終章「終わりから始まる物語」

 戦争はあっという間に終わったが、戦後処理はそこまで早くは終わらなかった。


 武装解除した異世界軍の処遇、戦争責任者への裁断、半壊した第二十四ゲートの復旧と、その間における近在住民らへの保障と対策など、処理すべき案件の種には困らなかった。


 大魔王であるセリスに重臣の近衛衆三名は負傷により執務室ではなく病室へ送られることとなった。


 案件の殆どを文官らが討議の上で決定していったが、それでも上の判断を求めずにいられない件もある。


 近衛衆は六名存在するも、三名は入院、残る三名は前々から遠方への視察へ赴いて留守にしていた。


 大臣級の面々は通常の国政処理にあたっており、ニーバカルに滞在している中で人材は限りなく少なかった。


 それにより、とりあえず無傷の身である勇が責任者として祭り上げられて事にあたることとなった。


 最初は不平を鳴らしながらも、今回の件にて元凶に等しい立場であることの自覚もあってか、就任以降役人らと話し合いながら問題に対応していった。僅かな期間ながら政務に携わっていたので、以前よりかは戸惑うことがなかったのが幸いした。


 異世界軍の兵士らはゲートが復旧次第、元の世界へ帰還することを許可した。


 他のゲートを使う意見も出たが、終結して武装を解かれたとはいえ、万単位の敵兵を移動させるうことに現地民が不安を覚える事を考慮し、復旧までは仮設収容所にて短期間の抑留生活を行ってもらうことが決定した。


 責任者の処罰としては、全権を託されていたガーオネ王太子が行方不明であり、彼の側近らも施設制圧時の乱戦で大半が戦死している。


 ただ、ケィルがマックス王国へ攻め込んで国王らを処刑したという報告もあり、それによって手打ちとすることで厳しい追及はされない見通しとなった。


 国王殺害や王都陥落に関して、勇はケィルに対して一言も言わなかった。


 報告を当の執事から告げられたとき、顔を覆って肺が空になるほどの深い溜息を吐いてしばし瞑目した。それが唯一の反応であり、それ以降公式的には言及せずに解決済として処理された。


 マックス王国王女クゥ・ラーイ・マックスと白金の勇者華野姫子の両名はゲート復旧後も魔界に抑留されることとなった。


 客分としての待遇を持って帝都へ連行されることも同時に決定した。彼女らよりも上位の人間が尽く消えた為に責任のしわ寄せが二人に圧し掛かった形であるが、彼女らは己の行動によって生じた結果を受け止めていたので、反論することもなく処置に従う旨を告げた。


 王都陥落と国王処刑については日を改めて告げることとなり、問題の先送りにしかならないという苦い認識を抱えながら、勇は彼女らの待遇に関して配慮をするよう厳命した。


 戦死者遺族への補償、三体の巨人に関して天界との外交折衝等も含め、勇は専門家や担当役人の補佐を受けて休む間もなく仕事に取り組んだ。


 ある程度目処がついたときには闘いから一週間が経過していた。


 ようやく一息吐ける時間を確保した勇はセリスが療養しているホテルへと足を運ぶことにした。






 最上階にある、白亜の大理石で造られた豪奢なスィートルーム。


 普段はニーバカル在住の富裕層や羽振りのいい観光客が利用しているが、ここ一週間はフロア全てが絶対的権力者である女帝の為に貸切となっていた。


 病院の匂いを嫌ったセリスの命令で、ホテルの一室に医療器具が持ち込まれていると伝え聞いていたが、彼女が居る部屋に足を踏み入れたとき、勇が目にした医療に関する物といえば、未使用の包帯と、薬剤の瓶が二つ三つぐらいのものだった。


 部屋の主である銀髪の少女はベッドの中で安らかな眠りについていた……と、考えていた美少女の伴侶は光の速さで己の考えを改めることとなった。


 人が軽く四人は並んで眠れそうなベッドに寝ていた。


 それは身体を横たえてるという意味であり、ベッドの住人は眠ってはおらず、タッチペンが付属している携帯ゲーム機を慣れた手付きで弄っていた。その姿は魔界の女帝というより、日本のサブカルチャーを愛好する外国の少女のようであった。


「来るのが遅いぞ」


 気配で察していたのか、セリスは勇が扉を開けるや、開口一番そう言ってきた。


 それなりに忙しかった事を知っているのにこの言い草。機先を制されたこともあり、勇は怒るよりも脱力感に襲われて額に手を当てた。


「会話なら通信で何度もしてただろうが」


 そう返答したものの、セリスは不服そうに首を横に振った。


「声しか聴けないなんて生殺しもいいところだぞ。妻は切ない気分を持て余すあまり、スー○ーロボ○ト大○を二回全クリして現在三周目だぞ。この作品は参戦作品悪くないというのにシナリオがイマイチだな。あそこでバッドエンド要素を積み込む必要性が見当たらなくて妻は困惑を禁じえなくてだな」


「それ以上言うなよ。色々問題だから」


 いつもと変わらぬ調子のように見受けられて勇は内心安堵したが、表には出さずに分別を効かせた顔をして大魔王のゲーム批評を封じた。


 発言を中断されたものの別に気分を害した風もなく、セリスは今まで動かしていたゲーム機の電源を切り枕元に放り投げた。


 上半身を起こし、大きく伸びをする仕草。ただそれだけでも、一週間前に剣で貫かれた身とは思えない生気を感じさせた。


 自分の中に流れていた魔の血が暴れた記憶は消えることなく残っていた。


 殺戮と破壊の欲求が頭の中を占め、無差別に力を振るう様は獣よりも性質が悪かった。やる事なす事全てに対して狂ったように笑っていた。クゥや姫子の切実な声に対して口汚く罵って踏みにじってみせた。


 理性が弾け飛んだような言動に我ながら脂汗が伝う。


 セリスとのやりとりは特に肝が冷える思いだった。この一週間、思い出しては衝動的に自決しようとするぐらいに羞恥を覚えた。


 まともに聞こえていないだろうと分かりつつも、数十万の観客がいたというのに、あれだけ胸の内を曝け出してしまった。自分の中にああも狂気じみた欲望があることに、勇自身衝撃を覚えた。


 辛うじて理性を取り戻して思いとどまったものの、あのままセリスの全てを手にしようとしていたら、自分はどうなっていたのか。


 闘いに勝って勝負に負けたなどという可愛いものではない。喰らうつもりがこちらが身も心も喰われて支配されていた。


 約束を思い出してなんとか回避したが、恐ろしいのは、それも良いと思ってしまった事である。流石にそれは口に出しはしなかったが、確かにあった思い。


 自分は自分であり誰のモノになる気はない。


 なのに染め上げられることに喜びを、快感を見出す極致に達しかけていたというのは今なら背筋を凍らせるに値する考えだ。


 自分はそんな危うい欲望なんか無い。そう大声で否定したかった。


 すぐ傍に居る銀髪の少女と想いが同じであることを、この期に及んでも勇は認めようとする気はなかった。


「何を考えているのだ?」


 入り口の前で立ったまま動こうともしない夫にセリスは声をかけた。


 薄笑いを浮かべる瞳は、相手の考えていることを見透かしているようであった。


 見抜かれていることへ羞恥を刺激されると共に、この大魔王は自分をよく見ているのだなと、つくづく思い知った気がして妙な敗北感を覚えた。


 来客用の椅子に腰掛け、勇は寝巻き姿のセリスを見つめた。


 脇腹に新たに刻まれた傷は服に隠れて見えない。医者の話ではセリスの命によって傷跡は残ったという。


 また一つ、大魔王に刻んだ傷。


 消そうと思えば消せるものを、彼女はあえて消さずに残した。その理由を察しきれないでいる勇は眉根を険しく寄せた。


「どういうつもりだ」


 勇の質問の意味を解しているのか、セリスは「なんのことだ?」とは問わず、腰まで届いている銀の髪を指に絡ませながら揺らぐことなく応じた。


「証が欲しかった。それだけのことだ」


「死んでたかもしれねーのにか」


 大魔王の余裕ある態度を小面憎く感じて怒気を込めるも、セリスは怒りすらも愛しいと言わんばかりに平然と頷いた。


「俺の体内に流れているお前の血肉は、俺を身体を支配している。今回は辛うじて抑えられたが、次もそうとは限らないんだぞ。この先打ち勝つことが出来たとしても、一朝一夜で可能なもんじゃない。その間にお前を殺すかもしれない」


「あの暴走を見ればそう思うな」


「それぐらい色濃く脈打ってるのに、お前無しではいられない身体に変質させておいて今更証だ? お前は元からおかしい奴だったが、必要のないもの欲しがって命張ろうとする酔狂な奴とは、そこまで俺は知らなかったぞ」


「そんなのは勇に言われるまでもなかったな」


「じゃあなんでだよ」


「深い意味はない。形あるものが欲しかったのだ」


「……」


「指輪と違って、老い朽ちて墓に去るまで、生命の最後の一瞬まで、この肉体と共にあり続けている。これが愛しむべきものと言わずなんと言うのだ? 出会った頃のように、今ここに記念すべき痕が刻み込まれたのだ。勇に付けられるものは全て妻にとって記念なのだ」


「理解できねぇよ」


「これからゆっくりじっくり己と見詰め合っていけばおのずと理解出来るぞ。夫のツンデレ具合を妻は充分把握してるのだから」


「ストーカーの素質ありすぎだろ」


 悪意をふんだんに塗した言葉も、色んな意味で無敵を誇る大魔王の面の皮一枚破る事もなかった。


 それから二言三言罵っても効果無いのを見て諦めたのか、「あのな」と前置きして勇が次に口にしたのは憎まれ口ではなかった。


「……お前の身体が傷物になってるの嫌なんだよ」


「えっ?」


 夫の思いがけない発言に、余裕綽々だったセリスは目を瞠る。


 己の発言に不機嫌になり顔を伏せる勇は言葉を続けた。


「幾ら俺自身がつけたからって、お前は……その、なんだ、性格はともかく見栄えはイイんだからよ。理由は聞いたけどよ、少しは俺に気ィ使えよって話で、あー、だから、あぁもうとにかく色々自重してくれってことでだな」


「勇」


 顔を伏せている勇の頬に手を添えて上を向かせた。


「……っ」


 唇と唇が重なる。深く激しく、想いを零れ落ちさせぬように。


 いつもの口づけと思った勇であるが、段々と息苦しさを覚えるに至り、それが婚礼の儀の折にしたものと同じものと気づいた。


 酸欠になりそうな、脳と肺が危険を訴える危険な口づけ。


 血も肉も骨も魂までもしゃぶり尽くすかのような、淫蕩で心が犯され孕まされるように熱く深く。


 息苦しさに眩暈がした勇。だが、拒絶せずに彼女の艶やかな唇と舌を受け入れる。身体中の酸素を吸い取られて殺されても構わないとばかりになすがままにされながら。


 一つに融けあうような錯覚。数センチもない距離にある熱っぽく潤んでいる銀色の瞳。唇の隙間から漏れるやるせない熟れた吐息。


 意識が遠くなると感じた刹那、ようやく唇が離れる。


 濡れる唇を拭いもせず、互いに見詰め合う。


 息が触れ合うぐらいに近くにいる。熱を宥められたのか煽られたのか区別がつかない気持ちが渦巻いている。このまま先へ進みたい欲望が疼いている。


 先に動いたのは勇だった。袖で濡れた唇を拭いさり、セリスの顔から離れた。内心を悟られないよう声を荒げてみせる。


「いきなり何すんだよ!?」


「言葉よりも行動で喜びを示したのだが、それが何か?」


「いつも思うんだが恥ずかしげもなくよく出来るよなぁ」


「妻と勇は夫婦だろう。恥ずかしいことなど無いではないか。妻は勇には有りの侭を見せるよう心掛けているのだ。正に妻の鏡だな妻は」


 意味も無く誇らしげに胸を張る大魔王。


 威厳の欠片もない、まるでお気に入りの玩具を見せびらかす子供のような無邪気な姿を見て、勇は口の中で文句を呟いたきり沈黙した。セリスも夫が傍らに居るだけでご満悦なのか、相手の沈黙を破ることをせずに寄り添うだけである。


 ニーバカル市街を一望出来る窓の外は、相変わらず灰色の雲に閉ざされていた。


 乾いた風も音も防音魔防処理を施された防弾ガラスの前では遮断されており、空調の風が室内の空気を撫でている。


 人口の風の音だけを聞きながら、二人は黙って互いを見ていた。


 どれほど時間が経過しただろう。勇が大きく溜息を吐いた。


 表情は陰鬱というほどではないが、苦い笑みを口端に浮かべていた。


「世界を救う勇者の筈が、結果的に誰を救えたんだろうな」


 丁重に扱うよう厳命したとはいえ、異世界の姫と仲間である同級生は魔族の虜囚。自分を勇者として遇した国王は殺されて王国は滅亡状態。異世界の各地でも寧ろ救わなかった方がマシな所もあったりする。


 自分の知る勇者というものは、全ての人を幸福にする存在と思っていた。現実といえば、救うよりも無駄に掻き回しただけという徒労感が競りあがってくる。


「先代に言われたんだ。『忘れるなよ。己の我を通した結果と代償の重みを』って。俺は答えを出さないという我を通したことになる。結果はどうだ? 俺以外誰が得したんだ?」


 この騒動で異世界の人間が何万も死んだ。魔族側も、会戦で千人弱、その前には数千名が落命している。


 勇者という都合のイイ虚像に踊らされた結果だ。その虚像を振り切れずに、勝手に終わった気で居た為に変な期待を抱かせてしまった自分に責任があった。


 与えられたモノとはいえ、本能に、欲望に抗えず逃げそこなってなければ、少なくとも今日の事態は回避出来たのではないのだろうか? 考えれば考える程に自責が重く圧し掛かってくる。


「勇が気に病むことではあるまい」


 心情を吐露した夫に、妻は明快に言ってのけた。


「原因は勇だろう。責任の半分は確実に勇だろう。だがな、ここに乗り込んできたのは奴らであり、あのような結果になったのは奴らの偏狭な正義と救いようの無い他力本願からだ。勇が暗い顔したところで死んだ者が蘇るわけではあるまい。感傷は程々にして、今後このような事が起きぬよう対策を考えて善処するのが健全というもの」


「死人が万単位で出てるんだぞ。少しドライすぎじゃないのか」


「大魔王であり数百億の民衆を統治する身だ。これぐらい突き放して物事割り切らないと統治者なぞやれないぞ。大体、勇は勇者時代に同じ数以上を殺してるではないか。深刻も度が過ぎると偽善というものだと妻は思うな」


「それを言われるとなぁ……」


 過去を引き合いに出されて反論に窮した勇をセリスは口元に手を当てて笑いを堪えて見つめている。


「終わったと思うのならまた始めればいい。そういう所は強大な力を持つ者の特権だ」


「それに決着もついてないからな。約束はまだ有効なんだろ?」


「そうだ。妻と勇は一蓮托生、運命共同体の夫婦であり、未だ決着をつけていない仇敵同士でもある。どちらかが完全敗北するまで終わらない関係だ。そこら辺の愛や友情など足元にも及ばない、強い、熱い、ドロドロとした濃厚な絆だ」


 澱みなく断言する大魔王に勇は降参したように両手を軽く挙げた。


「今まではこれが終わりの始まりというやつかと思ってたが、まさかようやく始まりが終わったばかりとはな。まだ十九なのにもう第二の人生云々言うことになろうとはな」


「妻の計画としては来年、遅くとも再来年には第一子を生みたいものだ。出産までの間は勇が大魔王代行な」


「勇者に大魔王しろってか。どっかのゲームやアニメじゃねーんだからやめろよそういうの」


「ではニホンに帰ろうと行動起こすか?」


「帰りたい気持ちはあるがまだ保留な」


「勇はまったく優柔不断さんだな。全て先延ばしではないか。いつかは絶対答えを出さないとイケナイのだぞ」


「優柔不断の元凶がしたり顔で忠告してんなよ」


 片手で頭髪を掻き毟り、視線を逸らした。


 軽く一、二分のダンマリを決め込んでいたが、口の中で何事か呟いた後にセリスに向かって彼は相変わらず不機嫌そうな口調でこう言った。


「とにかく、早く傷治してくれよ…………セリス」


 最後の部分はか細い声であったが、確かに大魔王の鼓膜を叩き脳に浸透した。


 名前を呼ばれた側はというと、言葉を吟味しているのか、しばし小首を傾げて不思議そうに勇を見つめていたが、理解するや満面に花開くような喜色の笑みを浮かべて歓声を上げた。


「おっ、おっ、勇、今、妻の名前を呼んでくれたのか。初めて名前をちゃんと呼んでくれたな!! ワンモアチャンス! もう一度呼んでくれ!! 今すぐ録音したいのだ。永久保存なディレクターズカットなのだ。さぁ、熱く甘く切なく激しく妻の名を呼ぶのだ夫よ!!」


「いいからもう寝ろ馬鹿大魔王!!」


 歓喜に昂ぶり抱きつこうとする大魔王である妻を、勇者である夫はフェミニストが卒倒せんばかりの容赦無さで殴り倒した。


 解決すべき問題は山積みである。これからも考えるべきこと、やらないといけないべきこと、先送りしていても立ち向かわなければならないものはこれからも増えていくだろう。


 だけどそれは終わりの先に開けた始まりの証なのかもしれない。


 今ここから再び時間は動き出す。


 勇者の物語は終わり、一人の青年の物語は本格的に始まったばかりである。




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終わりから始まる物語~勇者は優しき悪夢に溺れゆき~ 直月秋政 @naotki-5

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