第二十五章「クライマックスは続くのどこまでも!?(その2)」

 そこに居たのは、深淵なる闇の擬人化であった。


 淡い光芒を放っていた純白の鎧も、太陽のように輝いていた剣も、血で染め上げたような深紅のマントも、全てが漆黒に染まっている。


 各所に彫られていた雷をモチーフにした勇者の紋章は奇怪な髑髏のレリーフへと変貌していた。耳は尖り、犬歯が獣の牙のように鋭さを増し、顔や身体の至る所に黒い文字が帯びのように連なって浮き出ていた。元々黒かった髪は艶やかさを増してたなびき、黒き瞳はギラギラとして黒い輝きに溢れている。


 殺意と敵意と狂喜を剥き出しに、ソレはニタニタと笑っていた。悪意と害意だけで構築したような嫌な笑みであった。


 ほんの数十秒前に居た桜上勇の面影は殆ど消失していた。


「ひゃーはーぁー!」


 突如奇声を上げ、勇は抜き身となっている剣を躊躇うことなくクゥと姫子に向けて振り上げた。


 鈍い刃鳴りが響いた。


 躊躇いなく振り上げられた凶刃に反応出来たランスロットが、二人を護ろうと双刀で受け止めた。


 相手は紙くずをゴミ箱へ投げるように軽く振っただけというのに、古代より伝わる名刀を魔界製超合金ハイブリッド・メタルで強度を上げた代物である二本の剣には大きな亀裂が入っていた。


 刃先を向けられたクゥと姫子が信じられないと言わんばかりに身を硬くしたことも気に留めず、勇は曇りの無い悪意を込めて笑った。


「ついにトチ狂いやがったなこの馬鹿……」


 ランスロットの罵りに、調子の外れた笑い声を上げて応えた勇者であった男は再び剣を振り上げて襲い掛かる。


 ランスロットは動けないでいる二人を突き飛ばすように避けさせ、自らも障壁魔法を発動させて二撃目に備えたが、勇は薄紙を破るような容易さで近衛衆筆頭の張った防壁を両断した。


 速度を落とさず、死を具現化させたソレがランスロットの身体に食い込もうとする。双刀の一本で辛うじて受けたが、亀裂の入っていた剣は澄んだ悲鳴を上げてへし折られた。


 抑えようともしない魔力が炎となって周囲を揺らめかせ、吹き飛ばす。


 動作一つで大地を鳴動させ、厚い雲に閉ざされている筈の空は普段は観れない荒れ模様を見せる。瘴気のようにただ漏れしてる暗く澱んでいる魔力は、当たり続けていると体内が毒されていくような不快さがこみ上げてくる。


 片方の剣を折られたランスロットが足元に落ちていた二十mm口径の拳銃を拾って引き金を引いた。


 銃弾は勇の眼前にて魔力の炎が溶かしきられてしまう。傷一つつけられなかったが、ランスロットはそんなもの承知済みであった。距離を取り体勢を立て直す秒単位の時間と、仲間達が間合いをとる時間を稼げれば上等だった。


 勇から見て左側からホールズが渾身の力を込めてハンマーを振り落とし、右側からはガヴェインが銃剣から己の魔力を弾丸に変えた魔弾を連射させた。


 だが、左右からの同時攻撃を大魔王の婿は避けようともせず、ハンマーを剣で無造作に弾き返し、素手で魔弾を苦も無く全弾受け止めた。


 その瞬間に隙を見出したランスロットは折られていない剣で腹部を狙って猛然と突きにかかった。漆黒に身を包んだ青年は回避する暇も与えられず刃を腹に食い込ませられた。


 手ごたえを感じたランスロットであったが、致命傷の確信は一瞬で砕かれた。


 いつの間になのか、勇の腹部に鋭い牙と口が生えていた。


 それ自体が独立した意思を持っているかのように、鋭い牙が剣を噛み砕き、口の中へと消えていく。失望と憤激に顔を歪ませる近衛衆筆頭に、勇は卑しい笑みを浮かべてみせた。


「死ね」


 短く言い捨てて腕を一振りする。


 衝撃波が精鋭中の精鋭である魔王近衛衆の三名を吹き飛ばして大地に叩きつけた。ランスロットらを瞬く間に沈黙させた黒き勇者はゲート方面に視線を転じさせた。


 そこは、覚醒した勇の魔力を起爆剤として、満を持して天界から恐るべき兵器が引きずり出されようとしていた。


 四、五十mの巨体、無駄な脂肪の無い引き締まった筋肉、逞しさに関して非の打ち所にない八本の強靭な腕。手にはそれぞれ刀や槍などの武器を持ち、全身のあらゆる所に説明されないと理解できそうにもない武装が鎧のように施されている。


 禍々しくもあり神々しくもある。


 天界の住人が一時は自分達の世界を守護させようとした人工の神々は、威容を誇りながら魔界にその姿を現した。数千年も封印されてたようには見受けられない堂々とした姿は、引きずり込んだ張本人であるガーオネに快哉を叫ばせた。


「流石は神々が造りし闘いの神。三体も降臨したならばもうこちらのものだ!大魔王など敵ではないぞ。私の理想とする世界を創造する為の尖兵となるのだ!!」


 勇の変貌に内心震え上がっていたガーオネであったが、彼の暴走した魔力によってようやく姿を見せたジャアーク、ゴクアーク、ザイアークの雄姿に威勢を取り戻した。


 壊滅寸前にまで追い詰められていた異世界軍の兵士達も、神の降臨を信じきって歓喜の声をあげた。


「神が我らを助けにきたぞ!」


「やはり正義は我等にあるのだ! 今こそ逆転の時ぞ!!」


 素朴にそう言い合う人間達。


 魔族らはゲートから姿を見せた巨大兵器にしばし呆気にとられ、我に返ると隊列を崩すことなく更に後退をしだした。


 それを見た異世界軍は、魔族らが神の降臨に恐れをなしたと解釈した。正義が盛り返しをみせたと錯覚し、カサに着て攻勢に出た。勇者と神の登場に希望と熱意を燃やす兵士らは、陣形を整えもせず我先にと追撃を開始した。


 一見すれば逆転したかに見える戦況に、ガーオネの高揚感は破裂寸前の風船のように膨らんだ。熱に駆られるままに映像魔法を使って高らかに指示を下す。


「さぁゆけ闘神よ! 全てを薙ぎ払え。私の邪魔なものを全て消し去るのだ!! 私が神となるべき祝福の一撃を悪しき魔族どもに……!!」


 轟音が鳴り響き、王太子の自己陶酔に満ちた饒舌を中断させた。


 一帯を圧する、鼓膜が破れかねない程の轟きであったが、音に反してその光景はとても現実離れしており、人間達は眼前で行われた出来事を理解して受け入れるのにいささか時間を要した。


 三体の内の一体、ザイアークの肉体が腰から上が消えていた。


 腰から下は、作りかけのプラモデルのように無機質の塊が頼り下無く立っているかのようだった。上半身の行方はすぐに掴めた。無残にも、数十の巨大な破片と化して周囲に散らばっていた。ゲート内施設の幾つかの建造物が破片の落下によって押し潰されている。


 非現実的な光景を処理する隙もなく、次いでジャアークがゲートを護る城壁に倒れこみ、この地区を防衛していた兵士ら諸共崩れ落ちた。


 頭部が吹き飛んでおり、身体には大小十以上の穴が黒々と開いていた。


 魔族人間双方共何が起こったのか把握出来ずにいた。


 ようやく気づいたのは、一人の男がゲート内にある電波タワーの頂点で狂った音程で笑っているのを目撃してからだった。


 勇は片手で破壊兵器として畏怖されてた筈だったモノの残骸をお手玉を扱うように弄びながら周囲の有様を見下ろしていた。


 阿鼻叫喚な地獄が作り出されつつある光景を愉快そうに見ている。助けを求める人々の声など聞こえてないかのように、破壊の余波で消え行く命など歯牙にもかけずに。


 残る一体となったゴクアークは、八本の武器を勇に振りかざしながら襲い掛かった。


 それぞれの武器に膨大な魔力が溜め込まれており、直撃すればタダでは済みまなかった。そのような封印されし破壊兵器と対峙しながらも、勇はまったく動じていなかった。


 咆哮を上げ、八種類の武器を振りかざした刹那、ゴクアークの動きが不自然な角度で停止した。


 闘神の巨体に無数の刃が突き刺さっている。下半身を中心に、下から突き上げたような刺さり方をしていた。


 何が起きたのか殆どの兵士には分からなかった。


 把握出来たのは、逃げ遅れて巨人の至近に居た少数の人間だけである。彼らが見たものは、ゴクアークの影が激しく波打ち、そこから黒い刃が迫り出すというものだった。


 地響きを立てて三体目の、そして最後の神の巨人が破壊された。三体が破壊されるまで僅か一分足らずであった。


 ガーオネは唾を飲み下すのも忘れ、大口開けて絶句したまま身じろぎ一つしなかった。周囲の側近らもあまりな展開に声も無く立ち尽くすしかなかった。


 三体の闘神が勇の手によって叩き潰された光景を、追撃をかけていた人間達も遠くから目撃していた。


 信じ難い現実に動きが鈍った兵士らは、だが深く考える時間を与えられなかった。


 整然と後退していた魔族らが反撃を開始した。調子に乗って無秩序に追撃をかけていた異世界軍は、ここでようやく敵の後退が擬態であることに気づき慌てふためく事となる。


 アサルトライフル、ミサイルランチャー、自走砲などの火器が火を噴き人間を肉塊に変えていく。


 腕に覚えのある魔族の中には、手持ちの火器を撃ち尽くすと、腰に差し込んだ剣や斧や金棒を振り上げて斬り込んでいく。それを援護するようにあらゆる攻撃魔法が異世界軍の頭上に降り注いだ。


 それに対して人間は成す術もなく、こちらは正真正銘の逃走が始まっていた。


 救いにきた筈の勇者によって切り札を破壊された時、人々の心は完全に折れた。


 神の無情を呪いながら、人間達は逃げ場を求めて走り出していく。


 総崩れの様子を見て、吐血で汚れた口元を腕で拭いながらホールズは呆れ混じりに溜息を吐いた。


「長年、封印してきた、骨董品に、頼る、時点で、どうかしてるのだ」


「あちらの世界では神は絶対的な存在だからな。盲信するのも無理ない話だ。にしても王太子殿の調査不足は失笑モンだ。アノ程度で世界盗る気でいたとは。小説ならば読者が呆れて本を投げ出してるぐらいに出来が悪い」


 ヒビが入った肋骨部分に手を添え、痛みに眉を顰めつつランスロットが応じた。


 ガヴェインも負傷しながらも自力で立ち上がれた。辛うじて一撃に耐えたものの、他はともかく勇相手にこれ以上闘いを挑むことは不可能であった。


 攻城戦も、城壁の一角が勇によって破壊され、そこから突入を果たすことに成功。着々と施設内を制圧しつつあるという報告を既に受けていた。


 人間との戦いは終幕へと向かいつつあるが、彼らにとって問題はまだ解決してはいなかった。


「小者の火遊びはここまでとして、理性のネジが飛んでしまった穀潰しはどこにいる?」


「つい今までゲートの電波塔に居たけど」


「あれ、じゃないのか?」


 ホールズの指差す先にはいつの間に来ていたのか、勇が腕を組んでランスロット達を見物していた。強大な魔力は戦場一帯を圧しており、魔力感知での位置把握は困難な状態らしい。


 三体の巨人を圧倒的な暴力で潰した勇であるが、物足りなさを感じて元の所へ戻ってきた。


 負傷しながらも立っている三名を見て、破壊衝動の化け物となった勇者は嗜虐的な笑みを満面に浮かべた。


「生きてるよ。普通に立ってるよ。ムカついてワクワクするなぁ。こいつは素敵だ。俺を楽しませてくれよぉなぁなぁなぁ!?殺させてくれよぉ!」


「俺らはテメェの玩具じゃねーっての」


 ランスロットは舌打ちしつつ半ば折られて使い物にならなくなった愛剣を構えた。他の二人も負傷した身体を庇いながらも武器を向ける。


 抵抗の意思を見せる近衛衆に舌なめずりしつつ勇が一歩を踏み出したときであった。


「待って桜上くん!」


 縋るような悲痛な声。呼び止められた勇が億劫そうに声の主の方へ向き直る。


 姫子とクゥは変わり果てた勇を止めようと前に進み出た。


「もうやめてください勇さん」


「なぁんでやめなくちゃいけない」


「無用な殺戮と破壊は勇者として有るまじき行為だからです。勇さんは勇者なのですからそのような事を」


「アンタらの勇者像だろぉそれ。俺の知ったこちゃねぇよ」


 品の無い冷笑によってクゥの紋切り型の説得を一蹴させた。


 詰まるクゥに変わり、姫子が泣きそうな顔をして同級生に語りかける。

「やめてよ桜上くん。こんなの桜上くんらしくないよ! アタシの知ってる桜上くんはこんな事を楽しむ人なんかじゃなかった。魔族の血がこんな事させてるだけだよね。だから!」


「俺の何を知った気でいるんだよ糞地味女ぁ!」


 魂が芯まで冷えるかのような押し殺した声が姫子の声を封じ込めた。


 スイッチが切り替わったかのようだった。今の今まで卑しげにギラギラとした笑みを浮かべていたかと思うと、豹変して苛立ちに満ちた渋面となり、声に怒気を孕ませている。抑制というものがまったく無く、混沌と衝動のみが今の勇を動かす元となっていた。


 神経質そうに足で大地を踏みながら、一語一語に毒素を込めて言葉を紡ぐ。


「ウゼェんだよぉ。人の都合お構いなしにゴチャゴチャ言いやがってよ。テメェの世界を死ぬ気でも護りもせず、人に頼めば解決したつもりの塵どもの為に命張る羽目になったんだから充分だろうがよぉ。これ以上言うと殺すぞ。言わなくても殺す気でいるけどなぁ!」


 底の見えない闇を瞳に輝かせ、雷電の勇者と呼ばれた男は、自分を追ってここまで来た二人の女性を見下している。


 そこに一片の情愛もなく、目障りなモノを見るかのように疎ましさが露骨に出ていた。その露骨さは、どんなに鈍感な人間でも一発で察せさせてしまう威力があり、鈍くはない二人は彼の視線だけで心身ともに萎縮寸前にまで気圧されていた。


 怒りと嘲りに歪む笑みを張り付かせ、魔に染まった人間は全てを嘲弄するように、幾度目かになる音程の外れた笑い声を上げた。


 放出する魔力を制御しようともせず、手当たり次第無差別に放っていく。巨大戦艦の主砲並の威力を誇る一撃が敗走する異世界軍に着弾して大きな黒煙が巻き上がる。


 溜りに溜った鬱屈を晴らそうとしてるのか、聞くだけで不快感をもたらす笑い声は止まることなく、生命が消えていくのを楽しむかのようにはしゃいでいる。


「正義だ悪だと区別しなきゃ行動一つ出来ない馬鹿にはイイ薬じゃねーの! どうだぁお姫さま。コレがアンタが救世主と敬愛してきた勇者の本音ってやつだよぉ!!」


 噴出す魔力が発火して、勇の周囲に青白い火の玉が無数に生み出された。護るかのように壁を作る火の玉を意味無く両手で掻き回しながら、漆黒に身を包んでいる勇者は狂笑を木霊させる。


「サイコーだ! 味気ねぇ元居た世界も、ムカツクことしかなかった勇者時代も、全部ぶっ飛んでしまうぐらいだ。おっ勃ぐらいにジンジンくるぜぇぇ!!」


 躁状態がこのまま続くと思われたが、一発の閃光が勇目掛けて放たれた。


 一撃で魔物十数体は消し炭に出来る威力を持つものであったが、火の玉にて防護していた相手には通用せずに炎だけを消しただけで霧散した。


 白っぽい目で向けた先は、つい二、三十秒前まで向けていた場所。


 そこには槍のような杖を自分に向けている女勇者の姿があった。


 勇は奇怪な笑い声をわざとらしく上げてみせた。悪意を隠そうともせず、大仰に肩を竦めてみせる。


「失望して殺そうとするわけか。お前の恋愛感情なんざその程度のメンタリティしか持ち合わせてなかったわけだなぁ。大人しく、元の世界で地味に本だけ読み耽って妄想だけしてりゃ幸せだったのになぁ。可哀想になぁ!!」


「違うよ」


 動揺の残滓はあるものの、勇を見据える姫子の声と瞳は力強さを取り戻していた。


「アタシは、桜上くんを正気に戻そうとしてるだけ。今の桜上くんの言っている事が全部本音だったとしても、アタシはアタシが好きになった桜上くんを取り戻す。我が侭でも自己中心的でも、それで今の桜上くんに軽蔑されることになっても。アタシは桜上くんの目を覚まさしてあげるんだから!」


「押し付けウゼェよ雑魚が」


 黒曜石のように輝く瞳に侮蔑を閃かせて吐き捨てた。


 同時に無造作に左手を姫子に向ける。掌に瞬く間に黒ずんだ光が球形となり膨らんでいき、野球ボールより一回り大きくなったとき、それは放たれた。


 誰がどう見ても危険極まりない殺意の塊を姫子は迎撃しようと杖に嵌めこまれている宝玉に魔力を込める。宝玉が淡く輝き、杖の先端から再び閃光が放たれた。


 瞬間的に込められるだけ込められた魔力は、魔法を貫き勇に直撃する筈である。悪くても相殺に持ち込める。そう姫子は考えていた。


 だが、それは甘かった。


 片や三ヶ月の短期集中訓練の身、片や二年以上死と隣り合わせの実戦を繰り返してきた身。力量の差は彼女の想像していたよりも広がりがあったのだった。


 真っ向から激突した二つの魔法。


 勇の放った魔法は一瞬で姫子の魔法を飲み込んでいき、速度を落とした気配もなく彼女に向かっていった。咄嗟に三重もの厚い魔法障壁を張ったものの、そんな物は物の役にも立たずに打ち破られた。


 耳をつんざく爆音と土砂と共に姫子は吹き飛ばされて地に叩きつけられた。訓練時から愛用していた杖は手元に柄が残ったのみで半ば消失していた。白金の鎧は彼女の身を辛うじて護ったが、各所が砕け散っており防御力の半ばが削がれた。


「姫子さん!」


 地に蹲る姫子をクゥは助け起こした。あまりにも圧倒的な強さに全身が畏怖に打たれながらも、マックス王国の王女は姫子を庇うように大剣を構えて勇を睨みつける。


「なんてことを……」


「弱ぇくせにツマンネェこと言うからだろぉ。想いがあれば力不足補えるなんて妄想してんじゃねーの? あぁん?」


 酷薄そのものと言った台詞に、クゥは歯噛みしつつ震える己を叱咤しつつ構えを解かない。


 しばらく睨みあっていたが、興ざめしたのか、勇は瞳を爛々と輝かせた。


「とりあえずムカつくからそろそろ消えろ。具体的に言うと死んでくれや」


 宣告した勇は己の発言を実行しようと一歩を踏み出した。


 だが、二歩目は踏み出せなかった。


 正気に戻ったとか良心が苦しみだしたといった類のものではなく、殺戮と破壊に餓えた瞳がある人物を眼中に捕らえたからであった。


 透き通るような銀髪の髪を靡かせ、磨き上げられた宝玉よりも輝きのある銀色の瞳をたった一人の人物に惜しみなく向けながら、生きた美術品ともいうべき女が姿を見せる。


 大魔王であり、男の妻であるセリスが参上した。


 今の今まで沈黙を通して夫の変貌ぶりを見物していたセリスに、勇はようやく気づいた。


 苛立ちや不機嫌は鳴りを潜め、好物を目の前にした子供のように顔を輝かせた。狂おしげな歓喜に頬を緩ませて漆黒の殺人鬼は大魔王に熱い視線を送る。


 剥き出しの欲望の塊を前にしたセリスは、クゥのように恐れもせず、姫子のように悲痛な訴えをすることもしなかった。居心地のいい場所でくつろぐような和やかな空気を纏っていた。


「流石は我が夫。普段とは違う荒々しい姿を見れて妻は惚れ直したぞ」


 平素と変わらぬ口調ながらも、身体中からは攻撃的な魔力が溢れ出してきている。


 勇と同じように、魔力が高まりをみせて発火し、蒼い火の玉が周囲を漂う。それとは裏腹に、セリスは表情と口調からは敵意をまったく感じさせず、しなやかな腕を上げて勇に手を伸ばした。


「でも他に目を奪われては駄目。勇は妻だけを見てればよいのだ。夫の欲求、満足するまで妻が受け止めてやろうぞ」


 場違いな、朗らかで慈愛に満ちていて、愛らしさすら感じさせる笑み。夫の方とは対照的な透明さがそこにあった。


「陛下!」


 セリスのいつもと変わらぬ言い草に一同は呆気にとられた。


 その中で最初に立ち直った赤毛の重臣が主君を護ろうと傷ついた身体を動かそうとした。今の勇にそんな挑発をするセリスの真意に気づいたからだ。有効であると理解はしても、敬愛する主君をみすみす危険な目に合わせるわけにはいかなかった。


 勇とセリスの間に立とうとしたランスロットを、銀髪の女帝は片手で制した。


 何気ない所作の中に込められた拒絶の意思を察した近衛衆筆頭は再度声をかけようとしたが、既に大魔王夫妻の眼中はお互いのことしか見えてない。


 二の句が繋げなくなり、音を立てて歯軋りしつつ、その場にいた他の者らに退避を促した。


 拒否と戸惑いを見せるクゥと姫子を、ランスロットは腕を掴んで引き摺るように後退させる。


「放しなさい! 勇さんとあの魔王を二人だけにさせるなんて」


「…………陛下の楽しみを潰すことは許さん」


「おかしいですよ! どうすれば楽しみになるんですか!? 桜上くんをこのままにしていいんですか!」


「どうすることも出来なかった俺達に口挟む権利はないんだよ」


 そう吐き捨てたランスロットは、ガヴェイン、ホールズと共に周囲に結界を張り巡らした。これ以上逃げても無益と判断してここでこれから起こる人為的な暴風をやり過ごそうと試みる。


 それを合図にしたかのように、気力を振り絞って結界を固めたとほぼ同時だった。


 炎を孕んだ嵐が吹き荒れ、大地が苦痛の咆哮をあげた。

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