですね。鏡ちゃんも私も仲良くは無いんですけど、クラスでは結構人気で、所謂ムードメイカーというか」


 睡ちゃんの言うとおり、ヒロインの左隣で楽しそうに話しているのが巾染さん。今はもう赤いフードのパーカーを着ているので、赤頭巾がモデルだと分かりやすい。


 そして本題はもう一人の方、ヒロインの右隣でで話を聞いている、自信溢れる雰囲気を纏った生徒だ。

髪永井かみながい チサ」名前からも連想しやすいラプンツェルがモデルのキャラクターだ。

 日本人とイタリア人のハーフである彼女は、日本人離れしたプロポーションと鮮やかなストロベリーブロンドの髪が美しい。なんといっても特徴は髪の長さで、頭頂部で纏めてもなお膝近くまであり動く度に様々な姿を見せるその長髪は、一枚絵でも良く映えていたのを覚えている。

 パッチリとしたブラウンの瞳と健康的に日焼けした肌が眩しい、表紙ではセンターを飾ったキャラクターだ。


 遠くから見ても分かるが、その情熱的な性格ゆえにスキンシップ等も激しいらしく、今も唇が触れ合うほどの近さで話している。姫大路さんは恥ずかしそうに顔を逸らすが、満更でもでも無さそうに見える。流石はセンター担当、この世界でもヒロインの心を掴みかけてるのだろうか。


 反対に巾染さんは少し不機嫌そうだ。当然か、愛しのヒロインが自分を眼中に入れてないどころか、目の前で見せ付けられるのだから。正直かなり辛いことだと思えるが、恋心の前では些細な事なのだろうか?


 というよりサンブレでは基本的にルートに入れば一本道なので、複数の攻略対象が同時に登場する事は無いし、修羅場なんてものも無かった。この光景はまさしくゲームと現実の違いと言える。

 そんな事を考えていたために強く見すぎたのか、巾染さんと目が合ったきがする。何故だか、かなりの敵意が一瞬向けられたようにも見えるが、今はもう此方を見ていない。

 

 気のせいだったのだろうか。妙な胸騒ぎを残しながら、私は皆との会話に集中する。


「それで、鏡花は今後どうするつもりなの?ただ噂の話をするなら電話でもメッセージでも良いし、みんなを集める必要も無いでしょう?」


「ああそれは、皆で情報を共有するのが一つなのと、もう一つは与羽先輩にお願いをしたかったからです。出来るだけお姉様の様子を見ていて欲しくて」


「様子を僕に?そんな必要あるかな、凛后ちゃんってそんなか弱い女の子じゃないでしょ」


「いえ、お姉様自身には問題は無いと思うんですけど、周りがどうなるかは分からないので。皆も知ってるとおり、お姉様と姫大路さんの学院での人気は凄いものです。もしも何かあってファンの人達が暴走すれば、大事になってしまうのは簡単に予想出来ますから、外側から見て何かあれば連絡したりサポートをお願いしたいんです」


 これが私の考えた現状で出来る事だ。学年の違う私ではお姉様に何か起きた時にすぐに気付く事が出来ないし、その場に行くことも難しい。その為の架け橋をお願いするという訳だ。


「四六時中監視して欲しい訳じゃ無くて、何か起きたらで構いませんから。この事をお姉様にもすーちゃんにも理解して欲しくて…」


「うん、僕は全然構わないよ。寧ろそんな事お願いされなくても、友達の家族に何かあれば動くに決まってるしね」


「ええ、何も監視される訳じゃないなら私も気にしないし、鏡花がそんなに心配してくれるなんて嬉しいもの。私の方でも気をつけて生活してみるわ」


「お姉様…与羽先輩…!」


 私の考えていたよりも、二人は信頼してくれるみたいだ。こんな信憑性の無い噂を気にしてるというのに、笑わずに真剣に考えて答えを出してくれるのが嬉しい。

 私の周りの人達が、この人達で本当に良かった。


「鏡ちゃん、勿論私も協力するから何かあったら言ってね。凛后お嬢様の事、私だって大切なんだから」


「すーちゃん…、うん、その時は絶対頼りにします。三人とも、信じてくれてありがとうございます!」


 少し泣きそうになりながらお礼を言う私を、皆は暖かく見守ってくれる。

 皆と一緒ならきっと大丈夫だ。根拠なんて無いし未来は予想がつかないけど、今は確かにそう思える。


 お姉様の腕の中で、私は希望に溢れた気持ちで時間を過ごしたのだった。








「ねぇ、鏡花ちゃん、少しいいかな?」


 昼食を終えて教室に戻ろうとする私に、赤色が目立つ小柄な少女が声を掛けてくる。赤い少女…巾染さんは人懐っこい笑顔を浮かべたまま、トコトコ歩いて私の目の前に立つ。

 知ってはいたが、彼女も結構小柄だ。私と並んでも少し高いぐらいで、なんとなく親近感が湧く。たわわ様も豊かでは無いから、そこも強く関わってるのだが…。


「巾染さん、何か用ですか」


「そんな寂しい呼び方やめてよ、普通に赤穂でいいから。それで質問なんだけどさ…」




「白雪先輩と置き去りにして、お姉さんを優先したって本当?他の生徒に嫌がらせされて、挙句にはお姉さんに邪険にされて、そんな白雪先輩を見捨てたって本当の事?」




「っ!」


 敵意だ。嫉妬と嫌悪が混じった明らかな敵意。さっき感じた視線は勘違いじゃなくて、私に向けられたものだったのか。

 今でも彼女は変わらない笑顔だ。強い敵意を放ちながらも、与羽先輩以上の分厚い仮面で表情を隠している。なんとも明るく楽しげに、ここまで感情を示せるものだ。


「ほ、本当の事です。姫大路さんには悪いとは思ってますけど、あの時は仕方なかったですしお姉様のが大切なのも事実ですから」


「ふーん。訂正する気も無いんだ。なんていうか、ちょっと生意気な感じだよね」


 こ、怖い人だ。彼女はなんとも自然体のまま、純粋な敵意をぶつけてきている。彼女が自分を偽るのが得意とは一応知っているけど、まさかここまで見た目と剥離した言動が出来るとは…

 今まで出会ってこなかったタイプだ、無視されたり嫉妬されたりは無くは無かったけど、直球の悪意は初めての経験だ。

 ある種の恐怖を感じてしまう。その不可解さに震えそうになるのを、必死に抑えなければならない程に。


「でも、お姉さんに肩入れしないって誓うなら態度を改めて仲良くしてもいいよ」


 だが、瞬時に震えが止まる。この女はなんて言ったのだ?私にお姉様から離れろと、その代わりに自分が仲良くなってやると???

 頭のお花畑が透けて見えるほどだ。能天気にも私のお姉様への想いを過小評価し、あまつさえ自分と天秤に掛けている。流石にこれは黙ってられない。


「はっ?お姉様を捨ててまで仲良くする気なんてさらさらありませんが?」


「はぁ?私と仲良くなりたくないっての?流石に生意気過ぎ、自分がちょっと可愛いからって調子に乗ってない?」


「はぁーっ?調子に乗ってるのはそちらでは?姫大路さんに陶酔し過ぎて正常な判断が出来ないのでは?そもそもお姉様がこの世で一番可愛いんですが??」


「はぁーっ!?一番は白雪先輩に決まってるでしょ!?あんたこそ狂信し過ぎておかしくなってんでしょ、優しくて綺麗な白雪先輩が一番!これが現実!!」


「………」


「………」


 お互い無言で、しかしその表情は共に笑顔。

 引けないのだ、それぞれの愛を掛けたこの戦いは、言ってみれば聖戦だ。どんな手で来るかは分からないが、戦わないなんて選択肢は無い。

 動機も違う、思い人も違う、そんな二人の想いは一致している。


(この女をわからせて、お姉様白雪先輩が一番だと認めさせる!徹底的に!!)


 二人の笑顔の睨みあいは、怯えていた睡ちゃんが正気を取り戻すまで続いた。

 鏡花はこの日初めて、戦う事を知ったのだ。



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