第十七章「お前らの強引さに俺は逃げた(その3)」

 フラッシュバックする光景は、少しずつ鮮明に、一本の映像として形を成していく。


「コレが、勇者か」


 美しい女が綺麗な声で呟いている。鈍化した思考は何故女がここに居るのだという疑問を浮かばせなかった。


 女は呟いたきり黙って俺の顔を覗き込んでいる。


 相手が傘を差しているお陰か、顔が濡れるのは避けられた。雨粒の幕が消え、より鮮明に女の顔を見ることができた。


 この世のものとは思えぬ。と、言えば大袈裟かもしれない。しかしあの時の俺は死に掛けた目と頭がそう認識していた。


 迎えが来た。女は天使かなにかだ。そう思って当然だろう。それ以外の何に思えたんだ。乏しい知識では常識的な考えの筈だ。


 最後の最後で天使な美少女に見守られて死を迎えるとは。初めて異世界という時代錯誤で非常識な世界を肯定する部分を見つけられたような気がした。


 けれども、現実はどこまでも俺に優しくするつもりはないらしい。


 しばらくの間、俺の顔を見つめていた女は、俺の顔に近づき、雨音に掻き消されない様に、ハッキリとした声音と口調でこう言った。


「私の名はセリス・ヴィシャル・ファラ・ル・ド・ダクプリズム十三世。お前が倒すべき大魔王をしている」




 オマエガタオスベキダイマオウ。




 その言葉の意味を理解したとき、死に瀕していた身体中に瞬間的に憎悪が滾った。ザワザワと皮膚が粟立った。


 こいつさえいなければ。


 こいつがいたから。


 こいつがこいつがこいつがこいつがこいつがこいつがこいつがコイツガ!!

 

 ユルサナイ!!!


 呻きすらさえずるのを止めた声帯が声にならない声を上げる。その時、俺は自分が壊れたのだと、頭の片隅で認識した。


 四肢を跳ね上げ、俺はセリスに殴りかかるも、奴は避けもせず、指一本立てそこから衝撃波を繰り出して俺を岩場に叩きつける。


 骨が悲鳴を上げて気を失いかけるも、壊れようとしていた俺は気が狂ったような声をあげて再び奴に殴りかかる。


 張り詰めた弦が切れるような音とちぎれるような痛覚が襲い掛かった。


 セリスは人差し指を一振りし、見えない刃が俺の両腕の神経を切ったのだ。


 ショック死もせず膝をついただけなのは壊れていたからか。あの時の俺は冷静に考えられるわけがなかった。ただただ痛みや憎悪が頭と心を占めている。


「次はどうする? 脚で蹴るか? 体当たりでもするか? 逃げてもいいぞ。私は追わないでやるぞ。命乞いという選択肢もあるなぁ」


 楽しげに、歌うように語る魔王を、俺はギラギラとした目で睨んでいた。


 動かなくなった両腕は垂れ下がり、疲労と痛みは脚の力を萎えさせて膝を泥水で濡らす。流れる血はあっという間に腕から地面へと雨水と共に滴り落ちて泥へ溶け込んでいく。


 動けずにひたすら睨んでいる俺に向けて生気に満ちた微笑を浮かべていた。


「勇者と言われるだけあって面白い目をしておるな。物心つく前から過酷な生活をしてきた者ならば珍しくもないが、どうしてどうして、そうでもないのにそんなに満たされなくてギラギラした目をする者が居るとはな。不慮不審不遇不可解不快不運不条理不合理を短期間で味わえば皆々こうなるか? 満たされた環境にいても満たされないとは、餓鬼道にでも行きたいのか?」

「…………」

 辺り一面泥だらけというのに音一つ立てず歩み寄ってきたセリスは俺の前まで来ると、洗練され細工品のようにしなやかな手で人の顎を摘み上げて上を向かせた。宝石でも鑑賞するかのような目で俺の目を見ている。


 大魔王と名乗る女にしては澄んだ目をしていた。


 間近で見る銀色の瞳は清冽であった。


 生命に満ち溢れ、恐れを知らず、自信に満ちてまっすぐな意思を宿している。今の自分とは大違いだ。アイツは生きているこんなにも強く輝いて。


 怒りに目が眩む。


 あらゆる理不尽に対する憎悪、自分自身すらも憎むべき対象としていた人間が、ここまでさせた元凶を目の前にしてこのまま終わらせるとは思っていない。


 どうにかしてやりたい。


 この女を歪ませてやりたい。


 自分と同じように病ませてやりたい。


 引き摺り落としてやりたい。


 傷つけ、堕として、刻み付けて、穢してやりたい。


 なんでもいい。一分後なんて知らない一秒後なんてどうでもいい。


 輝きに満ちたあの女を俺が、俺という人間が消せない痕を残す程に刺してやりたいんだ!!


 卑しくも激烈さのある渦巻く感情がそうさせた。でなければ自分がした事の動機が説明出来ない。


 視界が目まぐるしく白黒に変わった刹那、俺は血と唾液を垂らして大きく口を開けた。




 俺は、大魔王の首に獣のように噛み付いていた。


 






 ニーバカルは連日祝祭ムードに包まれており、都市全体が陽気な賑わいをみせていた。


 メインストリートをはじめとして、道路という道路に露店が立ち並び、食物を中心に酒、工芸品、衣類、玩具等が溢れんばかりであった。建物や街灯の光が道行く人々を照らしており、夜を忘れさせているかのようだった。


 元々の住人が多数を占めているが、祭りの参加者には他の地方から来た者もいれば、非番の兵士の姿も見受けられる。


 肌や瞳の色が異なるだけでなく、人間と同じ身体をしているが頭部は禽獣の者、皮膚が鱗状で目も爬虫類のように爛々としている者、耳と鼻の長いドワーフ族の者、四速歩行の獣を無理矢理二足歩行させたかのような獣人族など、多種の種族が肩をぶつかりあわせて飲めや歌えやと楽しげに騒いでいる。


 その種族のてんこ盛りのような人込みの中を勇は走っていた。


 アスファルトを蹴り上げるように無我夢中に走っていく。


 何も考えられなくなるまで、頭の中が真っ白になるまで。夜が更けても絶える兆しのない人込みを掻き分けて少しでも遠くへ。


 彼女らの想いから。好意に答えれなかった自分への嫌悪から。


 彼が通り過ぎたとき、住民らは人間という種族を見かけて珍奇そうな顔をして、数秒後にその人間が大魔王陛下の婿殿であると気づいて驚愕へと変わった。


 警察を呼べ、いいや役所に連絡だ。と、勇が通り過ぎていった至る所でざわめきが起こる。


 魔界の住人らの驚きを意に介しない勇は走り続けた。自分でも異常とも思える体力が、脚力が減速することなく距離を伸ばしていく。


 都市の出入り口となる城門は緊急の際を除いては常に開放されている。


 代わりに役人と兵士合わせて十数名が詰めている検問所のようなものが設置されていた。そこまで勇が来たとき、当直の兵士が詰め所から顔を出したが、住民らと違い、走り去る大魔王の婿の姿を見ても何も言わずに見逃した。その事に勇は気づいていない。


 こうして勇はニーバカルを出たが尚も走り続けた。


 文化流入によって辺境の村ですら近代化の波が押し寄せてきているとはいえ、まだ魔界は都市や町を一歩出れば数千数万年前から変わらぬ風景のままである。


 荒涼とした赤茶色の大地は遮る物なく肌寒く乾いた風を通過させる。時折怪鳥が奇声を上げて空中を旋回してる以外は何も存在しないかのようであった。


 無論、都市間や近隣の町や村を結ぶ道路は整備されており、日常は夜間でも物資を運ぶ隊商や気ままな旅をする者が居るのだが、ニーバカル周辺は異世界軍の出現とゲート占拠という事態によって夜間通行が当面禁止されている。夜更けに一人で出歩くような酔狂な人物は居ない筈であった。


 灰色の厚い雲に覆われて為に月明かりが照らされることはなく、道路に設置されている街灯の微かな輝きだけが闇に沈んでいる地を弱く映し出している。


 どれほど駆けただろうか、ようやく立ち止まった勇は小さな丘の上にいた。


 ニーバカルの煌びやかな光が遠くに見える。道路からも離れているのか、彼の周りは舗装がまったくされていない荒地であった。


 大して疲労はしてなかったが、それでもかなりの距離を走ったからか、軽く息が弾んでいる。一度深く深呼吸をして肺が空になるほどに息を吐き出す。呼吸を沈めから夜の闇に慣れた目が手ごろな大きさの石を見つけたのでそこに腰を下ろした。


 一面暗闇である。


 目が慣れてきたとはいえ、そんなに遠くまでは見えなかった。見えたとしても、草木がまったく生えていない殺風景な場所しか広がってないのは分かっているので大した変化はないのだが。


 風が砂塵を舞い上げた。無音の闇とはいえなくとも、風の音以外聞こえてこないので静寂の闇と評するぐらいは許されるだろう。


 勇は深く頭を垂れ、己の顔面を手で覆った。己を恥じるようでもあり、胸中に渦巻く感情を纏めきれずに苦しむようでもあった。


 美少女達に突然好意を告白されて迫られる。


 世の男の大半ならこれを幸運事だと喜びも露に現状を楽しみながら結論を考えていくのだろう。もしかしたら二年前の自分も今の立場に悪くない気分を抱いてたのかもしれない。


 けれども今の自分はそんな心境になれそうになかった。それを喜ぶ輩は、自分が傍観者だからこそ羨望出来てるだけなのだ。無責任なだけだと見下げたくなる。


 クゥも姫子も自分という人間を過大評価してるだけだ。俺は俺がそんなに優しい人間ではないのを知っている。聖人でも君子でもない。そんな価値から遠いところに立つ男だ。


 純粋でひたむきであることを理解しているのに、俺は二人を疑っている。


 勇者という、クラスメイトというフィルターをかけて「桜上勇」を見ているだけではないのかと。


 一方的な好意に当てられて嫌気が差してる影響なだけだと思いたい。でも疑心暗鬼はくすぶり続けていて、二人の想いに対して何も言ってやれなかった。


 勇者時代、似たような思いを抱いた覚えがあった。アレはなんだっただろうか。


 自分の事を勇者だ救世主だとおだて上げ、安全な場所で好き勝手に好意の言葉を並べ立てるだけで助けてくれなかった人々。


 災いが去れば、新たな災いの種になると決めてかかり、形だけは惜しんだ態度を見せて歓呼の声を上げて出て行く俺を見送る人々。人の労苦も懊悩も知らず知ろうともせず、勇者という使命を無邪気に押し付けてくる人々。


 二年という短いようで長い、長いようで短い歳月。しかし俺にとって数倍の歳月を感じさせるものだった。その中で育んできたのものは、力や経験だけではなかった。


 冷めた現実と冷めていく自分。孤独に耐えるうちに心は麻痺していき、魔物や魔族と殺しあう間でしか生きてる実感が湧かなくなってきていた。


 冷静沈着と評されても、それは色んなものが麻痺して冷めているだけだった。


 胆力のある大きな器と称されても、それは己の中で命の軽重が変動しただけだった。


 勇猛果敢な戦士の中の戦士と愛されても、それは殺すことでしか満たされなくなっただけだった。命を奪う行為にしか生きてる手応えを感じ取れなくなっただけだ。


 世界は雑音だからけの色あせた世界と突き放しだしたのはいつからだろうか。


 召還される前は何もない世界と何もない自分に見切りをつけて惰性で生きていた。


 召還された後も、ある意味では惰性であったかもしれない。気が遠くなるような目標に向かってただただ勇者というレールを走っていたようなものだ。


 だから二人を疑うのかもしれない。それは、己を評価しきれてない裏返しだから。


 優しさも、気高さも、勇猛も、冷静も、誠実も全て惰性と空虚の産物だ。


 生き残るには必要だから備わっていっただけだ。そんな自分に惹かれている彼女らに胸の痛みを覚えると同時に哀れさも感じる。演じる微笑に騙されてるだけかもしれないというのに。


 セリスは……アイツに対しても感情がまだ定まれていない。


 恨んでいないと言えば嘘になる。あの女は人間の敵、自分の敵なのだ。そもそも俺を狂わせた現況なんだ。


 自分の前ではいつもん能天気な顔を見せているが、覇道を歩もうとする独裁者の顔も持っている。どちらが嘘で真実というものではない。どちらも本質なのだ裏表がない奴だ。


 軍を率いて侵略を行った。無益な殺生をさせず、良心的な行政を行っていたとしても、己の欲求に従い動いたのだ。


 その征服欲は力無き人々の人生を乱してきたのだ。許すべき存在ではない。幸せを手にする権利はなく、報いを受けて死ぬべきなのだ。


 アイツさえいなければ今の俺はなかったのだ。俺はこんな想いを抱かずに済んだのだ。


 望んでもいない使命を押し付けられ、何度も死にそうな目に合わせられ、自分の人生を滅茶苦茶にした憎い女。


 使命として義務として殺さなければならず、個人的にも殺してしまいたい。そう割り切れば楽になれる。


 なのに自分はどうしてこんなにも悩んでいるのだ。


 自分がここまで辿り付けているのは、アイツが存在してるからだ。


 俺を地獄へ叩き落した元凶が俺が生き残ろうと足掻く理由になっているとは皮肉もいいとこだ。


 剥き出しの感情をぶつけられる相手だ。自分の空虚を、満たされない心を埋められる唯一の相手だ。こんなにも桜上勇という個人にぶつかってきてくれた存在は初めてだった。


 敵である大魔王が、いの一番に心を曝け出せれる対象。


 そこまで自覚してるというのに応えてやれない自分はこんなにも情けないものなのか。


 あれだけ憎み戦ってきた存在を同じ強さで愛せだなんて不可能だ。強く刻まれた記憶は、冷酷に輝く銀の瞳をいともたやすく思い出させる。


 二人とは密度が違うひたむきさに触れる度に心が揺らぐ。理由をつけて撥ね付けて逃げては自らの弱腰を自嘲する。


 みろ、それが行き着いて今また無駄な足掻きをしている。距離を置いただけで解決になってはないじゃないか。


 押し付けがましい好意だと言ってみても、意思表示一つ出来ない臆病な人間の被害妄想じゃないか。彼女らに八つ当たりするのはお門違いかもしれないじゃないか。



「何が雷電の勇者だ」

 口から漏れる呻きは嘲笑というには重く苦い。


「俺はどうすればいいんだ……」


 応える者はいらず、呟きは虚しく空に溶けていく。


 ここ最近の自分を取り巻く環境の変化についていけず思い悩む勇。


 世の中を冷笑する者ならば、大魔王と姫君と女勇者という一目置かれるような存在らが一人の男を取り合っている光景を喜劇だと嘲笑うだろうが、勇は冷笑家ではないのでそこまで突き放して見る事は無理なことであった。


 勇の背後、さして離れていない辺りで闇が揺らぎをみせる。


 ネガティブな思考を続けてうな垂れている勇者を見つめる影があった。


 一つだけではなく複数。いずれも武装した人間である。


 市民会館を飛び出した勇を目撃したガーオネ王太子が急遽派遣した兵らである。


 彼らは王子直々に勇を拘束してゲートへ連行するように指示を受けここまで追跡してきたのだ。検問所の役人らは異世界側の人間に関しては上からの命令で見てみぬフリなので、追うのは難しいことではなかった。


 選抜された五十名の追跡部隊に勇は気づいていなかった。常ならばすぐに気づくのだが、己の思案に意識が向いており集中力が著しく欠いている。兵士らはそのような事情を知らず、自分らの尾行が上手くいっているものと思い込んでいた。


 彼らの手には剣、戦斧、弓矢などの武器の他に鉄で編んだロープや手枷があった。


 相手が異世界を救った英雄だけであり、緊張に顔を強張らせ、得物を持つ手も無自覚に震えていた。


 隙を見計らって取り押さえようと監視していたところ、目標である勇者が意気消沈している姿を確認したことで機会が到来と判断した兵士らが己を奮い立たせて勇の背後に迫ろうとした。


 その時であった。


「そこで何をしているのだ」


 若々しい男の声を聴き、一人の兵士が後ろを振り向く。それが、その兵士が行った最後の動作であった。


 暗闇の中で光が煌いたのを見た瞬間、兵士の首が飛んだ。


 土の塊を投げ捨てたような音を立てて生首が地面に落ちる。凄まじい打ち込みの速度に筋肉と血管が縮小したのか、切り口から大して血を噴出さずに胴体が倒れこんだ。


 息を呑む兵士らは、たちまち自分の末路を見ることとなった。


 誰何の声を発した男は、立ちすくむ兵隊らに一言も言わず、一言も言わせることなく、目にも留まらぬ速さで斬りふせていく。


 頭部が吹き飛び、身体が甲冑ごと左右上下に別れ、反撃どころか声を上げる暇も与えられずに斬り捨てられる。


 五十名の追跡者が五十体の死体に変わるのに一分もかからなかった。ささやかな血溜まりはあれども血の池という程のものは作られなかった。最初に斬られた兵士と同様に、高速の斬撃がそれを生ませない結果となったのだ。


 呼吸をまったく乱すことなく、つまらなさそうに死体の山を一瞥した紅い髪の男、近衛衆筆頭であるランスロットは双刀を鞘に納め、座り込んでいる勇へ歩み寄った。


 ここに居るのは偶然ではなかった。ガーオネ王子と同じく、ある人物が勇がセリスらの前から逃げてる姿を目撃したので指示を受けて後を追ってきたのだ。


 検問所の役人らに見過ごすよう通知したのは彼である。指示はともかくとしていつものように殺害を試みようと追っている内に追跡部隊に気づき今に至ったのであった。


 彼らを殺害したのは勇を助ける為ではなく、自分の邪魔をされるのが煩わしいと判断しただけである。愛剣を鞘に収めるまではその気でいた。


 顔なじみの近衛衆筆頭が接近しても勇は振り向きもせず無反応であった。


 勇の態度を予想していたのか、ランスロットはその事に関しては特に言わず、代わりにもっと重要な質問をすることとした。


「ここで何してるんだ糞人間」


「……」


 それは自分に聞きたい、寧ろ今まで自問自答していた質問であった。答え様としない勇にランスロットは口をへの字に曲げてみせた。


「逃げてどうにかなると思ってないのに逃げてどうする。無駄手間かけさせるなチキン野郎」


 悪態を吐きながらランスロットは先ほど収めた剣の一本を鞘から抜き、座り込んでいる勇の首筋に当てた。それでも勇はみじろき一つしない。


 このまま力を込めれば勇の首は容易く落ちるだろう。ランスロットに躊躇う理由はない。欲求の赴くがままに刀を動かせばいいだけだった。


 だが、ランスロットは動かさなかった。舌打ち一つして相手の首筋に当てていた刃を収める。


「いつもみたいにあしらってみたらどうだ」


「……」


「すました顔して殴り返してくる気骨はどうした」


「……」


「腰抜けヘタレ」


 頑なに沈黙を続ける大魔王の婿にランスロットは遠慮のない口調で遠慮の無いことを言い出した。


「数万数十万の大軍と戦う勇気はあっても女性の想い一つにも返事出来ないのか。陛下が恐れ多くも貴様みたいな蛆虫に等しい下等生物に好意を寄せてくださる栄誉を授かってくださってるのだぞ。本来ならば『はい』か『Yes』か『御意』か『了承』かで応じるべきなのに貴様ときたら」


「……」


「嫌ならばさっさと異世界の姫君なり地球の同級生なりに己の思うところを語ればいいだろう。ロクに答えることもせずに情けないと思わないのか。それとも、美少女に迫られてイイ気分に浸りたいわけか?」


「ちがう……」


「勇者やってるときにチヤホヤされるのに慣れきったから今の状況はさぞ気分いいのだろうな。嫌がってるのはポーズだろう? そんな態度をとっても構ってもらえるのだから笑いが止まらないだろう。下々にしわ寄せきてるというのに贅沢な身分なものだ」


「違う!」


 ようやく勇は聞こえるように言い返した。声は大きく鋭かったが、動揺が尾をひいており震えは隠せなかった。


 勇の怒声に臆した風もなく、ランスロットは嘲りをやめない。


「図星突かれて怒ったか? 怒る暇があるならばもっと感情の有効活用したらどうだ半端野郎。どんなに強かろうが女性一人にもケジメつけられぬとあれば貴様なんぞ銅貨一枚の価値もないぞ。空気の無駄だからさっさと自害でもすれば褒めてくれる奴も居るだろうよラブコメ気取りの腑抜け者」


「アンタに何が分かるんだ!?」


 堪らなくなり立ち上がりランスロットの胸倉を掴んだ。


「俺の気持ちなんざ知らないくせに、自分の立場に疑問もたずに任務をこなす様な奴が偉そうにお説教するなよ! 都合のいい時だけ持ち上げられるのはもうウンザリしてんだ!! いい加減にしてくれ!!」


 奥歯を噛み鳴らし、全身を憤怒に震わせながら思いの丈を目前の相手に叩きつける。


「どいつもこいつも人の意見を聴きもせずに好き勝手言いやがる。俺が好きなら、俺に一目置いてるってんなら少しは目に見える態度で示してみろよ! 俺は勇者だったかもしれねーけど、超能力者じゃねぇんだよ。言わなくても分かるなんて芸当求められても迷惑なんだよ! ウザイだけなんだよ!! そんな都合の良い相手欲しければ他を当たってもらいてぇよ!」


 いつもの達観に片足突っ込んだような冷静さを捨てた勇はやり場のない怒りを声にして吐き出す。


 今までの、見知らぬ世界へ呼び出された時から溜まっていたであろう暗い感情を爆発させて子供のように無茶苦茶に。


「自分でもどうしたらいいか悩んでるんだからそんなに急かさないでくれよ!!」


 悲鳴にも似た怒声を叩きつけるだけ叩きつけた勇をランスロットはしばし黙って見ていた。


 ランスロットが口を開いたのは勇が呼吸を鎮めてからようやくであった。


「同じ調子で言えばよかろう」


「えっ……」


 不意をついた返事に勇は目を瞠った。胸倉を掴んでいる手を引き剥がそうとして眉を顰めながら、発言した側は面倒くさそうに語を続ける。


「俺に言ったような事をありのままブチまければいいだろう。今までのような文句ではない自分の言葉を。大体陛下もあの者らもお前にああまでするぐらいに好意を抱いてるのだ。お前の真っ正直な言葉とならば受け入れる度量ぐらい備えている筈だ。たとえ望まない答えだったとしても、苦しみながらも気持ちに整理をつけて受け入れるだろうよ」


「でも」


「デモもストもあるかこんタコ。テメェが原因でこうなってんだ。意思関係無しだ。テメェのケツはテメェで拭けってんだ」


「わかってる。わかってるんだ……」


 再び肩を落として沈む勇を見て、ランスロットはワインのように紅い髪を掻き毟りながら忌々しげに唸った。


「煮え切らねぇ愚図が……とにかく死体探ししないスタンドバイミーごっこはここまでだ。ツベコベ言わず俺についてこい自虐大好き人間」


「……」


「陛下の下へは行かん。連れてくなら軍隊率いて有無言わさずに拘束しとるわ」


 こいつ等みたいにな。と、言ってランスロットは切断された頭部を爪先で蹴り上げた。


 驚きの表情を張り付かせたまま切断された頭部は、乾いた地面を転がり暗い大地に溶け込むように転がっていく。


 転がっていく生首やランスロットの背後にある死体の山を無感動に眺めつつ行き先を問う。


 近衛衆筆頭の要職に就いている男は問いには答えず、追跡部隊が乗ってきて近場に繋げていた馬を二頭引っ張り出し、そのうちの一頭を勇に渡した。


「とりあえずニーバカルに戻るぞ。あれぐらいの都市でも隠れる場所ぐらいある。しばらくそこで大人しくしてろ」


「……アンタに任せる」


 しばし躊躇いはあったが、結局勇は馬に乗ってランスロットと共に逃げてきた都市へ戻ることとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る