第40話 この度私、悪役令嬢に愛されまして


 大きなお屋敷の中には、二人の女性の姿が見える。


 一人はベッドの縁に腰掛けて、何か平たい小さな物を眺めている。銀色の長い髪を一つに結んで、身体の前に垂らした美しい女性であり、言わずと知れた私こと白清水 鏡花だ。


 そんな銀髪の女性の背後で、興味深そうに様子を見ているもう一人。豊かな赤い髪が燃えるように波打った、恐ろしい程の美貌を持った女性。


 赤い髪の女性は痺れを切らしたように身体を動かすと、銀髪の女性の首に腕を回すして優しく抱きつく。突然の柔らかな感触と暖かな体温に、悪戯好きの彼女がまた何か思いついたのかと私は自然と口角が上がってしまう。


 そうして二人寄り添ったままのんびりと時間を過ごしていると、不意に耳元から声が聞こえてくる。甘ったるく少し拗ねたような、蕩ける愛情が伝わってくるささやき声。




「ねぇ、鏡花。何をそんなに真剣に見ているの?」


 懐かしい学生時代の写真を眺めていた私は、その声に釣られて顔を向ける。

 私に腕を回して寄り掛かる声の主は赤い髪が眩しい女性は、大人になりあの頃よりも一層綺麗になった、私の最愛の姉である凛后さんだ。


「ん、昔の写真だよ。なんだか懐かしくて」


 手の中の皆が写る写真を眺めながら、凛后さんに返事をする私の姿は写真と違って大きく成長している。小さかった胸は人並みに大きくなり、身長にいたっては平均よりも高いくらいだ。写真に写る昔の姿と比べれば、一見すれば別人と思うほどに私の見た目は変化している。




 そう、あれからもう数年の月日が経ったのだ。


 平凡で幸せな日々は今も変わらず続いており、付き合い始めて数年経った今でも私と凛后さんのラブラブっぷりは変わらない。

 けれども時の流れは確かに前へと進んでいて、私達は既に少女とは言えなくなった。天使だなんて呼ばれていたのも今となっては昔の話で、一人の女性、一人の大人として日々を懸命に過ごしているという訳だ。


 大人になった私にとって写真に写る光景は、懐かしさと共に輝いていた日々を閉じ込めた宝箱のようなものだ。何時までも浸っていたい程の楽しさを思い起こさせる反面、二度と訪れる事のない過ぎ去った日々の証として寂しさを感じさせる。


 暖かい、けれども心に小さな穴が開いたような喪失感を感じていると、首に回された腕に力が入るのがわかる。まるで慰めるようにぬくもりを伝えてくるその腕に、気にしないでと自らの手を重ねると、凛后さんはぴったりと私の頬に自分の頬を寄せて幸せそうな溜め息を一つ。


「それ、学生の頃の私達? ふふ、この頃の鏡花ったら小さくて可愛らしいのね。でも……」


 凛后さんは言葉を一度区切ると、不意に引っ付けていた頬を離す。言葉の続きが気になって離れたお姉様に顔ごと視線を向けて見ると、途端に唇を塞がれてしまう。


 優しくて甘い、愛する人との口付けの感触に、心に小さく浮かんでいた寂しさは一瞬にして払拭されてしまう。

 途端に湧き上がる情欲に身を任せて、たっぷりと時間を掛けてお返しとばかりにキスを続ける。舌を絡めてお互いの唾液を交換し、ぷっくりと柔らかい唇を思う存分堪能する。


 触れ合う舌が好きと伝えて、零れる吐息が愛してると伝えて、繋いだ指が離さないと伝えている。


 そして引き伸ばされるような感覚が終わり、私達はどちらとも無く唇を離していく。名残惜しげにゆっくりと距離を取る二人の唇の間には、透明な橋が一筋架かったまま。

 それを舌先でちろりと舐めとった凛后さんは、悪戯な笑みを湛えながら未だ吐息交じりに口を開いた。


「今の鏡花の方が、小さな頃よりずっと素敵なんだから」


 端整な顔をくしゃりと崩した、殆ど私にしか見せない心からの笑みを浮かべて彼女は嬉しい言葉を送ってくれる。そしてもう一度触れる程度のキスすると、ベッドの縁から立ち上がって私の前に掌を差し出した。


「そんな寂しい顔、特別な日には見せないで頂戴? 今日は一日、楽しい時間を過ごすんだから」


 そう言って不適な笑みを浮かべた彼女の柔らかな掌に、少しの逡巡の後自分の掌を静かに重ねる。小さな頃から何度も何度も繋いできた掌からは、確かな愛情が熱を持って感じられる。


 その大好きな暖かさに自然と微笑みながら、私は凛后さんに言葉を返した。


「うん、そうだよね。……ありがとう凛后さん、大好きだよ」


「ええ、私も大好きよ」


 ベッドの上に写真を放り出して立ち上がり、彼女の隣にぴったりと寄り添うようにして隣に立つ。そしてこの特別な日を祝うために、集まってくれた皆が待っているだろう食堂へと向かうために部屋を後にしようとして……


 大事な事を思い出し私は歩みを止める。


「……ん? どうしたの鏡花?」


 突然立ち止まった私に対して、凛后さんは呆けた顔で不思議そうに首を傾げる。可愛らしいその仕草に小さな笑みを浮かべた私は、ポケットに仕舞っておいた小さな箱を彼女の前に差し出す。


 瞬間、見開かれる凛后さんの瞳。その菫色の宝石はみるみる内に潤んでいき、頬の赤みが強くなっていく。両手は口元を押さえるように当てられ、目尻から涙が零れる。


 そして彼女の目の前でゆっくりと開かれた小さな箱の中には、林檎を象った指輪が姿を見せる。小さなルビーが嵌められた、シンプルで可愛らしい二つの指輪。銀と赤に彩られた指輪は、まるで私達姉妹の姿のようで。


 私はその指輪を手にとって、彼女の右手を取りほっそりとした美しい指に静かなキスを一つ落として、微かに涙で濡れた薬指にゆっくりと指輪をはめた。


「…………綺麗」


 すんなりと収まった指輪を日の光に翳して、うっとりと見詰める彼女の姿は一枚の絵画のようだ。そうして少しの間見惚れていた彼女は静かにその手を胸に抱えて、指輪の感触を確認するように頷きながら笑顔を浮かべる。

 何を言うべきかわからない、想いが強すぎて言葉に出来ない、それでも確かに嬉しいのだと伝えるように、幸せな笑顔で頷き続ける。


 良かった、こんなにも喜んでくれた。

 私の心も彼女の笑顔に釣られて、幸せな気持ちで満たされていく。すると自然と身体が動いて、無意識の内に彼女を抱きしめしまう。触れ合うほどに二人の顔が近付いて、泣き笑いの美しい顔が視界一杯に広がっていく。


「お誕生日おめでとう、凛后さん」


 今日は11月26日。彼女がこの世に生を受けた特別な一日で、大きな悲しみを思い起こさせるお母様の命日。

 今まで彼女はこの祝福されるべき日に、決して心からの笑顔を見せなかった。最愛の母の死がチラついて、自分の誕生日を素直に喜べなかった。悲しみが癒えても、どれだけ多くの人が祝っても、どうしても悲しみを思い出してしまっていたから。


 けれど、そんな誕生日は今日でお仕舞い。

 私からの全身全霊の愛情で、悲しさなんて消し去って見せるのだから。


 今日は11月26日。彼女の誕生日で、母の命日で……



「凛后さん。私と、ずっと一緒に居てください」



 二人の大切な約束が交わされた記念日だ。


 そして静かに響くリップ音。

 答えは言葉ではなく、優しいキスで返されるのだった。




 何の変哲も無い一つの姿見だけが、二人の姿を最後まで眺めて祝福していた。









 □


「大きな屋敷の中で、二人の少女が眠っている。

 一人は赤い髪の女の子、一人は銀色の髪の女の子。


 二人は悲しい時も楽しい時も、いつも一緒に過ごしていました。

 気付けば二人には沢山の友達が出来て、小さな少女は大人になって。


 そして今、幸せな結末へと辿り着いたのです。


 きっと、二人はこの優しい屋敷で仲睦まじく暮らしていくのでしょう。

 時には涙する事もある、時にはすれ違うこともある、それでも二人は何時までも一緒に暮らす筈。


 御伽噺のような感動のラストでは無く、有り触れた日常の繰り返し。

 それこそが可愛いあの子が心から望んだ、最高のハッピーエンドなのですから。


 この二人の行く末に、祝福が訪れますように…。







 めでたし、めでたし」


 □








最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。


今まで評価やブクマ、そして多くの誤字脱字報告ありがとうございました。

鏡花と仲間達の物語はこれにてお仕舞いとなります。

番外編やIFルート等は今のところは考えてませんが、もしかしたらふらりと更新しているかもしれません。というよりどのキャラクターも気に入っているので十中八九書くと思うので、その時はまたよろしくお願いします。


もしも、この物語を少しでも楽しんで頂けたなら評価や感想をお願いします。


それでは、また次回作で。

本当にありがとうございました。








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お姉様は悪役令嬢っ? ~破滅を阻止したかっただけなのに、気付けば愛され過ぎてました〜 晶しの @shino742

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