第二十一章「大魔王(バカ)と勇者と召還神(その3)」
開戦前夜。
ニーバカルはお祭り騒ぎを加速させていた。市民らは魔界軍が敗北するとは微塵も想像しておらず、勝利の前祝とばかりに陽気に宴を繰り広げていた。
「婿殿のいない人間の軍隊なら楽勝だろう」
聞き様によっては無礼極まりない発言がそこかしこで聞こえたが、発言者や発言を聞いた者も悪意がなく、含むところがあるわけではなかったので咎めたてる者は居なかった。
数ヶ月前の異世界侵攻の失敗は人々の記録に色濃いものの、参加した将兵二百万の中で勇と直接戦闘したのは全体の三分の一であり、残りは進撃と占拠を繰り返している内に気がつけば根拠地が陥落、撤退命令を魔界から来た使者によって聞かされたクチであったので戦闘の恐怖と敗北の実感が薄かった。
参加していた兵士らでもそうなので、魔界本土はショックを受けても深刻には受け止めず、割り切りのよさが美徳とガヴェインが言ったとおり、戦争が生活に影を落としているとは言い難いものだった。
この頃セリスはガヴェイン、ホールズの両名と共に第二十四ゲート周辺に布陣している本隊へ合流すべく出発していた。入れ替わりに近隣からの軍隊がニーバカルを含む地域の治安維持の為にやってくる。
明日の今頃、事態がどう転んでいるか誰も分からない。数多くの喜怒哀楽、数多くの生死、数多くの悲喜劇、待ち受ける嵐を予感させつつ戦の当事者らは血臭漂う愚かな現実を作る準備に勤しむのであった。
その中心人物である勇は、開戦前夜の熱狂が満ちる中でホテルの一室で一人過ごしていた。
内外に対しての防音設備が整えられてるからか、繁華街の一角にあるホテルだというのに外の喧騒は聞こえてこない。空調の稼動音と己の口から漏れる微かな呼吸音だけが鼓膜を叩いていた。
部屋の灯りを点けず、機密保持という理由でランスロットが防災用シャッターまで下ろして遮断しているので窓の外から見える筈のネオンの群れはまったく見えなかった。
暗闇が勇を包んでいる。全てを拒み、何かから身を護るように、溢れ出るものを封じようとするかのように。
ここ最近悩んでいた熱が冷え込んでいることに今更ながら気がついた。発作のように湧き上がる灼熱の感覚を感じなくなったことに特に気持ちが動くことはなかった。ここに至ってようやく気持ちが動いていないことに気づきもした。
色んな事がありすぎて感覚が麻痺したのだ。勇は体調の変化をそう解釈した。
ベッドに仰向けに寝転がり、ぼんやりとした目で何も見えない天井を見上げる。
灯りを点けない天井の暗さも、目が闇に慣れれば形がおぼろげながら見えてくる。飾り気の無い、機能性に傾いている部屋は、ともすれば自分の居る世界を錯覚してしまう。
異世界よりも故郷に近い世界。
文明だけでなく、住民らの自由奔放―こだわりの薄さ―は、勇が二年前まで暮らしていた世界と似ている。
迷信じみた信仰が、英雄を熱狂的に求める人々が、暮らすだけでも命がけな日常が、それらが当たり前のような世界が無いのが普通と思うのは、現代日本で暮らしてきた人間の勝手な常識なのだろうか。
この世界でも一目も二目も置かれているとはいえ、ここの空気は日本で暮らしていた頃と似ている上に、一定の敬意が払われているだけで済んでいる。居心地は悪くはない。
勇者として自分なりに働いてきた。それだけの待遇をされるのは嫌いではなかった。それでも、期待させられてばかりなこの身は時として善意や希望が重くて苦しかった。
だからといって、魔界に、セリスに肩入れするのは安易なようにも思える。
だから答えがだせずにいる。これは優柔不断と謗られても文句は言えない。
どちらにどういう答えを出していいか判らず、勇は思惟を中断してベッドから上半身を起こした。
雑音のない闇の中で、考えるこちだけが許されたような空間で、勇はあぐらをかいて欠伸を噛み殺したような渋い顔をした。考えが纏まらない。頭が複雑な事を考えるのを拒んでいるかのように取り留めない事が浮かんでは消えていく。
一人で、本当に久方ぶりの一人の時間と自由。それらは勇にとって落ち着く事が出来たのは確かだが、同時にうっとおしい騒がしさに身に置いていたときには気づかなかった己との対話する時間を与えられてしまった。
僅か一日二日で変化は急激となるのだ。それを勇は実感していた。
いつもとは異なる種類の溜息を肺が空になるぐらいに吐き出したとき、ノックも無しにドアが開かれた。蛍光灯の光が差し込み勇は眩しさに目を細める。
「引きこもりゴッコは楽しいか駄人間」
見知った紅い髪と瞳の男が指先にスペアキーを引っ掛けながら立っていた。
ランスロットの来訪に驚くどころか不審な眼差しを勇は向けるも、近衛衆筆頭は仇敵の反応に応えず、足元に置いてある絹に包まれた品の数々をゴミでも捨てるように無造作に室内へ投げ込んだ。
音を立てて転がる品々を怪訝そうに目で追った勇であったが、それが武具の類だと音や絹越しから浮き出てる形で察した。
それを肯定するように絹から覗かせた中身を見て彼は驚かされた。
ベッドから降り、床に転がされた包まれている物を手に取り絹を剥いでいく。中から姿を見せたものは、勇にとって忘れがたいものばかりであった。
数千数万の大軍を切り伏せても刃こぼれ一つしない神剣「アンス・グラム・カリバー」
どのような剣や魔法からも防護可能な難攻不落の防御力を誇る鎧「ヒヒイロカネの鎧」
あらゆる毒や呪詛を打ち消し、意志表示一つで自動でフルフェイスメットとなり顔を庇ってくれる冠「魔人帝の冠」
賢者の石の欠片で造られたという、あらゆる毒や幻覚を中和し、少量ずつながらも魔力を回復させる魔法アイテム「賢石の腕輪」
伝説の盾や装飾品の破片を混ぜて編んだと伝えられ、絶対零度の冷気や灼熱の炎を通さない万能マント「イージスのマント」
黄金竜の骨と牙で作られ、振るうだけで闇に潜む魔物を打ち払う短剣「黄金竜の短剣」
これらは全てつい最近まで身に着けていた装備であった。セリスとの最終決戦時にはボロボロとなり、魔界に連れてこられたときには脱がされていた。触れてみる限りでは傷一つなく新品同様の状態である。
「あの戦いの後、陛下のご命令で全て回収され修復作業が行われたのだ。修復後は宝物庫に収められた。王族の遺品や歴史上の人物らが使った品々と同じ扱いで大切に保管されていた」
心底嫌そうな顔をしてランスロットは勇の無言の問いに答えた。
「本物と同じ素材を使っている。ご命令により、魔界をはじめとして各世界に人員を派遣して探させた。修復より材料探しに時間が掛かった」
「それがどうしてここに。そもそもなんでアンタが」
「俺がテメェの為にわざわざ持ち出してくるわけねーだろ。ストーカーばりの気持ち悪い前向き思考すんな」
「そこまで思ってないんだけど」
「俺の意思じゃない。あの方のご命令により一式持参したのだ」
「あの方って、あの馬鹿銀髪か?」
「…………貴様の舌を切り取って灰にした後沼に沈めたいぞ。ちがうわ」
「じゃあ誰? ケィルさん?」
ランスロットはそれには答えず、これから出立してセリスと合流する旨を告げた。
「今回の戦で副司令の地位を頂いた身だ。治安維持部隊の編成作業を理由に出立を遅らせてきたが、そろそろ行かないとお前を隠してるのがバレるかもしれんからな」
「……」
「精々我らに有益な答えを見つけてもらいたいものだな。じゃあな不断野郎」
「不断?」
「お前の悩みは優柔不断なんて生温いもんじゃねぇってことだよ」
足音荒く室外へ出たランスロットは、廊下にて誰かを相手に恭しく一礼の所作をした後その場から離れていった。
代わりに室内に踏み込んできた人物を見た勇は息を呑んで言葉を失うことになる。
服越しからでもわかるホールズよりも屈強な肉体、底冷えするような銀色の瞳、帝王と呼ぶに相応しい威容な顔立ちをした男。吹き付けてくる魔力と威圧感の類を見ない強さは緊張感が脊髄まで染み渡るものであった。
セリスの父親である先代大魔王が、娘の婿の前にその姿を現した。
「久方ぶりだな」
凄みのある低い声が静かな室内に響く。身を硬くしていた勇はなんとか「どうも」と返事をするのが精一杯であった。
護衛も使用人も連れてきてないのか、先代は自らドアを閉める。室内は再び闇に閉ざされた。
部屋の灯りを点けようと勇はリモコンに手を伸ばすも先代はそれを制した。闇の中で迷うことなく備え付けの椅子を見つけ腰を下ろし、床に片膝をつけたままの勇に声をかけた。
「我が婿よ」
「な、なんでしょうか」
「座ったらどうだ」
舅に促された勇は装備一式を丁寧に一まとめにしてからベッド脇に腰を下ろして先代と向き合った。
婚礼の儀以来の対面。しかも一対一で顔をあわせるのは初めてのことだった。
娘に帝位を譲った先代は、帝都郊外に建築した離宮に住居を移して悠々自適な生活を過ごしている。
娘の政策に一切口を出さないどころか彼女が連れてきた婿にも反対しないのだから本格的に隠居を決め込んでいるのだろう。
そんな男が開戦前夜、娘にも黙って隠れている婿に会いに来た。しかも婿の装備一式を宝物庫から持ち出してまで。
潜伏先は親子二代に渡って仕えているケィルが連絡してランスロットが案内したのだろう。あの執事は裏で色々してるものだと感心してしまうものである。
舅と対峙した勇は苦味を帯びた表情を浮かべた。
「俺を、責めにきたんですか?」
声が怯えに震わせながら、義理の父である男に訊ねる。
「大事な娘に対して不誠実な態度をとる情けない婿に苦情を言いたくなったんですか」
「どうしてそう思うのだ?」
感情を並一つ立たせず先代は問い返してきた。しばしの沈黙が流れ、勇は自嘲に口元を歪めた。
「誰だって思いますよ。こんな中途半端な奴、誰にも答えてやれず、好意を捻くれた見方しか出来ずに逃げ回ってるような奴……アイツに対してなに一つしてやれない、押し付けられた立場だとしても応えてやれない半端者なんかに」
どんな顔をしていいのか分からず、勇は両手で顔を覆って蹲った。それでも口は動くのを止めない。
「でも仕方が無いじゃないですか。自分の知らないところで勝手な都合で色んなとこに連れてかれて、そこでしなくても済むようなことをさせられて、これで受け入れたりしたらそんなのを全部認めなきゃいけないじゃないですか。俺はなんですか? 押し付けられた役を演じてればいいんですか? 最終的に決めたのは自分だ。とか理屈で受け入れなきゃ駄目なんですか? 選択肢がないに等しいのに、それしか選ぶ道がないのにどーしろってんですか!?」
「…………」
「ああもう少しは考えさせて欲しいですよ俺は!」
「それでいいではないか」
聞くだけ聞いた先代は素っ気無い言葉を放り投げた。勇は一瞬激情を忘れて顔をあげた。
「ランスロットに言われたのだろう? お前の今の様な発言を喚いて暴れればいい。人間に限ったことではないが、魔族や天使、異世界人に冥界族、感情を持つ存在というものは大声出して暴れれば気分が楽になれるのだ」
「根本的な解決になってないですよ。その場凌ぎもいいとこだ」
「もう一度言うが、それでいいではないか。すぐ答えが見つかるならともかく、容易に答えが見つからない問題を無理に解決させて誰が幸福となる? 長い時間をかけて納得いく答えを見つけていけばよいではないか」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「目に見えるものが作りあがるのは気長に待つというのに、目に見えないものに対しては奇妙なぐらい短期間で解決する、解決させられると思い込む。お前だけではなく、人間という種族の奇癖だな」
「……」
かつて大魔王であった初老の男は娘と同じ色をした瞳にて勇を直視したままだった。逸らすことなく、値踏みとは違う、相手がどのようなリアクションを示すのか見守るようであった。
視線に晒されているのを肌で感じつつ、勇は先代の言葉を心の中で何度も反芻させている。一言も発せず、床に視線を落としたままであった。
どれほどそうしていただろうか、顔をようやく上げた勇は足元に置いていた愛剣を手に取り握り締めた。
「行きます。自分の言いたいことを言いに」
決意というにはまだ声に力強さがなかったが、揺るぎはなかった。婿の答えを聞いた先代は重々しく頷いてみせた。
「そうか。ならば何も言う事はない……と言いたいところだが、一つだけ言っておく。忘れるなよ。己の我を通した結果と代償の重みを」
「……忘れないよう努めようとは思ってます」
断言しない日本人的な言い回しに先代はようやく強面の顔に微笑を浮かべた。
笑み一つにも特大の鉄球のような重みを感じさせ、この男がセリスの父親であると同時に、この世界の支配者だった事実を勇に思い出させた。
「お前の言、覚えておくとしよう。今日はもう休むがよい。明日正午の開戦に間に合うよう、ランスロットが足の速い乗り物を手配しておるから心配せずに寝てるがよい」
「いや、今から行きます。行かせてください」
「無用な血が流れるのを避けることを考えればそうさせるべきだろう。だが、ここ最近色々あってロクに休息をとっておらんのだろう。半端な状態で行かせるわけにはゆかぬな」
先代の「色々」という部分に様々な意味が込められているのが解ったが、勇は好意を無視することを自覚しつつ頭を横に振った。
「気をつかってもらってありがたいですが、俺まだ若いですからこれぐらい……」
そこまで言った勇は足への冷たい感触にようやく気づいた。視線を落とすと、両足がハイブリット・メタル製の鎖にて軽く五重は巻かれている。
ぎょっ、として周囲を見ると、いつの間に控えていたのか、もはやお約束のように女ミノタウロスと女性型ゴーレムの集団が、手に地獄の獄卒が持ってそうな金棒を手にして主君の婿を囲んでいた。
「……なんでキミ達ここに居るわけ?」
女達は勇の素朴な疑問に口を開かなかった。代わりに口を開いたのは先代である。
「ケィルがここに来てたのだから。つまりはそういうことだ」
「身の回りの世話をしてくれる万能執事と同列に扱っていいもんなんですか!?」
「義理の父としてのせめてもの気遣いだ。休むがよい」
「こんな気遣いいりません!! そこはせめて睡眠薬とか安眠グッズを差し入れるべきで」
最後まで言い終えぬ内に女ミノタウロスと女ゴーレムの集団は勇を金棒で全身滅多打ちにしだした。並の人間なら即死確定の一撃が容赦なく勇を乱打した。
この人やっぱあの馬鹿の親だわ。
強制的に薄れていく意識の中で、勇者はまた一つどうでもいい現実を学んだのであった。
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