第19話 赤い頭巾の狼少女

 △


 嘘をついて生きてきたから、嘘をつかないのが落ち着かない。


 嘘をつけば家族も笑うし、嘘をつけば友達も出来た。


 嘘をついたまま大きくなって、嘘をついたまま人を好きになった。


 なのに彼女は嘘を見抜いた、私が狼だと気がついたのだ。

 狼だと知られる事が怖くて、離れていくと思って、いっそ自分で突き放した。

 今も彼女の涙が嘘をつく度に頭に浮かぶ。もう顔も覚えてないのに。


 そしてまた、私が狼だと知る人が出来た。私の方から伝えたけれど彼女は恐れなかった。

 狼でいられるのは、心地のいい時間だった。なんて事の無い平穏だった。


 だけどそれももう終わり。嘘と真実なら、私は嘘を選ぶのだから。


 ▽








 状況は悪化した。

 お姉様と髪永井さんが起こした事件の原因は、姫大路さんの私物が傷つけられた事が原因だった。もちろんお姉様が犯人という証言も証拠も無いのだが、髪永井さんにはそんな事は関係なかったらしく、噂も相まって決め付ける形で詰め寄ったらしい。


 勿論お姉様だって馬鹿じゃない、最初は宥めるように説得しようとしたらしいが聞く耳を持たない様子に我慢の限界を向かえ、私が辿り着いた時の光景に繋がる。最後まで手を出す気は無かったのだが、私が倒れる様子に流石に我慢が出来なかったと後悔交じりに電話口で語っていた。家族に手を出されたのだから怒るのは当然なのだが、今回に限ってはタイミングが悪かった。


 そして問題になるのは、その後に生徒間で加速度的に広まった噂だ。今回の件で完全にお姉様は悪者になってしまい、しかも謹慎なった事が裏付けの様にもなってしまった。姫大路派の生徒にとってはお姉様は虐めの主犯扱いだし、どちらにも肩入れしない生徒にとっても話のタネだ。

 姫大路さんが犯人は分かってないと言ってくれているお陰で表立って非難されてはいないが、正直時間の問題かもしれない。学院に居ないお陰でお姉様に悲しい思いはさせなくて済むが、事態の収束が見込めないのも事実なのだから。


 そして私についてだが、妹として悪く言われるかと身構えていた所そんな事は全く無かった。寧ろ性悪の姉に虐められる可哀想な子として同情までされる始末。はっきり言って意味が分からないというのが心情だし、お姉様の妹なのを否定されてるみたいで腹が立つ、大いにムカつく!

 流石に面と向かってお姉様をどうこう言ってきたりはしないが、そもそもそんな噂を流した奴が心底憎くて仕方ない。


 そんな訳で私達を取り巻く環境は変わった訳だ。


 そしてもっとも大きな変化は、今も斜め後ろの離れた席で授業を聞いてるあの少女、赤穂が一番変わっただろう。あの事件の時はなんとも頼りにしてるみたいな視線を送ってきたくせに、いざ事件が終わると今までの関係が無かったみたいに挨拶すら交わさず目も合わない。

 それどころか近しい友人に私の陰口を言ってるみたいで、何人かには聞こえる様に言われたりもした。

 曰く、

「可愛い子ぶってお高くとまってる」

「姉の権力で自分も偉いと思ってる」

「ちんちくりん」

「ぼっち」……等々。


 うむ、正直に感想を述べれば…腸が煮えくり返るほど怒りが湧いている。

 まぁ悪口くらいは別に良い、お姉様や友達等の大切な人を馬鹿にされなければそこまで気にしない。前にも増してクラスで浮いているのもそもそも長年ボッチだったのだから寂しくも無いし寧ろ普通だ。


 許せないのは喧嘩を売ってるくせに自分は遠くで見てるだけで、関係ないですみたいな顔をしている事だ。自分で言いに来ればいいのだ、どうしても嫌なら無視するだけでいいだろう。まるで今までの関係を消し去るみたいに周りを使って距離を取るのが、絆を捨てるみたいで我慢なら無い。


 だから徹底抗戦だ。どれだけ避けようとしても逃がさない。夏休みまでに必ず真意を問いただして、必要ならその頬を引っぱたいてやる。

 彼方に飛んでた思考を正面に黒板へと戻して、決意を新たに授業へと集中するのだった。








 お昼を迎えた私は、ままならない状況に意気消沈して机に突っ伏していた。

 楽しみなお昼もお姉様が居ないとなんだか落ち着かないし、今も寂しく寮に居ると思うと気分もなんだか上がってこない。

 赤穂とも結局話せていないどころか一層冷たい態度になるし、こんな風に落ち込んでいては運気だって逃げてしまいそうだ。


「鏡ちゃん大丈夫…?陰口に対して気にしないって言ってたけど、やっぱり辛いよね。私から注意しようか?」


「いえ、それに関しては本当にどうでも良いんですけど、進展が見えないのは疲れるものだなと。視線も良く感じますし、疲れが溜まってるんです…」


「確かに鏡ちゃんは話題の真ん中にいるからね。凛后お嬢様の嫌疑が晴れれば状況も変わるんだろうけど当分は見込めないし…。私もどうしたらいいのか分からないよ」


 今日のお昼は珍しく睡ちゃんと二人きりだ。お姉様は言わずもがな、与羽先輩は情報収集も兼ねて友達やその知人と昼食を共にするらしい。友達とは言えそこまでしてくれるのは嬉しい限りだが、それでも進展が見えないのも事実。


「せめて赤穂と話せれば姫大路さんともコンタクトが取れるんですが、あの様子だと無理そうです。クラスの雰囲気も悪くなってくるし、申し訳ない気持ちですよぉ」


「うん、巾染さんの印象もかなり悪くなってきてるもんね。グループの子ともギクシャクしてるみたいだし、正直心配になるよね」


 赤穂が周りとギクシャクしてる?そんな事は知らなかったし、そんな風にも見えなかった。彼女はムードメーカーとして人気だったから、私と対立しても皆とは親しいままだと考えていたが…。


「それ、初耳です。詳しく教えて下さい」


「あぁそっか、鏡ちゃんはクラスの人とはそんなに話さないもんね。私も聞いただけなんだけど鏡ちゃんへの対応とか陰口に引いちゃう子も多くてね、グループの子にも猫かぶりだって思われちゃってるらしいの」


「なるほど、確かにあの手のひら返しとか、分け隔てない姿と私への対応のギャップは凄いですもんね。でも、良くない流れですね…。そのグループの子が何かしなければいいですけど」


 人というのは群れになると意外と理性の箍が外れやすい。今も特別面識も因縁も無い私に陰口を言えるのだから、その矛先が赤穂に向くのも有り得ない話所か確実に起こると言えるだろう。元より姫大路派からすれば、人気の人物に擦り寄る赤穂の印象は良くない筈なのだから。

 今は学院内の雰囲気も良いとは言えない、もしも悪意が発生すればそれは波の様に赤穂を飲み込むだろう。


「なおさら赤穂と話さないといけませんね。もっと気合入れて向き合わないと」


「鏡ちゃん元気でたみたいだね。誰かを思うときの格好いい表情してる、私が大好きな表情だね」


「はは、照れるからやめてください。でも、確かに元気は出ました」


 背筋を伸ばし今も姫大路さん達と時間を過ごす赤穂を見る。楽しそうに装っているが少し違和感も感じるし、そもそも好きな人といるのに取り繕った姿のままだ。


 赤穂、貴方はどうしてそこにいるの?どうして私を遠ざけるの?


 まるで私の心の疑問に答えるように此方を向けば、最近良く見る敵意の視線が私を捉える。でもその視線はあの時みたいな鋭さは無くて、やはり彼女に何か起きてるのは確実だ。


 周りの声に赤穂が反応するまで、二つの視線は交差したままだった。








「おはよう赤穂、今日こそ私と話してくれますか?」


 翌日の朝も私は赤穂に正面から言葉をぶつける。少しの硬直の後何事も無かったように隣の生徒と話し始めるのはここ最近何度も見た姿だが、流石に生徒の方は顔が引いている。めげない私のしつこさと、赤穂の頑なさの両方にだと思う。

 勿論これで諦める私ではない。というかもう明日には夏休みなのだから、形振り構ってる場合ではないのだ。今の状態で休みに入ればより関係は拗れるだろうし、きっと赤穂にも良くないことが起きる。


 だからこそ引く事は考えてすらいない。今も去り行く赤穂の背中を見つめながら、今後の事を考える。今日中に声を掛けられるのはお昼と夕方くらいで、授業間の休みは他の生徒がいて難しいだろう。


 考えるのをやめた私も教室へと足を進めていく。

 今日はまだ、始まったばかりと思いながら。




 端的に言って、成果は無しだった。結局赤穂は一言も返してくれなかったし、クラスの空気も重いままだ。一部の生徒は気遣う視線を送っては来ても、何かしら動きを見せる人はいない。それも仕方ない、そもそも距離を詰めなかったのは私の方なのだから、恨んでもいないし当然だと納得できる。


 結果に焦燥を感じながら、私は今部室を出て自分の教室に向かっている。理由は簡単でつまらない、よくある忘れ物を取りにいくだけだ。それもペン一本。

 それなら明日でも良いだろうと思われるかもしれないが、あのペンはメイド長が合格祝いにくれた思い出深い一品なのだ。実用性というよりは、お守りとしていつも身に着けている物だから、無いと落ち着かないというのが理由になる。


 視界に教室が見えてくると、既に皆が出払った時間なのに人影が見える。静かに覗いてみればそれは赤いフードを被った少女で、私の机の辺りで佇んでいる。見えにくいがその表情は何やら考え込んでいるように見え、少し口元が歪んで見える。恐らく苦悩の感情だろうか、私はその子を驚かさないように扉を開けて、教室の中へと足を踏み入れる。


 すると私の姿を見てその子は逃げ出そうとするが、声を掛けてその行動を留めさせる。


「待ってください。赤穂、私の机で何をしてたんですか?」


 赤いフードの少女、赤穂は私の言葉に振り向くと、そのフードを下ろして私の方を睨む。いつもの敵意が篭もった目だが、何やら焦りのようなものも感じられる。


「無言ですか?…もしかして私の私物に何かしました?」


「っ!そんな事する訳無いじゃん!好きな人がされて嫌な事、誰かにする訳ない!!」


 思ったよりも簡単に釣れてしまった。この数日どんなに努力しても聞けなかった彼女の声に、思わず表情が緩むのを自覚する。

 やっと赤穂と話すことが出来るかもしれない。


「じゃあ何してたんですか?悪い事をやってないなら教えてくれても良いでしょう」


「………っぃ…」


「はい?」


「…うるさいって、言ってんのっ!!」


 私の幼稚な考えは、綺麗に打ち砕かれた。冷静に話すどころか逆上させてしまった様子に、やはり私に人付き合いは難しいのだと再確認する。


「ごめんなさい、そこまで言いたくないとは…」


「うるさいうるさいうるさいっ!今日も、昨日も、その前も、あたしが散々無視してるのにしつこいし慣れ慣れしくて本当にうざい!迷惑してるのに気付いてんでしょ?なのにいつも話の邪魔したり足止めしようとしたり、自分のこと何しても許されるお姫様か何かと勘違いしてない?ちょっと机に近いからって悪戯を疑うなんて、やっぱりあんたも姉と同じで性格悪いんじゃないの?やっぱり犯人はあんたのお姉さんなんでしょ、きっとそう!!」


 …


 ……


 ………


 こ、この女…本気で怒らせに来てるらしい。お姉様を悪く言い、あまつさえ先日の事を引き合いに出して姉妹揃って馬鹿にした。前半だけ聞けば許してやらん事も無いし、その目から本気で言ってない事も伝わっているけど言葉にした事は取り消せない。

 決めた、この女は泣かす。


「赤穂、今のは流石に一線越えてますよ。温厚だと自負する私ですら本気で怒りを覚えています。覚悟してください、こうなったらとことんまでやってやりま…」


「貴方達、もう下校の時間ですよ。用事が無いなら寮に戻りなさい」


 私の怒りの言葉は、通りがかりの教師の声で止められてしまう。赤穂はその隙に教室を抜け出し見えなくなり、その場に残るのはマグマの如き激情を抱える私と状況を分かっていない教師。


 行ってしまったものは仕方ないと、欠片ほどの落ち着きを取り戻した私は決意を抱く。

 明日だ、明日こそ泣かせてやる。決して褒められない決意に満たされた私は教師に挨拶をして学院を後にし、寮への道をただ黙々と歩いていく。宿った怒気は覚め止まずに自室の睡ちゃんにも心配されるが、私の頭は赤穂のことでいっぱいだ。


「鏡ちゃん、怒りすぎるのは身体に毒だよ?」


 睡ちゃんの言葉もまともに頭に入らず、その日はいつもよりかなり早く眠りについた。

 明日は朝早くから乗り込んで、彼女をトコトン説教してやるのだ。







 おはようございます、鏡花です。

 只今私はいつもと変わらない時間に廊下を歩き、いつも通りに教室へと向かっております。

 えっ?昨日の誓いはどうしたって?そんな幼稚な怒りは眠りから覚めたら消えてました。結局私はいつもと変わらない時間をぐっすりと眠り、気持ちよく朝を迎えて普段どおりの一日を迎えているのだ。


 もうこうなっては仕方ない、夏休み前最後の今日も変化なく接するしかないだろう。幸い昨日の事が切欠になるだろうから、話が出来る可能性も無くは無い筈。今思えば彼女があそこまで感情を出したという事は、赤穂の方だって無理してあんな態度を取ってるということが予測できる。

 そう考えれば昨日の出来事も実りがあったと言えるだろうし、忘れ物をした甲斐があるというもの。


 心なしか軽い気持ちのまま私は教室へと進んで行くのだった。




 なんだか様子がおかしい。教室に近付けば常日頃なら賑やかな空気を感じられるのに、今日は嫌に静かなままだ。何かが起きているのだろうかと、睡ちゃんにも確認するように顔を向ければ、彼女も感じ取っているらしく不安げな表情で此方に視線を返す。


 意を決して扉を開けば、そこにはなんとも面白くない光景が広がっている。

 生徒達はほぼ皆が言葉を噤んでいて静かな原因は恐らくこれの所為だろう。いつもは騒がしい子も、皆で談笑している子も今日は気まずそうに顔を伏せていて、誰一人口を開かない。

 その他に目立つのは数人で固まり、ニヤニヤと笑いを浮かべている赤穂とよくいるグループだ。彼女達は皆一様に教室正面を眺めていて、その先にいる少女の姿を嘲笑っているみたいだ。


 そして肝心のその少女、赤穂は目の前の光景が信じられないのか固まったまま黒板を眺めている。

 黒板には悪意のある言葉が書かれていて、その言葉をよく読んでみると私への陰口に良く似たものであると分かる。つまりはしっぺ返し、もしくは意趣返し。


 予想していた悪い出来事が、現実として赤穂に降り注いだ。


 それを見て、私は…………







 ◇


「臆病な狼は自分を理解してくれる少女を恐れ、遠ざけるために嘘をつきます。


 信じ方を知らず、狼である事を認めたくなくて、周りに嘘をつき続けてました。


 けれどそれが原因で、とうとう周りに正体がばれてしまいます。


 そこで狼は気付くのです、自分はどんなに取り繕っても狼のままで、

 騙し続けるなんて出来ないのだと」


 ◇



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