第二十章「大魔王(バカ)と勇者と召還神(その2)」

 セリスが公人と私人の間をブレーキの効かないダンプカーの如く暴走している一方で、戦略的にも戦術的にも勝利に見放されている異世界軍はというと、占拠地であるゲートに布陣して嵐の到来を緊迫した空気にて待ち構えていた。


 異世界側はマックス王国の軍勢を中核として各国からの義勇兵で構成されている。


 事情が許す範囲で世界中の魔法使いと魔導師の類を掻き集めてきたものの、装備の点でいえば飛び道具は弓矢かボウガンしかなく、白兵戦ならまだしも火力の劣勢は目も当てられなかった。


 兵士らの士気は決して低くはないが、敵地の真っ只中で自分達の世界を征服しかけた大魔王率いる軍勢と正面から激突するような事態に心楽しくはなれなかった。


「勇者殿が必ずや駆けつけてくださり、我らを救ってくれるだろう」


 使節の代表であり軍の総大将の地位にあるガーオネ王太子は、不安と恐怖に揺れる将兵らに自らそう説いて廻って表面上は静まったかに見えた。


 その王太子は、ゲート守備隊司令部にある司令官室のデスクに居た。


 短くも激しい戦闘の名残が色濃くある施設内においてここは数少ない無傷な部屋であり、それなりの調度が整えられていたということで占拠して第一に王太子が滞在場所へ定めた所である。


 悠然とした態度で椅子に腰掛けて頬杖をついている王太子の前には二人の人物が立っていた。


 自分の実の妹と白金の仮面を被った女騎士。クゥと姫子は今まさにガーオネに詰め寄っているところであった。


 交渉を蹴って開戦に応じたのはクゥである。それに関しては悔いてはいない。しかし彼女は兄が勇を拉致しようとした件に対して問いたださずにはいられなかった。


「兄上、納得のいく説明をしてくださるのでしょうね」


 不信感も露に詰問してくる妹にガーオネは鷹揚に頷いてみせた。兄の了解を得たクゥは逃げを許さぬ口調で続けた。


「勇さんを拉致して何を企んでいるのですか。私達にも知らされてない事で無用な波風を立たせてどうされたいのですか」


「拉致とは人聞きの悪い。元々我らの目的は勇者殿の奪還だ。偶然勇者殿が一人になったのでコレ幸いにとこちら側にご同行して頂こうと迎えをよこしたまで。運悪く魔王の手下に妨害されてしまったがね」


「なら何故その件を私や姫様に知らせてくださらなかったのですか」


 白金仮面を被った姫子が王太子の白々しい発言を咎めた。


 王太子の御前にて仮面を外さないのは彼女なりの抗議である。ガーオネは下々のささやかな抗議に口では何も言わず、品のある微笑を浮かべた。


「白金卿の言い分も当然だな。私もいささか焦っていたようだ。君やクゥに相談しなかったことは謝っておこう」


「それで改めてお尋ね致しますが、桜上―雷電の勇者をどのような目的で秘密裏にお連れしようとしたのでしょうか」


「私が単純に奪還のみが目的ではないと思うのだね二人は」


「そうと聞こえないのなら、私達の言い方が悪かったのでしょうね兄上」


 温かみに甚だ欠けることを自覚はしたが是正する気はなかった。セリスと同様で連日不毛な口論と勇との距離感に苛立ちが募るばかりなのだった。


 剣呑さに気づき、ガーオネは頬杖をついていた腕を解き姿勢を正した。


 妹が清楚な外見からは想像出来ない気性の持ち主であることを知っており、下手な事を言えば相手が誰であろうとも容赦をしないであろうことも承知していた。


 承知はしてるが、彼は緊張も恐怖もせず、いっそ朗らそうに笑ってみせた。


「クゥは手厳しいな。私が常に権謀算術を前提に動いていると買い被ってくれるとは」


「兄上!」


「そう怒るな。私とて事態を楽観視してるわけではないのだよ。打つべき手は打とうとするのは当然ではないか」


「そんな物言いしなくとも……!」


「とにかく。まずは目前の難事をどう切り抜けるかを検討してくれたまえ。勇者殿をアテにしてるとはいえ、厳しい戦いとなるだろうからね」


 ガーオネの語尾にドアが開く音が重なった。


 いつから来てたのか、書類の束を抱えた役人達が挨拶もそこそこに室内へ雪崩れ込んできた。彼らは口々に用件を王太子に向かって並べ立て、クゥらが口挟む隙を与えなかった。


 見え透いた誤魔化しに舌打ちしたげな表情を閃かせながらも、クゥは姫子を伴って部屋を出て行った。


 人の壁の隙間から見送るガーオネの目は、穏やかな侮蔑と余裕が輝いているものの、彼女らは気づくことはなかった。






 ガーオネの元から退出した二人は同じ階にあるバルコニーへと移動した。


 外に出ると、空は相変わらず厚い灰色の雲に閉ざされており、夜の時刻を差しても暗さを増した程度の変化しかなかった。


 階下では、篝火と、どうにか稼動させた電灯の下で兵士達が開戦準備に駆けずり回っている。


 大半が志願してきた者達である。不安は少なからずあろうとも、表面上は使命への熱情で意気を揚げているように見えた。


 覚悟があるからといって死んでいいわけではない。敵の本拠地に乗り込んだということは、正規軍との本格的な戦いを意味する。征服に乗り込んできた兵力にも成す術もなく世界の半分を占領されたのだ。最悪一人残らず生きて帰れないということもありえる。


 それを承知で参加してくれた人々に対して、クゥは感謝すると共に、なんとしても勇を取り戻さなければならないというプレッシャーを気にかけずにはいられなかった。


「必ず成功させます。異世界には勇さんが必要なのです。今までのように、これから先も」


 迷いもなく断言するクゥに白金仮面の勇者は沈黙をもって応じた。


 仮面の中では彼女のいい分に納得しかねるという表情を浮かべている。


 勝手に呼んで勝手に期待して勝手に束縛する。


 クゥに限らず異世界の人間が無自覚に他力本願に傾倒した考えを持っている事に姫子は不満ともどかしさを抱いている。


 召還されて育成されてきた三ヶ月間。その間に多くの人々から声援を受けてきた。


 最初は純粋に嬉しく思い、その期待に応えようと励んできた。けれども日が経つにつれて、周囲が無邪気であればあるほどに、姫子は声援を安全なところからでしかやれない人々に対して額面どおり受け入れなくなってきていた。


 誰かに頼めば解決した気でいる人々。口だけの応援しかしない民衆。


 声援が力となり、それが強大な敵を倒す源となるという物語を、姫子は本を読んでいて幾度も目にしたことがあった。それはそれで素晴らしく、それまでの過程も読んでいると胸が熱くなる。そんな物語を姫子は嫌いではなかった。


 ここに来てから、そういう物語に出てくる声援を受ける側となったとき、それが身勝手で無力なものだと時折冷めるような気持ちにさせられた。


 本当に大切ならば、救って欲しいならば、それ相応の行動を起こすべきではないのか。


 聞こえてこない百の声援よりも、一つの武具やアイテムの方が命を張って戦う人間にとってありがたいのではないのか。


 最後の最後に頼れるものが人との繋がり、絆というものだとしても、その最後の最後になる前までに必要なのはもっと物質的なものではないだろうか。


 勇の苦難に満ちた冒険談や闘いの経過を聞く度に、姫子はそんな考えを持つようになった。同時に勇の強さと優しさを改めて認識するのだ。


 自分と同じように不信感を抱えながらも二年間も闘い抜いてきた。


 それは自分なんかではとても出来ない。彼は口ではなんだかんだと言いながらも責務を果たしてきた。押し付けられたものでも投げ出さずに歩んできた。これが彼の優しさと言わずしてなんであるというのだろうか。


 その優しさは充分伝わっている。なのに異世界の人々はまだその優しさを当然のように与えてもらおうとしている。


 自覚無き傲慢が溢れる世界は彼に相応しくない。魔界という場所など尚更だ。


 帰るのだ。居場所はあの場所しかない。生まれ育ち、当たり前のように生活してきた場所こそが桜上勇という人間の居るべき場所なのだから。


「なんと他力本願だろうと思ってるのでしょう?」


 姫子の無反応に気づいたクゥが傍らに立つ彼女に向けて苦い笑みを浮かべた。


「以前、勇さんにも一度そう言いたげな顔をされたことがあったのですよ。その時、あなたのように黙って、目を合わせようともしませんでした」


 どうやら、仮面を被っていても身に纏う空気で姫子がどんな顔をしているのか察したようだ。否定の言葉も出ずに目を瞠る姫子にクゥが階下を指差した。


「ここに集った方々も、勇さんが自分達の所へ帰ってきてくれる、危険ともなれば助けてくださると信じている……悪い言い方をするならばアテにしてるからこそ、あのように気丈に振舞えるのです」


「クゥ様」


「私だけではない。兄上も兵士達も民衆も、異世界の人々は皆、勇さんを頼ってます。彼が居なければ私達の世界は魔に覆われていたのです。闇を払う光として、あの方は必要な人物なのです」


「占拠された方がマシだった国に対しても同じことを仰るのですか?」


 魔界側の報告と解放後の調査によって、悪政暴政を行っていた国々の実態が明らかになった。


 勇が異世界側の反応に対して躊躇いをみせ、姫子もまた事実を知って迷いを見せていた。


 地球人二人の迷いとは縁のない側の代表の答えは明快であった。


「その世界の事はその世界の人々によって正していくべきと私は思っています。例えそれが悪であろうとも、解決すべきは魔王の力によってではなく私達の力によってでないと駄目と思う」


「桜上くんは異世界の人間じゃないですよ。矛盾してませんかクゥ様の言い分は」


「勇さんは勇者様です。私が自ら呼び出した救世主です。私は彼と共に世界の歪みを正していきたい、勇者には世界を救う使命があるのだから、きっと彼も快く引き受けて」


「身勝手ですね」


 疑うこともなく素直に言ってのけたクゥに姫子は反発した。


「アタシ達は都合のいい道具ではないんですよ。ゲートとかいうのを少し扱えるからって神様気取りもいい加減にしてください。アタシも桜上くんも、あなた達が余計なことをしなければ平和に暮らしてました。相手が人間じゃないからって誰が好きで武器を振るって生命を奪いますか? 桜上くんを助ける為に仕方がなくやっているんですよ」


 クゥと向き合った姫子は精一杯鋭い眼光で相手を射抜いた。声が怒りで尖り始めてきたが止められなかった。


「自分達の平和しか考えられないなんて、日本人も大概平和ボケしてますけど、それに負けてませんよ異世界の人達は。もっと他にやりようがなかったのですか? 伝説の勇者を探す以外で何かすることはなかったのですか!?」


「そういう考えしか存在しない。そういう考えが常識な人が大半の世界です」


 出し抜けにそう言い返されて姫子は詰まった。


「姫子さんの世界の常識を押し付けないでください。こちらにはこちらの正義があり常識があります。私とて気にならないわけがありません。だから私は彼と共にそんな正義や常識を変えていきたい。その為ならば、今は変えるべき正義や常識に従うだけです」


 反駁するというには、クゥの表情は沈痛に満ちていた。


「桜上くんが従うとでも?」


「先程も言いましたが、彼は勇者です。世界を救う為、救世主として、一人の人間として立ち上がってくださると信じています。だから私はここに居るのですよ」


 会談中から積み重なってきたものが、決定的となった。形だけの主従関係は音もなくひび割れた。


 クゥへの敬意は消えぬが、ここに至って別世界の住人であることを突きつけられた。


 価値観の違う者同士がここで争っても無益どころか実害であることぐらい判断出来る冷静さはまだあった。


 姫子は溜息を吐いた。


「……もう何も言いません。全ては桜上くん取り戻した後にします。アタシもアタシの正義の為にクゥ様に協力します」


 今まで二人だけのときは外していた仮面を、最後まで外さぬまま姫子は礼儀正しくも誠意に欠けた一礼をしてバルコニーから去っていく。クゥは無駄だと思ったのか、引き止めようともせずに彼女から背を向けた。


 この独善者。


 去り際、月も星も見えない空を見上げている王女を、姫子は心の中で詰った。


 詰りに苦い響きが篭る。先程のクゥと同じような表情を浮かべていたことに気づいたのは、自室にて仮面を脱いでからのことだった。

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