第三章「勇者と大魔王が結婚したらごらんの有様だよ!(その3)」

 厳粛かと思えばフリーダム。フリーダムと思えば厳粛。


 一言で評するならば混沌。それが勇の抱いた感想だった。


 なんともおかしなものだった。統治者の結婚式というのに、ぶち壊し確定の騒ぎも大らかに流されて終了した点でも思える。


 結婚式に関してはこんなノリなのかと面食らったものだが、新生活が始まってから自分のイメージしていた魔界と現実の魔界との落差が激しいものだと実感した。


 大魔王セリスが統治している魔界は、勇の居た世界におけるイメージを壊すには充分すぎた。


 制度こそ異世界にある国々と同じ専制国家であるのだが、生活様式は勇が冒険していた異世界よりも彼がが元々住んでいた世界の文明に近いものだった。


 この世界は統一暦というものが採用されており、現在統一暦二〇〇九年。群雄割拠していた魔界が統一されて二千年が経過していた。


 これより以前は公爵やら大公やらという爵位持ちの大悪魔らが群雄割拠しており、国の数は大小合わせたら国連加盟国よりも多かったという。


 それがようやく統一されたのは二千年前、初代皇帝であるセリスの曽祖父が悪戦苦闘の末に果たしたのだった。


 以降、二代目が基礎を固め、三代目が国の安定と残存していた反抗勢力討伐に腐心して、四代目である女帝セリスが経済と文化の発展に勤しんでいるという流れで現在に至っている。


 二代目三代目が国庫に溜め込んだ財貨を惜しみなく使い魔界全土の経済活動を活発化させようとした結果、近代的なものは爆発的に普及していった。


 上下水道にガスに電気も存在して住人のライフラインとして整備されている。テレビや冷蔵庫に洗濯機などの家電製品、挙句にパソコンや携帯機器まで存在してる。


 デザインは魔界らしい装飾過剰でグロテスクさを前面に押し出したものであるが、機能はというと、勇が慣れ親しんでいた機器と遜色なかった。


 テレビを点ければ、バラエティに始まりニュース、ドラマ、時代劇、アニメ。果ては子供向け教育番組もあるのも勇を驚かせた。ただし、八割方は地球を初めとする様々な世界から電波を引っ張ってきたものだった。


 よもや魔界でN○Kの大河ドラマを観るとは思えず、勇は懐かしさから数時間釘付けになった。


 残り二割は純魔界製であるが、勇からすればフランケンシュタインと狼男と半魚人の昼ドラなぞB級モンスター映画観ている気分になるので視聴したその日以降観ることはなかった。


 ネットはというと、こちらも日本と大して変わらない。通販、検索、動画にファンサイト。大型情報掲示板も存在し、日々議論や中傷合戦を繰り広げている。


 いがつい怪物共がパソコンに向かってブツブツ言いながらキーボードを叩く姿を想像した勇は失調感に捕われた。


 車や飛行機は存在しない。技術力や資源はあるが作る気はないのだ。


 何故なら魔法や己の翼で自力飛行する者もいれば、大型モンスターを足代わりにする魔族もいるからだ。ようするに需要がまったくない。あったとしても玩具やコレクション目的で所持してる一部貴族ぐらいだった。


 魔界にも人間の歴史よりも古い伝統文化は存在している。しかし独自の文化を保つという概念が希薄なのか、便利さ優先がいっそ清々しいぐらいに露骨で、まるで一昔前の高度経済成長期の日本のようだった。


 重厚な西洋風の屋敷が立ち並ぶ中でファミレスやコンビニやデパートを見かけたときには眩暈を覚えた。ネオン煌めく繁華街なぞ見かけたのはいつ以来か。


 見かけなかったのはパチンコ屋とキャバクラぐらい。そちらも、それ以外の賭博遊戯が盛んなのと、娼館がお上公認で営業してるから無いというだけである。


 良く言えば多国籍か共存或いは多様性、悪く言えば無秩序な文化であった。


 荒涼たる大地、常に厚い雲の多い灰色の空、魔力の混じった濃い空気、そして当たり前のように生活を営んでいる魔物達。


 これらの中に地球や異世界、その他世界の文明が混ざり合い、なんともごった返した生活様式が完成されていた。


 ここの住人は口揃えて「これぞ文明開化」とか「我ら魔族は思考が柔軟なのだ」と言い張るが、勇はそんな戯言信じる気にはなれなかった。


 魔界がこのような世界となっているのは、ある物によってだ。


 ヘルアンドヘブンゲート。


 全長は最大の物で三千m、最小でも二百mを誇る異世界と魔界に存在する巨大な時空転移装置。


 魔界各地に百基以上存在しており、これを使えば様々な世界へ行き来できるという。


 長方形の枠を天をも貫く長い二本の柱で支えられているソレは異世界にも二、三存在しており、勇もこれによって異世界に呼び出されている。


 エネルギーとして魔力を用いるものなので誰にでも使用可能な代物ではなく、魔力の質量高い者にしか起動出来ない。よって国が管理してお抱えの魔導師や魔力ある皇族が定期的に起動させて他世界との交流を行っていた。


 色んな世界へ通行可能で、それによって多国籍フリーダム文化が創られてきたのだった。


「なんかデカイ銃引っさげてカウボーイハット被ったキザ男が冒険してるようなとこじゃねーんだからよ。無限の辺境とでも言う気かよ」


 ゲートの存在を知ったとき勇は毒づいたものであったが、このゲートは地球にも繋がっているので、帰れる可能性のある機械に関して複雑な心境を持っている。


 このような世界だからか、ごく平凡な魔界のイメージを尽く壊された勇はしばらくの間はギャップを是正するのに苦労を強いられた。


 ある程度認識を改めた後も、住人の顔ぶれを確認しては、ここが自分の住んでいた世界とは違うのだと確認している。それほどまでにこの地は彼の世界にカブレているのだ。


 そんな魔界らしからぬ魔界に、彼は住んでいる。






「さぁ食べるがいい。妻が丹精込めて作ったのだ。勇の住んでいた国では一般的な朝食と聞くぞ」


「……」


「ネットで調べて、部下を派遣して材料を調達させたのだ。安心しろ、全てニホン国産だぞ! 勇は久々に和食を食べれて、妻としても夫の食べていた物を食べて一体感を味わえることだし、一石二鳥というやつだな!」


「……」


 漆黒のエプロンを身に着けた妻の言葉に対し、夫の方は無言であった。


 巨人族が半ダースは入れそうなただっ広い食堂。


 髄を極めた調度が並ぶ中に不釣合いな家庭的なテーブルの上に並べられているのは、セリスが勇より早く起きて作った力作の数々。


 ホカホカの白いご飯、適度な焦げがついた焼き鮭、豆腐と昆布と油揚げの入った味噌汁、照りのいい筑前煮、生卵と沢庵、ご丁寧に納豆と海苔まである。日本人の食欲をそそってやまないラインナップが、美味そうな匂いを湯気に乗せて勇の鼻をくすぐる。


 大魔王が自ら作った和食。


 ファンタジーに拘りの薄い身としてはそれはどうでもいい。実に美味そうだ。ここ最近というより、異世界に居た頃は何度も夢に見てしまうぐらいに縁の無い食べ物であった。


 食べたい。鮭の身を白米と一緒に食べ、味をかみ締めて味噌汁に流し込みたい。歯応えのある沢庵を音立てて食べたい、納豆を掻き回して粘っこい感触を口一杯に味わいたい!


 このような心境を抱いているが、彼は沈黙していた。何故沈黙しているかといえば。


「おい」


「なんだ? 玉子焼きも欲しいのか? 欲しいのなら妻が今から作ってやるぞ」


「違う」


「あっ、わかったぞウメボシだな? すまんすまん、妻としたことが失念していた。それは次回期待してもらおうか」


「違うつーの。もっと根本的なことだ」


 勇は深く溜息を吐いた。


「毎度の事ながら、なんで俺は椅子に縛られているんだろうか」


 食堂へ連行された勇は、そのまま椅子に座らせられ鎖を巻かれていた。自由に動かせるのは首より上ぐらいだ。


 恨めしさの篭った質問も、セリスは艶やかな笑み一つで流された。


「勇が逃げようとするからだ。安心しろ、妻がアーンしてやるからな」


「逃げねぇよ」


「妻は騙されないぞ。何故ならもう何度も騙されてしまっているからな! 愛は盲目というが流石に四十一回同じ手口で騙されてることだしもう効かないぞ」


 愛は盲目だからって四十一回は多すぎるだろ常識的に考えて。


 そんな言葉が喉まで出掛かったが、勇は奥歯を噛み締めて堪えた。


「いや、マジで逃げねぇよ。それと愛じゃなく恋は盲目だ。さり気にクラスチェンジすんな」


「逃げたらヒドイ事するぞ」


「だから逃げないって。久しぶりの和食を自分で食べたいんだよ」


「わかった。では鎖を解こう」


 そう言うと、セリスは指を鳴らす。同時に勇を二重三重に拘束していた鎖が音を立てて床に落ちる。


 瞬間、勇は密かに溜めていた魔力をセリスめがけてぶっ放した。


 魔法ではなく魔力を即席で固めたものだ。威力や指向のコントロールは利かないが、詠唱無しですぐさま発動出来るのが利点だった。


 部屋に轟音が響き、周囲にある置物や家具が破壊される。勇は一目散に出口を目指して走り出す。後先考えてなかったが、とりあえずあの銀髪から逃げないと話にならなかった。


 爆発の煙でよく見えないが、三ヶ月通い続けているので位置は把握している。


「ドアはこの先だ! こんなとこからスタコラサッサだぜ」


 勇は無我夢中でドアノブに強く手をかけた。弾力に富んだ柔らかな感触を手のひらに感じる。


 (んっ? 柔らかい?)


 煙はあっという間に晴れていく。視界が良好と成ったとき、彼が目の前で見たものは、吹き飛ばした筈のセリス。ドアノブと思って握っていたのは相手の形の良い胸であった。


「んんっ……もっと、強くしてよいぞ……」


 頬を染めて切なげな声を漏らす大魔王に勇は仰け反った。


 この程度で傷一つつかないと予想していたが牽制にすらならんとは! 


 つくづく自分はとんでもない存在と戦ってきたことを思い知らされた。


 夫の動揺を意に介すことなく、セリスは体重を感じさせない軽やかな足裁きで勇を床に転倒させた。


 床にぶつけた後頭部の痛みに起き上がろうとする相手の手足を魔法で拘束し、馬乗りになってくる。


「妻との約束を破った。これで通算四十二回目だな」


「くっ……」


「約束したとおり、今からヒドイ事をしてやろう」


 いつの間にか控えていたメイドからトレイを受け取るセリス。トレイの上には先ほどテーブルに置かれていた和食があった。


 受け取ったトレイをゆっくり床に置き、ぎこちない手つきで鮭をほぐす。ほぐした身を箸で摘んで自分の口へ運んだと思うと、上半身を勇の上へ倒してきた。そして。


「んっ……くっ、んんっ……!」


 唇を重ねてきた。


 口移しで食べさせようとする気らしく、ほぐされた鮭が勇の口に入ってくる。程よく塩の効いた鮭の味よりも、口内を掻き回すかのように深く貪ってくる相手の舌の感触の方に意識持っていかれそうであった。


 ようやく鮭を飲み込んだが、間をおく事なく、白米を口に含んだセリスが再び唇を重ねてくる。


 何十回と同じ動作が繰り返され、その間、勇はされるがままであった。


 一口ごとに深い口づけをされ、口周りが汚れていく。息苦しさと口と舌の疲労が蓄積されていく。勇は軽く咳き込みながら激しくもがいた。


 トレイにある食事全て平らげるまで口移し続けようとするのがコイツ流のお仕置きと納得してやってもいいが、そろそろ謝罪しておかないと口と舌が過労死してしまう。


 判断するや、勇は息も絶え絶えに口を開いた。


「わ、悪かった。俺が悪かった。スマン、謝る、謝罪する、スミマセンデシタ」


「別に謝らなくともよいぞ。妻はコレはコレで楽しくなってきた」


「嫌だから謝ってるんだよ! いい加減どきやがれこんタコ」


「まぁまて。まだ半分残っておるのだぞ。今からこのナットーというのを食べさせるつもりだったのだ。ネバネバネチョネチョした臭うモノを勇の口に含ませるのを想像すると、妻は朝から妙にイケナイ気分になりそうだ」


「納豆まで口移しで食べさせる気か天然発狂大魔王! ジャパニーズフード舐めるなよコラっ!」


 口の中に残っていた米粒を飛ばしながら勇は喚いた。


 身動きが殆どとれない現状であるが、このままなすがままを受け入れがたい彼は抵抗を諦めなかった。


 何度も何度も、朝食の席での逃亡が失敗する度にお仕置きを受ける羽目となっていた。傍から見てると学習能力が無いのかと呆れるかもしれないが、勇には言い分があった。


「勇者というのをしていると、一縷の希望というやつにやけに縋ってみたくなるもんだよ」


 現時点では成功にまったく至らないので、彼の言葉は足掻きへの言い訳以上には聞こえなかった。


 必死の抵抗が通じたのか、はたまた何か良からぬ事でも思いついたのか、セリスは動きを止めて勇を見下ろす。


 しばしの沈黙の後、勇を組み伏せている大魔王は己の考えを口にした。


「では夫の頼みを聞く代わりに」


「代わりになんだ?」


「妻の顔についた米粒をとってもらおうか」


 己を指差す妻の顔にはつい数十秒前に勇が飛ばした米粒が確かについている。


 勇は拍子抜けした。その程度でいいのか? それぐらいで今されている行為を止めてもらえるなら楽ではあるが。


 拘束を解かれた勇は起き上がり、トレイに乗せてあったナプキンを手に取る。そうして相手の顔を拭こうと手を伸ばすのだが、何故かセリスは拭こうとすると顔を背けて拒否の態度を示した。


 幾度も回避された勇は不機嫌そうに眉を顰めた。


「とってもらいたいんじゃねぇのかよ」


「誰が手で拭えと言ったのだ?」


「手じゃなきゃなんだ。足でも使えと?」


「手を使わず口と舌を使え」


「まてやコラ」


 勇は低く呻いた。やけに楽な条件かと思いきやそうは問屋が卸さなかったというわけかよ。よもや、今時誰もしなさそうな事をやらされるとはな。


 ここで拒否してのけたら再び拘束されて口移しでの食事だ。一口ごとにディープキスされては堪らん。逃走も不可能そうだし、ここは条件をのむしかないようだ。


 仕方なく。本当に仕方なく、勇はセリスの顔に付着してる米を口と舌を使って取る作業にかかった。


 頬、鼻先など数箇所。天上の女神も裸足で夜逃げしそうなぐらいの美貌に付着してる米粒。


 この女帝を崇拝する輩が目撃したら、この状態を作り出した彼は憎悪されること間違いないであろう。或いは、この状況を嫉み「うらやま―けしからん!」などと怨嗟の叫びを放つのだろう。


 勇はというと、目の前に居る銀髪と係わり合いを持って以来、美人に対して免疫というか、感性は摩滅しきってしまい面倒くささしか抱いていなかった。


 瑞々しい張りのある肌に渋々と口づけ、疲れている舌を鞭打って米を口の中へと運んでいく。


 こんなアホなことする度、つくづく自分はコイツの所有物か何かなんだなと虚しい気分に勇はさせられるが、口に出しては言わない。他人がどう評価してるかは置いとき、彼自身は年相応にTPOを弁えてるつもりだった。


 機械的に進めていったのであっという間に全て取り去ってやり、やれやれと一息吐こうとしたが。


「まだ残っているぞ」


 セリスの言葉に勇は怪訝な顔をした。


「視認出来る範囲では全部取った筈なんだがな」


「ここだ。ここ」


 彼女が指差す先は、己の首筋。見れば確かに米が付着していた。


 更に視線を下げると、米粒は鎖骨、胸元、胸の谷間……と、広範囲に渡り付着していた。


 勇はもしやと思い、視線をセリスのもう片方の手に向ける。いつの間にか、指先は茶碗の米へと突っ込まれていた。


「……」


 このアマ、なに人にバター犬みたいな真似させようとしとるんじゃい。


「どうした勇? 早く米を取らないとお仕置き再開だぞ? おや、妻の首に手を添えて何をするのだ。手は使わない約束であろう? どうして勇は手に力を込めてるのだ。妻はDVは構わないが、たまにはデレを見せてくれても罰は当たらないと思うのだが。それとも実は、勇は暴力でしか愛情表現出来ない生まれ育ちだからだったとかかな。ならば妻は夫を癒す為健気に甘受したほうがよいのかのう」


「うるせぇ! そこまで飛躍させる脳みそあるんだったら反省の二文字を思いつきやがれよ!!」


 勇は大魔王の首を怒りのままに首を締め上げる。この程度で死ぬタマではないが、これぐらいしないとやりきれないのだから彼は容赦も躊躇いもしなかった。


 首を本気で絞めてるというのに、セリスは苦悶を見せず、それどころか恍惚に耐えるような表情を浮かべている。


 腹が立ったので力を更に込めようとしたときである。


「そこまでだ奸賊ぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」


 絶叫と攻撃が同時だった。勇とセリスの間、僅か数センチの空間を一振りの剣が横切った。

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