第四章「勇者と大魔王が結婚したらごらんの有様だよ!(その4)」

 少しでも手元が狂っていたら、もしくはどちらかが身動きしていたら、両方の鼻先ぐらい削ぎ落としていただろう。


 しかし、持ち主の技量と、少なくとも一方を傷つけない堅固な意志とがそのような失敗は犯さない。


 剣は勇らをすり抜けて壁に突き刺さった。


 大理石と複合レアメタルとコンクリートに魔法防御処理を施した鉄壁を誇る複合装甲の壁であるが、見事に半ばまで食い込んでいた。恐るべき突貫力であった。


 投げられた方向に眼を向けると、二人の前に軍部の制服を着こなした一人の青年が立っていた。


 灼熱の炎のような髪と瞳をした、恋愛映画の主役にと引っ張りだこになりそうな甘いマスクをした、大抵の女にモテそうな容姿をしている男。


 ただ、折角の男前も、両眼を血走らせ、憤怒に表情を歪ませているので台無しもいいとこだった。


「人間風情が陛下のご尊顔を穢らわしい舌で舐めるだけでも万死に値するというのに、首を締め上げて殺害を謀ろうとは何事だ馬鹿野郎!? この国賊め! 大罪人め! 殺人鬼め! 天に代わって成敗するぞゴラァ! 毎日毎日陛下が食事を食べさせてくださってるというのに不満を持つとは、お前頭おかしいんじゃないのか!? 死なない程度に半殺しにした後に黄色い病院にぶち込んでお世話になってやがれってんだ馬鹿馬鹿!」


 指を突きつけ床を踏み鳴らしながら無茶苦茶な事を言っているが、勇にとっては慣れたもの。怒ってるということが分かっていれば充分である。


 寧ろ相変わらずの肺活量だよなぁ。と、勇は罵声を受けてるのに感心してしまう。


 セリスも突然の乱入者に驚いた風もなく、勇に名残惜しげな視線を向けながら暢気に相手へ声をかけた。


「ランスロットか。わざわざ食堂まで赴いてくるとは、相変わらず忙しない奴だな」


 ランスロットと呼ばれた青年は声をかけられ我を取り戻したのか、瞬時に憤怒を内に抑え大仰な仕草で臣下の礼をとった。


「不肖ランスロット、陛下より魔王近衛衆筆頭という過分な地位を戴いた身なれば、たとえ火の中水の中森の中草の中土の中陛下のスカートの中どこにでも馳せ参じる所存であります。陛下がお望みならば、今この場にてそこに居る虫けらを血祭りにあげてごらんにいれましょう」


 勇に対する態度とは正反対である。


 それも当然で、セリスがこの地にて陛下などと呼ばれる身分ならば、それ以外は一部例外を除きすべて臣下臣民の類というべきなのだから。


 ランスロットも例外ではなかった。


 この男の地位は魔王近衛衆という、選りすぐりの兵で構成された大魔王直属の魔王近衛師団から更に選抜された者が任じられる地位に就いている。まさに側近中の側近ともいうべき存在であった。


 その精鋭の中の精鋭で筆頭を務めるだけあり、実力は周囲の誰もが認める人物であった。


 そんな地位に就いているのだから、異世界侵攻にも参加しており、勇とも戦っている。


 勇はというと、ランスロットに対して差ほど関心は薄かった。結構手強かった筈なのだが、直後に色ボケ妻と決戦だったので、失礼に値するが強かった印象があまり無い。


 特にこの男、幼い頃から仕えているセリスに慕情を抱いてるので、重臣とか実力とかではなく、勇を目の仇にしている印象が強かった。


 更に勇は「よりによってコイツに惚れてるのかよ」と同情を禁じえずにいるので、相手から罵倒されてもあまり怒る気になれずにいた。


「というわけで死にさらせ鬼畜めがぁ―!!」


 なにがというわけなんだ。


 そう思わないわけでもなかったが、どうやら話の流れで勇抹殺を再開する気になったらしい。勇は頭を掻きながら、短時間で感情を激変させるランスロットを見据えて熱のない口調で応じた。


「相変わらずだなアンタは」


「黙れ! 私怨七割、義憤一割の一撃喰らうがいい!」


「残り20%が不明なんだけど」


「どこぞの陸戦型生物兵器のような返事してんじゃないわぁぁぁぁぁ!!」


 ランスロットの言う私怨七割、義憤一割、不明二割の混ぜ合わせた瞳が魔王の婿へと向けられている。


 壁に刺さっている剣と同じモノを鞘から抜き、ランスロットは斬りかかってきた。


 凄まじい速度。抜刀と斬撃が同時であった。


 並の戦士ならまったく反応出来ずに即死レベルな斬撃であったが、勇は軽く頭を下げて回避し、床に散乱しているテーブルの破片の一つを拾い上げて近衛衆筆頭の後頭部を殴打した。


 攻撃を避けられバランスを崩し、トドメに後頭部を殴られたランスロットは盛大にコケた。


 顔から床にぶつかったときに鈍い音がしたが、勇は気にせず頭を力いっぱい踏みつけた。踏んだ力で床にヒビが入ったが、気にせず二度三度踏み続けた。


「ぶぎゅる!?」


 赤毛の美青年は奇怪な声をあげて沈黙した。


 セリスが物欲しげな顔をして勇を見ていたが、勇はあえて無視し、トレイに残っていた鮭の残りを摘み上げて口に放り込んだ。


 手足が自由になってる以上、こんな状況とはいえ食事は食えるときに食っとかないとこの先持たないことを勇者時代に学んでいる。


 そんな光景に、鈴が転がるような笑い声が上がった。


「相変わらず楽しそうでございますね」


「まったく、平和、だな」


 いつの間にかランスロットと同じ制服を身に纏う男女が入室していた。


 深い紫の瞳をした妙齢の美女と野性味溢れる風貌をした筋骨たくましい長身の男。この二人も床に這い蹲っているランスロットと同じく魔王近衛衆の一員である。


 美女の方はガヴェイン、男はボールスという。この二人とも勇は異世界で戦った間柄であるが、ランスロットと違い割り切った態度をとってくれている。


 二人は恭しくセリスの前に跪いた。


「魔王近衛衆ガヴェイン、ボールス両名、陛下の御前に参上仕りました。宸襟騒がせ奉り真に恐縮でございますが、何卒御寛恕を賜りたく思います」


「いや、気にすることはない。政務の時間までまだ時間があるというのにわざわざ近衛衆が顔を出してきたのだ。何か火急の用でもあるのだろう」


「はっ。実は、第二十四ゲートの魔力反応に乱れが観測されまして」


「それは真か。第二十四ゲートは規模としては小さいが、ゲートはゲート。ゲートの安定は我が世界の重要事であるぞ。管区司令官は何をしておるのだ」


「通信が不安定で現地守備隊と連絡が途絶えがちとかで対応に苦慮してるとのこと」


「そうか……」


 腕を組み臣下を見下ろして思案に耽るセリス。今の今まで見せていた締りの無い表情は消え、勇の前には君主として臣下の話に耳を傾ける王がそこに居た。


 食事を摘みながら勇は思惟を馳せる。


 三ヶ月前までは、魔界の女王としての表情しか知らなかった。それが当たり前だと思っていた。


 というのに、今の俺はその当たり前であったものが当たり前と思えなくなってる。


 どちらもセリスなのだと分かっている筈なのだが。俺がここに来てから見るものが変わったからなのか。


 騒がしい毎日この上ない。だから忘れがちになるのだが、こういうときに思い出す。


 俺は勇者でコイツは大魔王だということを。


 殺すか殺されるかという関係だったことを。


 まるで自分の二年間など、殺し合いなど最初からなかったかのように、セリスは好意を向けてくる。


 奴の感情が偽りのないものであることは共に暮らし始めてよく分かった。だから余計に戸惑いを隠せないのだ。


 自らの覇道を実現する為に他世界へ侵略を行った奴がだ、俺と引き換えに己の意思を、その欲求を曲げたのだ。


 俺なんかの為にだ。


 そこまでして求められる価値が自分にあるか分からないのに、アイツは俺を欲した。


 未だに「何故だ」と問えてない。仮に問えたところで真剣に答えてくれる保障もない。


 だけどはぐらかされて怒りを覚える反面、安堵している自分も否めない。


 こんな奴に何を言われようと構わないのに、どこかで怯えを感じている。何に怯えているのか自分でも解らない。ただ、三ヶ月経過した今も詰問出来てないのもそれが原因かもしれない。


 問わなくても分かるのは、俺が大魔王の下でこうして暮らしているということだけだ。


 アイツの想いを受け止めるには、まだ俺の心は整理が付かない。


 憎んでいた時と同じ強さで愛せることなんて無理だ。冒険をしたことでこの年齢にしては色んな経験をしてるからといって、ありのままに受け止めきるほど大人になれてない。


 俺は勇者だから、奴を憎まなければいけない筈だ。


「勇」


 セリスに呼ばれて勇は思惟を中断させた。その声は先ほどまであった甘さを排除させた毅然とした声音であった。


「すまない。今から支度をして城へ向かうことになった。帰りはあまり遅くならないから心配するな」


 本当に申し訳なさそうに言うな。なんで俺にそんな態度を取るんだよ。


 とは、言えず。勇は冷めた口調で冷めた事を言い返した。


「心配なんてしてねーよ。寧ろもう帰ってくんな」


「相変わらずツレないな」


 肩を竦めた大魔王は、侍女を呼び寄せて外出用の服を準備するよう命令する。ガヴェイン、ボールス、それといつの間にか復活してたランスロットらはセリスから何かしらの指示を受けて食堂から退出していった。


 室内は再び二人きりとなった。


「勇」


「今度はなんだよ」


 勇の正面に立つセリスは相手の問いには答えず両手を握り締め、目を閉じて唇を突き出して上を向いている。頬は微かに上気しており、白い肌にうっすらと赤みが差している。


 勇はこの大魔王が何かを期待してるのか一瞬にして見抜いた。見抜けないほど朴念仁ではないが、この場合すぐ気づく自分に疎ましさすら覚える。


「……」


 コイツは人が悩んでいるてぇのに。真面目な空気ぶち壊しじゃねぇか。


 悩んでる自分が馬鹿のような気がして、額を抑えて呻いた。


 これで一日の始まり。まだ起きてから差ほども経過してないのだ。


 勇は今日も溜息と舌打ちの種に困らない生活を送りそうな事を確信する。


 いつまでたっても何もしてこない勇に焦れたのか、セリスは踵を上げて勇の顔面への距離を自ら近づけた。


「妻は準備万端だ。さぁ行ってらっしゃいのキスをバッチコーイ」


「ふっざけんな!」


 キスの代わりに勇は新妻の頬を力一杯殴りつけた。口から血を流しながら、セリスは甘い声を出して床に倒れこむ。


 一日の始まりから疲労してしまう有様。これが勇者と大魔王の奇妙な夫婦生活の朝である。






 最終決戦から三ヶ月の時間が流れていた。


 目前に久方ぶりの大騒動が巻き起ころうとしていることを、彼はまだ知る事はなかった。

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